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第二話

ー/ー



 次の日も、僕は緑道にいた。むせ返るような木々の匂いの中、一人ベンチに座っていると、また土を擦るあの音が聞こえてきた。

「今日は早いのね」

 そう言って笑う彼女は、制服を着ていた。長い髪を後ろで結い、半袖のワイシャツが涼しい空気を纏っている。額には、小粒の汗が日差しを受けて煌めいている。顔色も、昨日よりは幾分か生気があるように見えた。

「今日は学校?」

 僕の問いかけに、彼女はいじらしい笑みを浮かべる。

「私、悪い子だから」

 人差し指をぴんと立てて口にあてがう。

「学校なんてつまらない。貴方といる方が楽しいわ」

 彼女はベンチにすとんと腰を下ろした。

「サボりなんて感心しないな」

「あら、サボりなんて可愛いものですよ? 私、もっと悪いことしていますから」

 彼女の笑みが苦い色を帯びている。
 
「……貴女は毎日、この緑道に?」

 僕は訊ねる。
 彼女は額に浮いた汗をハンカチで拭いながら答えた。

「夏の間は、ここに来ることに決めているの。……約束しましたから」

 彼女と約束を交わしたその〝誰か〟に、僕は強く惹かれた。けれども、そこに踏み込んではいけない気がした。
 蝉の声がいっそう大きくなった。そよ風に弄ばれてざわざわと擦れる葉っぱの音が、僕らの沈黙をくっきりと浮かび上がらせる。
 彼女の後れ毛が揺れる。

「約束か……」

 思い出したように、僕は口を開く。

「帰り道のことも、昨日より前のことも、霧の中にいるみたいにぼんやりしてるけれど、貴女と話したあの一瞬だけは、妙にくっきりと頭に残っている。このベンチに引き寄せられるように座ったのも、貴女と待ち合わせるためだったんじゃないかって、そんな気がしたんです」
 
 彼女は目を細めて微笑んだ。何処か懐かしい、柔らかい笑みだった。

「どうして、笑っているんですか?」

「貴方の言葉が嬉しくって」

 何だか恥ずかしくなって、顔を逸らした。
 ふと、向かいに立ち並ぶ木々が目に入る。幹に小さなプレートが提げられていた。
 
 ソメイヨシノ。

 ――そうか、この緑道は桜並木なのか。昨日、僕の頭に降ってきた葉っぱも、桜のものだろうか。

 僕は想像する。春になって、緑の屋根が一面薄紅に染まる様子を。川面いっぱいに敷き詰められた花筏を。

「春も、綺麗なんだろうな……」

 そう呟くと、彼女はこくりと頷いた。

「本当に、綺麗ですよ。桜の花びらが絨毯みたいになって……貴方とも一緒に行きたかった……」

 また、あの時のような悲しい顔をした。
 僕は、そんな彼女の背に手を伸ばしかけて、すぐに引っ込めた。その寂しい背をさすってやりたかった。けれども、それはいけないと、彼女に触れてはいけないと、何か本能のようなものが引き留める。心臓が鼓膜の裏にあるような気がした。

「……来年、一緒に歩きましょう。桜の下を」

 さする代わりに、そう答えた。

「その約束、忘れないでくださいね」

 それから僕らは何も言わずに、たださらさらと揺れる桜の木を見つめていた。


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 次の日も、僕は緑道にいた。むせ返るような木々の匂いの中、一人ベンチに座っていると、また土を擦るあの音が聞こえてきた。
「今日は早いのね」
 そう言って笑う彼女は、制服を着ていた。長い髪を後ろで結い、半袖のワイシャツが涼しい空気を纏っている。額には、小粒の汗が日差しを受けて煌めいている。顔色も、昨日よりは幾分か生気があるように見えた。
「今日は学校?」
 僕の問いかけに、彼女はいじらしい笑みを浮かべる。
「私、悪い子だから」
 人差し指をぴんと立てて口にあてがう。
「学校なんてつまらない。貴方といる方が楽しいわ」
 彼女はベンチにすとんと腰を下ろした。
「サボりなんて感心しないな」
「あら、サボりなんて可愛いものですよ? 私、もっと悪いことしていますから」
 彼女の笑みが苦い色を帯びている。
「……貴女は毎日、この緑道に?」
 僕は訊ねる。
 彼女は額に浮いた汗をハンカチで拭いながら答えた。
「夏の間は、ここに来ることに決めているの。……約束しましたから」
 彼女と約束を交わしたその〝誰か〟に、僕は強く惹かれた。けれども、そこに踏み込んではいけない気がした。
 蝉の声がいっそう大きくなった。そよ風に弄ばれてざわざわと擦れる葉っぱの音が、僕らの沈黙をくっきりと浮かび上がらせる。
 彼女の後れ毛が揺れる。
「約束か……」
 思い出したように、僕は口を開く。
「帰り道のことも、昨日より前のことも、霧の中にいるみたいにぼんやりしてるけれど、貴女と話したあの一瞬だけは、妙にくっきりと頭に残っている。このベンチに引き寄せられるように座ったのも、貴女と待ち合わせるためだったんじゃないかって、そんな気がしたんです」
 彼女は目を細めて微笑んだ。何処か懐かしい、柔らかい笑みだった。
「どうして、笑っているんですか?」
「貴方の言葉が嬉しくって」
 何だか恥ずかしくなって、顔を逸らした。
 ふと、向かいに立ち並ぶ木々が目に入る。幹に小さなプレートが提げられていた。
 ソメイヨシノ。
 ――そうか、この緑道は桜並木なのか。昨日、僕の頭に降ってきた葉っぱも、桜のものだろうか。
 僕は想像する。春になって、緑の屋根が一面薄紅に染まる様子を。川面いっぱいに敷き詰められた花筏を。
「春も、綺麗なんだろうな……」
 そう呟くと、彼女はこくりと頷いた。
「本当に、綺麗ですよ。桜の花びらが絨毯みたいになって……貴方とも一緒に行きたかった……」
 また、あの時のような悲しい顔をした。
 僕は、そんな彼女の背に手を伸ばしかけて、すぐに引っ込めた。その寂しい背をさすってやりたかった。けれども、それはいけないと、彼女に触れてはいけないと、何か本能のようなものが引き留める。心臓が鼓膜の裏にあるような気がした。
「……来年、一緒に歩きましょう。桜の下を」
 さする代わりに、そう答えた。
「その約束、忘れないでくださいね」
 それから僕らは何も言わずに、たださらさらと揺れる桜の木を見つめていた。