プラグがルネに痛めつけられた、翌日、六月二十四日。
この日からプラグはシオウとの朝の手合わせの後、筋力トレーニングを始める事にした。
筋肉が付かないのは分かっているが、本当にそうだろうかと言う検証だ。
シオウも必要ないらしいが、クラリーナ、グイットに教わって、アルスも含めて、三人で一緒に始めた。ちなみに夜もやる予定だ。
プラグはクラリーナに疑問を伝えた。
「クラリーナさんは精霊の力が強くて、鍛えてもあまり筋肉はつかないんですよね? けど鍛練はやっている……これには理由があるんですか?」
するとクラリーナが頷いた。
「ええ、見た目はさほど変わらなくても、内側についています」
「……内側?」
「上手く言えないのですが、普段の生活で使わない部分を鍛える事によって、体のバランスが整う気がします。後は、柔軟性です。これはあって損はありません。この訓練を行えば、反射神経、俊敏性も獲得できますし、血行も良くなりますし、動体視力も上がります。筋力や持久力については人それぞれですが、体幹、柔軟性、俊敏性は鍛えて損はないのでは?」
「! なるほど。確かに」
プラグは深く頷いた。
そう言う考え方もあったのか、と思った。
シオウもなるほど、と頷いている。
そして手本を見せてもらい――中々、厳しい鍛練だった――真似した。
さすが鍛練好きというだけあって、クラリーナとグイットの特別メニューはよく考えられていた。
「なるほど、これは意外にいいかもしれない。腹筋を鍛えるのに、こんな体勢があったんだな……意外と、筋肉を使う……!」
プラグの言葉に、シオウも腹を押さえて頷いた。
「なんか効いてる気がする。すげーきっつい」
「でしょう? だから精霊の力があっても、鍛えるに越したことはないんですよ。また紙に書いておくので、毎朝、毎晩、行って下さい」
クラリーナが微笑んだ。
「はい!」
プラグとシオウは頷いたのだが、アルスはぐったりと地面に伏していた。
「きついわ……」
「アルスは、初めは簡単な物から、徐々に慣らして行きましょう。まずは自分のできる範囲で。時間や回数を減らして下さい」
「分かりました……」
クラリーナに言われて、アルスはさらに地面にめり込んだ。
「そうだ、握力ですが、握力計をお貸ししますので。これで実際に測って強くなったか試して下さい。上がらないと思っても意外と上がる物ですよ」
「! ありがとうございます」
プラグは昔、三十五年ほど人の体を鍛え、これ以上、筋力は上がらないな、と思っていたのだが、まだまだ上があるのかもしれない。
そして握力を計ってみたところ……プラグは五十二キログランと出た。
ところが、シオウは余裕で七十八キログラン。
「あれ!?」
思ったより低いし、シオウと大分差がある。握力計は大昔にも存在していて、単位は違ったが、換算すると二十キロ近く下がっている。
以前はもう少しあったと思うのだが……。
(まさか、寝ている間に筋力が下がったのか……?)
と考え、あっと思った。
(そうか、肉体年齢が関係しているんだ!)
プラグが以前に測ったときは、そう言えばもう少し肉体年齢が上だった。今から千年と数百年前……プラグは人で言う十八歳くらいの体でいた。
機械好きの友人が握力測定器を作った、というのでやってみたのだ。
それは仕方無いとしても、シオウに大分負けている。
「俺の勝ち! ははは! お前、力弱いなぁ」
「うううっ……悔しい……!」
シオウに笑われて、プラグは拳を握りしめた。
「私もやるわ! 貸して」
アルスは気合いを入れて握力計の持ち手を握った。
しかし結果を見たアルスは、天を仰いだ。
「えー! たったの三十キロ!? 凄く鍛えてるつもりだったのに。……でも、これってどのくらいなのかしら……? 女子で言ったら、強いのかしら?」
アルスの疑問にはクラリーナが答えた。
「七十キロから百キロで、林檎が握りつぶせるくらいです。一般の、鍛えていない女子は二十キロから二十五キロもあれば強い方でしょう」
「そうなんですね……となると……ちょっとまし、位なのかしら。がっかり……」
アルスが溜息を吐いた。
「ですが強さには色々な要素がありますから。純粋な握力を鍛えるには、それ専用の鍛練が必要です」
クラリーナが言って、握力計を軽く握って、プラグに渡した。
プラグは数字を見て目を丸くした。
「……ッ! 凄い……ッ、九十五キロ!?」
クラリーナは細身の女性だがシオウより遙かに握力がある。
「ははは! 貸してみろ!」
グイットに言われて渡すと、彼は気合いを入れて握った。
今度はシオウが数字を読む。百を三、越えていた。
「すげー! 百越えた!? 人間か!?」
「ははは。鍛練は正しい方法でやれば、みるみる成果が出る。見ろ、この筋肉を!」
グイットの太い腕には見事な力こぶがある。背も高く、体格も十七歳とは思えない程立派だ。
プラグは目を輝かせた。
「いいなぁ! 憧れます。尊敬します! 触っていいですか?」
「好きなだけ触れ! ぶら下がっても良いぞ!」
グイットの二の腕に触らせてもらうと、固い。プラグもこんな風になりたいと思った。
怖々とぶら下がると、軽々と持ち上げられてしまった。
「……すごい!」
プラグは感動した。
「おー! びくともしねぇ!」
シオウが反対側の腕にぶら下がりながら笑った。
「……男子って、筋肉が好きよね……」
アルスが柔軟体操をしながら呆れた。
シオウもプラグも頷いた。戦う男なら誰しも一度は、筋肉に憧れる。
「男なら筋肉は欲しいよなー、もう少しあってもいいから、やってみるか」
シオウはやる気になっている。
「でも、俺はいくら鍛えても、体質的に、あまり筋肉は付かないと思うけど……」
プラグは溜息を吐いた。するとシオウも溜息を吐いた。
「そこだよなぁ。俺、筋力の割に細いんだよなぁ。孫代の力ってヤツだよな」
確かにシオウの握力なら、もう少し腕が太くなくてはおかしい。
しかし、シオウの腕の太さはプラグと大して変わりがないのだ。
「精霊の力があってもある程度は鍛えられます。私も腹筋はしっかり割れていますから」
クラリーナが言った。
「えっ、本当ですか?」
クラリーナが残念そうに頷いた。
「今、脱いで腹筋をお見せできないのが悔しいです。いっそ男に生まれていれば、グイットさんみたいな屈強な体を持てたのに! ああ、そして、精霊の力がなければ、もっとムキムキになれたのに……!」
クラリーナが『そんな事言っていいのだろうか?』と思うような事を言った。
「そう言えば、クラリーナさんは、『水の精霊』の力をもらったと聞きましたが、どう言ういう感じですか?」
プラグは尋ねてみた。コリントがクラリーナは『水の精霊』の力をもらったと言っていたので、どの精霊だろう、とずっと気になっていたのだ。
「あ、秘密ならいいんですが」
するとクラリーナは「いいえ隊士は皆、知っていますよ」と言って語り始めた。
「私はヒュリス国の西側、マッキス山の麓に位置する『ザーヴェ』という小さな村で、クロスティア騎士団の、精霊騎士の娘として生まれました」
クラリーナの言葉にプラグは驚いた。
「えっ……外国出身なんですか? ヒュリス国?」
クラリーナは翻訳のプレートを使っていないので、てっきりストラヴェル出身だと思っていた。
「はい。ヒュリスには筋骨隆々の騎士が沢山いて、女性も良く鍛練をします。私も華奢で弱いなりに、日々、鍛練に励んでいました。そして……ある大雨の日、濁流の精霊『カックス=エルタ』に出会いました」
「……!」
プラグは内心で驚愕した。
『カックス=エルタ(水/濁流)』は、逞しい体躯と、日に焼けた肌、褐色の髪を持つ女性精霊だ。服装は良くある白い袖無しドレス、の丈の短い物なのだが、水より土の精霊、女性より男性精霊と言いたくなる見た目をしている。筋肉が盛り上がりドレスはきつそうに見える。
「彼女は言いました。『私は濁流の精霊、カックス=エルタである! この大雨により、あと三十分もすれば、濁流が村を襲う!』『だが、避ける方法が一つだけある。そこの大木を引き抜き、持ち上げて運び、荒れ狂う川の流れに突き立てろ!』『そうすれば、この村は避けてやる! ただし一人の男がやること!』と。まず、村の筋肉自慢が名乗りを上げました。しかし精霊が示したのは村でも一番の大木……倒木でもなく、抜けるわけがありません。父も挑戦しましたが、とても無理でした」
クラリーナの父は立派な体格で、ヒュリス・クロスティアでも優秀な騎士だったが……。
直径三メルトはある幹には、幾ら挑んでも無駄だった。
「見かねた私は、父を押しのけ、名乗り出ました。しかし、幼く――体も細かった。けれど、奇声を上げ必死に挑みました」
クラリーナの無様な、しかし必死な姿を見て『カックス=エルタ(水/濁流)』は舌打ちした。
『女よ。力とは平等だ。筋肉は裏切らない。だがお前は女で、鍛えても得られる筋肉には限りがある。しかも、鍛練半ばで未熟。しかし! その気合いの入った掛け声はとてもいい! なかなかの逸材とみた。よかろう。お前に力を貸してやる! ハァッ! カックス――シャルド!!』
「と、謎の掛け声と共に私に憑依し、力を貸してくれました。そして、私は大木を引き抜き、運び、濁流の目に木を突き立て、流れを二つに分けました」
「……ええ……」
プラグ達は、謎の展開に目が点になった。
そして大木のおかげで濁流は無事に村を逸れ……疲労困憊のクラリーナは倒れ込んだ。
カックス=エルタの声が周囲に響いた。
『良くやった。クラリーナ・ザーヴェよ。私は、今、開眼した。私が追い求めたのは濁流を止める無双の強さではなく、弱い者が強くなりたいと願う、勇ましい姿だったのだ!』
「そして、彼女は、満足し『フ……お前に、鍛える程に強くなる丈夫な体をやろう……必ず、国一番の猛者となれ。そして弱きを助け強きをくじき、濁流の目を見極め、全ての濁流から人々を救うのだ! 私はお前の中で、しばし眠る。あー今日は良く働いた!』と言って、私の中で、深い眠りにつきました……」
クラリーナが胸に手を当てた。
プラグは驚愕した。
「えっ。じゃあ、まさか!? クラリーナさんに力をあげた、水の精霊って!?」
「ええ。彼女です。おかげで鍛えても鍛えても、筋肉が付きません」
クラリーナが自分の細腕を見て溜息を吐いた。
シオウが口をあんぐりと開けたまま叫んだ。
「ええ!? 俺、てっきり、アンタに力を渡したヤツ、もっと優雅な水の精霊だと思ってた!!」
「私も……!」
アルスも同意した。
プラグもそうだ。クラリーナは薄いピンク色の長髪に、ピンク色の瞳というとても綺麗な女性だ。きっと『美しい水の精霊が、池で溺れた彼女の命を救って……』とか、そんな感じだと思っていた。一体誰だろうと思っていたら、まさかカックスだったとは……。
「私はしばらく、自分がどういう状態か分からなかったのですが、ヒュリス国王陛下の持つ『ミラル=リンド(知識/知恵)』に聞いて、ようやく理解できました。しかし当時のヒュリス国では腕相撲で全勝できてしまい……。カックスが眠ってしまったせいか、ヒュリス国の治水の成果か、濁流も起きる気配が無く。とりあえず毎年九月に氾濫するという、アイテル平原の『アレール川』と闘うため、単身、ストラヴェル王国に乗り込みました。そして毎年氾濫を鎮め、やがて十四歳になり、周囲の勧めで精霊騎士課程に入ることにしました。そして、リズ隊長や、ルネ副隊長、グイットさんに出会い――負け。仲間と語らい、切磋琢磨し……ここが私のいるべき場所だと確信しました」
クラリーナが胸に拳を強く当てて言った。口調はしとやかだが仕草は勇ましい。
シオウがとりあえず拍手をした。
「へー、すげー」
「そんな事ってあるんですね……精霊が人の中で眠る……?」
プラグはしばらく考えた。
カックスは『水の流れを強化する』『勢いを付ける』という『周囲影響型』の精霊だったが、濁流は地形を大きく変えて時には多くの犠牲を出してしまう。
彼女は自問自答するタイプで、己の役目に悩んでいる節もあった。
彼女はクロスティアにいた当時から、筋肉を愛していて……というか、生まれた時からいかつい見た目をしていたが、根はとても優しいのだ。
流れの『目』を見つけ氾濫を鎮める、というのは彼女がずっと試していた事だ。
実現できたのはめでたいが……その先の、クラリーナの肉体を強化するという『人体憑依能力』は、分類で言えば『人体強化型』になる。
元々、カックスには『物質を強化する力』があったので、不可能とは言い切れないが、彼女には難しいはずだ。だがあえてそれに挑戦し、今もなお、続けている。
(彼女らしいな……)
彼女は己を鍛え、不可能を可能にする事に意義を見出していた。
プラグは勇気づけられた。精霊には無限の可能性がある。
プラグも新しい力を開発できるかもしれない。
「いい話を聞いた。俺も、もう少し頑張ってみよう。気合いを入れれば、筋肉が付くかも!」
プラグは腕立て伏せを始めた。
■ ■ ■
「プラグ・カルタ。ちょっと来い!」
朝食の前、プラグはリーオに呼ばれた。
リーオの表情は真剣で、怒っているようには見えない。
切羽詰まって焦っている、という感じだった。
「はい……?」
廊下でリーオは溜息を吐いた。
「昨日、隊長とルネがお前を殴ったらしいな」
「あ……」
「……すまなかった。やりすぎだと、隊長は叱っておいた。全く、呆れて物も言えん。本当に悪かった」
リーオが頭を下げた。
「あー……どうもありがとうございます。あれ、ルネ公爵は?」
プラグは首を傾げた。主犯はルネだが、叱られたのはリズだけらしい。
するとリーオが頭を抑えた。
「実は昨日……ルネが結婚すると国王陛下に伝えたのだが……国王陛下と宰相が泡を吹いて失神されてな……ルネとリリが拘束された」
「えっ!?」
プラグは目を丸くした。
「まあ、目撃者もいて、原因は分かっているからすぐに釈放されるだろう。あの家は父親の時もそうだったらしいな。全く、爵位を何だと思っているのか……」
リーオがふとプラグを見た。
「それで、お前は、何か聞いているか? ルネはお前が全部知っている、と言ったらしいが」
リーオの言葉に、プラグは首を傾げた。
とっくにリーオは知っていて、皆、大急ぎで準備を始めていると思っていた。
「えっ? 昨日の朝、リリさんと結婚すると仰っていましたよ。披露宴はもう少し後だけど、来週、先に式を挙げるから、候補生代表として出席して欲しいと……そのくらいですが?」
するとリーオが瞬きをした。
「ん? ……来週はいいが、どこでやると言っていた? 首都教会か、それとも別の教会か?」
「いえ、それが、まだ何も決めていないみたいです。場所はここの大広間か、首都の教会で、今から国王と相談すると言って出かけました。祭司はミリル様にお願いするのかな……?」
「――は!? 衣装は?」
「聞いていません。適当なドレスか、平服でやる気じゃないですか? その分披露宴を豪華にするとか? 指輪はあるのかな……?」
「……あのアホ! 全部嘘か!」
リーオは青ざめ、ばたばたと走って行った。
どうやらルネは口から出任せを言ったらしい。
「おつかれさまです……」
プラグは参列だけで良かった本当に、と思いながら、食堂に戻った。
アルスが不思議そうに尋ねてきた。
「どうしたの?」
「ああ、来週ルネが結婚するから、その話」
プラグが言った途端、食堂の時間が停止した。
「――えええっ!?」
「なんだって?」
「相手は!?」
「リリ隊士。挙式はどこかでさらっと済ませて、披露宴を豪華にするみたい」
プラグは食べ始めたのだが――、一拍を置いて、皆が悲鳴を上げた。
「ちょっとまって、それって!? お妾さん!?」
言ったのはガーラだった。
「いや、正妻にするって。恋人同士だったみたいだから、いいんじゃないか。年も近いし」
「ここでって!? えっ!?」「付き合ってたの!?」「うそでしょ!?」「リリさんって平民よね!?」「正妻!?」
アルスは――驚愕している。
「うそでしょ……!? 公爵よ!? そんなあっさり!?」
「あ、そうだ。話を聞いた国王陛下が泡を吹いて倒れたらしいけど……ルネのお父さんもそうだった、って言ってたし、たぶん大丈夫……かな?」
「……ああああ……! そう言えばそうだったわ……聞いた事ある……! ある時、先代がいきなり、今の公爵夫人と城に来たって話……!」
アルスは頭を抱えている。
「でも、めでたい事だし、ルネは幸せそうだし、リリさんもルネが好きみたいだし、いいんじゃないか?」
「……そうね……そうかもね……うわー……お父様……皆、大丈夫かしらー……」
「宰相も倒れたって聞いたけど……」
「……メノムさん……いえ、レオンク副宰相かしら……はぁ……お城は今ごろ大騒ぎよ。いつ聞いたの……って昨日よね」
「うん、昨日。あ、そうだ、式はここの大広間か、首都の教会でやるって言っていたけど、予約が間に合うのかな?」
するとアルスが悲鳴を上げた。
「ッ、間に合うわけ無いわよ!! もうすぐ星の日よ? ……もう、知らないわ……! 皆で何とかしてくれるでしょう……!」
アルスが匙を雑に置いた。
『星の日』とは毎年七月七日の、特別な祝日のことを指す。
各国の巫女達が、聖女教会の主神『大創造神イルトレア』様に祈りを捧げる祈りの日だ。礼拝が主だが、教会主催のちょっとしたお祭りや劇もあって、候補生達も休みになる。
女神イルトレアはこの『星(キュリオス)』を総べる神で、まず星を浮かべる空を造り、その後この星を創造し、今なおこの星にいる……と言われている。
ちなみにプラグの知る聖典に彼女の名前は無いので、この大陸の人々が造り出した神か、どこかの亜神かもしれない。
候補生達は「大広間だったら俺達も呼ばれるのかな?」「いやさすがに、首都教会だろ!」と言っている。そして話題は結婚祝いになった。
「結婚のお祝い、何か用意した方がいいんじゃない?」
「だよな、二人ともお世話になってる隊士だし……ここでやるなら、だけどさ。後で渡すとかでもいいから……金無いし、花とかかな?」
「でもいつなんだ? 聞いてるか?」
プラグは首を振った。
「それが、急に決めたみたいで分からない」
「それじゃ用意しようが無い……!」
――そこで隊士のシリング・アフラが入って来た。
「あー、やっぱまだいたか。君達、そろそろ走ってねー」
「あ、シリングさん! あの――! ルネさんが結婚って本当ですか!?」
シリングは質問責めにあっていた。普段あまり来ない彼が来たと言うことは、本舎は大変な事になっているのだろう。
「俺達もなんか贈った方がいいんですか!?」
「あの二人いつから付き合っていたんですか!?」
「式はいつ!? どこで!?」
「はいはいはい、俺達もまだ何も聞いてないから、とりあえず鍛練! だけど、今日は城の方へは行くな。走るのは一本杉までにすること。公爵のせいで、今、城が厳戒態勢になってるから」
シリングが言って候補生達は素直に返事をしたのだが……。
「あ、そうだゴメン、朝の授業、しばらく先生が変わる。リーオさんはたぶん不在になるから……とりあえず時間通りに教室に入ってて。誰か探してくる――あ。あの、バウル教授、とりあえず何か話しておいて頂けますか?」
「ええ、いいですよ」
バウルが頷いた。
「ハァ……すみません、じゃあ俺は戻ります。お前等、許可があるまで敷地から出るなよ! あと、外に出た時も公爵やリリの人柄、式の日程について聞かれたら、何も知らないって答えろ! いいな? お前達の何気ない一言で二人の結婚が潰れる可能性だってあるからな! 日程がばれると暗殺の危険もある! 騎士団としては、この結婚は絶対に成功させたい。わかったか、口は閉じる!」
シリングの言葉に、候補生達が口を閉じて、頷いた。
「あ、結婚祝いは、詳細が分かってからにすればいいから、今は気にするな――じゃあ、バウル教授、後はどうかお願いします」
シリングが深く頭を下げた。
隊士達はルネの気まぐれに付き合わされて、かなり大変なようだ。
■ ■ ■
朝の走り込みの後はリーオ隊士による授業の予定だったが、バウル教授に交代した。
今日は久しぶりに、事務クラスの生徒達も一緒に受けている。
いつもと違った様子に女子も男子も楽しげだ。
バウル教授は建築学、プレート理論、精霊学などを教えていて、プラグも既に数回、彼の授業を受けていた。
バウル教授は人間とは思えない程の知識を持ち、更に優れた見識と凄まじい理解力、とんでもない観察眼の持ち主で、話も分かりやすい。どの授業も受けているだけで楽しかった。
「そうですね、今日はせっかくですから、この国の、貴族の結婚についてお話ししましょうか」
バウル教授の言葉に、女子達が歓声を上げた。男子も興味があるようで聴き入っている。
「では皆さん、貴族には、爵位があるのはご存じでしょう。一番上が公爵、その次に侯爵、伯爵、子爵、男爵と続きます。この下に、準男爵、騎士爵、巫女などがある場合もありますが、ストラヴェル王国では、準男爵、騎士、巫女、は貴族身分とはされていません」
バウル教授が黒板に身分を書いていく。
「代わりに――というと語弊がありますが『委任伯爵』と言う階級が存在します。つまり領土を収める伯爵ですね。伯爵相当の地位ですが貴族ではありません。貴族の位は世襲ですが、委任伯爵は基本的に一代限りとなっています。ただし、領主の家系に生まれた子供は、領主大学を出てそのまま領主を継ぐ事が多いです。領主の家系であることは、跡を継ぐ体勢が整っている、と言う事でもありますからね。跡継ぎが絶えたり、不正があったりした場合は、国王や評議会が領主を任命する場合があります」
この辺りは皆よく知っている話なので、候補生達が頷いた。
「一から領主になろうと思ったら、これはかなり大変です。まず領主大学で学び、資格を得ます。その後、どこかの領や、どこかの城で実務経験を積み、人々の支持や、評議会の推薦、領主関係者の後押しを得て、ようやく領主になれます。この方法で領主になられた方で有名なのは、元ラニ・ラニィ領の領主、マルコ・ル・ローイ現副宰相でしょう。彼はとても優秀な方で、領主を務めた後は先代国王の下で宰相となり、今は副宰相となっています」
「少しややこしいのですが、ストラヴェル王国では、宰相より副宰相の方が地位が上になります。この辺りは、なんとなく皆様ご存じだと思うので、今日は飛ばしましょう。さて、皆様の興味のある、貴族の結婚についてですね。――内実や、前例を交えて、こっそりお教えしましょう」
女子達は目を輝かせて聞いている。アルスもプラグの右側にいて、とても真剣だ。
シオウはプラグの左側で、意外に真剣に聞いている。
「騎士や巫女は世襲では無く、一代限りの称号となっています。しかし身分では無い物の、貴族に近い物として扱われます。身分としたら……そうですね、委任伯爵、つまり伯爵相当くらいではないでしょうか。実際に『騎士の扱いは伯爵相当とする』という決まりが儀礼典範にあります。ただこれは儀式によって変わるという、ざっくばらんな物になっています。ああ、儀礼典範については、宿舎の図書室や図書館にもあるので、興味のある方は読んでみてください。かなり分厚いですが面白いですよ」
それからバウル教授は、実際にあった王族、貴族の結婚について話し始めた。
まずは国王の結婚から始まって、側室制度について説明した。
ストラヴェルの国王は、王妃との間に男子が生まれた後、大抵、側室を持つ。
これは『聖女』を確保するためだ。聖女の生まれる国では、男子も女子も歓迎される。
「ただ、統計的に、ヒュリス、ストラヴェルでは女子が生まれにくいようです。一方でセラ国は王女ばかり生まれるので、血統的なものかもしれませんね。王族は強い霊力を持っていますが、その分、子供ができにくい傾向があります。先代の国王陛下も、子供は今の国王陛下お一人でした。先代の国王陛下には側室が二人いましたが、お二人とも子供はできず……三十五歳で任を解かれています。側室は三十五歳までに子供ができない場合は、褒賞を得て実家に戻ります。『血の相性』はどう出るか分からないのです」
……王族は高い霊力を持つが、すると相手もそれなりに丈夫で無ければ子供ができない。
霊力がなくてもすんなり行く場合もあるし、霊力が高い女性相手でも、まったくできない場合もある……らしい。側室は子供ができなかったからといって『では仕方無い、別の女性を』くらいで終わるのだが、子供ができるときちんと『第二王妃』として扱われる。
アルスの母、レイラ妃は国王と相性が良かったのか、側室になってすぐ、あっさり懐妊してアルスを産んだ。
「王女殿下がお生まれになった時は、皆、大変な喜びようでした。小さな聖女様の誕生は国を挙げて祝われました。王女殿下は皆さんと同じ年に生まれたのです」
バウル教授は名指しにはしていないが、自分の事なので、アルスは恥ずかしそうに頰を染めている。
王女と同い年というのはなんとなく誇らしい物で、候補生達は皆、笑顔になっている。
シオウも笑顔だが、少し向こうのアドニスは、アルスと同じように頰を染めている。おそらく王族にはよくある感覚なのだろう。
プラグも――年齢は嘘だが――笑顔になった。
これは国民は皆、知っている『通説』だが……官僚達は、レイラ妃と国王は血の相性が良いので、次の子供を、と考えたらしいが、まだ第一王妃のロザリナも若い。
既に第一王子がいるし、第一王妃が優先でいいのではないか、とのんびりしていたらしい。
『聖女』は慣例として四、五歳からセラ国で修行するので、レイラ妃は付き添いの義務もある。当面は王女の教育が優先で、お産は控えて良いだろう、となっていた。
すると今度は第一王妃ロザリナが再び懐妊した。
慶事続きに国民は沸き立ち、次は王子だろうか、王女だろうかと楽しみにしていた。
第一王子は可愛く賢く健康らしいし、第一王女も驚く程の美少女らしい。さすがは我が国の王族。いっそセラ国のように子だくさんもいいな、と夢を語り合った。
そして、ロザリナ王妃の懐妊が分かって間もなく、アルスティア王女とレイラ妃は慣例に従ってセラ国へ旅立った。
一年後、生まれたのは可愛い女の子――ミアルカ王女でこれも大歓迎だった。
聖女のうちでも、正室が産んだ王女は将来『聖母』になるべき子供だ。七日七晩の大騒ぎで祝福した。
ただ、ここがかなりの難産で、また生まれたミアルカ王女も体が弱く、予断を許さない状況が続いた。ミアルカ王女が三歳になり、ようやく落ち着いたが、彼女は健康すぎる兄、姉、に比べるととても普通の女の子だった。その頃、悪い風邪が流行り、ミアルカ王女も王妃も体調を崩しがちで、しばらくお産は控えようとなった。
――賢い王子がいて、王女が二人。まさに理想の王室。
しかし、もう少しいてもいい。王子はもう一人か二人欲しい。これからも望める。
国民はそう思っていたのだが……。
セラ国とディアティル帝国の間で、戦争が始まり……結果、レイラ妃が死亡。
アルスティア王女殿下は王妃の亡骸と共に十歳で帰国した。
その時は国王陛下、第一王子、ロザリナ王妃、貴族達……国中が涙に明け暮れた。
通常、王女はセラ国で十五歳まで修行する。
レイラ妃の死が無ければ、プラグ達が今、こうしてアルスと一緒に勉強する事も無かったのだ。レイラ妃の美しさと優しさは伝説的で、またアルスティア王女も涙と共に語られている……。
プラグは全く同世代。カルタにいて巫女見習いをしていたが、レイラ妃が亡くなったと聞いて衝撃を受け、皆で祈りを捧げたし、毎年命日にも、レイラ妃の冥福と、遺された王女の、健やかなる成長を祈っていた。
しかし『まさかその王女が、こんなところにいるとは』と驚いている。元気そうで良かった、と言えば良いのか、意外とお転婆だったんだな、と感心すれば良いのか分からない。皆の祈りが通じたのか、確かに丈夫で健やかだ。
――バウル教授は、レイラ妃の下りは語らずに貴族の結婚について語った。アルスに気を遣ったのだろう。
「貴族は普通の国では、平民とは結婚しない物ですが、わがストラヴェル王国では少々、事情が違います。先程話した、『国王は男子が生まれた後はなるべく側室を持つ』という件に近いのですが。貴族同士の結婚では、よく精霊の血が濃い子供が生まれます――そうした子供は短命である事も多く、その為、妾、側室が推奨されているのです」
貴族同士の場合、子供ができない事もあるし、生まれた子供がすぐ死んでしまう場合もある。
平民でも家柄が良ければ、妾として歓迎される場合もあるという。
バウル教授は、幾つか実例を挙げた。
「平民が貴族に見初められ、嫁ぐ、または婿入りする場合は、大抵、どこかの貴族の養子に入ります。そして形式だけでも貴族となって、嫁いでいくわけです。養子になる先は家格によって様々ですが、普通は貴族側が斡旋します。平民に貴族の知り合いがあれば別ですが、そういう事は稀ですからね。だから平民に生まれたから、貴族と結婚できない、という事はないのです」
……しかし、可能であっても、問題はある。
「やはり、短命の危険があっても、血筋第一主義はありまして、貴族同士でなければ結婚しない、血を守る、と言う考え方は根強いです。家格や身分が高いほどこの傾向があります。例えばそう『公爵』ともなると相手は同じく公爵か、あるいはこの国の王族、または他国の王族、最上位の貴族でなければとても釣り合いません。公爵三家は、元々、ゼ・キルト王家から分家した、王族の血を受け継ぐ家柄なのです。平民なんてとてもとても、信じられない、と言った感じでしょう、ですがエアリ公爵の場合は少し、事情が違うかもしれません」
バウルはルネの父親について語り始めた。
「ルネ公爵の父親である、ノム・セルト・ラ・エアリ公爵は二十二歳の若さで亡くなりました。これは彼の祖父が『剣』の精霊と結婚したため、彼は『孫代(そんだい)』の血により、元より、永く生きられない体だったためです。セルト公爵には弟が一人いましたが、そちらはもっと早くに、わずか一歳で亡くなっています。だいたい、長生きできて二十歳と少し……くらいでしょうか」
孫の代の子供は、生まれ付きとても強い。
しかし精霊の力が強すぎて肉体が耐えられず、様々な負荷がかかり、短命になる。
バウル教授は、顕著なのは心肺機能の低下や、心臓への負担だと説明した。
「その子供が、現エアリ公爵――ノム・ルネ・ラ・エアリ公爵です。彼には妹がいて、彼女はフロスト公国に王妃として嫁いでいます。フロスト公国は、精霊大戦後にヒュリス国から分かれた国で、ストラヴェルとは友好国になります。妹君はとてもとても美しい方だったので、この結婚はフロスト公国が大乗り気で、妹君が幼い頃から決まっていました。公爵家はそのくらいの家柄なのです。で、問題のルネ公爵がどうやって生まれたかですが……」
バウルは苦笑した。
「私はその時、ちょうど城に勤めていて、まさしく王城内で騒動を見ていました。あれは今から二十四年前の……五月三日。その日、十六歳のセルト公爵が、陛下に謁見を願い出ました。先代の陛下は何だろう、珍しい、と思いながらも謁見を許可したそうです。セルト公爵の父は、彼が十三歳の時、四十五歳でこの世を去っています。精霊の息子は普通程度に、長生きできるのですが……精霊の力が強かったのか、わりと短命の家系なんですね。まだ年若いとは言え、成人と同時に公爵になる予定の令息ですから。何か余程の事があるのだろうと……。そしていざ会ってみると。一人ではなく、美しい巫女を連れていました」
『国王陛下。こちらは、アルマア領の巫女で、ターヴィ伯爵令嬢、イヴァンナ・ル・ターヴィ様です。私は来年、この方と、正式に結婚しようと思います。どうかお許しを』
『……なんだと!?』
国王は思わず身を乗り出し、目を見開いた。
イヴァンナは淡めの金髪に、水色の瞳で、透き通るような美貌を持っていた。
服装は巫女の正装で、赤いケープと赤いドレスだった。
『私の命は長くはないでしょうが、ご安心下さい。彼女は既に、私の子供を宿しています』
「――と、にっこり笑って仰ったです。その子供が、ルネ公爵です。城は大騒ぎになりました」
バウルが笑った。
ストラヴェルの成人は十七歳。
セルトは十六歳でまだ未成年。イヴァンナは十八歳。こちらは成人だ。
「一部では、たぶらかされたのだ、と言われましたが……。公爵はあるパーティで、貴族達を一喝しました」
『私は彼女を愛しています。そして、自分が長くないことを知っています。文句があるやつは、男も、女も。私と戦って勝ってから言いなさい。聡明な彼女を選んだことは、私にとっても、彼女にとっても、この国にとっても必ず良い結果になります。どうか、私達を祝福して下さい』
「――と、立派な方でしたな……まあその後に、祝福できないやつは敵と見なす、と言ったそうですが。さすが精霊の孫代、ものすごく腕の立つ方でした。その後、無事にルネ公爵が生まれ、二人は祝福され、結婚して、二年後には妹君――イリス王妃がお生まれになりました。髪や目の色は、ルネ公爵はお父様にそっくりで、イリス王妃はお母様にそっくりでした」
ルネとイリスはすくすくと育った。
……幼いルネとイリスは祖母と母に連れられて、度々城へ上がったが、そこにセルト公爵の姿は無かった。
赤ん坊でもイリスは可愛らしく、ルネは生まれ付き、ものすごく強かった。
「私も一度手合わせしましたが、見事に負けました。その時、公爵はわずか四歳でしたが、もう強いのなんの。歩き始めると同時に剣を握ったというのだから本当に驚きです。あんな小さい子供に、力負けして……勝てないんですよ……あれには驚いた」
ルネが五歳、イリスが三歳になったとき――セルト公は惜しまれつつ他界した。
「本当に、若くして亡くなられたのが、残念でなりません。セルト公はそれくらい優秀で、素敵な方でした。快活で、はきはき喋る方でしてな。まあ少し皮肉屋な一面もありましたが」
バウルは苦笑した。
「ルネ様の母親、イヴァンナ様はまだ四十一歳です。ルネ公爵がクロスティア騎士団に入団したので、代わりに、公爵家が収めるアルマア領を治めていらっしゃいます」
イヴァンナはとても控え目な女性だった。
しかし驚く程聡明で、貴族の生まれと言う事もあり、内政手腕に長けていた。
初めは眉をひそめていた貴族達も、今は多大な尊敬を込めて接している。
何よりルネとイリスの母親だ。しかし何も望まず、毎日質素な巫女服を着て、日々、他界したセルトと弔い、息子や娘の幸せを祈っているという。
「彼女は、巫女の鑑と言われていますな」
――プラグは頷いた。『アルマアの聖巫女、イヴァンナ様』と言ったら、ミリルと並ぶ程、有名だ。
「ああ、巫女の結婚ですが、巫女も結婚は可能です。ただし。祭司として結婚式を取り行えるのは、未婚の巫女に限られます。これは巫女もよく分かっていない仕組みだそうですが、そういう事になっています。精霊との契約については、既婚の巫女でもできるので、結婚したからといって、必ずしも引退する必要はありません。この騎士団ではラファ・セフィアナ隊士が元巫女ですが、彼女の場合は巫女と騎士の両立を避けたのかもしれません」
バウルが続ける。
「巫女が騎士になる例はあり、その場合は『巫女騎士(みこきし)』と呼ばれます。ですが、そうすると国から勝手に『女伯(じょはく)』――つまり『女伯爵』の地位が与えられて、以後、子供も貴族になってしまうので、貴族税が生じます。その為、税金対策としてどちらかを選ぶのが普通になっています。これは一部では、優秀な女性が多い巫女に対するやっかみだとも言われていますね――さて、公爵は貴族、リリ様は平民。お二人の結婚は上手く行くのか……私達は、そっと見守って――」
そこで教室の扉が開かれた。
開けたのはリズだった。
「おいプラグ、ちょっと来い!」
「え?」
「いいから早く! 来い!」
プラグは何も分からないまま、リズと共に教室を出た。