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あらがう女 ー口裂け女、最後の戦いー

ー/ー



「なんで誰も歩いてないのよ……」

 都市伝説界のレジェンド――口裂け女は、いま最大の危機に直面していた。

 1970年代のデビュー以来、40年以上にわたって第一線で活躍してきたトップスター。
 だがいま、彼女の存在そのものが揺らいでいる。

 もちろんこれまでにも、テレビから出てくるヤツや、うめき声を上げて這ってくる白いヤツなんかに人気を奪われたこともあった。

「ハリウッド進出までしやがって……」

 悔しい。だが、そこまで大規模になると、もう“都市伝説”とは言えない。

「私は庶民派のレジェンドよ。CGも巨大資本もいらない。どんな子どもを最低3回は泣かせてきたし、書籍化だって何度もされてるの!」

 今日も町田の馴染みの格安居酒屋で、いつものメンバーである人面犬とトイレの花子さんの三人で多分発泡酒であろうビールを飲みながらくだを巻いている。

「そうだよね。九十年代まではまさに俺たちの時代だったよね。俺も特番を組まれたりしてたからね。二時間ものの! 『人面犬を探せ!』みたいなね……懐かしいなぁ。あの時の俺たち輝いていたよなぁ!」
 人面犬が懐かしそうに上を見上げて過去の栄光に浸っている。

「そうね……はぁ……」
 全員のため息が自分達の置かれている状況の厳しさを物語っている。

「でも私は、過去に縋らない!!」
 そんな重苦しい空気をぶち破るように声を張る口裂け女。

「むしろ、私、今こそが最強ですから!!」
 ビールという名の発泡酒を飲み干すと、テーブルを叩いて熱弁を振るう口裂け女。既に酔いはかなり回っている。

「そ、そうなんですか?」
 白々しく質問する花子。なお、このくだりは今年に入ってから五回目である。

「そう、知りたいのぉ?」

「ぜひ……」
 お約束のムーブに辟易しているが、付き合ってあげる心優しい花子。

「いいわ! 教えてあげる!! 弱点のポマードなんて誰も使っていないし、元好物のべっこう飴なんて、もはやどこに売っているかもわからない。っていうか、そもそもアレ、銀歯がとれるから嫌い!」

 長い都市伝説生活。虫歯も三本できました……

「つまり……40年以上、都市伝説界のトップランナーを走り続けてきたこの私は、この令和の時代においてもなお、確実に進化し続け……」

「お待たせしました!」
 話を腰を折るように店員が注文の品を持ってきた。

「あん!?」
 興が乗っている時に腰を折られた口裂け女。一瞬「私、きれい?」という必殺ムーブに入ろうと、ポケットに手をかけたが、「ツケの効くこの店を失うわけにはいかない!」という理性が辛うじて働き、事なきを得た。

「ご注文のタピオカミルクティーです」

「あ! それ、私」
 口裂け女の注文だった。

「おお、随分ハイカラなのを飲むね? 何それ、正露丸??」
 昭和全開の人面犬。もはやギャグなのか本気なのか、本人ですら分からない。

「ハイカラ? 正露丸?? そんな古くさい言い方しないでよ! せめて”トレンディ”って言って頂戴!」
 そう言いながらガラケーで一生懸命タピオカミルクティーの写真を撮っている。

「刮目するのよ、時代錯誤たち! これが、”バエる”っていうのよ!? 帰ったらパソコンにアップするんだから!」

「すげぇなぁ! やっぱり口裂け女はいつも時代の最先端いっているな!? 俺なんか身体が犬だから携帯なんか使えないよ」
 赤ら顔の人面犬が日本酒をペロペロしている。

「花子! あなたもいつまでもトイレに引き籠もってないで、私のようにもっとトレンドに乗っていかないとダメよ! すぐ時代に置いていかれてしまうわよ!?」

「そ、そうですね……」
 花子は、気付かれないようにポケットにスマホをしまった。

「でもべっこう飴じゃなくて、タピオカミルクティーの方が専門店とかあるから、むしろ……」

「なに!? 何か言った?」
 流石都市伝説界のトップランナー。控え目な花子が期せずして放った正論パンチに、すかさず威圧感という名のクロスカウンターを叩き込む。

「いえ……素敵です……」
 意気消沈した花子は、口だけでなく心も静かに閉じ、沈黙が走る。

「最近ヤバいんだよねぇ」

 そんな重苦しくなった空気の中、酩酊気味の人面犬がそんなことお構いなしに口を開いた。

「ど、どうしたんですか?」
 渡りに船とばかりに相づちを打つ花子。

「最近さぁ、よくテレビのCMに出てくる白い喋る犬いるじゃん? しかも声がオッサンの」

「ああ……あの携帯電話のCMの?」

「そうそう。アイツ……俺とキャラかぶってんだよねぇ。そのせいか、最近徐々に存在が薄れててさぁ……ほら、右手とか消えかかってる」

 都市伝説の怪物たちは、自身に対する”恐怖”と“噂”を栄養源にして存在している。怖がられなくなれば、若しくは語られなくなれば、自然と消えていく。

「まぁ、夏になれば多少は何とかなるんだけどなぁ……」
 人面犬は、日本酒を舐めながら虚空を見つめる。

「実は私もなんです……最近は、トイレでスマ……携帯いじってる人ばかりで、脅しても気づかれないんですよ。だからホラ……」
 花子さんも、焼酎のお湯割りを飲み干してため息をつき、立ち上がるとスカートを指差す。

「スカートがどうしたの?」

「心なしか丈が短くなった気がするんですよね……」

「大して変わってないわよ!!」

「成長期かな……?」

「何、小学生ぶってんのよ!?」

「でも基本ずっと小学校にいるし……」

「くっさい芋焼酎が好きなくせに何言ってんのよ!」

「あ……すみません、お湯お代わり下さい」

「何なのよ、一体!? みんなバカみたいなことばっかり言わないでよ! こんな調子じゃレジェンドサミットの名が廃れるわ!」
 口裂け女は拳を握る。この飲み会をレジェンドサミットと呼んでいる。

「でもジリ貧なのは間違えねぇでしょ?」

「それはアンタ達だけでしょ!? 私は違う! 私はまだやれる! 私はまだ飛べる!! 今はSNS時代でしょ? ちょっと姿見せただけで大バズりよ!!」

 そして彼女は、勢いよく店を飛び出していった――。

「アイツ、羽生えてたっけ?」

「多分、比喩ですよ?」

「ひゆ?? 花子ちゃん、小学生なのに難しい言葉よく知ってんねぇ」

「ええ、まあ。でもあの人出て行ってしまったけど、今外に行っても……」

「まあ、いいじゃないの。気の済むようにやれば……それより飲も!」

「……はい」

……

 血気盛んに飛び出していったキャリア四十年の大ベテラン。

 だが外は閑散としていた。

 マスク姿にトレンチコートという変わらぬスタイルで街を歩くが、どこにも“カモ”の姿がない。

「不景気なのかしら……最近の若者、夜に出歩かないのよね」

 自らを鼓舞するように、口裂け女は定番のセリフを練習する。

「ねぇ、わたしぃ……きれい? ……っ!」

 寒空で口がこわばり、噛みそうになった一言に、不安が募る。

(昔はこの顔で、みんな叫んで逃げたのに……)

 世間が変わってしまったことは彼女自身がいちばんよくわかっている。

 子供達がターゲットで無くなったのは、早かった。やれ習い事やら塾やら……

「子供、忙し過ぎだろう!」
 もはや子供達は口裂け女を構ってくれない。

 若い女性も厳しい。ストーカーが社会問題化してから、夜の徘徊はすぐに通報されるようになった。何度職務質問を受けたことか……

「スマホとかSNSとか、ほんとウザい!」
 ……さっきまでやれSNSだのバズだの言ってたくせに。 ちなみに口裂け女はどうしても「バズって」みたく、一度マスクをとった顔をSNSに晒したことがある。しかし――

「加工するなら、もう少し上手くやった方がいいですよ。このアプリ使うと簡単に綺麗になりますよ」
 とリンク付きのコメントをもらったことがある。

「あたしガラケーだから、アプリとか使えねぇんだよ!! てかそもそも加工とかしてねえし、できねぇよ!!」
 居酒屋から持ってきてしまっていたおしぼりを地面に投げつけた。

「ああ……ダメダメだな、私」 

 実は口裂け女、オッサンの加齢臭もダメ。マスクを外すその瞬間、フレッシュな臭気が直撃するため、絶対にマスクは外せない。

「そういえば最近、マスクの人増えたな。私のシンパかな?」

 ちなみに本当は人面犬の匂いもかなり苦手だが、数少ない友達なので、それは我慢している。

「私なんか、エチケットのため、口臭対策に余念がないというのに……オッサンってどうしてああなのよ!」
 口裂け女のモットーは、”綺麗は口の中から”である。

「でもよく考えると、ポマードもオッサンしか付けてないから、私って存在は最初からオッサンを拒絶していたのね」
 それは四十年目の真実だった。

 おばさんにも何度かチャレンジしたことがあるが、マスクを取る前になんか訳の分からないことをごちゃごちゃ言われて、最終的にあめ玉二つもらって去っていかれた。

「……大阪でやったのが良くなかったのかなぁ」

「やっぱり若い男が一番! フフフ」
 これらの消去法の結果、最近はターゲットを“若い男性”に絞っている。

(でも、最近の草食系男子は外に出てこないのよね……)

「それにしたって、何かがおかしい……」
 カモが減ったことは事実だが、それにしても人通りが少なすぎる。

「もう外に出てから一時間以上経つけど、まだ通行人を一人も見ていないわ。こんなことある? ……ワールドカップって今年だっけ!?」
 サッカーに詳しくない口裂け女は、異常事態に頭を抱えていたが、ようやく遠くに人影を発見した。

「ゲッ、若い女性か…… でも背に腹はかえられない。 ここは一気に決める!!」

 覚悟を決めたレジェンドは、自慢の俊足(100m9.9秒)で、一気に女性に駆け寄り、定番の台詞をぶちかました。


「ねぇ、わたし……きれい?」

 だが女性はマスクを外す暇も与えず、怒鳴った。

「密です、密です! ソーシャルディスタンス守ってください!」

 そして全速力で去っていった。

「……ほえ?」

 呆然と立ち尽くす口裂け女。
 “怖がられる”のではなく、“怒鳴られる”。初めての体験だった。

(でも、人に会えた! 今日はイケる日かも! ポジティブシンキング!!)

 最近妙に落ち込むことが多かったので、何年か前に花子が貸してくれた自己啓発本を読んだ効果が出たようだ。再び歩き出す彼女の足取りはより力強いものになっていた。

 それから十分ほど歩くと人の気配を感じた。

「やっぱり引き寄せの法則ってあるのよね! ありがとう、花子!!」
 人影を見た瞬間、口裂け女は天を仰いだ。
 次に見つけたのは何と待望の若い男性だった。

「ビンゴ! 沢山歩いた甲斐があったわ! ご褒美として存分にチビらせてあげるわ!」
 靴擦れの痛みも一気に吹っ飛び、軽快にかつ不気味に男に近づいていく。

 そして満を持してセリフを言おうとしたその時、男が叫んだ。

「跨ぐな!」

「えっ?」

「いいかぁ……跨ぐなよ!」

「えっ、またぐ? 何を?」
 口裂け女は、困惑しつつも徐々に近づいていく。

「そこを跨ぐな!!」
 近づいてくる口裂け女に男はさらに怒気を強める。

(ははぁ~ん。コイツ、既に私にビビってな。フフフ、存分に怯えなさい!)

 口裂け女は、男が既にビビっていると確信し、自信満々に近づいていく。その瞬間――。

「跨ぐなっつってんだろ! お前、県またいだなコラァ!!」

 そう叫ぶと男は顔を真っ赤にして、手にした石を投げてきた。

「ちょっ、ちょっと何するのよ! 危ないでしょ!? タコみたいに真っ赤な顔して!!」
 いきなりの投石攻撃にたまらず逃げ出す口裂け女。

「待て、コラ! タココラ!! 跨ぐなよ!!」
 男は怒り狂いながら石を振り上げ、鬼の形相で追ってくる。

「跨いでんのアンタでしょぉぉぉ!!」

 あまりの恐怖に、口裂け女は持ち前の俊足で逃げ出すしかなかった。

(はぁはぁ……俊足設定で良かったぁ)

 疲労困憊のまま路地裏にうずくまり、涙をこらえる。

「なんなのよ、この国……」

 だがその直後。

「大丈夫ですか?」
 蹲っている口裂け女を心配したのか、若い女性が声を掛けてきた。

「あ……大丈夫です。ちょっと立ちくらみしただけなので、お気になさらず」
 俯いたまま返事をする。

「そうですか……では」
 そういって女性は立ち去っていく。

(うっ……!! こ、これは!?)

 非常事態が発生した。
 彼女の手がうっすらと透き通っていたのである。

 どうやら度重なるショックと恐怖の影響か、自らの存在が希薄になってしまったのだ。

(このままでは消える!!)
 本能的にそう感じる口裂け女。

(す、すぐに誰かを怖がらせなければ……)
 辺りを見渡すが、近くにいるのは、心配して声を掛けてきてくれた女性だけ。

(流石に忍びない。だが――)
 背に腹はかえられない。

(致し方なし! ここで決めねば……!!)
 背水の陣で覚悟を決めた口裂け女は、すぐさま彼女を追いかけて呼び止める。そしていつも決め台詞を発した。

「わたし……きれい?」

「えっ?」
 すると呼びかけに反応して女性が振り返る。その瞬間――。

「ひいいいいいい!!」

 思わず叫び声を上げる口裂け女。

 なんと振り向いたその顔は――まさに化け物だったのだ。

 針のように尖った鼻、極端に吊り上がった口角、膨れ上がった頬、常識を超えた唇、全体がビニールな光沢を放つ整形顔。

「くっ、唇おばけぇぇぇぇぇ!!」

 現実がホラーを超えた瞬間だった。

 恐怖のあまり涙をこぼした口裂け女の身体は、突然ふわりと浮き上がった。

「もう無理っす……」

 あまりの恐怖に自らの存在理由を見いだせなくなった口裂け女は、穏やかな表情で眩い光に包まれると、空へと消えていった――。

 誰もいない街に、深い静けさだけが漂っていた2020年4月。
 ひとつの都市伝説が、ひっそりと成仏したのである。


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 都市伝説界のレジェンド――口裂け女は、いま最大の危機に直面していた。
 1970年代のデビュー以来、40年以上にわたって第一線で活躍してきたトップスター。
 だがいま、彼女の存在そのものが揺らいでいる。
 もちろんこれまでにも、テレビから出てくるヤツや、うめき声を上げて這ってくる白いヤツなんかに人気を奪われたこともあった。
「ハリウッド進出までしやがって……」
 悔しい。だが、そこまで大規模になると、もう“都市伝説”とは言えない。
「私は庶民派のレジェンドよ。CGも巨大資本もいらない。どんな子どもを最低3回は泣かせてきたし、書籍化だって何度もされてるの!」
 今日も町田の馴染みの格安居酒屋で、いつものメンバーである人面犬とトイレの花子さんの三人で多分発泡酒であろうビールを飲みながらくだを巻いている。
「そうだよね。九十年代まではまさに俺たちの時代だったよね。俺も特番を組まれたりしてたからね。二時間ものの! 『人面犬を探せ!』みたいなね……懐かしいなぁ。あの時の俺たち輝いていたよなぁ!」
 人面犬が懐かしそうに上を見上げて過去の栄光に浸っている。
「そうね……はぁ……」
 全員のため息が自分達の置かれている状況の厳しさを物語っている。
「でも私は、過去に縋らない!!」
 そんな重苦しい空気をぶち破るように声を張る口裂け女。
「むしろ、私、今こそが最強ですから!!」
 ビールという名の発泡酒を飲み干すと、テーブルを叩いて熱弁を振るう口裂け女。既に酔いはかなり回っている。
「そ、そうなんですか?」
 白々しく質問する花子。なお、このくだりは今年に入ってから五回目である。
「そう、知りたいのぉ?」
「ぜひ……」
 お約束のムーブに辟易しているが、付き合ってあげる心優しい花子。
「いいわ! 教えてあげる!! 弱点のポマードなんて誰も使っていないし、元好物のべっこう飴なんて、もはやどこに売っているかもわからない。っていうか、そもそもアレ、銀歯がとれるから嫌い!」
 長い都市伝説生活。虫歯も三本できました……
「つまり……40年以上、都市伝説界のトップランナーを走り続けてきたこの私は、この令和の時代においてもなお、確実に進化し続け……」
「お待たせしました!」
 話を腰を折るように店員が注文の品を持ってきた。
「あん!?」
 興が乗っている時に腰を折られた口裂け女。一瞬「私、きれい?」という必殺ムーブに入ろうと、ポケットに手をかけたが、「ツケの効くこの店を失うわけにはいかない!」という理性が辛うじて働き、事なきを得た。
「ご注文のタピオカミルクティーです」
「あ! それ、私」
 口裂け女の注文だった。
「おお、随分ハイカラなのを飲むね? 何それ、正露丸??」
 昭和全開の人面犬。もはやギャグなのか本気なのか、本人ですら分からない。
「ハイカラ? 正露丸?? そんな古くさい言い方しないでよ! せめて”トレンディ”って言って頂戴!」
 そう言いながらガラケーで一生懸命タピオカミルクティーの写真を撮っている。
「刮目するのよ、時代錯誤たち! これが、”バエる”っていうのよ!? 帰ったらパソコンにアップするんだから!」
「すげぇなぁ! やっぱり口裂け女はいつも時代の最先端いっているな!? 俺なんか身体が犬だから携帯なんか使えないよ」
 赤ら顔の人面犬が日本酒をペロペロしている。
「花子! あなたもいつまでもトイレに引き籠もってないで、私のようにもっとトレンドに乗っていかないとダメよ! すぐ時代に置いていかれてしまうわよ!?」
「そ、そうですね……」
 花子は、気付かれないようにポケットにスマホをしまった。
「でもべっこう飴じゃなくて、タピオカミルクティーの方が専門店とかあるから、むしろ……」
「なに!? 何か言った?」
 流石都市伝説界のトップランナー。控え目な花子が期せずして放った正論パンチに、すかさず威圧感という名のクロスカウンターを叩き込む。
「いえ……素敵です……」
 意気消沈した花子は、口だけでなく心も静かに閉じ、沈黙が走る。
「最近ヤバいんだよねぇ」
 そんな重苦しくなった空気の中、酩酊気味の人面犬がそんなことお構いなしに口を開いた。
「ど、どうしたんですか?」
 渡りに船とばかりに相づちを打つ花子。
「最近さぁ、よくテレビのCMに出てくる白い喋る犬いるじゃん? しかも声がオッサンの」
「ああ……あの携帯電話のCMの?」
「そうそう。アイツ……俺とキャラかぶってんだよねぇ。そのせいか、最近徐々に存在が薄れててさぁ……ほら、右手とか消えかかってる」
 都市伝説の怪物たちは、自身に対する”恐怖”と“噂”を栄養源にして存在している。怖がられなくなれば、若しくは語られなくなれば、自然と消えていく。
「まぁ、夏になれば多少は何とかなるんだけどなぁ……」
 人面犬は、日本酒を舐めながら虚空を見つめる。
「実は私もなんです……最近は、トイレでスマ……携帯いじってる人ばかりで、脅しても気づかれないんですよ。だからホラ……」
 花子さんも、焼酎のお湯割りを飲み干してため息をつき、立ち上がるとスカートを指差す。
「スカートがどうしたの?」
「心なしか丈が短くなった気がするんですよね……」
「大して変わってないわよ!!」
「成長期かな……?」
「何、小学生ぶってんのよ!?」
「でも基本ずっと小学校にいるし……」
「くっさい芋焼酎が好きなくせに何言ってんのよ!」
「あ……すみません、お湯お代わり下さい」
「何なのよ、一体!? みんなバカみたいなことばっかり言わないでよ! こんな調子じゃレジェンドサミットの名が廃れるわ!」
 口裂け女は拳を握る。この飲み会をレジェンドサミットと呼んでいる。
「でもジリ貧なのは間違えねぇでしょ?」
「それはアンタ達だけでしょ!? 私は違う! 私はまだやれる! 私はまだ飛べる!! 今はSNS時代でしょ? ちょっと姿見せただけで大バズりよ!!」
 そして彼女は、勢いよく店を飛び出していった――。
「アイツ、羽生えてたっけ?」
「多分、比喩ですよ?」
「ひゆ?? 花子ちゃん、小学生なのに難しい言葉よく知ってんねぇ」
「ええ、まあ。でもあの人出て行ってしまったけど、今外に行っても……」
「まあ、いいじゃないの。気の済むようにやれば……それより飲も!」
「……はい」
……
 血気盛んに飛び出していったキャリア四十年の大ベテラン。
 だが外は閑散としていた。
 マスク姿にトレンチコートという変わらぬスタイルで街を歩くが、どこにも“カモ”の姿がない。
「不景気なのかしら……最近の若者、夜に出歩かないのよね」
 自らを鼓舞するように、口裂け女は定番のセリフを練習する。
「ねぇ、わたしぃ……きれい? ……っ!」
 寒空で口がこわばり、噛みそうになった一言に、不安が募る。
(昔はこの顔で、みんな叫んで逃げたのに……)
 世間が変わってしまったことは彼女自身がいちばんよくわかっている。
 子供達がターゲットで無くなったのは、早かった。やれ習い事やら塾やら……
「子供、忙し過ぎだろう!」
 もはや子供達は口裂け女を構ってくれない。
 若い女性も厳しい。ストーカーが社会問題化してから、夜の徘徊はすぐに通報されるようになった。何度職務質問を受けたことか……
「スマホとかSNSとか、ほんとウザい!」
 ……さっきまでやれSNSだのバズだの言ってたくせに。 ちなみに口裂け女はどうしても「バズって」みたく、一度マスクをとった顔をSNSに晒したことがある。しかし――
「加工するなら、もう少し上手くやった方がいいですよ。このアプリ使うと簡単に綺麗になりますよ」
 とリンク付きのコメントをもらったことがある。
「あたしガラケーだから、アプリとか使えねぇんだよ!! てかそもそも加工とかしてねえし、できねぇよ!!」
 居酒屋から持ってきてしまっていたおしぼりを地面に投げつけた。
「ああ……ダメダメだな、私」 
 実は口裂け女、オッサンの加齢臭もダメ。マスクを外すその瞬間、フレッシュな臭気が直撃するため、絶対にマスクは外せない。
「そういえば最近、マスクの人増えたな。私のシンパかな?」
 ちなみに本当は人面犬の匂いもかなり苦手だが、数少ない友達なので、それは我慢している。
「私なんか、エチケットのため、口臭対策に余念がないというのに……オッサンってどうしてああなのよ!」
 口裂け女のモットーは、”綺麗は口の中から”である。
「でもよく考えると、ポマードもオッサンしか付けてないから、私って存在は最初からオッサンを拒絶していたのね」
 それは四十年目の真実だった。
 おばさんにも何度かチャレンジしたことがあるが、マスクを取る前になんか訳の分からないことをごちゃごちゃ言われて、最終的にあめ玉二つもらって去っていかれた。
「……大阪でやったのが良くなかったのかなぁ」
「やっぱり若い男が一番! フフフ」
 これらの消去法の結果、最近はターゲットを“若い男性”に絞っている。
(でも、最近の草食系男子は外に出てこないのよね……)
「それにしたって、何かがおかしい……」
 カモが減ったことは事実だが、それにしても人通りが少なすぎる。
「もう外に出てから一時間以上経つけど、まだ通行人を一人も見ていないわ。こんなことある? ……ワールドカップって今年だっけ!?」
 サッカーに詳しくない口裂け女は、異常事態に頭を抱えていたが、ようやく遠くに人影を発見した。
「ゲッ、若い女性か…… でも背に腹はかえられない。 ここは一気に決める!!」
 覚悟を決めたレジェンドは、自慢の俊足(100m9.9秒)で、一気に女性に駆け寄り、定番の台詞をぶちかました。
「ねぇ、わたし……きれい?」
 だが女性はマスクを外す暇も与えず、怒鳴った。
「密です、密です! ソーシャルディスタンス守ってください!」
 そして全速力で去っていった。
「……ほえ?」
 呆然と立ち尽くす口裂け女。
 “怖がられる”のではなく、“怒鳴られる”。初めての体験だった。
(でも、人に会えた! 今日はイケる日かも! ポジティブシンキング!!)
 最近妙に落ち込むことが多かったので、何年か前に花子が貸してくれた自己啓発本を読んだ効果が出たようだ。再び歩き出す彼女の足取りはより力強いものになっていた。
 それから十分ほど歩くと人の気配を感じた。
「やっぱり引き寄せの法則ってあるのよね! ありがとう、花子!!」
 人影を見た瞬間、口裂け女は天を仰いだ。
 次に見つけたのは何と待望の若い男性だった。
「ビンゴ! 沢山歩いた甲斐があったわ! ご褒美として存分にチビらせてあげるわ!」
 靴擦れの痛みも一気に吹っ飛び、軽快にかつ不気味に男に近づいていく。
 そして満を持してセリフを言おうとしたその時、男が叫んだ。
「跨ぐな!」
「えっ?」
「いいかぁ……跨ぐなよ!」
「えっ、またぐ? 何を?」
 口裂け女は、困惑しつつも徐々に近づいていく。
「そこを跨ぐな!!」
 近づいてくる口裂け女に男はさらに怒気を強める。
(ははぁ~ん。コイツ、既に私にビビってな。フフフ、存分に怯えなさい!)
 口裂け女は、男が既にビビっていると確信し、自信満々に近づいていく。その瞬間――。
「跨ぐなっつってんだろ! お前、県またいだなコラァ!!」
 そう叫ぶと男は顔を真っ赤にして、手にした石を投げてきた。
「ちょっ、ちょっと何するのよ! 危ないでしょ!? タコみたいに真っ赤な顔して!!」
 いきなりの投石攻撃にたまらず逃げ出す口裂け女。
「待て、コラ! タココラ!! 跨ぐなよ!!」
 男は怒り狂いながら石を振り上げ、鬼の形相で追ってくる。
「跨いでんのアンタでしょぉぉぉ!!」
 あまりの恐怖に、口裂け女は持ち前の俊足で逃げ出すしかなかった。
(はぁはぁ……俊足設定で良かったぁ)
 疲労困憊のまま路地裏にうずくまり、涙をこらえる。
「なんなのよ、この国……」
 だがその直後。
「大丈夫ですか?」
 蹲っている口裂け女を心配したのか、若い女性が声を掛けてきた。
「あ……大丈夫です。ちょっと立ちくらみしただけなので、お気になさらず」
 俯いたまま返事をする。
「そうですか……では」
 そういって女性は立ち去っていく。
(うっ……!! こ、これは!?)
 非常事態が発生した。
 彼女の手がうっすらと透き通っていたのである。
 どうやら度重なるショックと恐怖の影響か、自らの存在が希薄になってしまったのだ。
(このままでは消える!!)
 本能的にそう感じる口裂け女。
(す、すぐに誰かを怖がらせなければ……)
 辺りを見渡すが、近くにいるのは、心配して声を掛けてきてくれた女性だけ。
(流石に忍びない。だが――)
 背に腹はかえられない。
(致し方なし! ここで決めねば……!!)
 背水の陣で覚悟を決めた口裂け女は、すぐさま彼女を追いかけて呼び止める。そしていつも決め台詞を発した。
「わたし……きれい?」
「えっ?」
 すると呼びかけに反応して女性が振り返る。その瞬間――。
「ひいいいいいい!!」
 思わず叫び声を上げる口裂け女。
 なんと振り向いたその顔は――まさに化け物だったのだ。
 針のように尖った鼻、極端に吊り上がった口角、膨れ上がった頬、常識を超えた唇、全体がビニールな光沢を放つ整形顔。
「くっ、唇おばけぇぇぇぇぇ!!」
 現実がホラーを超えた瞬間だった。
 恐怖のあまり涙をこぼした口裂け女の身体は、突然ふわりと浮き上がった。
「もう無理っす……」
 あまりの恐怖に自らの存在理由を見いだせなくなった口裂け女は、穏やかな表情で眩い光に包まれると、空へと消えていった――。
 誰もいない街に、深い静けさだけが漂っていた2020年4月。
 ひとつの都市伝説が、ひっそりと成仏したのである。