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帰還した頭蓋骨

ー/ー



 終戦直後の大阪。昭和二十年十月は下旬のころである。
 暑さの残るその日、本田名尾(ほんだなお)のもとに一人の男が訪ねてきた。
 ビルマに出征した夫の武夫と同じ部隊にいた沢城一郎だと男は名乗った。
 名尾は狭い長屋の一室に沢城をいれる。
「こんなものしか出せませんが」
 長屋は沢城に薄い麦茶をだす。
「いただきます」
 よほど喉が渇いていたのか、沢城は麦茶を一息に飲み干した。
 汚れた軍服を着た沢城は名尾に白い包みに包まれたあるものを差し出した。
「本田武夫少尉です」
 沢城は畳に額をこすりつけるように頭を下げる。

 名尾はふるえる手で結ばれていた布をほどく。
 布をほどいて現れたのは骨つぼであった。
 ごくりと生唾を飲み、名尾は骨つぼの蓋をあける。そこには頭蓋骨だけが入れられていた。
「本田少尉は名誉の戦死を遂げられました。私が連れて帰ることができたのは少尉殿の頭の骨だけです」
 頭を畳につけたまま沢城が言うので、声が聞き取りにくい。ではあるが名尾は夫が二度と帰ってこないということだけは理解した。
 不思議と涙はさほど流れなかった。
 それよりも生死がわかって良かったと名尾は思った。物言わぬ夫の頭蓋骨を見て、私はなんて薄情なのだろうかとも思った。

 未亡人となった名尾の生活を沢城一郎は精一杯助けた。ビルマで何度も本田少尉に助けられたから、その恩返しだと彼は語った。
 名尾は二十代半ばの色の白い美人であった。
 沢城はそんな名尾に惹かれたというのも大きな理由の一つであった。
 翌年には二人は結婚し、さらに次の年には名尾は元気な女の子を産んだ。
 沢城は教師の職を得て、中学校で歴史を教えることになった。
 名尾の娘の弓子が十歳になったころ、彼女の家に一人の男が訪れた。
 右足を引きずって歩くその男の顔は傷だらけであった。
 男の顔を見て、弓子は悲鳴をあげ、母の背に隠れた。名尾はかばうように弓子を背後に下げる。
「そんなに怖い顔をしないでくれ……」
 その声は聞き覚えのある声だった。
 名尾は記憶をたどる。
 それは武夫の声であった。
「やっと帰って来られた。名尾、会いたかった。ビルマでずっと君のことを思っていたんだよ。深い傷をおった僕は歩くこともかなわなかったんだ。やっとやっと傷が癒えて、日本に帰ってくることができたんだ」
 武夫はぼろぼろと涙をながす。

 正直、今更帰ってこられても困るだけだと名尾は思った。
 弓子は武夫の不気味な姿を見て、震えている。
 この子のことをどう説明したらいいのだろうかと名尾が思っていたら、どかりと鈍い音がする。
 名尾は反射的に弓子の目と耳をふさぐ。

 武夫は後頭部からどくどくと血を流し、畳に突っ伏している。ぴくりとも動かない。
 その武夫を見下すように沢城が立っていた。
 手には金槌が握りしめられている。
「名尾さん、本当に申し訳ない。少尉はもう助からないと思ったんだ。戦地で見せられたあなたの写真を見て、私は心の底から好きになってしまったんだ。許してほしい。本当に許してほしい」
 沢城は名尾に頭を下げる。さらに土下座をした。

「あら、あなた何を言ってるのかしら。前の夫はビルマで死んだじゃないですか。あの頭蓋骨を一緒にお墓に入れたでしょう。この男は私を襲おうとした強盗なんですわ。あなたは私を助けるためにそうしたんでしょう」
 いたって冷静な表情で名尾は言い、血に汚れた沢城の手を握った。にこりと名尾は白く美しい顔に笑みを浮かべた。

終わり





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 終戦直後の大阪。昭和二十年十月は下旬のころである。 暑さの残るその日、|本田名尾《ほんだなお》のもとに一人の男が訪ねてきた。
 ビルマに出征した夫の武夫と同じ部隊にいた沢城一郎だと男は名乗った。
 名尾は狭い長屋の一室に沢城をいれる。
「こんなものしか出せませんが」
 長屋は沢城に薄い麦茶をだす。
「いただきます」
 よほど喉が渇いていたのか、沢城は麦茶を一息に飲み干した。
 汚れた軍服を着た沢城は名尾に白い包みに包まれたあるものを差し出した。
「本田武夫少尉です」
 沢城は畳に額をこすりつけるように頭を下げる。
 名尾はふるえる手で結ばれていた布をほどく。
 布をほどいて現れたのは骨つぼであった。
 ごくりと生唾を飲み、名尾は骨つぼの蓋をあける。そこには頭蓋骨だけが入れられていた。
「本田少尉は名誉の戦死を遂げられました。私が連れて帰ることができたのは少尉殿の頭の骨だけです」
 頭を畳につけたまま沢城が言うので、声が聞き取りにくい。ではあるが名尾は夫が二度と帰ってこないということだけは理解した。
 不思議と涙はさほど流れなかった。
 それよりも生死がわかって良かったと名尾は思った。物言わぬ夫の頭蓋骨を見て、私はなんて薄情なのだろうかとも思った。
 未亡人となった名尾の生活を沢城一郎は精一杯助けた。ビルマで何度も本田少尉に助けられたから、その恩返しだと彼は語った。
 名尾は二十代半ばの色の白い美人であった。
 沢城はそんな名尾に惹かれたというのも大きな理由の一つであった。
 翌年には二人は結婚し、さらに次の年には名尾は元気な女の子を産んだ。
 沢城は教師の職を得て、中学校で歴史を教えることになった。
 名尾の娘の弓子が十歳になったころ、彼女の家に一人の男が訪れた。
 右足を引きずって歩くその男の顔は傷だらけであった。
 男の顔を見て、弓子は悲鳴をあげ、母の背に隠れた。名尾はかばうように弓子を背後に下げる。
「そんなに怖い顔をしないでくれ……」
 その声は聞き覚えのある声だった。
 名尾は記憶をたどる。
 それは武夫の声であった。
「やっと帰って来られた。名尾、会いたかった。ビルマでずっと君のことを思っていたんだよ。深い傷をおった僕は歩くこともかなわなかったんだ。やっとやっと傷が癒えて、日本に帰ってくることができたんだ」
 武夫はぼろぼろと涙をながす。
 正直、今更帰ってこられても困るだけだと名尾は思った。
 弓子は武夫の不気味な姿を見て、震えている。
 この子のことをどう説明したらいいのだろうかと名尾が思っていたら、どかりと鈍い音がする。
 名尾は反射的に弓子の目と耳をふさぐ。
 武夫は後頭部からどくどくと血を流し、畳に突っ伏している。ぴくりとも動かない。
 その武夫を見下すように沢城が立っていた。
 手には金槌が握りしめられている。
「名尾さん、本当に申し訳ない。少尉はもう助からないと思ったんだ。戦地で見せられたあなたの写真を見て、私は心の底から好きになってしまったんだ。許してほしい。本当に許してほしい」
 沢城は名尾に頭を下げる。さらに土下座をした。
「あら、あなた何を言ってるのかしら。前の夫はビルマで死んだじゃないですか。あの頭蓋骨を一緒にお墓に入れたでしょう。この男は私を襲おうとした強盗なんですわ。あなたは私を助けるためにそうしたんでしょう」
 いたって冷静な表情で名尾は言い、血に汚れた沢城の手を握った。にこりと名尾は白く美しい顔に笑みを浮かべた。
終わり


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