山岡が帰ると、洋司はリュックサックから取り出したワイヤーアンテナを設置し、病室のコンセントから無線機の電源を取った。このために無理を言って個室に入れてもらったのである。検査まで余裕があるとはいえ、時間は一秒も無駄にできない。
メモしておいた受信周波数に祈りを込めてダイヤルを合わせれば、彼らの声はラジオのように流れてきた。洋司は送信ダイヤルを細かく調節しながら、自らの声を根気よく送りつづけた。
正直をいえば、期待はしていなかった。今日が駄目なら明日も挑戦するだけだと思っていた。しかしいざその瞬間が訪れると、洋司はうれし涙を流しながら応答していた。
「……私は佐藤洋司です。よく聞こえています。どうぞ」
わずかな間があり、透き通るような美しい声が流れた。
「あぁ、やっと……。わたしたちと交流できるかたをずっと……ずっと探してまいりました」
洋司の脳裏によみがえったのは、いつぞやの卒業式のことである。アーチになった花輪、拍手する親きょうだい、風に乗って舞い落ちる桜の花びら。あの時は漠然としたよろこびが胸を満たしていたが、今ならわかる。人間には祝福が必要なのだと。この世に生を受けた魂は無条件に讃えられるべきなのだ。なぜならすべての命が尊く、誰ひとり暗闇に取り残されてはならないからだ。洋司は全身を駆け巡るあたたかさにこそばゆさを覚え、身をよじりながら核心に迫った。
「君たちは山に群生していたシダ植物だろう?」
「いいえ、違います。彼らは我々をカモフラージュしているだけ。我々は変種ファージです」
「ファージ?」
「細菌はファージというウイルスに感染します。我々は長い攻防の末、彼らに打ち勝ち、その特徴を手に入れました。さらに進化の過程で電子を取得し、電波を放出することに成功したのです」
「無線機を通じて音声データに変換しているのか……それは驚いたな……」
洋司は記者会見を妄想した。老齢に差しかかった冴えない男が、無線機を通じてウイルスと会話し、世の中の常識や定説を根こそぎひっくり返す一大旋風を巻き起こすのだ。なんて痛快なのだろう。
問題は、どうやって彼らを日の下に晒すか。
離れた場所にいて助かった。顔が見えないのをいいことに、いくらでも悪巧みの表情ができる。洋司はにたにた笑いながら、しかし至って真面目にたずねた。
「君たちが『誰かいますか?』と呼びかけていたのにはなにか理由があるんだろう。よかったら聞かせてくれないか?」
するとそれまでの穏やかさとは真逆の、ひどく切迫した声色で答えた。
「お願いがございます。我々に知恵を授けてほしいのです」
「知恵?」
「この地は大昔、海でした。時が流れ山になりましたが、ふたたび海になろうとしているのです。阻止するための力が必要です」
「それはいったいどういう意味なんだ?」
ファージは逡巡ののち、声を不安定に震わせた。
「我々の安住の地は、人間の手により、巨大なダムへと化します。我々のコミュニティ――『小さな杖』に関わる者たちが集めた情報です。間違いありません」
「そんな、まさか」
「疑うのなら、自らの目でたしかめてください」
「そうだな。そうしよう」
なにかわかればまた連絡する、と付け足して交信を終える。
検査は夕方だ。洋司はすぐに病院を抜け出し、松葉杖をつきながら町役場へ向かった。