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第5回

ー/ー



 会ってどうするとか、そんなこと全然分からない。
 一目見るだけでいいのだ。前のようにあの瞳で見つめられなくても。陰からそっと見守るだけでもいい。とにかくもう一度、由鷹に会いたい……!

 けれどそれすらも、不可能な願いだった。

 私に話させるわりに由鷹自身は何も話そうとしなかったし、私もまた、詮索するうるさい女と敬遠されたくなくて、何ひとつ訊けなかったからだ。
 スマホは捨ててしまった。どこに住んでいるのかも聞いていない。あの部屋で、ただ彼が来るのを待つだけだった。

 学生だということは聞いていた。でもどこの大学なのかは知らない。いや、そもそも大学なのか、それとも専門なのか。それすらも私は知らないでいた……。

 思いあまり、衝動的に前に住んでいたマンションまで行ってみたけれど、会えるはずもなかった。管理人に尋ねても、あれから私の部屋を訪ねてきた者はいないという。

 帰り道、人の行き交う道端だというのに、涙がこぼれそうだった。

 自分で決めたくせに、私はもう後悔している。由鷹がいるよりもいないほうがいいなんて、どうして思ったりしたのか。
 私の部屋へ別の女を引き入れたこと、それは今思い出しても許せないことだけれど、本当に私は、それを絶対に許せないこととして別れを選んだのだろうか?

 毎日そればかり浮かんでくる。
 休暇をとり、由鷹と行った場所を巡りながら考えてみることにした。おりにふれ、まるで白昼夢のように浮かび上がってくる、由鷹との触れあいの思い出を、ひとつひとつ拾い集めるようにして。

 はたして本当に許せないことなどあるのだろうか。

 ……おそらく私は、由鷹と正面から向かいあうのが怖かったのだ。開いた歳の差の負い目もあったし、その自由な性質への嫉妬もあった。言い争い、きらわれることを恐れ、口をつぐみ、由鷹の言うとおりにしていた。それが正しい愛し方であったわけがない。

 もっと本音を言って、話し合って、絆を強めているべきだったのだ。そうしていたならきっとあの件も、詳しく問いただし、由鷹の言い分も聞いて、許せるよう努力できたかもしれない。私はただ、これ以上由鷹のなかの私を失うのが怖くて逃げたにすぎない。

 理解すること、それすら私はしようとしなかった。
 それでは、想い返されなくて当然なのだ。



 激しい自己嫌悪に陥った7日目。空の雲行きが怪しかったけれど、少し遠出をして夏に1泊の小旅行をした日硴のほうまで出てみることにした。

 山の中腹に縁結びの寺があるほかは温泉と、せいぜい周囲の山々の景観を愛でるだけの避暑場だ。といってもあまり広まっていないらしく、特に目立つ出店もなく、どちらかといえばさびれた過疎の村を思わせる、黒ずんだ古い家が道の両側に連ねている。

 電車を乗り継いで約4時間。ようやくたどりついたときには小降りの雨がきていたけれど、日帰りだし、この程度なら大丈夫だろうと判断して、傘は買わないことにした。
 この判断が間違いで、買っておけばよかったと思ったのはもう遅く、石段を大分登りつめていたころだった。

 今は10月も半ば。雨は厳しい。身を切るような雨粒があっという間に服も髪も濡らして肌にくっついてくる。風がほとんどないのが不幸中の幸いだ。もうやめて、下の町で宿をとり、山頂はまた明日にするべきだと理性が訴えていたが、休暇は明日までと思うと足は上を向いていた。

 風邪くらい、ひいたほうがいいのかも知れない。すぐ、そう思った。

 終わってしまうまで気付かない、こんなばかな女は風邪でもひいて、そのまま脱水症状でも何でもおこして死んでしまえばいいのだ。そうだ、いっそ、ここで眠ってみようか。
 雨はやみそうにない。そのままひと晩いれば、明日の朝には立派な溺死体になっているかもしれない。
 傍らに由鷹の名を書いた紙でも置いておけば新聞に載って、傷心旅行の果ての自殺と騒がれるかもしれない。そうしたら、由鷹の目にとまることがあるかもしれないだろう。

 そうして私の訃報を知ったなら、もしかして、1粒くらい、涙を流してくれるかもしれない……。

 そこまで考えて、また馬鹿なことをと自分をたしなめる。

 そんなことをすればますます由鷹に迷惑をかけるだけ。自殺、なんて。由鷹のせいだと責めているも同然の行為だ。

 雨にまぎれて泣き笑って、ふと顔を上げると石段の終わりが目に入った。
 それからは1段上るごと、雨で輪郭ののぼやけた境内が視界に開けてくる。苔むして黒くなった石燈籠が左右に対となって4つあり、みくじをひくための無人小屋が左手のほうに見えた。正面には、ひなびた寺。導き出される記憶。

 ここを訪れたとき、由鷹を困らせようとしたことがあった。たった1度だけれど。
 昔、まだ学生のころつき合っていた少年とよく来た場所だと。それは初めての彼で、だからこそ、それだけに真剣な恋だった。
 その彼を事故で失い、以来、つらいことがあったときに来るようになった場所。彼に話しかけるように……。

 恋が壊れたこと、あの人とよく来たこと。それは嘘ではないけれど、つらいときに来る場ではなかった。
 そうであったなら由鷹と来るはずがない。
 私はただあのとき、由鷹に少しくらい嫉妬してもらいたくて口にしただけだった。
 たわいもない言葉。予想どおり期待は不発に終わり、周囲を見回していた由鷹は何も返してくれずに見つけたみくじ場のほうへ行ってしまった。あれでは、話を耳に入れていたかどうかもあやしい。
 思い出した、今でもため息が出る。

 そもそも別の人を愛して、昔の恋の想いなんて、思い出せるはずもないのだ。
 由鷹でいっぱいになって、由鷹への気持ちだけが大切になって。由鷹の目に自分はどう映っているか、そればかり気になって……。

 もう顔もよく思い出せない、かつて恋した人。
 幼いからこそ真剣だったけれど、やはりそれは、今思えば未熟な恋だった。

 すぎる日々の中、いつか、由鷹もそうなってしまうのだろうか。本当に、そうなってくれるのだろうか? この、自分でも持て余すほどにある想いが。

 髪を伝い、目に入りかけた雨をぬぐって寺を見上げる。正面に設置された賽銭箱に続く石畳を、ちょうど半分ほど歩いたときだ。
 右手奥のほうに動く人の気配を感じてふとそちらへ視線をおとすと、裏から由鷹が現れた。


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 会ってどうするとか、そんなこと全然分からない。
 一目見るだけでいいのだ。前のようにあの瞳で見つめられなくても。陰からそっと見守るだけでもいい。とにかくもう一度、由鷹に会いたい……!
 けれどそれすらも、不可能な願いだった。
 私に話させるわりに由鷹自身は何も話そうとしなかったし、私もまた、詮索するうるさい女と敬遠されたくなくて、何ひとつ訊けなかったからだ。
 スマホは捨ててしまった。どこに住んでいるのかも聞いていない。あの部屋で、ただ彼が来るのを待つだけだった。
 学生だということは聞いていた。でもどこの大学なのかは知らない。いや、そもそも大学なのか、それとも専門なのか。それすらも私は知らないでいた……。
 思いあまり、衝動的に前に住んでいたマンションまで行ってみたけれど、会えるはずもなかった。管理人に尋ねても、あれから私の部屋を訪ねてきた者はいないという。
 帰り道、人の行き交う道端だというのに、涙がこぼれそうだった。
 自分で決めたくせに、私はもう後悔している。由鷹がいるよりもいないほうがいいなんて、どうして思ったりしたのか。
 私の部屋へ別の女を引き入れたこと、それは今思い出しても許せないことだけれど、本当に私は、それを絶対に許せないこととして別れを選んだのだろうか?
 毎日そればかり浮かんでくる。
 休暇をとり、由鷹と行った場所を巡りながら考えてみることにした。おりにふれ、まるで白昼夢のように浮かび上がってくる、由鷹との触れあいの思い出を、ひとつひとつ拾い集めるようにして。
 はたして本当に許せないことなどあるのだろうか。
 ……おそらく私は、由鷹と正面から向かいあうのが怖かったのだ。開いた歳の差の負い目もあったし、その自由な性質への嫉妬もあった。言い争い、きらわれることを恐れ、口をつぐみ、由鷹の言うとおりにしていた。それが正しい愛し方であったわけがない。
 もっと本音を言って、話し合って、絆を強めているべきだったのだ。そうしていたならきっとあの件も、詳しく問いただし、由鷹の言い分も聞いて、許せるよう努力できたかもしれない。私はただ、これ以上由鷹のなかの私を失うのが怖くて逃げたにすぎない。
 理解すること、それすら私はしようとしなかった。
 それでは、想い返されなくて当然なのだ。
 激しい自己嫌悪に陥った7日目。空の雲行きが怪しかったけれど、少し遠出をして夏に1泊の小旅行をした日硴のほうまで出てみることにした。
 山の中腹に縁結びの寺があるほかは温泉と、せいぜい周囲の山々の景観を愛でるだけの避暑場だ。といってもあまり広まっていないらしく、特に目立つ出店もなく、どちらかといえばさびれた過疎の村を思わせる、黒ずんだ古い家が道の両側に連ねている。
 電車を乗り継いで約4時間。ようやくたどりついたときには小降りの雨がきていたけれど、日帰りだし、この程度なら大丈夫だろうと判断して、傘は買わないことにした。
 この判断が間違いで、買っておけばよかったと思ったのはもう遅く、石段を大分登りつめていたころだった。
 今は10月も半ば。雨は厳しい。身を切るような雨粒があっという間に服も髪も濡らして肌にくっついてくる。風がほとんどないのが不幸中の幸いだ。もうやめて、下の町で宿をとり、山頂はまた明日にするべきだと理性が訴えていたが、休暇は明日までと思うと足は上を向いていた。
 風邪くらい、ひいたほうがいいのかも知れない。すぐ、そう思った。
 終わってしまうまで気付かない、こんなばかな女は風邪でもひいて、そのまま脱水症状でも何でもおこして死んでしまえばいいのだ。そうだ、いっそ、ここで眠ってみようか。
 雨はやみそうにない。そのままひと晩いれば、明日の朝には立派な溺死体になっているかもしれない。
 傍らに由鷹の名を書いた紙でも置いておけば新聞に載って、傷心旅行の果ての自殺と騒がれるかもしれない。そうしたら、由鷹の目にとまることがあるかもしれないだろう。
 そうして私の訃報を知ったなら、もしかして、1粒くらい、涙を流してくれるかもしれない……。
 そこまで考えて、また馬鹿なことをと自分をたしなめる。
 そんなことをすればますます由鷹に迷惑をかけるだけ。自殺、なんて。由鷹のせいだと責めているも同然の行為だ。
 雨にまぎれて泣き笑って、ふと顔を上げると石段の終わりが目に入った。
 それからは1段上るごと、雨で輪郭ののぼやけた境内が視界に開けてくる。苔むして黒くなった石燈籠が左右に対となって4つあり、みくじをひくための無人小屋が左手のほうに見えた。正面には、ひなびた寺。導き出される記憶。
 ここを訪れたとき、由鷹を困らせようとしたことがあった。たった1度だけれど。
 昔、まだ学生のころつき合っていた少年とよく来た場所だと。それは初めての彼で、だからこそ、それだけに真剣な恋だった。
 その彼を事故で失い、以来、つらいことがあったときに来るようになった場所。彼に話しかけるように……。
 恋が壊れたこと、あの人とよく来たこと。それは嘘ではないけれど、つらいときに来る場ではなかった。
 そうであったなら由鷹と来るはずがない。
 私はただあのとき、由鷹に少しくらい嫉妬してもらいたくて口にしただけだった。
 たわいもない言葉。予想どおり期待は不発に終わり、周囲を見回していた由鷹は何も返してくれずに見つけたみくじ場のほうへ行ってしまった。あれでは、話を耳に入れていたかどうかもあやしい。
 思い出した、今でもため息が出る。
 そもそも別の人を愛して、昔の恋の想いなんて、思い出せるはずもないのだ。
 由鷹でいっぱいになって、由鷹への気持ちだけが大切になって。由鷹の目に自分はどう映っているか、そればかり気になって……。
 もう顔もよく思い出せない、かつて恋した人。
 幼いからこそ真剣だったけれど、やはりそれは、今思えば未熟な恋だった。
 すぎる日々の中、いつか、由鷹もそうなってしまうのだろうか。本当に、そうなってくれるのだろうか? この、自分でも持て余すほどにある想いが。
 髪を伝い、目に入りかけた雨をぬぐって寺を見上げる。正面に設置された賽銭箱に続く石畳を、ちょうど半分ほど歩いたときだ。
 右手奥のほうに動く人の気配を感じてふとそちらへ視線をおとすと、裏から由鷹が現れた。