第2回
ー/ー ふと気付くとソファにかけ、クッションを抱いて窓の外を見ている。どうやらそこがお気に入りの場所らしい。
「居心地がいいんだ」何気なく口にしたそんなひと言で私はほっとし、おびえた胸の不安を和らげていた。
まるで聞くに堪えない愚かな話だけれど、由鷹にとって都合のいい、物分かりのいい女でいれば、それだけ長く由鷹をつなぎとめられると思ったからだ。
……わずか10日。もうすでに、彼にきらわれることが私にとって、一番の恐れとなっていた。
最初から、壊れないはずがない関係だった。
由鷹の好みで埋まったクローゼット。髪型、化粧、アクセサリー。
訪れた友人たちは部屋と私の変化に驚き、明るくなったと喜んだあとで、だれひとり例外なく眉を寄せてこう言った。
『その様子だと、察するに相手は年下みたいだけど、注意しなさいよ。向こうの若さに流されて、気がついたら何もかも失ってた、なんて話、聞きたくないんだから。
子どもとの恋愛が、そんな甘いものじゃないってあなたも知ってるでしょ。いいかげん、やり直しのきかない歳なんだから。そうやってついた傷をあなた、取り戻せるの?』
……私は……答えられなかった。
そのときのことを思い出すたび、痛みを伴った苦い笑いだけが、薄く胸に広がる。
傷は、由鷹といる限りついてゆくだろう。
由鷹は残酷な男だ。おそらく自分の持つ魅力を知りつくしているに違いない。
仕草、声、視線。何もかもが私を惑わせる。
向けられる、そのことごとくが計算づくであると分かっていながら、無邪気なのだと錯覚してしまいそうになるほど狡猾でしたたかな由鷹に、どうしても逆らえなかった。
何ひとつ欲しようとせず、ねだろうともしない。
ただ気まぐれに訪れ、気まぐれに肌をあわせ、気まぐれに帰って行く。
すべて、気まぐれ。
気が向かなければ口をきこうともしないし、持ち込んだ本や音楽に、私の言葉を平然と無視し続けるのもたびたびだ。何日も電話をくれなかったあとで、突然仕事先で出待ちをしていたときもあった。
いくら夏とはいえ、雨の中、傘もささずロビーにも入らず、私を待っている。
こっそり引き入れ、暗い所内でびしょぬれのまま互いを抱きしめあった。ぬぐってもぬぐっても頬を伝う雨の滴をなめ合い、貼りついた服ごしに互いを感じ、背に敷いた床の冷たさにこみあげてくる笑いを噛み殺して警備員の通りすぎるのを待つ。
子どもっぽい遊び。そうしたと思えば、買い物の途中ふらっといなくなり、そのまま置いてけぼりにされたこともあった。
「気が変わったんだ」「用事を思い出したんだ」こともなげにそう言って肩をすくめて。
ずいぶんとムラのある、身勝手な優しさだった。
まるで猫のような由鷹。自分のペースを崩そうとせず、決して彼のすべてで愛してくれようとはしない。
…………愛?
はたして私たちの間に愛があったときがあっただろうか?
私は由鷹を愛していた。それはたしかだ。
優しくされるたび、泣き出したくなるほどせつなく由鷹を愛していた。その指で髪を梳かれるだけで、息ができなくなりそうなほど胸が苦しくなった。
その背にすがり、いつまでもここにいて、そばにいてほしいと無理を言いたくなるほどに。
でも由鷹は違う。
どれだけ同じ夜をすごし、時間を共有しようと、1度として『愛』を口にしたことはなかった。だからこそ私も愛を口にすることはできなかったのだ。口にしたが最後、おそらく由鷹は二度とこの部屋を訪れようとはしなくなるだろう。
最初から分かっていた。しょせん、私は雨やどりでしかないことが。
あんなにも美しく、奔放な由鷹が、どうしてこんな女を真面目に愛するだろう?
もう29だ。女の盛りはすぎた。由鷹のほめてくれた髪の艶も、肌の張りも、何もかも、これからは衰えるばかりだろう。
だが由鷹は違う。あの由鷹を愛する女が私だけであるはずもない。そしてきっと、由鷹の周りに集まる女はこんな私よりずっと若く、生気に満ちあふれ、自信に輝いているのだろう……。
そう考えるたび、鏡の中の私はみにくくゆがんだ。全身を駆け巡るやり場のない憎しみばかりが涙になって流れた。苦しくて、苦しくて。胸を焼き焦がしてしまいそうな熱に、息も止まってしまいそうだった。
いつかそう遠くない未来、由鷹は私から離れていくに違いない。
私を忘れ、この部屋を忘れ、私の知らない、由鷹にふさわしい女性とともに生きるのだろう。
腕をからませ、街を歩く――私では不似合いすぎた行為も、当然のように似合う人。
ショーウインドに映った、すれ違った影はみんな由鷹を見るために振り返り、隣にいる私など目にも入れてはいなかった。嫉妬も、釣り合ってないと顔をしかめるわけでもない。
おそらく姉だとでも思われていたのだろう。そういう目ですら見られることのない、まるで対象外の存在。それが私なのだ。
歳の差はどんなに繕おうとしても隠しきれない。なのに気付けばどうにかしてごまかそうとしている、そんな自分があまりに滑稽に思えて……この部屋も、クローゼットの中も、そういった物に囲まれている自分自身が、たとえようもなくみじめだった。
「居心地がいいんだ」何気なく口にしたそんなひと言で私はほっとし、おびえた胸の不安を和らげていた。
まるで聞くに堪えない愚かな話だけれど、由鷹にとって都合のいい、物分かりのいい女でいれば、それだけ長く由鷹をつなぎとめられると思ったからだ。
……わずか10日。もうすでに、彼にきらわれることが私にとって、一番の恐れとなっていた。
最初から、壊れないはずがない関係だった。
由鷹の好みで埋まったクローゼット。髪型、化粧、アクセサリー。
訪れた友人たちは部屋と私の変化に驚き、明るくなったと喜んだあとで、だれひとり例外なく眉を寄せてこう言った。
『その様子だと、察するに相手は年下みたいだけど、注意しなさいよ。向こうの若さに流されて、気がついたら何もかも失ってた、なんて話、聞きたくないんだから。
子どもとの恋愛が、そんな甘いものじゃないってあなたも知ってるでしょ。いいかげん、やり直しのきかない歳なんだから。そうやってついた傷をあなた、取り戻せるの?』
……私は……答えられなかった。
そのときのことを思い出すたび、痛みを伴った苦い笑いだけが、薄く胸に広がる。
傷は、由鷹といる限りついてゆくだろう。
由鷹は残酷な男だ。おそらく自分の持つ魅力を知りつくしているに違いない。
仕草、声、視線。何もかもが私を惑わせる。
向けられる、そのことごとくが計算づくであると分かっていながら、無邪気なのだと錯覚してしまいそうになるほど狡猾でしたたかな由鷹に、どうしても逆らえなかった。
何ひとつ欲しようとせず、ねだろうともしない。
ただ気まぐれに訪れ、気まぐれに肌をあわせ、気まぐれに帰って行く。
すべて、気まぐれ。
気が向かなければ口をきこうともしないし、持ち込んだ本や音楽に、私の言葉を平然と無視し続けるのもたびたびだ。何日も電話をくれなかったあとで、突然仕事先で出待ちをしていたときもあった。
いくら夏とはいえ、雨の中、傘もささずロビーにも入らず、私を待っている。
こっそり引き入れ、暗い所内でびしょぬれのまま互いを抱きしめあった。ぬぐってもぬぐっても頬を伝う雨の滴をなめ合い、貼りついた服ごしに互いを感じ、背に敷いた床の冷たさにこみあげてくる笑いを噛み殺して警備員の通りすぎるのを待つ。
子どもっぽい遊び。そうしたと思えば、買い物の途中ふらっといなくなり、そのまま置いてけぼりにされたこともあった。
「気が変わったんだ」「用事を思い出したんだ」こともなげにそう言って肩をすくめて。
ずいぶんとムラのある、身勝手な優しさだった。
まるで猫のような由鷹。自分のペースを崩そうとせず、決して彼のすべてで愛してくれようとはしない。
…………愛?
はたして私たちの間に愛があったときがあっただろうか?
私は由鷹を愛していた。それはたしかだ。
優しくされるたび、泣き出したくなるほどせつなく由鷹を愛していた。その指で髪を梳かれるだけで、息ができなくなりそうなほど胸が苦しくなった。
その背にすがり、いつまでもここにいて、そばにいてほしいと無理を言いたくなるほどに。
でも由鷹は違う。
どれだけ同じ夜をすごし、時間を共有しようと、1度として『愛』を口にしたことはなかった。だからこそ私も愛を口にすることはできなかったのだ。口にしたが最後、おそらく由鷹は二度とこの部屋を訪れようとはしなくなるだろう。
最初から分かっていた。しょせん、私は雨やどりでしかないことが。
あんなにも美しく、奔放な由鷹が、どうしてこんな女を真面目に愛するだろう?
もう29だ。女の盛りはすぎた。由鷹のほめてくれた髪の艶も、肌の張りも、何もかも、これからは衰えるばかりだろう。
だが由鷹は違う。あの由鷹を愛する女が私だけであるはずもない。そしてきっと、由鷹の周りに集まる女はこんな私よりずっと若く、生気に満ちあふれ、自信に輝いているのだろう……。
そう考えるたび、鏡の中の私はみにくくゆがんだ。全身を駆け巡るやり場のない憎しみばかりが涙になって流れた。苦しくて、苦しくて。胸を焼き焦がしてしまいそうな熱に、息も止まってしまいそうだった。
いつかそう遠くない未来、由鷹は私から離れていくに違いない。
私を忘れ、この部屋を忘れ、私の知らない、由鷹にふさわしい女性とともに生きるのだろう。
腕をからませ、街を歩く――私では不似合いすぎた行為も、当然のように似合う人。
ショーウインドに映った、すれ違った影はみんな由鷹を見るために振り返り、隣にいる私など目にも入れてはいなかった。嫉妬も、釣り合ってないと顔をしかめるわけでもない。
おそらく姉だとでも思われていたのだろう。そういう目ですら見られることのない、まるで対象外の存在。それが私なのだ。
歳の差はどんなに繕おうとしても隠しきれない。なのに気付けばどうにかしてごまかそうとしている、そんな自分があまりに滑稽に思えて……この部屋も、クローゼットの中も、そういった物に囲まれている自分自身が、たとえようもなくみじめだった。
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