病室の扉をやや遠慮がちに叩く音がし、洋司が返事をすると、山岡が入室してきた。
十歳年上の山岡とはたった半年の付き合いだが、お互いの家庭や日ごろの愚痴を語り合う仲になっている。山で迷い、足を踏み外した挙げ句、動けなくなったことは、愛子より先に伝えていた。持っていた無線機が役に立ったのである。
洋司は日焼けした山岡の顔に亡き父の面影を重ねながら深々と頭をさげた。
「救急車を手配してもらってすみませんでした。軽いねんざとかすり傷で済んだのですが、以前の後遺症があるので、検査することになりました」
「命があってよかったけどさ、一体なんだって、ひとりであんな奥地まで行ったんだい」
粗野な口ぶりではあったが、山岡が本気で心配していることは知っている。しかし彼らの存在はまだ秘密にしておきたかった。洋司は言葉を選びながら慎重に嘘をついた。
「粗探しをするわけじゃないのですが、不都合なことがあってはいけないと思って。今日は散歩のついででしたが、つい先へ先へと足を進めてしまったんですよ」
「誰もそんな真面目にやっちゃいないよ。小遣い稼ぎだと思って、みんな気楽にやっているんだからさ」
ボランティアとはいえ、わずかではあるが日当がでている。いわば業務を請け負った形式になっているのだ。
元警察官としては、どう諭されても遊び半分で職務を全うできるとは思えない。だからと言って、正論を並べるつもりはない。洋司は自然を装って話題を変えた。
「そういえば山岡さんに教えてもらいたいことがあるんですよ。無線の話なんですが」
山岡が近くの椅子を引き寄せて腰をおろしたので、洋司はつづけた。
「向こうの声は聞こえているのに、こちらから送信しても声が届いていないようなんです。どうしたら交信できますか?」
「佐藤さんのアンテナと無線機に十分な能力があると仮定して……、相手がシンプレックス通信をやろうとしているんじゃないかい」
「なんですか、それは」
「送信と受信の周波数を変えて交信する通信方法だよ。混信を防ぐためにそうするんだ」
「なるほど。そんなやり方が……」
通常のやり取りは同じ周波数を送受信することで成立する。基本にこだわり、やみくもに送信するばかりだった。
彼らがなんのために声を電波に乗せるのか、果たして受信者と会話するつもりはあるのかといった疑問はあるが、試す価値はあるだろう。
洋司はひとりでにやにやした。人類以外の生物と無線機を通じて交流したはじめての人間になれるかもしれないからだ。老いて枯れる前にひと花咲かせたい、そんな欲が芽生えている。
山岡は眉間に皺を寄せ、低い声で言った。
「佐藤さん、無線はたしかに面白いけどさ、奥さんはなぁ、大事にしておきなよ」
洋司は一瞬、呆けたような表情をしたが、病室の外へすげなく追いやった妻のことを思い出し、顔を赤くした。
「愛子になにか頼まれたんですか?」
「いいや、なんにも。ただのお節介だよ」
それきり山岡が口をつぐんでしまったので、洋司は静かに怒りを募らせるのだった。