「――これが、私のこれまで……私の全てです。きっと……学園長は恵まれた因子のある私に大きな期待を寄せてくださっていることでしょうが……もう無理なんです。戦いたいだなんて思ったことが間違いだったんです、全て……私の――――」
心から思い詰めるエヴァに、礼安はかける言葉が見つからなかった。それほどの辛い思いをしながら、一度は立ち上がることが出来た、それだけで奇跡と称していいような状態であった。その中でまた大切な人を喪うことを経験してしまえば……以前よりも深く傷ついてしまうことは自明の理。責められるはずもない。
だが、五右衛門は違った。
そんな憔悴しきった彼女の肩に回していた腕を外し、勢いよく
張り手をしたのだ。そこまで強いものではないが、彼女の目を覚まさせるには十分なものであった。
そして、この鈍く刺さるような痛みは、以前透にした時のようなものを感じていた。きっと、当人もこのような痛みを抱えながら、エヴァ自身の説教を受けていた。そう考えると、ある意味自分のしたことは最終的に自分に返ってくるのだと、痛感していた。
『――なあ、いつまでじめじめしてやがんダ? さっきの俺の気持ちはこうダ、「きっとれいじいを想っているがゆえに、戦うことに対する抵抗が生まれてんのか」ってヨ。でも……今のお前さんは――言っちゃアなんだが『それ』自体からすら逃げ果せようとしていることには驚いたんダ』
「五右衛門さん! エヴァちゃんにそこまでしなくとも……」
『じゃあ何ダ、このまま
手前の能力腐らせてェ、一生殻に閉じこもるのを援助しろってカ?? 俺は御免だ、れいじいから「これから先支えてやってくれ」と言われたからこそ、多少窮屈な『らいせんす』に居城を移してんダ。このまま大切なモン全て奪われたまんまデ……んで今抱えてる『大切』すら手放したくねえと駄々こねてヨ……情けなくはねえのかヨ!!』
五右衛門の言うことは、至極真っ当であった。英雄であるならば、英雄の因子を宿し巨悪と戦う者であるならば、あり続けるならば。抱えるべき、背負うべき課題そのものである。どれほど傷付こうとも、力ある者としての責務そのものであるのだ。
それは、とても唐突に芽生えたものであるために、ある種横暴と言えるような論理かもしれない。しかし、それを腐らせるよりははるかに良い道則である。
『俺は、武器の匠でありながらどんな困難にぶつかっても戦い続けた、れいじいの背中ばかりを見てきタ。支えてきタ。だから――アイツの偉大さが分かル。叶わない夢かもしれなイ、敵わない敵かもしれなイ。それでも自分の抱える『大切』のためニ、命張って戦い抜いたれいじいを見テ、何も感じなかったのカ!!』
最も傍で、彼女を感じ寄り添い続けた同性かつ同世代であるエヴァだからこそ、レイジーの『大切』であるからこそ、厳しく接していることに、礼安は気づいてしまった。それにエヴァも勿論気づいていたが、心で理解していたが、体と脳が一切その通りに動いてくれないのだ。
一寸先は闇。その言葉通り、この先の未来で礼安たち全員を喪うかもしれない。そのために抗う力すら、その握り拳に宿せないエヴァに、五右衛門は心底怒っていたのだ。
胸ぐらを片腕で荒く掴み、五右衛門の眼前にエヴァの恐怖に歪んだ顔を近づける。本来ならば、
女性性愛者であるエヴァにとっては、これ以上にない至福の時であるだろう。しかし、心の認識は違っていた。
『――俺に心の病気がなんだとカ、そういった今の概念ッてェのは全く分からねェ。だからキツイ物言いしてんのかもしれねえけどナ……少なくとも、れいじいはどんな時でも『逃げなかった』ゼ。手前以上に傍でアイツを見つめ続けた、アイツを認めた存在として見守り続けたけれどナ……どんな選択であってもアイツは『最後まで』やり抜いタ。今のご時世、我慢を美徳とは思わねえガ……その殊勝な在り方は俺の夢見た『絶景』の一部に加えたいくらいだゼ』
エヴァを詰める五右衛門であったが、彼女もまたレイジーの残酷な死に心を痛めた存在。自分も似たような結末を迎えた上で、今の今まで大粒の涙を堪えていたのだ。エヴァの頬に伝うは、五右衛門の滝のような涙であった。
生きるも死ぬも、結局はその時の運次第。レイジーは、丁度その時に運が尽きたようなもの。呆気ない終わり方だったかもしれない。だが、最期まで力を込め、問題児たち相手に大立ち回りをした結果、傷ついた腕を超高温で溶接の紛い事をしてまで、自身の役目を全うした。
最終的にはであるが、そこに迷いはなく、例えその道が死に直行していようと歩みを止めることは無かった。児童の
売春や児童の
臓器売買、強烈な
麻薬の流布など、山梨県を爛れさせていた根本を止めるために、自身の出来る最高の働きをしたのだ。
『――だからヨ……お前さんがどう動こうと勝手だガ……アイツが心から満足して生きた証であル、お前さん自身やその内に眠る『因子』すら無駄にするのだけハ……やめてくれねえカ』
最初のような、燃え盛る業火のような怒りの勢いはなく、心からの嘆願に代わっていた。後を頼まれたのもあるだろうが、全ての主張を聞き届けたエヴァは、静かに涙していたのだ。
戦うも、戦わないも、その時の自分次第。ただ、そこに悔いやほんの少しの
蟠りすらわざと残すのは、愚者のすることである。無論、悔いの無い人生など人間にはあり得ないのだが、その要所のマイナスを、少しでも自分の努力や心掛けで減らすことはできる。どんなに辛いことを経験しようと、いつかその辛さが目となり、大輪の花を咲かせうる可能性は孕み続ける。
時には、休むことも重要だ。だが、休み過ぎると人間は立ち上がる力を無くしてしまう。現実においてもそうだろう、「継続は力なり」という言葉がある中で、多くの努力を元手に大成した存在が、この世にはごまんと存在するはずだ。
だから、痛みがそこにあっても立ち上がり、戦い続ける勇敢な者は存在するのだ。自分の意志で選んだ人生ではないのだろうが、他よりも優れた存在であるならば、強者であるならば――弱者以上の道が目の前に、無数に広がっているはずなのだ。
弱者が困り果てた時には、強者は施しを与え。強者が行き詰まった時には、弱者は戦場を忘れられるよう一時の安らぎを与える。ギブアンドテイクとも表現できるだろうが、与えるばかりが、貰うばかりが強者と弱者の特権ではない。それに、弱者もいつか強者に成るときが来る。相応の努力をしていれば、そして相応の働き掛けをしていれば、いつか花開く。
礼安たちのような強者は、いずれ花開く弱者を導く存在。輝かしい未来へ、皆を率いる存在。その内には、無論エヴァも加わっている。
どんなに傷ついても、どんなに心折れることがあろうと、どんなに自身の進む先から暴風が吹き荒れようと、倒れずに前へ進み続けられる存在こそ、本当の強者であるのだ。
「――エヴァちゃん。私ね……山梨でエヴァちゃんの大切な人が亡くなったって事しか……知らされてなくってさ。それ以外に多くの大切を失ったって聞いた時には……結局私たちって似た者同士なんだって、より深く気づいたんだ」
礼安は自身の心の支えである母を亡くし、エヴァは両親とレイジーを亡くし。それでも、礼安は母の教えを胸に前へと進み、今がある。
だからこそ、立ち上がる辛さを知っている。歩き続ける痛みを知っている。それでも、隣に誰かいてくれるだけで、その辛さも痛みも、気持ちばかり和らぐことすら知っている。礼安は、その『隣』であることを、エヴァの手を握ることで示したかったのだ。
「……無理にとは言わないよ。でも……私と一緒に、隣で戦ってくれないかな。それはレイジーさんのためでもあるし、これまで犠牲になってきた山梨県の人のためにもなるし……そして、山梨でやり残したことの……『整理』にもなるだろうし」
その言葉で、エヴァは目を覚ました。長い、永い眠りから、遂に目を覚ましたのだ。まるで靄や霧が張っていたかのような、視界不良かつ淀んだ心が、洗われた気がしたのだ。効きようによっては『そう』間違われてもおかしくないような、そんな語彙ではあったが――エヴァが立ち上がる覚悟を決めるには、十分であったのだ。
泣きじゃくる五右衛門を強く抱き締め、涙を乱暴に拭き去るエヴァ。精神を根っこから圧し折られたような、弱者としての表情は何処へ。まるで眼前に渡世の仇でも見据えているかのように、凛々しい強者の表情に変わっていたのだ。
「――私の過去のことで……そして
元カノのことで……大分ご迷惑を掛けました。今でも……思い起こすと辛いですよ、それは。でも……これだけ言われた上で自分の不甲斐なさを認識してしまうと……かえって冷静になってしまいますよ、本当に」
同性であっても、異性であっても。好きな人の前では、少しでも見栄や虚勢を張りたいもの。それが、また礼安相手に起こったのである。だが、今度はフォルニカの時のような、少しの嘘っぱちを混ぜ込んだような、覚悟がそこまで固まってないような軟弱者の精神ではない。文字通り、亡きレイジーの意志を受け継ぎ、強靭な精神性となった中で、今一度『元に戻る』ことを決めたのだ。
『……そうかイ。そう決めたのなら……俺はもう何も言わねェ。どうか――レイジーの形見で……もう一度『成って』くれ』
そうとだけ語ると、五右衛門は少し傷ついたライセンスへ姿を戻す。それと同時に、この五右衛門の精神世界ともいえる天守閣が、徐々に光の粒子へ変換され、消えていく。その中で、二人はこの場から退去するその時まで、美しい浮世を眺めていた。
「――きっと、これから先も、辛いことが待っているかもしれないけれど……私、エヴァちゃんの隣で支えるから、ね?」
「――ああ、なんてありがたい言葉なんでしょう。きっと……」
その先を語ることは、敢えてよしておいた。エヴァにとって、想い人にこれだけ思案されていることが、どれほどの幸福であるかを、噛み締めたかったのだ。関係が自然消滅、そして後に公式に別れを告げあったレイジーにも、心の底から認められた彼女と歩く未来ならば……例えそれが地獄への片道切符だとしても、笑って歩いて行ける。
何より、自分は一人ではないことを心で理解したからこそ、ただ嬉しかったのだ。痛みを知って、その先へ。その痛みを無駄にすることは無く、ただ前へと勇敢に歩み続ける。まるで、RPGの勇者のパーティーのように、多くの期待と希望、多くの悲しみと痛みを背負って、一つの大願成就のために戦い続けるのだ。
「――さ、エヴァちゃん。皆が、きっと首を長くして待ってるよ」
「申し訳ありません、礼安さん。私が戦う理由は『貴女のため』……とうに決まっていたはずなのに……ブレるところでした」
ただ、今は少し異なっている。これほどにまで折れた精神が継ぎ接ぎこそあれど、元に戻った後に出来上がった真なる欲望は――礼安の前では少々口にすることが恥ずかしくなるようなもの。
「……礼安さん、この場で――貴女相手に宣誓させてください」
「――なあに、エヴァちゃん」
「私の……内に眠る英雄に掲げる……今の剥きだしの欲望を」
エヴァはその場に跪いて、礼安の手の甲に優しいキスをする。どこか、入学前のことを思い出すような。多少なり、礼安はセンチな気分になっていた。
「私、エヴァ・クリストフは……貴女の、『礼安さんの笑顔のために』戦います。無論、大衆の平和のためにも戦いますが……礼安さんの太陽のような笑顔こそが、私の心の支えです。私の戦いを、勝利を齎す戦いを――どうか聖母マリアのように、見守っていて下さい」
「! ……フフッ、分かったよエヴァちゃん!」
出会った当初を彷彿とさせるような、しかしそれ以上に『進展』しているような。二輪の白百合は、紆余曲折を経て蕾から開花しようとしていたのだ。