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第16話_残響

ー/ー



鋼鉄の塊が、少しずつ迫ってくる。
田中の体はその眩い眼光に照らされ、照準を合わせられた獲物のように捉えられていた。

(まずい……逃げないと……!)

痛みで軋む足を無理やり引きずり、ホームの出口階段へ向かう。
呼吸は乱れ、喉は焼けるように熱い。
それでも背後からは容赦なく、金属の咆哮が迫ってきた。
パンタグラフと架線が擦れ、火花のようにバチバチと音を立てる。
焦燥に駆られ、田中は半ば転がるように必死に階段へ身を運んだ。

階段に飛び込んだ瞬間、電車は彼の横を通り過ぎ、急ブレーキの轟音を残して停止した。
思わず振り返る。
――そこにあったのは、錆び付いた車体。
車内は、先ほど見たカラーボールでぎっしりと埋め尽くされている。
ドアに描かれたにこちゃんマークは劣化で滲み、まるで涙を流しているように見えた。

(見てる場合じゃない……早く……動け、俺の体!)

田中は視線を逸らし、手すりにすがって一段一段を確実に上る。
背後からは――ギシギシ……。
何年も封印されていた扉が開くような、重苦しい軋み。

振り返らなくても分かる。
車内からあのカラーボールが、堰を切ったように流れ出してきているのだ。

それでも振り返らない。振り返ったら終わる。

階段を上りきると、肺は空気を求めて悲鳴を上げ、足は鉛のように重かった。
視界の端に映ったのは――自販機から溢れ続ける黒い液体。
さっきよりも量が増え、床を染めながら近づいてきていた。

その先、暗闇に沈む空間の中で、ただ一筋の光があった。

(……あれは……なんだ……改札が、一つだけ……)

止まっていたはずの改札機の中で、ただ一つだけが輝いていた。
ICカードの読み取り部が青く光り、まるで彼を歓迎するように点滅している。

「そうか……あそこか……あそこからなら……」

田中の胸に確信めいた直感が走る。
震える手でポケットからスマホを取り出す。
動作は不思議と慣れた手つきで、何百回と繰り返した帰宅の所作そのまま。

全体重を預けるようにして、読み取り部にスマホを押し付けた。

――ピッ。

快音。
ドアが軽やかに開く。

その瞬間、わずかに日常へ触れた安堵感に心が揺らぎ、田中の膝は力を失った。
前へと躓き、視界が床へ近づいていく。

地面が迫る――。

そして視界は、白に染まった。

「――今日も、品川から帰るんですか?」

その声が、頭の奥に直接流れ込んできた。
合成音声のように平坦な、子どもの声。
だが、なぜか今ははっきりと、彼の現実を突き刺していた。


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鋼鉄の塊が、少しずつ迫ってくる。
田中の体はその眩い眼光に照らされ、照準を合わせられた獲物のように捉えられていた。
(まずい……逃げないと……!)
痛みで軋む足を無理やり引きずり、ホームの出口階段へ向かう。
呼吸は乱れ、喉は焼けるように熱い。
それでも背後からは容赦なく、金属の咆哮が迫ってきた。
パンタグラフと架線が擦れ、火花のようにバチバチと音を立てる。
焦燥に駆られ、田中は半ば転がるように必死に階段へ身を運んだ。
階段に飛び込んだ瞬間、電車は彼の横を通り過ぎ、急ブレーキの轟音を残して停止した。
思わず振り返る。
――そこにあったのは、錆び付いた車体。
車内は、先ほど見たカラーボールでぎっしりと埋め尽くされている。
ドアに描かれたにこちゃんマークは劣化で滲み、まるで涙を流しているように見えた。
(見てる場合じゃない……早く……動け、俺の体!)
田中は視線を逸らし、手すりにすがって一段一段を確実に上る。
背後からは――ギシギシ……。
何年も封印されていた扉が開くような、重苦しい軋み。
振り返らなくても分かる。
車内からあのカラーボールが、堰を切ったように流れ出してきているのだ。
それでも振り返らない。振り返ったら終わる。
階段を上りきると、肺は空気を求めて悲鳴を上げ、足は鉛のように重かった。
視界の端に映ったのは――自販機から溢れ続ける黒い液体。
さっきよりも量が増え、床を染めながら近づいてきていた。
その先、暗闇に沈む空間の中で、ただ一筋の光があった。
(……あれは……なんだ……改札が、一つだけ……)
止まっていたはずの改札機の中で、ただ一つだけが輝いていた。
ICカードの読み取り部が青く光り、まるで彼を歓迎するように点滅している。
「そうか……あそこか……あそこからなら……」
田中の胸に確信めいた直感が走る。
震える手でポケットからスマホを取り出す。
動作は不思議と慣れた手つきで、何百回と繰り返した帰宅の所作そのまま。
全体重を預けるようにして、読み取り部にスマホを押し付けた。
――ピッ。
快音。
ドアが軽やかに開く。
その瞬間、わずかに日常へ触れた安堵感に心が揺らぎ、田中の膝は力を失った。
前へと躓き、視界が床へ近づいていく。
地面が迫る――。
そして視界は、白に染まった。
「――今日も、品川から帰るんですか?」
その声が、頭の奥に直接流れ込んできた。
合成音声のように平坦な、子どもの声。
だが、なぜか今ははっきりと、彼の現実を突き刺していた。