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第18話 イメイア家 ③ルネの過去

ー/ー



「で、では、今日はこれで……」
プラグが去った後、イメイア侯爵は早々に辞去した。

ルネとリズは玄関でにこやかに見送った。
リズが頭を下げる。
「じゃあ、これはプラグに渡すので。またお礼の手紙を書かせます~」
話の流れでそう言うことになっていた。
さすがに金額が金額なので、お礼の手紙は不可避だ。
「ああ、いや、ゆっくりで。怪我が治った後で構いませんよ」
イメイア侯爵が言った。
イメイア侯爵、エンディ・ラ・イメイアは現在、五十二歳。
中肉中背、赤みがかった茶髪、赤茶色の目を持つ男性だ。顔立ちは整っているので格好いいおじさんとして貴族女性に人気がある。
「いやーお気遣いどーも」
リズが大きく笑って、立ち去る侯爵と銀行員その護衛五名に手を振った。

姿が見えなくなり、ルネとリズは薔薇の館に戻った。
玄関扉を閉めるなり、二人して溜息を吐いた。

「ふぅー、これでいいだろ」
リズが腰に手を当てて言った。
「やれやれ……手のかかる子だ」
ルネも腕を組んで額を抑えた。
――ルネがプラグを殴ったのには、深い理由がある。

「あのオッサン、どうだ、プラグを狙いそうか?」
リズの言葉にルネは頷いた。
「『僕の愛しい弟子』って十回くらい言っておいたから、大丈夫だと思う。もし来たら追い払う」
「そーしてくれ。っとに面倒な」
リズが舌打ちした。
……イメイア侯爵、エンディ・ラ・イメイアには良くない噂が二つある。
一つは確かな噂。もう一つは不確かな噂だ。

一つ目の噂。これは今日も来ていた『護衛』に関する事だ。
イメイア家には『イメイア親衛団』と言う私設警備団がある。
この規模は私設にしてはかなり大きく、百五十人を超えている。
いわゆる『私兵』なのだが、イメイア家は『二級縁者』なので、二百人までの親衛団を作る事が許可されている。

ストラヴェルには『正統なる王族』――ゼ・キルト王家、ゼ・ハイング家、ゼ・ライン家の王族三家以外にも『王族縁者』と言われる、王族の血を引く貴族達が、結構多く存在する。
通常、王族女性は降嫁してしまえばただの貴族で、彼女達は王族ではないのだがストラヴェルでは『聖母信仰』――つまり王女信仰が篤いので、嫁いだ後も何かしらの名誉を残そう、と言って始まった仕組みらしい。
始まったのはもう三百年前、第七代国王、エフィト・ゼ・キルト・ストラヴェル王の時代だ。

――その時代に『王族』に関してこう定められた。

まず『正統王族』であるゼ・キルト家。
この家は初代国王ビアスの、長男から続く家柄で、このキルト家だけが『ストラヴェル』を名乗れる。
この家が代々、王位継承権を持ち『一級王族』と呼ばれる。

次に『旧王族』。ゼ・ハイング・ラヴェル家(ラヴェル系王族)、ゼ・ライン・アストラ家(アストラ系王族)の二家。これは『二級王族』と呼ばれる。
この二家は、元々いたラヴェル国の王族、アストラ国の王族の為に『特別な配慮』として作られた。ただし一番尊重されるのは一級王族のゼ・キルト家で、二家の子孫には王位継承権は無く、臣下としてキルト家を守り、支える役割を担う。

ここまでがストラヴェルにおける『王族』で、公式に王族として扱われる。

ストラヴェルには王族とは別に『王族縁者』という仕組みがあり『一級縁者』『二級縁者』『三級縁者』までが存在する。
彼等は王族ではないのだが、多かれ少なかれ、多少であっても、とても薄くても王族の血を引いているため『王族に縁がある家柄』と呼ばれる。

『一級縁者』はエアリ公爵家、リノ公爵家、モンティス公爵家の三家のみになっている。
公爵三家はそれぞれが、ゼ・キルト家からの分家となっていて、ルネの『エアリ公爵』もこれだ。
ゼ・キルト家から成人後も『国内』に残る王女や王子が出た場合は、必ずこの三家のどこかに養子に入り、王族から外れて『王族縁者』となってから嫁いでいく。養子になった時点で王位継承権は無くなる。
例えば王子が二人いたら、長男が国王となり、次男はどこかの公爵家の養子になる。
次男が結婚した後、生まれた子供は全て養父の名を名乗るので、公爵家がこれ以上増える事は無い。
つまり『公爵家』は旧アストラ王族、旧ラヴェル王族とは全く無関係で、ゼ・キルト家由来の貴族、と言う事になる。
王女の場合でも、外国に嫁がずに国内で結婚する、となればこの方法を採る。
ただし王女の場合は『聖母』として国内に残る場合もある。
その場合はそのままゼ・キルト王家に残って聖母の勤めを果たす。
当代で言えば、王妃の子供、第二王女ミアルカがこれに当たる。
アルス――アルスティア王女は第一王女だが側室の子供なので、いずれ他国に嫁ぐ運命にある。
……ゼ・キルト家はとにかく特別扱いされるが、これは『聖女』が出る血筋の為だ。
これは『聖女の力』の謎なのだが……聖女が『巡礼』をせずに結婚すると、そこで『聖女』の力は失われてしまう。逆に『巡礼』をしていれば、結婚後も聖女の力が残る。
これは『処女性』ではなく何らかの『契約』が関連している、と言われている。

そして次が『二級縁者』。
これは現在、ラ・イメイア侯爵家と、ゼ・ハイング・ラヴェル王家から分家した、ル・ハイン男爵家の二家のみ。
この二家には二級縁者の特権として私兵が許可されている。

残りは『三級縁者』とざっくりまとめられる。
三級縁者はかなり多く、今は三十家ほどある。
三縁者には特権は何も無いが『王族に縁のある』名家だと威張れる。

――と、つまり、王族に縁のある人間がやたらと多いのだ。
普通の国では王族と言えば、血筋を必死に守る物だが、ストラヴェル王国は、アストラ王国、ラヴェル王国が合併してできた国だ。元々の王族、貴族を尊重した結果、複雑になってしまっている。
『王族の末裔』と名乗れるなら誰だって名乗りたい。権利を主張したい。
五百年前の精霊大戦後、ストラヴェル王国は城も街も、畑も貴族の館も燃え……焼け跡から始まった。
しかも初代国王ビアスは功績に応じて貴族の位を授けた。
これは、何もない中で授ける事ができるのは階級くらいだった為、と言われている。

勿論、きっちり貴族、王族縁者と証明できる家柄もあったが……時代が経つにつれ「実は我が家は王族の末裔で」と言い出す貴族が出始めた。
第七代国王、エフィト・ゼ・キルト・ストラヴェルは苦悩した末、全ての貴族の『あやしい家系図』を調査をし直し、この格付けとも言える仕組みを作ったらしい。

ちなみに、ストラヴェルには『貴族手当』があり、貴族はそれだけで、働かなくても給料を貰えるが、その手当は、実は貴族達が納めた税金から出ている。
爵位が上がるほど納税金額も上がるので、払えない家は降格を願い出たり、貴族を辞めたりしている。勿論、降格や身分返上は大恥なので、皆、必死に納税する。

納税はさておき、プラグに関係があるのは『王族縁者』がもつ『私兵』についてだ。

一級縁者である公爵家は三百名までの私兵。
二級縁者であるイメイア家、ハイン家は二百名までの私兵を持つ事が許可されている。
三級縁者は私兵禁止。

――許可されているものの、あまり多く持つと、謀叛の疑いを掛けられる場合がある。
怪しいからとりあえず処罰、削減命令、と言う例も過去にあった。
私兵は禁止だが、もちろん身辺警護、自宅の警備を雇うのは問題ない。

エアリ公爵には私兵が三百名――いるかと思いきや、約百名の親衛団があるのみだ。
増やしても食い扶持が掛かるし、怪しまれるだけなので無意味なのだ。
モンティス公爵は五十名程度、リノ公爵は百名程度となっている。
私兵と言っても、兵士でなくても構わない為、リノ公爵は各方面の優秀な人材を採用し、税金対策として商売をやらせている。エアリ公爵は商売もやらせるが、領地からの収入が高いため、主に武闘派、密偵を揃え王都の有事に備えている。モンティス公爵は身辺警護のみとあえて質素に暮らしている。

イメイア家と並ぶ、もう一つの『二級縁者』である『ハイン男爵家』の私兵はもっと少なく、僅か三十名程度しかいない。
こちらは二級縁者ではあるが、百年ほど前の分家で、反対を押し切っての婿入りだった為、男爵家となってしまっている。爵位を上げる話もあったが、領地が狭く、税金が払えないからと当時の当主が断っている。優秀な家系で今では評議員の常連となっているが、それでも三十名。

ところが、イメイア侯爵家の私兵は百五十人越えで、伝統として『イメイア親衛団』という名前まで掲げている。
数が多いのは代々そうなのだが、イメイア侯爵家の領地は首都から南へ三日ほど行った場所にある。普通に近いので、その気になれば首都に攻め込み、謀叛を起こすことも可能だ。

しかし、私兵には『必ず二割は近衛からの出向兵でなければならない』と言う決まりがあり、増やすほどに内偵が入る仕組みになっている。

この『二割の近衛』というのは国が決めるので、選べないのだが、抱き込むか殺すかしてしまい、謀叛を起こす可能性もある。
つまり、どうしてこうなっているのか、理解に苦しむような危ない仕組みなのだが、一応、僅かばかりの利点もある。
それは国が堂々と大貴族に内偵を送り込める……と言う事らしいが……危険の方が大きい気もする。
しかし効果はあって、謀叛を企む貴族が抱き込んだつもりの近衛がやはり国側で、密告されてお家取りつぶし、という事例がある。
この方法で初めは五家あった『二級縁者』は現在二家まで減っている。
ルネはこんな回りくどい事をしなくても、縁者制度を無くしてしまえばいいのに、と思っている。

「ランバークが死んだからって、――こっちまでコナかけるなよ、やれやれ」
リズが溜息を吐いた。
「彼は可愛そうだった」
ルネは眉を顰めた。
彼は享年二十三歳――ルネと同い年で、近衛候補生の間に好待遇でイメイア家に勧誘された。
私兵出向の最終決定は国がするが、一応、希望者を募り、期間は一年となっている。
無事に勤め終えると昇進が期待できるので、昇進目当てで行くのが普通だ。

別に近衛になってから出向希望を出せばいいのだが、ランバークは卒業間際で退学してイメイア家の私兵になってしまった。
近衛になる前に私兵になってしまうと、当然だが近衛にはなれない。
ランバークは成績優秀だった為、一部では脅されたのでは無いか、と言われていたが……ルネは何度かランバークに会った事があるので、その線は薄いと思っていた。

「ランバークの家は生粋の『独立派』だったからな……どのみち近衛は駄目だったさ」
リズが言った。
ストラヴェルには『独立派』という派閥があり、その筆頭がイメイア家と言われている。
この『独立派』というのは『旧アストラ、または旧ラヴェル、またはどこかの王族縁者を盛り立てて、ストラヴェル王国から独立する』と言う考え方だ。
つまり『分国独立』を狙う貴族達……なのだが。その実体はあやふやで、近衛も掴めていないらしいい。
そもそもが待遇や課税の不満から来る、荒唐無稽な思想なので取り締まりは難しい。
ルネは現エアリ公爵だが、彼は本来なら近衛との接点は全くない。
しかしクロスティア騎士団は、『独立派』やその他『危険組織』の動向について、近衛騎士団と情報共有をしている。
ルネがクロスティア騎士団に入った理由の一つは、こうした情報を得るためなのだ。

今は戦争もしていないし、近隣諸国との関係はおおむね良好。
国王は真面目で側近は優秀。王子は美形で二人の王女も可愛い。
中央からの監査が機能し、領主の不正も少なく、たまに嵐や川の氾濫があるが、雨が多いため土地は肥えていて、首都には水道橋があり、水には困らず、田舎も自然が多い。各領土で気候に合った農作物や家畜を育てる方法を採用し、作物は良く取れる。
市や町には必ず一箇所は領土騎士団の詰め所があるため、貧民街でなければ治安もさほど悪くなく、主要街道は整備されて辻馬車が行き交い、少し値は張るが良い宿もあり、女性でも護衛付きなら旅ができる。
東海岸にはたまに海賊が出るが、そちらは領土騎士でなんとかなっている。貴族は偉ぶっているが、平民との結婚は良くあることだし、運が良ければ玉の輿だって狙える。奴隷はいないので、平民の生まれでも、実力次第で出世もできる。料理は美味いし、酒も美味い、魚も捕れて、女性は可愛い。

……これほど平和な国で、なぜ情報が必要なのか?

実は、ストラヴェルにはもう一つ注意すべき派閥がある。
それは『人間派』と呼ばれる派閥で、こちらは独立派より遙かに危険だ。

『精霊の血が入った者は人間では無い!』
『今の王族は人間では無く、正統な王族ではない!』
『乗っ取り王族は、全て殺すべし!』
『プレートを使う人間、霊力がある人間も敵だ!』
『精霊は殺せ! ウソツキも殺せ!』

といういわゆる『反精霊思想』を掲げる、負け惜しみの派閥なのだが、これは、王族倒すべし……という『独立派』の思想と親和性が高い。
ただし『独立派』があやふやで曖昧な思想集団なら、『人間派』は完全な犯罪集団だ。
『独立派』だからといって『人間派』であるとは限らないし、『独立派』の多くは『人間派』を毛嫌いしている。
これは『人間派』が度々、無差別殺人や放火、貴族、王族の襲撃などの凶悪事件を起こすからだ。

人間派の合い言葉は『お前は人間か?』――いきなりこれを聞かれたら、襲撃の合図なので市民は脱兎のごとく逃げ出す。
しかし、逃げても捕まり、殺されることが多い。

一方の『独立派』は現状、王権への不満をこっそり述べて『独立』を画策する程度だが、こちらも放置は危険だ。
ストラヴェルには『独立派の家柄』という物があり、それはなぜか旧ラヴェル王族、旧アストラ王族とは無関係だったりする。
旧王族のほとんどは意外にまともで、おかしな人物は稀にしか出てこない。

『独立派の家柄』はストラヴェル各地に点在するが、場所で言えば、南寄りの旧ラヴェル王国領土に良く見られる。
『私達の土地を治める、素晴らしい王族や貴族様が、本当に王様だったらいいのに……』と言う、ほとんど願望、宗教のような物なので『独立派』だからと言って即逮捕とはならない。
一方で『反精霊思想』の持ち主だと分かると、出世に影響する。
さらに『人間派組織の一員』と分かると、即逮捕となってしまう。

つまり人間派の考え方では、王族やルネは思いっきり狙われる立場にあたる。入団は若くして爵位を継いだルネが家を守る手段でもあり、退屈凌ぎでもあるのだ。

ランバークは家が独立派だったが、本人の人柄と努力が認められ、近衛になれるはずだった。
しかし、途中で諦め、私兵を選んだ……。

ルネがクロスティア騎士団に入ったのは、リズが就任してすぐの今から五年前。ルネが十八歳、リズが十四歳の時だ。これは国王から直接打診された。
つまりルネは無駄に強いし、近く公爵になるので、何の実績もない小娘の後ろ盾になれ、と言う事だったのだが……。
当時のルネは一応、近衛候補生もやっていた。
――国王陛下にいきなり呼ばれ、謁見すれば見たことの無い少女がいる。
彼女は? と尋ねたら、国王に『彼女がクロスティア騎士団の新団長だ』と言われた。
ルネは国王の正気を疑った。まだルネの結婚相手か、国王の側室と言われた方が理解できた。

ルネは普段、領地のあるアルマア領にいたため、年一回顔を出せば良い方だったのだが。
ランバークとは、十五歳の頃から何度か、数少ない出席で出会った記憶がある。

近衛は家が独立派でも表向きは差別はしない。
第一大隊に入って王族の警護に関わる事はできないが、第二大隊以下であれば入団は可能だ。これは立派な差別だと思うのだが、王族に独立派を近づけないのは、近衛としては当然だ。
ルネはむしろきっぱり締め出せばいいのに、と思っている。

……とこれが第一の噂。
ランバークだけでなく、幾人かの近衛候補生が、在学中に近衛になるのを諦めてイメイア家の私兵になる。
その中には、実力が今一つの落ちこぼれもいるが、優秀な者も多いのだ。
これは表向きイメイア家が慈悲深く『近衛になっても出世できない、独立派の貴族を憐れみ私兵にしている』と言われている。
実際、エンディは大体そんなことを、耳障りの言い言葉で公言して、独立派の領主からも支持を得ている。
――が、実は恐喝だとか、大昔から謀叛を企てているとか、陰で散々言われている。
エンディ・ラ・イメイアは特に、やり手で自信家なので噂されるのだ。
彼は商才にも恵まれていて、彼の父が買い取った造船・海運事業を引き継ぎ、資産を倍にした。しかし利益重視の『少々』強引なやり方に不満を持つ者も多い。

こんな人物がプラグに声を掛けてくる――。
今回はただのお礼だから、勧誘されるとは限らないのだが……。
在学中に彼に目を付けられてしまい、直接声を掛けられた近衛候補生は、各々事情はあるものの、高確率で心変わりしている。
イメイア家は代々、抱き込んだ近衛の退職者を利用して、近衛候補生向けに『勉強会』を主催し、優秀な近衛や近衛候補生を見繕っている。表向きは私兵探しなのだが……正直、うさんくさい。
こんな人物がプラグについてやたら熱心に聞いてきたので、リズとルネは『こっち来んな』と思った訳だ。プラグは招待状を渡されかけた、と言っていたので、余計に危ない。
つまり、イメイア家は『勉強会』『研究会』等と称して招待状を配り、そこに参加したら……という新興宗教のような活動をしているのだ。
ちなみに謀叛である証拠は無い。
人材の引き抜きや勧誘はリノ公爵家も、エアリ公爵家も行っているので、私兵の質を高めるため、と言ってしまえばそれまでなのだ。

「何にせよ、ランバークは運がない」
ルネは呟いた。
ランバークと出会った時、気まぐれで手合わせしたのが間違いだった。
……その時は別に、間違いでも何でも無かったのだが、結果、間違いになった。
ルネは生来の能力で、ランバークの性格を知ってしまい……これでやっていけるのか? と心配になったのだ。ルネから見れば近衛は無理そうなのに、目は輝いていて気の毒としか言えなかった。ルネは普段から、なるべく手合わせの後は嫌味として欠点を忠告することにしているが、その嫌味を少し抑えた程だ。
彼がイメイア家の私兵になったと聞いた時は『まあそれがいいんじゃない』と思った。
海の魚は川には住めないのだ。

「その運が無さそうなのが、もう一人いるとはなぁ。やれやれ」
リズが頭を掻いた。
「やれやれ」
ルネが溜息を吐いたとき「何がやれやれなんですか?」と言う声が聞こえた。

振り返ると、笑顔のメイドがいた。
「お風呂頂きました。着替えもありがとうございます。じゃあ俺はもう帰るので。失礼致します」

丈の長い紺色ドレス、白いエプロン、紺色の靴、白靴下、短い銀髪に白いヘッドドレス。
完璧なメイド姿のプラグは、完璧な礼をした後、楽しげに歩き出した。

「待った、泊まって行きなよ」
ルネはそのつもりで『熱が出るかもしれないし、よく眠れますように』と安眠効果のある薬草を湯に混ぜたのだ。
「じゃあまた~アルスに見せるんだ、ピオンさんかなー」
しかしプラグはピンピンルンルンしていて、さらっと恐い名前を出した。
「待って」
ルネはプラグが扉に手をかけたところで、体ごと滑り込んで止めた。
「待ちません」
「いや、待って、お腹空いてるだろ、食べて行きなよ?」
扉に手を突いて逃がさないようにする。プラグがにっこり笑った。
「宿舎の食事が好きなので。あ、そろそろピオンさんが来る頃ですね」

ピオン・デュロ隊士はプラグの稽古が長引くと、必ず様子を見に来る。
ほんっっとうにやめて欲しいのだが、自分の任務がない日はしっかり来る。
「――とりあえず着替えようか」
「どういうつもりでこれ用意したんですか? サイズぴったりなんですけど?」
「僕じゃない。リリの独断だ。さ、とにかく着替えて」
ルネは言った。こちらは本当にルネではない。リリの悪戯だ。
「でも訓練着、ないですよ? 後はバスローブしか」
「じゃあ僕の服でも寝間着でもいいから早く」
「仕方無いなぁ……反省して下さいよ?」
「するする、分かったからさ、お行き」

プラグは素直に戻って行った。
「あっちより、おめーの方が危ないけどな」
リズが呟いた。

「お前、男もいけたのか?」
リズの言葉にルネは思いっきり首を振った。
「違う。僕はメイド服が好きなだけです」
「……うわ……クビにしてぇ……クビにしてぇ……クビにしてぇ……」
リズが三回繰り返した。
ルネは自分を人間最強だと自負しているが、幼い頃から、なぜかメイド服がとても好きだった。
「巫女服よりはマシでしょう」
ルネは真顔で答えた。
ルネの父はやたら巫女の服が好きで、各領、各国の巫女服を収集し、使用人には巫女風の服装と巫女の着け襟を義務づけていた。そして巫女で貴族だった母を正妻に迎えたから、きっとそう言う家系なのだ。
祖父は海兵が着る『セーラー服』と言う物にご執心で、それを女性版に作り変えて、これまた妻と使用人にこっそり着せていた。
全て精霊の血がいけないのだ。精霊の血が濃い者には、変わった者が多い。

……これはエアリ公爵家、最大の秘密だが……『剣の精霊』は立派な『うさぎ耳』を持っていたと聞いている。
祖父の父、つまり曾祖父は偶然だが病的なうさぎ好きで、剣の精霊を一目見て惚れたとか。
そして着想を得た後は、使用人達にもこっそりうさぎ耳を着けさせていたとか……。
この辺りは隠すべき趣味なのだが、ルネの性癖は『メイド服』なので、堂々と曝しても全く問題ない。

ルネは当初、クロスティア騎士団に肩入れする気は無かった。
むしろ近衛候補生だったので、思考としては近衛寄りでいた。
ルネは公爵でしかも強いので真面目に勤めて、いつか団長にでもなろうか、と思っていたのだ。いっそ兼任でもいいか、と国王に尋ねた程だ。
国王はそれを『近衛は人が足りている。足りないのはこっちだ』と納得できる理由で突っぱね、ルネはクロスティア騎士団に入団した。当初はリズが新隊長、ルネが新副隊長だったのだ。もちろん、元々の団長、副団長はそのままいる。
そして『地獄の再編』と呼ばれるリズの采配――恐怖政治――が始まった。蓋を開けてみれば、リズは呆れる程優秀で、ルネは背後に立っているだけで終わった。

ルネはそのままクロスティア騎士団に入る事になったのだが、情報が入ればいいや、たまに強敵が出たら格好良く倒して、格好をつけよう、くらいに思っていた。

しかし当時十六歳のリリ・カトンを見て百八十度、気が変わった。
リリは入ったばかりで、突然の団長交代に戸惑い、控え目に、端っこにいたのだが……。
彼女を見た瞬間。ルネに衝撃が走った。
ルネは即座に動き、彼女の為にこの館を建て、ここに住んでもらって、頼み込んでメイド服を着てもらった。そして常に世話を焼いてもらっている。
ルネがここに帰るのはリリに会うためなのだ。もちろん、領地に戻るときは連れて行く。
『薔薇の館』の『薔薇』というのは実はルネでは無く彼女の事なのだ。あるいはルネとリリ、運命的な二人を指すのか――。

入団当初、ルネは調子に乗っていて、かなり強引に頼んだので根に持たれていて、時折、今日のような可愛い仕返しをされる。
リリには、いずれリノ公爵家辺りの養子になってもらい、正妻にすると言っているのだが、控え目なリリは、自分は使用人で良いと言って譲らない。
つまり二人は仲良し恋人なのだが……。傍からみたら、奇妙に見えるらしい。

「私はイメイアのおっさんよりお前の方がヤベェと思う。アイツどうすんだよ。リリ二号か?」
リズが言ったのだが、ルネは眉を顰めた。
「彼は弟子です。僕は、性的趣向は普通ですよ」
「嘘だろ……普通ってそんな幅広かったか?」
リズが愕然とした。

イメイア侯爵にはもう一つ、定かでは無い噂がある。
非常に面食いで、男もいけるのでは無いか……という噂だ。
本人は妻一筋だから妾は不要、と公言しているので、あくまで噂なのだが、火種がなければ煙は立たない。だとしたら余計に不味い。

と、言うわけで。ルネはプラグを殴ったのだ。

「ま、暫くはいいだろ。つか、ほんとうぜー……まだ候補生だぞ? あのオッサン、顔優先で声かけるからな。ランバークも気の毒に」
リズが溜息を吐いた。ランバークはアホだったが、普通に美少年だった。
それでもプラグには及ばないのだから、プラグが侯爵に会うのは不味い。
「あ、そうだ、だったら、侯爵がいる場に行く時は、常に顔、殴っておきましょうか? それならいいかも」
「お前、それあいつに殺されるぞ……まあ鉢合わせしないようにするか、頭巾で顔を隠すかだな。よし、じゃあもう行く。長居しちまった。この金は渡しとけ。あと警告しとけ。『精霊研究会』には行くなってな」
リズが二千五百万グランの小切手をひょいっとルネに渡した。

「? 卒業まで預かるって言うのは?」
リズは先程、そう言っていたのだが……。
「いや、そんな紙っきれ、無くすかもしんねーし。サクッと金に換えて渡しとけ」
「庶民にとっては大金ですよ。あの子に渡して大丈夫ですか?」
「さあなー知らん。せいぜい、ご機嫌を取っておけよ。……あー、クビにしてぇ……。二人とも、いやリリも含めて三人とも放り出してぇ……むしろアホモスティアを解体してぇ……」
リズは肩を落として去って行った。

……ルネはリズのことは、結構、尊敬している。

■ ■ ■

ルネはそのまま客室に入って、プラグに事情を説明した。
イメイア侯爵は美少年を見る目つきがヤバイので、両刀かもしれないこと。
お礼は口実で、私兵への勧誘が目的かもしれないこと。
ついでに独立派、人間派などの説明や『精霊研究会』への参加はやめた方がいい、という忠告もして、リリとの馴れ初めも語った。

「――というわけだから、殴ってゴメンね」
ルネの説明を聞いて、プラグが頭を抑えた。

ルネが入った時には、プラグは寝間着代わりの訓練着に着替えて、ベッドで横になっていた。
結構、あちこち痛めつけたので、治療の反動で熱が出てしまったようだ。
青い上着とメイド服は脱いで椅子にかけてある。プレートケースは枕の隣に置いてあった。訓練着はリリが用意したのだろう。
ナダ=エルタが無言で看病していて、プラグの額には氷水で冷やしたタオルが乗っている。

プラグが横になったまま息を吐いた。
「あの。ここってバカしかいないんでしょうか?」
「ん? それって誰の事?」
ルネは尋ねた。
「全員です……」
「それでこれどうする? 口座は持ってる? 作っておこうか?」
「いえ、あるので大丈夫です……そこに置いておいて下さい。もう寝ます。眠い」
「ああ、悪かったね、おやすみ」
ルネはベッドのサイドテーブルに小切手の入った封筒を置いた。
プラグは目を閉じると、すぐに寝息を立て始めた。

「あのー」
と、それまで黙っていたナダ=エルタがルネをジト目で見た。
「いつも思うんですけど、ちょっと酷すぎません? もう少し加減して下さい。彼だって人間、なんですよ?」
ナダ=エルタが思いっきり頰を膨らませた。
ルネはしばらく無視して手でプラグの熱を測ったり、折った腕を確かめたりしていた。
「ちょっとそのことで話があるんだけど、出よう」
ルネの言葉にナダ=エルタが眉を顰めた。

部屋を出た後、ルネは近くの談話室に入った。場所としてはルネの部屋の隣だ。
ここにはソファーセットがあり、棚にはカップや皿が飾られている。絨毯は他の部屋より落ち着いた深紅で、背後に窓がある。居間のような使い方をしている。
両側はどちらもソファーになっていて、一人掛けの椅子はない。
ルネは奥、窓側のソファーに移動し、ナダ=エルタに話し掛けた。
「座って」
「……え……はい」
ナダ=エルタは普段浮いているので、ためらいがちに腰を下ろした。
ナダ=エルタと向かい合って、ルネは話を切り出した。

「きみはあのプラグ君の正体を知っているんだよね」
「……」
するとナダ=エルタはそっぽを向いて口笛を吹く仕草をした。
「いや、もうバレバレだから。精霊だって僕には分かるから」
ルネは息を吐いた。
ナダ=エルタはまた同じく口笛を吹こうとしたが、まだ口笛は吹けないらしい。
「精霊だっていうのはいいとして。あの体は思ったより耐久性がない。力は強いんだけど、傷付きやすいって言うか、今日殴ってやっぱりって思ったけど、耐久力はあの細い体の、見たままの強さしか無いみたいなんだ」
ナダ=エルタが瞬きをした。

「骨も折れるし、血も出るし、痛みも感じてるみたいだし。なんであんな体にしたの?」
「……いえ、私は何も……知らなくて」
ナダ=エルタが戸惑った様子で首を振る。
「あれじゃ鍛えても強くなれない。今は技術と力でなんとかできているけど、あと数年もしたら力自慢には敵わなくなる。直接言っても聞かないから、君から気を付けろって伝えてくれる?」
するとナダ=エルタが小さく頷いた。
「……確かに、体質的に力が付かないから、何とかしたいと仰っていました。でも私より、ラ=ヴィアさんの方が詳しいです」
ナダ=エルタの言葉にルネは眉を顰めた。
「そんなんじゃ死ぬ。そのラ=ヴィアが知っているなら、きちんと聞いて知っておくんだ。はぐらかされるかもしれないけど、詰め寄ってでも聞いておいて。例えばそう。あの子が、腕を切断されたとする。出血多量になるような瀕死の重傷を負ったとする。臓器がはみ出すような大怪我をしたとする。胸を刺されたとする。もっと言えば、核のある場所を壊されたとする。そうしたらどうなる? 君は分かる?」

……精霊は『核』が無くなると死ぬ。
しかし、人間の姿で胸を刺されたらどうなる? 
即死でなければおかしい怪我を負ったときはどうする?
それは核を刺されたのと同じでは無いのか。

「――人間のまま倒れて死なないのか。失った腕は再生するのか。それとも精霊に戻ってしまうのか。どのくらいの怪我なら耐えられるのか。正体を隠したいなら知っておくように。いいね? 唐突に事故が起きるかもしれないし。強敵が現れるかもしれない。君がさっと出て来て、さっと隠して連れて行くくらいでないと駄目だよ。ラ=ヴィアがやってくれるかもしれないけど、いつもいる訳じゃないし。一人より二人だ。分かった?」
ナダ=エルタは「はい……!」としっかり頷いた。

「ルネさんは、なんか、不思議な力で、色々分かるみたいですけど、どういう感じに何が分かるんですか?」
ナダ=エルタは素直に聞いてきた。
彼女は続けた。
「プラグさんは鍛えても今以上の力が付かない、とは仰ってましたけど。解決策は見つかっていない、とも言っていました。それじゃ駄目、とも言っていました。何か良い方法がないんでしょうか? ――ルネさんって、人とは思えないくらい強いですよね? 精霊の血だって言いますけど、そんな感じの仕組みで、筋力はなんとかならないんでしょうか?」
ナダ=エルタが身振り手振りをしながら言った。

その時ふと、ルネの中にある考えが浮かんだ。

「……血か……ううん……いや無理か」
――これは機密なので話せないのだが――。

「一つだけ……心当たりがあると言うか……。でも危険か? それに精霊だし、男だしなぁ……もし言っても、君じゃ分からないか」
「聞きたいです! ――わからなくても……」
ナダ=エルタが言った。
ルネは苦笑した。この精霊は若いが、やる気だけはある。ふと、精霊にしては珍しいかもしれない、と思った。
精霊は長生きだから、生きる内に悟ったようになってしまい、やる気とか根性とか、そういう泥臭い感情とは無縁になっていくのだろう。ルネだって千年も生きたら、人生に飽きるだろう。
「そうだね。例えば何かの神様と契約するって方法。神様とか、魔神とか、魔物を呼んで、力を貸してもらう。条件はそれぞれだけど、それなら力が強くなるかも……? でも僕は詳しく無いから、なんとも言えない。長生きな精霊なら何か知っているかも? 『古代精霊術』なんだけど、あの子は知ってるみたいだから。ずっと生きてても力が付かないって言う状況なら、もう力を鍛えるのは諦めて、肉体その物を作り変えるか、強化していくしかない」
するとナダ=エルタが眉を顰めた。
何か言いかけて、小さな口を開いたが、また閉じてしまった。
ルネは先程のプラグの様子を思い出した。
「治療後の熱だって、普通、彼くらいの霊力があるなら、あんなに出ないと思うんだけど……個人の体で言えば、シオウ君もちょっとおかしいからなぁ……あっちはやたら丈夫なんだけど。人間の方が精霊より丈夫って」
ルネは自分で言いながら、肩を震わせて笑った。

シオウはシオウでかなり、いびつな肉体を持っている。肉体というか……存在が変というか。ルネはシオウと戦ったのだが、シオウの情報は全くと言って良い程読めなかった。

「僕の事だけど。ぱっと見で、どのくらい精霊の血が入っているか分かる。これは便利だけどね。相手の強さも分かる。これは見るだけで、剣の強さとか、習熟度が分かる……『剣』の精霊の力だ。僕は剣を父に習ったんだけど。父は僕より凄かったからね……」
ルネは父親を思い出した。

恐ろしく強かったのだが……大変そうだった。
「父は僕より感覚が鋭くて。僕が五歳の頃に亡くなったんだけど。もう人間って言っていいのか分からないくらいだった。相手の、次の動きや、考えてる事が分かっちゃうんだって。神様かなって思ってた」
ルネはソファーにもたれて、足を組んだ。
実際は神では無く。色々与えられすぎて寿命の短い人間、だった訳だが……。

「で、剣を交えると、もっと色々分かる。例えば女装が趣味だとか、好きな食べ物、嫌いな食べ物。女性経験、男性経験があるなし、キスしたことがあるなし、弱点や強いところ。得意な攻め方、守り方。後は、お風呂でどこから体を洗うとか、最後にいかがわしいことをしたのはいつかとか? そんな事まで丸裸。全く、嫌な力だよ」
ルネは珍しく声を上げて笑った。

ルネは足を戻して、前屈みになり、膝の上で指を組んで、ナダ=エルタをじっと見つめた。
「おかげで、僕は戦いが大嫌いだった。でも戦わないと、気が狂ってしまう。血が騒ぐんだ。剣を振っていないと落ち着かない。剣が好きなんだ。でも、相手になるやつ――相手をしても良いと思えるやつは少ない。戦う度に、アレコレ分かったんじゃ、気色悪くて仕方無い。だってオッサンとか、戦うの嫌だろ? 可愛い子ならまだいけるかなって思ったんだけど、どうにも、苛めたくなる……綺羅綺羅した目でこっちを見てくるから、そんな純粋に戦ってみたい、僕だって、自分より強い奴に会いたい、って思う、嫉妬かな。未だに父の影を求めてるのか……それは分からないけどね」

「でもあの子と会って、少し、考えが変わったかもしれない」
ルネはこんな精霊相手に何を語っているのだろう、と思ったが、ずっと誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。――プラグに伝えてくれる誰かに。

「彼は思った以上に真面目だし。根性も無いなりにあるし……強くなることを考えてる。目的の為に頑張ってる、ってしっかりはっきり見えるからね。あ、実は僕には、相手のことが、文字で見えてるんだ。これは内緒だけどね。いい?」
ルネの言葉に、ナダ=エルタが少し、目元を緩めて二回頷いた。

「もしかしたら、分析とか解析の精霊と同じ見え方かもね。そういう力を『剣』の精霊が持っていたんだろう。うさぎ耳で、赤髪の、可愛いらしい女性だったらしいんだけど……もしかしたらリリみたいに目が大きかったのかな。リリがうさぎ耳? 可愛いな……。じゃあ『盾』は何なんだろうな。ホントに精霊って変だ」
少し話が逸れてしまったので、ルネは咳払いをした。

「とにかく、君はあの精霊とよく話し会うこと。僕に教えてくれたら、一緒に考えるけど、嫌なら別にいい。ここに入ったら、魔霊と戦う事もある。そうなったら、肉体が弱いってのはかなり不利だ。僕もまだまだ強くなる。彼は鍛練相手にはちょうどいいから、せいぜい利用させてもらうよ。さ、長くなってゴメンね、僕は行くけど、君は彼についていて。食事は頼んでおくから。お腹が空いたら取りにおいで」

■ ■ ■

翌朝、熱も下がりプラグはすっきりと目を覚ました。
部屋にはプラグの他には誰もいない。ナダ=エルタがいるかと思って呼んだがプレートは空だった。
この体は脆く、霊力を使いすぎると熱が出やすいのだが、回復力は高くて、大抵、数時間から一晩寝れば熱は収まる。
昨夜も日付が変わる前には熱は収まっていた。

(でも昨日は予想外だったな。気を付けないと)

まさか、危ない侯爵から逃れる為に、顔を殴られるとは思わなかった。
何か狙いがあるようだったので顔はガードせずに素直に食らったのだが、ろくな理由ではなかった。
痛みもすっかり取れていて、折れた腕も治ったし、顔も元通りだ。髪はいつも以上にさらさらツヤツヤで、調子はとてもいい。

カーテンを開けて伸びをしていると扉がノックされた。
入って来たのはナダ=エルタだった。
「あ、おはようございます! もう大丈夫ですか?」
「おはよう、うん、治ったよ」
プラグは頷き、心配を掛けたことを詫びた。
ナダ=エルタは微笑んだ。
「まだ早いですから、ご飯、こちらで食べて行きますか? リゾットがあるので持って来ますけど。昨日の残りですが」
「ああ――そうだな、そうしよう」
「はい。温めてきます」
ナダ=エルタが朝食を取りに行く間に、プラグは訓練着を羽織ってプレートケースの着いたベルトを締めて、ブーツを履いた。ふとブーツの踵が少し減っていることに気が付いた。そろそろ、底の張り替えを頼んだ方がいいかもしれない。

しばらく後、ナダ=エルタが戻って来て、部屋の机に朝食を置いた。温かいリゾットと甘いパン、そしてグラスに入った水だった。リゾットには卵が入っていて、塩と調味料で味付けがしてあり、とても美味しかった。今まで食べたリゾットの中で一番かもしれない。
「美味しい。ナダは食べた?」
「あ、私もさっき頂きました。昨日、リリさんが作って下さったんですよ」
「ルネは幸せ者だな」
この館で出て来る料理は、使用人が作る事もあるが、リリが作る事もある。リリは料理が上手で、今まで、二回、夕食を食べただけだが、どちらも美味しかった。
ルネとリリの関係についてプラグは首を傾げていたのだが、普通に恋人だったらしい。
公爵なのに平民のリリを正妻にするつもり、とは中々思い切った……変わった事をする。
この館をリリの為に建てたと聞いた時は、意外に一途な人だったんだな、と好感度が上がりかけた。しかし無駄に殴られたので差し引きはゼロだ。あの変わり者にリリはよく付き合っていると思う。
ちょうどその時扉がノックされた。
「――はい?」
返事をすると、入って来たのはルネだった。隊服ではなく黒い貴族服を着ていて、珍しく髪を下ろして、毛先を軽く結っている。
こうして見ると思った以上に若いし、相変わらず絵になる美形だ。
背も高く、体つきは青年だが一般的な兵士に比べると線も細い。
ルネは機嫌が良いらしく優しく微笑んでいる。
「おはよう、もう行く? まだ少し時間があるけど」
「今、何時です?」
「まだ六時過ぎ。具合はどう?」
「大丈夫です」
「食べてて良いから、話、いい?」
ルネが空いている椅子に腰掛けた。プラグは頷いた。
「どうぞ?」
プラグは一応、礼儀として食事を中断した。
「昨日ナダちゃんにも言ったんだけど、その体について。もう何とも無いんだよね?」
「はい? ええ」
プラグは頷いた。

「あの――こんな感じです!」
するとナダが、本によく似た大きさの、氷の板を出してプラグに見せた。
氷の板には昨日の会話の要点がキルト語で書かれていた。
「! ナダ、凄いな」
プラグは感心してしまった。いつの間にかナダ=エルタは新しい力を身につけていた。
「どうでしょう? これ。氷を刻むのは得意なので」
「凄くいい! 分かりやすい、凄いぞ――えっと……」
プラグはさっと読んで理解した。ルネは心配してくれたらしい。

「便利そうな能力だね。それは持ち運びできるの?」
ルネがナダに尋ねた。
「はい。持ち運びは、氷が溶けるまでならできると思います。保管もプレートの中でなら可能です」
ナダの言葉にルネとプラグは目を丸くした。
「氷に刻んだ文字なので、少し読みにくいのが難点なんですけど、プラグさんは読むのが早いので考えてみました。念じればすぐ刻めますし……」
「おお! それは本当に凄い! 良く思いついたな!」
プラグは感心して更に褒めた。プラグは氷は冷やすか、攻撃に使うという発想しかなった。まさか文字を削って、情報伝達に使うとは。しかもこの方法なら人間にも読める。
ルネも目を丸くしている。
「なるほど、溶かしてしまえばただの水になる。かなり良いね」
ルネにも褒められてナダ=エルタは照れた。
「少し読みくいので、刻み方を変えるか、氷を白っぽくするか、インクを垂らすか……考えます」
「うん、頑張って。ナダは本当に凄い精霊だな。俺には勿体ない」
プラグの言葉にナダ=エルタは真っ赤になってうつむいてしまった。
そして、控え目に尋ねてきた。
「……あの、私、捨てられませんよね? 他の人に譲られるとか……この騎士団の精霊になっちゃうとか無いですよね」
「ナダ?」
ナダ=エルタは、自分のエプロンを握って、プラグを見据えて続けた。
「……私、プラグさん、だけのお役に立ちたいんです……! この前のアレ、凄く格好良かったので、あんな事ができる、凄い精霊になりたいです! いつか!」
この前のアレ、というのはプラグがイメイア侯爵令嬢を助けた件だろう。
やる気になっているな、と思ったら感化されていたらしい。
プラグは微笑んで、立ち上がって、ナダ=エルタの手を取った。

「捨てるなんてとんでもない。君は、せっかく俺の所に来てくれた精霊だ。ずっと大切にする。……大変な道のりだけど、一緒に頑張ろう。あ、でも無理はしないで。精霊達はもうずっと長生きしていて、その分の蓄積があるから強いんだ。ナダはまだ生まれたばかりだから、いろんな物を見て、楽しんで、少しずつ、自分のなりたい姿を見つけていけばいい。ルネは急かすけど、焦らずゆっくりで。……俺に、力を貸してくれる?」
「はい……!」
ナダ=エルタが涙ぐむので、プラグはそっと抱きしめた。
ナダに足りていないのは愛情だ。
精霊はある程度の知識、自我や良識を持って生まれることが多いが、やはり生まれたては情緒不安定だ。色々な経験を積んで、少しずつ成長して、大人になっていくのだ。
ナダ=エルタが抱きついて来た。
「私、頑張ります……!」
「ナダはちょっと真面目過ぎるから、もっと遊んだ方がいいな」
「はい!」
「精霊達とも沢山話して、色々な事を教えて貰うんだ。人間に騙されない方法とか」
プラグは微笑んだ。

「――仲良く抱き合ってる所、悪いけど」
「何ですか?」
プラグはナダから少し体を離してルネを見た。
「僕、結婚する事にしたから。君、候補生代表ってことで参列してよ。式は来週ささっと終わらせる」
「え」
「今日はリリと登城して報告。場所は大広間か首都の教会で。正式な披露宴は別でするけど、式だけ先にやっておこうと思って」
「……」
プラグはぽかんと口を開けた。ナダ=エルタも固まっている。
急に決まってしまったが……愛し合っている二人の事だ。
ルネは成人で既に公爵だし、リリも成人だし、何ら問題は無い。

「それは……おめでとうございます……。祭司はミリル様にお願いするんですか?」
一瞬、自分がやるべきかと思ったが、カド=ククナはまだルネに姿を見せていない。
「うん、どこでやるかはこれから陛下と相談するけどね。ちょうど今日、行く予定だからついでに話す」
『ついでに』で結婚報告される国王陛下は大変だろう。
「はぁ……わかりました。それが良いと思います」
プラグはそう言う他なかった。

〈おわり〉


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「で、では、今日はこれで……」
プラグが去った後、イメイア侯爵は早々に辞去した。
ルネとリズは玄関でにこやかに見送った。
リズが頭を下げる。
「じゃあ、これはプラグに渡すので。またお礼の手紙を書かせます~」
話の流れでそう言うことになっていた。
さすがに金額が金額なので、お礼の手紙は不可避だ。
「ああ、いや、ゆっくりで。怪我が治った後で構いませんよ」
イメイア侯爵が言った。
イメイア侯爵、エンディ・ラ・イメイアは現在、五十二歳。
中肉中背、赤みがかった茶髪、赤茶色の目を持つ男性だ。顔立ちは整っているので格好いいおじさんとして貴族女性に人気がある。
「いやーお気遣いどーも」
リズが大きく笑って、立ち去る侯爵と銀行員その護衛五名に手を振った。
姿が見えなくなり、ルネとリズは薔薇の館に戻った。
玄関扉を閉めるなり、二人して溜息を吐いた。
「ふぅー、これでいいだろ」
リズが腰に手を当てて言った。
「やれやれ……手のかかる子だ」
ルネも腕を組んで額を抑えた。
――ルネがプラグを殴ったのには、深い理由がある。
「あのオッサン、どうだ、プラグを狙いそうか?」
リズの言葉にルネは頷いた。
「『僕の愛しい弟子』って十回くらい言っておいたから、大丈夫だと思う。もし来たら追い払う」
「そーしてくれ。っとに面倒な」
リズが舌打ちした。
……イメイア侯爵、エンディ・ラ・イメイアには良くない噂が二つある。
一つは確かな噂。もう一つは不確かな噂だ。
一つ目の噂。これは今日も来ていた『護衛』に関する事だ。
イメイア家には『イメイア親衛団』と言う私設警備団がある。
この規模は私設にしてはかなり大きく、百五十人を超えている。
いわゆる『私兵』なのだが、イメイア家は『二級縁者』なので、二百人までの親衛団を作る事が許可されている。
ストラヴェルには『正統なる王族』――ゼ・キルト王家、ゼ・ハイング家、ゼ・ライン家の王族三家以外にも『王族縁者』と言われる、王族の血を引く貴族達が、結構多く存在する。
通常、王族女性は降嫁してしまえばただの貴族で、彼女達は王族ではないのだがストラヴェルでは『聖母信仰』――つまり王女信仰が篤いので、嫁いだ後も何かしらの名誉を残そう、と言って始まった仕組みらしい。
始まったのはもう三百年前、第七代国王、エフィト・ゼ・キルト・ストラヴェル王の時代だ。
――その時代に『王族』に関してこう定められた。
まず『正統王族』であるゼ・キルト家。
この家は初代国王ビアスの、長男から続く家柄で、このキルト家だけが『ストラヴェル』を名乗れる。
この家が代々、王位継承権を持ち『一級王族』と呼ばれる。
次に『旧王族』。ゼ・ハイング・ラヴェル家(ラヴェル系王族)、ゼ・ライン・アストラ家(アストラ系王族)の二家。これは『二級王族』と呼ばれる。
この二家は、元々いたラヴェル国の王族、アストラ国の王族の為に『特別な配慮』として作られた。ただし一番尊重されるのは一級王族のゼ・キルト家で、二家の子孫には王位継承権は無く、臣下としてキルト家を守り、支える役割を担う。
ここまでがストラヴェルにおける『王族』で、公式に王族として扱われる。
ストラヴェルには王族とは別に『王族縁者』という仕組みがあり『一級縁者』『二級縁者』『三級縁者』までが存在する。
彼等は王族ではないのだが、多かれ少なかれ、多少であっても、とても薄くても王族の血を引いているため『王族に縁がある家柄』と呼ばれる。
『一級縁者』はエアリ公爵家、リノ公爵家、モンティス公爵家の三家のみになっている。
公爵三家はそれぞれが、ゼ・キルト家からの分家となっていて、ルネの『エアリ公爵』もこれだ。
ゼ・キルト家から成人後も『国内』に残る王女や王子が出た場合は、必ずこの三家のどこかに養子に入り、王族から外れて『王族縁者』となってから嫁いでいく。養子になった時点で王位継承権は無くなる。
例えば王子が二人いたら、長男が国王となり、次男はどこかの公爵家の養子になる。
次男が結婚した後、生まれた子供は全て養父の名を名乗るので、公爵家がこれ以上増える事は無い。
つまり『公爵家』は旧アストラ王族、旧ラヴェル王族とは全く無関係で、ゼ・キルト家由来の貴族、と言う事になる。
王女の場合でも、外国に嫁がずに国内で結婚する、となればこの方法を採る。
ただし王女の場合は『聖母』として国内に残る場合もある。
その場合はそのままゼ・キルト王家に残って聖母の勤めを果たす。
当代で言えば、王妃の子供、第二王女ミアルカがこれに当たる。
アルス――アルスティア王女は第一王女だが側室の子供なので、いずれ他国に嫁ぐ運命にある。
……ゼ・キルト家はとにかく特別扱いされるが、これは『聖女』が出る血筋の為だ。
これは『聖女の力』の謎なのだが……聖女が『巡礼』をせずに結婚すると、そこで『聖女』の力は失われてしまう。逆に『巡礼』をしていれば、結婚後も聖女の力が残る。
これは『処女性』ではなく何らかの『契約』が関連している、と言われている。
そして次が『二級縁者』。
これは現在、ラ・イメイア侯爵家と、ゼ・ハイング・ラヴェル王家から分家した、ル・ハイン男爵家の二家のみ。
この二家には二級縁者の特権として私兵が許可されている。
残りは『三級縁者』とざっくりまとめられる。
三級縁者はかなり多く、今は三十家ほどある。
三縁者には特権は何も無いが『王族に縁のある』名家だと威張れる。
――と、つまり、王族に縁のある人間がやたらと多いのだ。
普通の国では王族と言えば、血筋を必死に守る物だが、ストラヴェル王国は、アストラ王国、ラヴェル王国が合併してできた国だ。元々の王族、貴族を尊重した結果、複雑になってしまっている。
『王族の末裔』と名乗れるなら誰だって名乗りたい。権利を主張したい。
五百年前の精霊大戦後、ストラヴェル王国は城も街も、畑も貴族の館も燃え……焼け跡から始まった。
しかも初代国王ビアスは功績に応じて貴族の位を授けた。
これは、何もない中で授ける事ができるのは階級くらいだった為、と言われている。
勿論、きっちり貴族、王族縁者と証明できる家柄もあったが……時代が経つにつれ「実は我が家は王族の末裔で」と言い出す貴族が出始めた。
第七代国王、エフィト・ゼ・キルト・ストラヴェルは苦悩した末、全ての貴族の『あやしい家系図』を調査をし直し、この格付けとも言える仕組みを作ったらしい。
ちなみに、ストラヴェルには『貴族手当』があり、貴族はそれだけで、働かなくても給料を貰えるが、その手当は、実は貴族達が納めた税金から出ている。
爵位が上がるほど納税金額も上がるので、払えない家は降格を願い出たり、貴族を辞めたりしている。勿論、降格や身分返上は大恥なので、皆、必死に納税する。
納税はさておき、プラグに関係があるのは『王族縁者』がもつ『私兵』についてだ。
一級縁者である公爵家は三百名までの私兵。
二級縁者であるイメイア家、ハイン家は二百名までの私兵を持つ事が許可されている。
三級縁者は私兵禁止。
――許可されているものの、あまり多く持つと、謀叛の疑いを掛けられる場合がある。
怪しいからとりあえず処罰、削減命令、と言う例も過去にあった。
私兵は禁止だが、もちろん身辺警護、自宅の警備を雇うのは問題ない。
エアリ公爵には私兵が三百名――いるかと思いきや、約百名の親衛団があるのみだ。
増やしても食い扶持が掛かるし、怪しまれるだけなので無意味なのだ。
モンティス公爵は五十名程度、リノ公爵は百名程度となっている。
私兵と言っても、兵士でなくても構わない為、リノ公爵は各方面の優秀な人材を採用し、税金対策として商売をやらせている。エアリ公爵は商売もやらせるが、領地からの収入が高いため、主に武闘派、密偵を揃え王都の有事に備えている。モンティス公爵は身辺警護のみとあえて質素に暮らしている。
イメイア家と並ぶ、もう一つの『二級縁者』である『ハイン男爵家』の私兵はもっと少なく、僅か三十名程度しかいない。
こちらは二級縁者ではあるが、百年ほど前の分家で、反対を押し切っての婿入りだった為、男爵家となってしまっている。爵位を上げる話もあったが、領地が狭く、税金が払えないからと当時の当主が断っている。優秀な家系で今では評議員の常連となっているが、それでも三十名。
ところが、イメイア侯爵家の私兵は百五十人越えで、伝統として『イメイア親衛団』という名前まで掲げている。
数が多いのは代々そうなのだが、イメイア侯爵家の領地は首都から南へ三日ほど行った場所にある。普通に近いので、その気になれば首都に攻め込み、謀叛を起こすことも可能だ。
しかし、私兵には『必ず二割は近衛からの出向兵でなければならない』と言う決まりがあり、増やすほどに内偵が入る仕組みになっている。
この『二割の近衛』というのは国が決めるので、選べないのだが、抱き込むか殺すかしてしまい、謀叛を起こす可能性もある。
つまり、どうしてこうなっているのか、理解に苦しむような危ない仕組みなのだが、一応、僅かばかりの利点もある。
それは国が堂々と大貴族に内偵を送り込める……と言う事らしいが……危険の方が大きい気もする。
しかし効果はあって、謀叛を企む貴族が抱き込んだつもりの近衛がやはり国側で、密告されてお家取りつぶし、という事例がある。
この方法で初めは五家あった『二級縁者』は現在二家まで減っている。
ルネはこんな回りくどい事をしなくても、縁者制度を無くしてしまえばいいのに、と思っている。
「ランバークが死んだからって、――こっちまでコナかけるなよ、やれやれ」
リズが溜息を吐いた。
「彼は可愛そうだった」
ルネは眉を顰めた。
彼は享年二十三歳――ルネと同い年で、近衛候補生の間に好待遇でイメイア家に勧誘された。
私兵出向の最終決定は国がするが、一応、希望者を募り、期間は一年となっている。
無事に勤め終えると昇進が期待できるので、昇進目当てで行くのが普通だ。
別に近衛になってから出向希望を出せばいいのだが、ランバークは卒業間際で退学してイメイア家の私兵になってしまった。
近衛になる前に私兵になってしまうと、当然だが近衛にはなれない。
ランバークは成績優秀だった為、一部では脅されたのでは無いか、と言われていたが……ルネは何度かランバークに会った事があるので、その線は薄いと思っていた。
「ランバークの家は生粋の『独立派』だったからな……どのみち近衛は駄目だったさ」
リズが言った。
ストラヴェルには『独立派』という派閥があり、その筆頭がイメイア家と言われている。
この『独立派』というのは『旧アストラ、または旧ラヴェル、またはどこかの王族縁者を盛り立てて、ストラヴェル王国から独立する』と言う考え方だ。
つまり『分国独立』を狙う貴族達……なのだが。その実体はあやふやで、近衛も掴めていないらしいい。
そもそもが待遇や課税の不満から来る、荒唐無稽な思想なので取り締まりは難しい。
ルネは現エアリ公爵だが、彼は本来なら近衛との接点は全くない。
しかしクロスティア騎士団は、『独立派』やその他『危険組織』の動向について、近衛騎士団と情報共有をしている。
ルネがクロスティア騎士団に入った理由の一つは、こうした情報を得るためなのだ。
今は戦争もしていないし、近隣諸国との関係はおおむね良好。
国王は真面目で側近は優秀。王子は美形で二人の王女も可愛い。
中央からの監査が機能し、領主の不正も少なく、たまに嵐や川の氾濫があるが、雨が多いため土地は肥えていて、首都には水道橋があり、水には困らず、田舎も自然が多い。各領土で気候に合った農作物や家畜を育てる方法を採用し、作物は良く取れる。
市や町には必ず一箇所は領土騎士団の詰め所があるため、貧民街でなければ治安もさほど悪くなく、主要街道は整備されて辻馬車が行き交い、少し値は張るが良い宿もあり、女性でも護衛付きなら旅ができる。
東海岸にはたまに海賊が出るが、そちらは領土騎士でなんとかなっている。貴族は偉ぶっているが、平民との結婚は良くあることだし、運が良ければ玉の輿だって狙える。奴隷はいないので、平民の生まれでも、実力次第で出世もできる。料理は美味いし、酒も美味い、魚も捕れて、女性は可愛い。
……これほど平和な国で、なぜ情報が必要なのか?
実は、ストラヴェルにはもう一つ注意すべき派閥がある。
それは『人間派』と呼ばれる派閥で、こちらは独立派より遙かに危険だ。
『精霊の血が入った者は人間では無い!』
『今の王族は人間では無く、正統な王族ではない!』
『乗っ取り王族は、全て殺すべし!』
『プレートを使う人間、霊力がある人間も敵だ!』
『精霊は殺せ! ウソツキも殺せ!』
といういわゆる『反精霊思想』を掲げる、負け惜しみの派閥なのだが、これは、王族倒すべし……という『独立派』の思想と親和性が高い。
ただし『独立派』があやふやで曖昧な思想集団なら、『人間派』は完全な犯罪集団だ。
『独立派』だからといって『人間派』であるとは限らないし、『独立派』の多くは『人間派』を毛嫌いしている。
これは『人間派』が度々、無差別殺人や放火、貴族、王族の襲撃などの凶悪事件を起こすからだ。
人間派の合い言葉は『お前は人間か?』――いきなりこれを聞かれたら、襲撃の合図なので市民は脱兎のごとく逃げ出す。
しかし、逃げても捕まり、殺されることが多い。
一方の『独立派』は現状、王権への不満をこっそり述べて『独立』を画策する程度だが、こちらも放置は危険だ。
ストラヴェルには『独立派の家柄』という物があり、それはなぜか旧ラヴェル王族、旧アストラ王族とは無関係だったりする。
旧王族のほとんどは意外にまともで、おかしな人物は稀にしか出てこない。
『独立派の家柄』はストラヴェル各地に点在するが、場所で言えば、南寄りの旧ラヴェル王国領土に良く見られる。
『私達の土地を治める、素晴らしい王族や貴族様が、本当に王様だったらいいのに……』と言う、ほとんど願望、宗教のような物なので『独立派』だからと言って即逮捕とはならない。
一方で『反精霊思想』の持ち主だと分かると、出世に影響する。
さらに『人間派組織の一員』と分かると、即逮捕となってしまう。
つまり人間派の考え方では、王族やルネは思いっきり狙われる立場にあたる。入団は若くして爵位を継いだルネが家を守る手段でもあり、退屈凌ぎでもあるのだ。
ランバークは家が独立派だったが、本人の人柄と努力が認められ、近衛になれるはずだった。
しかし、途中で諦め、私兵を選んだ……。
ルネがクロスティア騎士団に入ったのは、リズが就任してすぐの今から五年前。ルネが十八歳、リズが十四歳の時だ。これは国王から直接打診された。
つまりルネは無駄に強いし、近く公爵になるので、何の実績もない小娘の後ろ盾になれ、と言う事だったのだが……。
当時のルネは一応、近衛候補生もやっていた。
――国王陛下にいきなり呼ばれ、謁見すれば見たことの無い少女がいる。
彼女は? と尋ねたら、国王に『彼女がクロスティア騎士団の新団長だ』と言われた。
ルネは国王の正気を疑った。まだルネの結婚相手か、国王の側室と言われた方が理解できた。
ルネは普段、領地のあるアルマア領にいたため、年一回顔を出せば良い方だったのだが。
ランバークとは、十五歳の頃から何度か、数少ない出席で出会った記憶がある。
近衛は家が独立派でも表向きは差別はしない。
第一大隊に入って王族の警護に関わる事はできないが、第二大隊以下であれば入団は可能だ。これは立派な差別だと思うのだが、王族に独立派を近づけないのは、近衛としては当然だ。
ルネはむしろきっぱり締め出せばいいのに、と思っている。
……とこれが第一の噂。
ランバークだけでなく、幾人かの近衛候補生が、在学中に近衛になるのを諦めてイメイア家の私兵になる。
その中には、実力が今一つの落ちこぼれもいるが、優秀な者も多いのだ。
これは表向きイメイア家が慈悲深く『近衛になっても出世できない、独立派の貴族を憐れみ私兵にしている』と言われている。
実際、エンディは大体そんなことを、耳障りの言い言葉で公言して、独立派の領主からも支持を得ている。
――が、実は恐喝だとか、大昔から謀叛を企てているとか、陰で散々言われている。
エンディ・ラ・イメイアは特に、やり手で自信家なので噂されるのだ。
彼は商才にも恵まれていて、彼の父が買い取った造船・海運事業を引き継ぎ、資産を倍にした。しかし利益重視の『少々』強引なやり方に不満を持つ者も多い。
こんな人物がプラグに声を掛けてくる――。
今回はただのお礼だから、勧誘されるとは限らないのだが……。
在学中に彼に目を付けられてしまい、直接声を掛けられた近衛候補生は、各々事情はあるものの、高確率で心変わりしている。
イメイア家は代々、抱き込んだ近衛の退職者を利用して、近衛候補生向けに『勉強会』を主催し、優秀な近衛や近衛候補生を見繕っている。表向きは私兵探しなのだが……正直、うさんくさい。
こんな人物がプラグについてやたら熱心に聞いてきたので、リズとルネは『こっち来んな』と思った訳だ。プラグは招待状を渡されかけた、と言っていたので、余計に危ない。
つまり、イメイア家は『勉強会』『研究会』等と称して招待状を配り、そこに参加したら……という新興宗教のような活動をしているのだ。
ちなみに謀叛である証拠は無い。
人材の引き抜きや勧誘はリノ公爵家も、エアリ公爵家も行っているので、私兵の質を高めるため、と言ってしまえばそれまでなのだ。
「何にせよ、ランバークは運がない」
ルネは呟いた。
ランバークと出会った時、気まぐれで手合わせしたのが間違いだった。
……その時は別に、間違いでも何でも無かったのだが、結果、間違いになった。
ルネは生来の能力で、ランバークの性格を知ってしまい……これでやっていけるのか? と心配になったのだ。ルネから見れば近衛は無理そうなのに、目は輝いていて気の毒としか言えなかった。ルネは普段から、なるべく手合わせの後は嫌味として欠点を忠告することにしているが、その嫌味を少し抑えた程だ。
彼がイメイア家の私兵になったと聞いた時は『まあそれがいいんじゃない』と思った。
海の魚は川には住めないのだ。
「その運が無さそうなのが、もう一人いるとはなぁ。やれやれ」
リズが頭を掻いた。
「やれやれ」
ルネが溜息を吐いたとき「何がやれやれなんですか?」と言う声が聞こえた。
振り返ると、笑顔のメイドがいた。
「お風呂頂きました。着替えもありがとうございます。じゃあ俺はもう帰るので。失礼致します」
丈の長い紺色ドレス、白いエプロン、紺色の靴、白靴下、短い銀髪に白いヘッドドレス。
完璧なメイド姿のプラグは、完璧な礼をした後、楽しげに歩き出した。
「待った、泊まって行きなよ」
ルネはそのつもりで『熱が出るかもしれないし、よく眠れますように』と安眠効果のある薬草を湯に混ぜたのだ。
「じゃあまた~アルスに見せるんだ、ピオンさんかなー」
しかしプラグはピンピンルンルンしていて、さらっと恐い名前を出した。
「待って」
ルネはプラグが扉に手をかけたところで、体ごと滑り込んで止めた。
「待ちません」
「いや、待って、お腹空いてるだろ、食べて行きなよ?」
扉に手を突いて逃がさないようにする。プラグがにっこり笑った。
「宿舎の食事が好きなので。あ、そろそろピオンさんが来る頃ですね」
ピオン・デュロ隊士はプラグの稽古が長引くと、必ず様子を見に来る。
ほんっっとうにやめて欲しいのだが、自分の任務がない日はしっかり来る。
「――とりあえず着替えようか」
「どういうつもりでこれ用意したんですか? サイズぴったりなんですけど?」
「僕じゃない。リリの独断だ。さ、とにかく着替えて」
ルネは言った。こちらは本当にルネではない。リリの悪戯だ。
「でも訓練着、ないですよ? 後はバスローブしか」
「じゃあ僕の服でも寝間着でもいいから早く」
「仕方無いなぁ……反省して下さいよ?」
「するする、分かったからさ、お行き」
プラグは素直に戻って行った。
「あっちより、おめーの方が危ないけどな」
リズが呟いた。
「お前、男もいけたのか?」
リズの言葉にルネは思いっきり首を振った。
「違う。僕はメイド服が好きなだけです」
「……うわ……クビにしてぇ……クビにしてぇ……クビにしてぇ……」
リズが三回繰り返した。
ルネは自分を人間最強だと自負しているが、幼い頃から、なぜかメイド服がとても好きだった。
「巫女服よりはマシでしょう」
ルネは真顔で答えた。
ルネの父はやたら巫女の服が好きで、各領、各国の巫女服を収集し、使用人には巫女風の服装と巫女の着け襟を義務づけていた。そして巫女で貴族だった母を正妻に迎えたから、きっとそう言う家系なのだ。
祖父は海兵が着る『セーラー服』と言う物にご執心で、それを女性版に作り変えて、これまた妻と使用人にこっそり着せていた。
全て精霊の血がいけないのだ。精霊の血が濃い者には、変わった者が多い。
……これはエアリ公爵家、最大の秘密だが……『剣の精霊』は立派な『うさぎ耳』を持っていたと聞いている。
祖父の父、つまり曾祖父は偶然だが病的なうさぎ好きで、剣の精霊を一目見て惚れたとか。
そして着想を得た後は、使用人達にもこっそりうさぎ耳を着けさせていたとか……。
この辺りは隠すべき趣味なのだが、ルネの性癖は『メイド服』なので、堂々と曝しても全く問題ない。
ルネは当初、クロスティア騎士団に肩入れする気は無かった。
むしろ近衛候補生だったので、思考としては近衛寄りでいた。
ルネは公爵でしかも強いので真面目に勤めて、いつか団長にでもなろうか、と思っていたのだ。いっそ兼任でもいいか、と国王に尋ねた程だ。
国王はそれを『近衛は人が足りている。足りないのはこっちだ』と納得できる理由で突っぱね、ルネはクロスティア騎士団に入団した。当初はリズが新隊長、ルネが新副隊長だったのだ。もちろん、元々の団長、副団長はそのままいる。
そして『地獄の再編』と呼ばれるリズの采配――恐怖政治――が始まった。蓋を開けてみれば、リズは呆れる程優秀で、ルネは背後に立っているだけで終わった。
ルネはそのままクロスティア騎士団に入る事になったのだが、情報が入ればいいや、たまに強敵が出たら格好良く倒して、格好をつけよう、くらいに思っていた。
しかし当時十六歳のリリ・カトンを見て百八十度、気が変わった。
リリは入ったばかりで、突然の団長交代に戸惑い、控え目に、端っこにいたのだが……。
彼女を見た瞬間。ルネに衝撃が走った。
ルネは即座に動き、彼女の為にこの館を建て、ここに住んでもらって、頼み込んでメイド服を着てもらった。そして常に世話を焼いてもらっている。
ルネがここに帰るのはリリに会うためなのだ。もちろん、領地に戻るときは連れて行く。
『薔薇の館』の『薔薇』というのは実はルネでは無く彼女の事なのだ。あるいはルネとリリ、運命的な二人を指すのか――。
入団当初、ルネは調子に乗っていて、かなり強引に頼んだので根に持たれていて、時折、今日のような可愛い仕返しをされる。
リリには、いずれリノ公爵家辺りの養子になってもらい、正妻にすると言っているのだが、控え目なリリは、自分は使用人で良いと言って譲らない。
つまり二人は仲良し恋人なのだが……。傍からみたら、奇妙に見えるらしい。
「私はイメイアのおっさんよりお前の方がヤベェと思う。アイツどうすんだよ。リリ二号か?」
リズが言ったのだが、ルネは眉を顰めた。
「彼は弟子です。僕は、性的趣向は普通ですよ」
「嘘だろ……普通ってそんな幅広かったか?」
リズが愕然とした。
イメイア侯爵にはもう一つ、定かでは無い噂がある。
非常に面食いで、男もいけるのでは無いか……という噂だ。
本人は妻一筋だから妾は不要、と公言しているので、あくまで噂なのだが、火種がなければ煙は立たない。だとしたら余計に不味い。
と、言うわけで。ルネはプラグを殴ったのだ。
「ま、暫くはいいだろ。つか、ほんとうぜー……まだ候補生だぞ? あのオッサン、顔優先で声かけるからな。ランバークも気の毒に」
リズが溜息を吐いた。ランバークはアホだったが、普通に美少年だった。
それでもプラグには及ばないのだから、プラグが侯爵に会うのは不味い。
「あ、そうだ、だったら、侯爵がいる場に行く時は、常に顔、殴っておきましょうか? それならいいかも」
「お前、それあいつに殺されるぞ……まあ鉢合わせしないようにするか、頭巾で顔を隠すかだな。よし、じゃあもう行く。長居しちまった。この金は渡しとけ。あと警告しとけ。『精霊研究会』には行くなってな」
リズが二千五百万グランの小切手をひょいっとルネに渡した。
「? 卒業まで預かるって言うのは?」
リズは先程、そう言っていたのだが……。
「いや、そんな紙っきれ、無くすかもしんねーし。サクッと金に換えて渡しとけ」
「庶民にとっては大金ですよ。あの子に渡して大丈夫ですか?」
「さあなー知らん。せいぜい、ご機嫌を取っておけよ。……あー、クビにしてぇ……。二人とも、いやリリも含めて三人とも放り出してぇ……むしろアホモスティアを解体してぇ……」
リズは肩を落として去って行った。
……ルネはリズのことは、結構、尊敬している。
■ ■ ■
ルネはそのまま客室に入って、プラグに事情を説明した。
イメイア侯爵は美少年を見る目つきがヤバイので、両刀かもしれないこと。
お礼は口実で、私兵への勧誘が目的かもしれないこと。
ついでに独立派、人間派などの説明や『精霊研究会』への参加はやめた方がいい、という忠告もして、リリとの馴れ初めも語った。
「――というわけだから、殴ってゴメンね」
ルネの説明を聞いて、プラグが頭を抑えた。
ルネが入った時には、プラグは寝間着代わりの訓練着に着替えて、ベッドで横になっていた。
結構、あちこち痛めつけたので、治療の反動で熱が出てしまったようだ。
青い上着とメイド服は脱いで椅子にかけてある。プレートケースは枕の隣に置いてあった。訓練着はリリが用意したのだろう。
ナダ=エルタが無言で看病していて、プラグの額には氷水で冷やしたタオルが乗っている。
プラグが横になったまま息を吐いた。
「あの。ここってバカしかいないんでしょうか?」
「ん? それって誰の事?」
ルネは尋ねた。
「全員です……」
「それでこれどうする? 口座は持ってる? 作っておこうか?」
「いえ、あるので大丈夫です……そこに置いておいて下さい。もう寝ます。眠い」
「ああ、悪かったね、おやすみ」
ルネはベッドのサイドテーブルに小切手の入った封筒を置いた。
プラグは目を閉じると、すぐに寝息を立て始めた。
「あのー」
と、それまで黙っていたナダ=エルタがルネをジト目で見た。
「いつも思うんですけど、ちょっと酷すぎません? もう少し加減して下さい。彼だって人間、なんですよ?」
ナダ=エルタが思いっきり頰を膨らませた。
ルネはしばらく無視して手でプラグの熱を測ったり、折った腕を確かめたりしていた。
「ちょっとそのことで話があるんだけど、出よう」
ルネの言葉にナダ=エルタが眉を顰めた。
部屋を出た後、ルネは近くの談話室に入った。場所としてはルネの部屋の隣だ。
ここにはソファーセットがあり、棚にはカップや皿が飾られている。絨毯は他の部屋より落ち着いた深紅で、背後に窓がある。居間のような使い方をしている。
両側はどちらもソファーになっていて、一人掛けの椅子はない。
ルネは奥、窓側のソファーに移動し、ナダ=エルタに話し掛けた。
「座って」
「……え……はい」
ナダ=エルタは普段浮いているので、ためらいがちに腰を下ろした。
ナダ=エルタと向かい合って、ルネは話を切り出した。
「きみはあのプラグ君の正体を知っているんだよね」
「……」
するとナダ=エルタはそっぽを向いて口笛を吹く仕草をした。
「いや、もうバレバレだから。精霊だって僕には分かるから」
ルネは息を吐いた。
ナダ=エルタはまた同じく口笛を吹こうとしたが、まだ口笛は吹けないらしい。
「精霊だっていうのはいいとして。あの体は思ったより耐久性がない。力は強いんだけど、傷付きやすいって言うか、今日殴ってやっぱりって思ったけど、耐久力はあの細い体の、見たままの強さしか無いみたいなんだ」
ナダ=エルタが瞬きをした。
「骨も折れるし、血も出るし、痛みも感じてるみたいだし。なんであんな体にしたの?」
「……いえ、私は何も……知らなくて」
ナダ=エルタが戸惑った様子で首を振る。
「あれじゃ鍛えても強くなれない。今は技術と力でなんとかできているけど、あと数年もしたら力自慢には敵わなくなる。直接言っても聞かないから、君から気を付けろって伝えてくれる?」
するとナダ=エルタが小さく頷いた。
「……確かに、体質的に力が付かないから、何とかしたいと仰っていました。でも私より、ラ=ヴィアさんの方が詳しいです」
ナダ=エルタの言葉にルネは眉を顰めた。
「そんなんじゃ死ぬ。そのラ=ヴィアが知っているなら、きちんと聞いて知っておくんだ。はぐらかされるかもしれないけど、詰め寄ってでも聞いておいて。例えばそう。あの子が、腕を切断されたとする。出血多量になるような瀕死の重傷を負ったとする。臓器がはみ出すような大怪我をしたとする。胸を刺されたとする。もっと言えば、核のある場所を壊されたとする。そうしたらどうなる? 君は分かる?」
……精霊は『核』が無くなると死ぬ。
しかし、人間の姿で胸を刺されたらどうなる? 
即死でなければおかしい怪我を負ったときはどうする?
それは核を刺されたのと同じでは無いのか。
「――人間のまま倒れて死なないのか。失った腕は再生するのか。それとも精霊に戻ってしまうのか。どのくらいの怪我なら耐えられるのか。正体を隠したいなら知っておくように。いいね? 唐突に事故が起きるかもしれないし。強敵が現れるかもしれない。君がさっと出て来て、さっと隠して連れて行くくらいでないと駄目だよ。ラ=ヴィアがやってくれるかもしれないけど、いつもいる訳じゃないし。一人より二人だ。分かった?」
ナダ=エルタは「はい……!」としっかり頷いた。
「ルネさんは、なんか、不思議な力で、色々分かるみたいですけど、どういう感じに何が分かるんですか?」
ナダ=エルタは素直に聞いてきた。
彼女は続けた。
「プラグさんは鍛えても今以上の力が付かない、とは仰ってましたけど。解決策は見つかっていない、とも言っていました。それじゃ駄目、とも言っていました。何か良い方法がないんでしょうか? ――ルネさんって、人とは思えないくらい強いですよね? 精霊の血だって言いますけど、そんな感じの仕組みで、筋力はなんとかならないんでしょうか?」
ナダ=エルタが身振り手振りをしながら言った。
その時ふと、ルネの中にある考えが浮かんだ。
「……血か……ううん……いや無理か」
――これは機密なので話せないのだが――。
「一つだけ……心当たりがあると言うか……。でも危険か? それに精霊だし、男だしなぁ……もし言っても、君じゃ分からないか」
「聞きたいです! ――わからなくても……」
ナダ=エルタが言った。
ルネは苦笑した。この精霊は若いが、やる気だけはある。ふと、精霊にしては珍しいかもしれない、と思った。
精霊は長生きだから、生きる内に悟ったようになってしまい、やる気とか根性とか、そういう泥臭い感情とは無縁になっていくのだろう。ルネだって千年も生きたら、人生に飽きるだろう。
「そうだね。例えば何かの神様と契約するって方法。神様とか、魔神とか、魔物を呼んで、力を貸してもらう。条件はそれぞれだけど、それなら力が強くなるかも……? でも僕は詳しく無いから、なんとも言えない。長生きな精霊なら何か知っているかも? 『古代精霊術』なんだけど、あの子は知ってるみたいだから。ずっと生きてても力が付かないって言う状況なら、もう力を鍛えるのは諦めて、肉体その物を作り変えるか、強化していくしかない」
するとナダ=エルタが眉を顰めた。
何か言いかけて、小さな口を開いたが、また閉じてしまった。
ルネは先程のプラグの様子を思い出した。
「治療後の熱だって、普通、彼くらいの霊力があるなら、あんなに出ないと思うんだけど……個人の体で言えば、シオウ君もちょっとおかしいからなぁ……あっちはやたら丈夫なんだけど。人間の方が精霊より丈夫って」
ルネは自分で言いながら、肩を震わせて笑った。
シオウはシオウでかなり、いびつな肉体を持っている。肉体というか……存在が変というか。ルネはシオウと戦ったのだが、シオウの情報は全くと言って良い程読めなかった。
「僕の事だけど。ぱっと見で、どのくらい精霊の血が入っているか分かる。これは便利だけどね。相手の強さも分かる。これは見るだけで、剣の強さとか、習熟度が分かる……『剣』の精霊の力だ。僕は剣を父に習ったんだけど。父は僕より凄かったからね……」
ルネは父親を思い出した。
恐ろしく強かったのだが……大変そうだった。
「父は僕より感覚が鋭くて。僕が五歳の頃に亡くなったんだけど。もう人間って言っていいのか分からないくらいだった。相手の、次の動きや、考えてる事が分かっちゃうんだって。神様かなって思ってた」
ルネはソファーにもたれて、足を組んだ。
実際は神では無く。色々与えられすぎて寿命の短い人間、だった訳だが……。
「で、剣を交えると、もっと色々分かる。例えば女装が趣味だとか、好きな食べ物、嫌いな食べ物。女性経験、男性経験があるなし、キスしたことがあるなし、弱点や強いところ。得意な攻め方、守り方。後は、お風呂でどこから体を洗うとか、最後にいかがわしいことをしたのはいつかとか? そんな事まで丸裸。全く、嫌な力だよ」
ルネは珍しく声を上げて笑った。
ルネは足を戻して、前屈みになり、膝の上で指を組んで、ナダ=エルタをじっと見つめた。
「おかげで、僕は戦いが大嫌いだった。でも戦わないと、気が狂ってしまう。血が騒ぐんだ。剣を振っていないと落ち着かない。剣が好きなんだ。でも、相手になるやつ――相手をしても良いと思えるやつは少ない。戦う度に、アレコレ分かったんじゃ、気色悪くて仕方無い。だってオッサンとか、戦うの嫌だろ? 可愛い子ならまだいけるかなって思ったんだけど、どうにも、苛めたくなる……綺羅綺羅した目でこっちを見てくるから、そんな純粋に戦ってみたい、僕だって、自分より強い奴に会いたい、って思う、嫉妬かな。未だに父の影を求めてるのか……それは分からないけどね」
「でもあの子と会って、少し、考えが変わったかもしれない」
ルネはこんな精霊相手に何を語っているのだろう、と思ったが、ずっと誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。――プラグに伝えてくれる誰かに。
「彼は思った以上に真面目だし。根性も無いなりにあるし……強くなることを考えてる。目的の為に頑張ってる、ってしっかりはっきり見えるからね。あ、実は僕には、相手のことが、文字で見えてるんだ。これは内緒だけどね。いい?」
ルネの言葉に、ナダ=エルタが少し、目元を緩めて二回頷いた。
「もしかしたら、分析とか解析の精霊と同じ見え方かもね。そういう力を『剣』の精霊が持っていたんだろう。うさぎ耳で、赤髪の、可愛いらしい女性だったらしいんだけど……もしかしたらリリみたいに目が大きかったのかな。リリがうさぎ耳? 可愛いな……。じゃあ『盾』は何なんだろうな。ホントに精霊って変だ」
少し話が逸れてしまったので、ルネは咳払いをした。
「とにかく、君はあの精霊とよく話し会うこと。僕に教えてくれたら、一緒に考えるけど、嫌なら別にいい。ここに入ったら、魔霊と戦う事もある。そうなったら、肉体が弱いってのはかなり不利だ。僕もまだまだ強くなる。彼は鍛練相手にはちょうどいいから、せいぜい利用させてもらうよ。さ、長くなってゴメンね、僕は行くけど、君は彼についていて。食事は頼んでおくから。お腹が空いたら取りにおいで」
■ ■ ■
翌朝、熱も下がりプラグはすっきりと目を覚ました。
部屋にはプラグの他には誰もいない。ナダ=エルタがいるかと思って呼んだがプレートは空だった。
この体は脆く、霊力を使いすぎると熱が出やすいのだが、回復力は高くて、大抵、数時間から一晩寝れば熱は収まる。
昨夜も日付が変わる前には熱は収まっていた。
(でも昨日は予想外だったな。気を付けないと)
まさか、危ない侯爵から逃れる為に、顔を殴られるとは思わなかった。
何か狙いがあるようだったので顔はガードせずに素直に食らったのだが、ろくな理由ではなかった。
痛みもすっかり取れていて、折れた腕も治ったし、顔も元通りだ。髪はいつも以上にさらさらツヤツヤで、調子はとてもいい。
カーテンを開けて伸びをしていると扉がノックされた。
入って来たのはナダ=エルタだった。
「あ、おはようございます! もう大丈夫ですか?」
「おはよう、うん、治ったよ」
プラグは頷き、心配を掛けたことを詫びた。
ナダ=エルタは微笑んだ。
「まだ早いですから、ご飯、こちらで食べて行きますか? リゾットがあるので持って来ますけど。昨日の残りですが」
「ああ――そうだな、そうしよう」
「はい。温めてきます」
ナダ=エルタが朝食を取りに行く間に、プラグは訓練着を羽織ってプレートケースの着いたベルトを締めて、ブーツを履いた。ふとブーツの踵が少し減っていることに気が付いた。そろそろ、底の張り替えを頼んだ方がいいかもしれない。
しばらく後、ナダ=エルタが戻って来て、部屋の机に朝食を置いた。温かいリゾットと甘いパン、そしてグラスに入った水だった。リゾットには卵が入っていて、塩と調味料で味付けがしてあり、とても美味しかった。今まで食べたリゾットの中で一番かもしれない。
「美味しい。ナダは食べた?」
「あ、私もさっき頂きました。昨日、リリさんが作って下さったんですよ」
「ルネは幸せ者だな」
この館で出て来る料理は、使用人が作る事もあるが、リリが作る事もある。リリは料理が上手で、今まで、二回、夕食を食べただけだが、どちらも美味しかった。
ルネとリリの関係についてプラグは首を傾げていたのだが、普通に恋人だったらしい。
公爵なのに平民のリリを正妻にするつもり、とは中々思い切った……変わった事をする。
この館をリリの為に建てたと聞いた時は、意外に一途な人だったんだな、と好感度が上がりかけた。しかし無駄に殴られたので差し引きはゼロだ。あの変わり者にリリはよく付き合っていると思う。
ちょうどその時扉がノックされた。
「――はい?」
返事をすると、入って来たのはルネだった。隊服ではなく黒い貴族服を着ていて、珍しく髪を下ろして、毛先を軽く結っている。
こうして見ると思った以上に若いし、相変わらず絵になる美形だ。
背も高く、体つきは青年だが一般的な兵士に比べると線も細い。
ルネは機嫌が良いらしく優しく微笑んでいる。
「おはよう、もう行く? まだ少し時間があるけど」
「今、何時です?」
「まだ六時過ぎ。具合はどう?」
「大丈夫です」
「食べてて良いから、話、いい?」
ルネが空いている椅子に腰掛けた。プラグは頷いた。
「どうぞ?」
プラグは一応、礼儀として食事を中断した。
「昨日ナダちゃんにも言ったんだけど、その体について。もう何とも無いんだよね?」
「はい? ええ」
プラグは頷いた。
「あの――こんな感じです!」
するとナダが、本によく似た大きさの、氷の板を出してプラグに見せた。
氷の板には昨日の会話の要点がキルト語で書かれていた。
「! ナダ、凄いな」
プラグは感心してしまった。いつの間にかナダ=エルタは新しい力を身につけていた。
「どうでしょう? これ。氷を刻むのは得意なので」
「凄くいい! 分かりやすい、凄いぞ――えっと……」
プラグはさっと読んで理解した。ルネは心配してくれたらしい。
「便利そうな能力だね。それは持ち運びできるの?」
ルネがナダに尋ねた。
「はい。持ち運びは、氷が溶けるまでならできると思います。保管もプレートの中でなら可能です」
ナダの言葉にルネとプラグは目を丸くした。
「氷に刻んだ文字なので、少し読みにくいのが難点なんですけど、プラグさんは読むのが早いので考えてみました。念じればすぐ刻めますし……」
「おお! それは本当に凄い! 良く思いついたな!」
プラグは感心して更に褒めた。プラグは氷は冷やすか、攻撃に使うという発想しかなった。まさか文字を削って、情報伝達に使うとは。しかもこの方法なら人間にも読める。
ルネも目を丸くしている。
「なるほど、溶かしてしまえばただの水になる。かなり良いね」
ルネにも褒められてナダ=エルタは照れた。
「少し読みくいので、刻み方を変えるか、氷を白っぽくするか、インクを垂らすか……考えます」
「うん、頑張って。ナダは本当に凄い精霊だな。俺には勿体ない」
プラグの言葉にナダ=エルタは真っ赤になってうつむいてしまった。
そして、控え目に尋ねてきた。
「……あの、私、捨てられませんよね? 他の人に譲られるとか……この騎士団の精霊になっちゃうとか無いですよね」
「ナダ?」
ナダ=エルタは、自分のエプロンを握って、プラグを見据えて続けた。
「……私、プラグさん、だけのお役に立ちたいんです……! この前のアレ、凄く格好良かったので、あんな事ができる、凄い精霊になりたいです! いつか!」
この前のアレ、というのはプラグがイメイア侯爵令嬢を助けた件だろう。
やる気になっているな、と思ったら感化されていたらしい。
プラグは微笑んで、立ち上がって、ナダ=エルタの手を取った。
「捨てるなんてとんでもない。君は、せっかく俺の所に来てくれた精霊だ。ずっと大切にする。……大変な道のりだけど、一緒に頑張ろう。あ、でも無理はしないで。精霊達はもうずっと長生きしていて、その分の蓄積があるから強いんだ。ナダはまだ生まれたばかりだから、いろんな物を見て、楽しんで、少しずつ、自分のなりたい姿を見つけていけばいい。ルネは急かすけど、焦らずゆっくりで。……俺に、力を貸してくれる?」
「はい……!」
ナダ=エルタが涙ぐむので、プラグはそっと抱きしめた。
ナダに足りていないのは愛情だ。
精霊はある程度の知識、自我や良識を持って生まれることが多いが、やはり生まれたては情緒不安定だ。色々な経験を積んで、少しずつ成長して、大人になっていくのだ。
ナダ=エルタが抱きついて来た。
「私、頑張ります……!」
「ナダはちょっと真面目過ぎるから、もっと遊んだ方がいいな」
「はい!」
「精霊達とも沢山話して、色々な事を教えて貰うんだ。人間に騙されない方法とか」
プラグは微笑んだ。
「――仲良く抱き合ってる所、悪いけど」
「何ですか?」
プラグはナダから少し体を離してルネを見た。
「僕、結婚する事にしたから。君、候補生代表ってことで参列してよ。式は来週ささっと終わらせる」
「え」
「今日はリリと登城して報告。場所は大広間か首都の教会で。正式な披露宴は別でするけど、式だけ先にやっておこうと思って」
「……」
プラグはぽかんと口を開けた。ナダ=エルタも固まっている。
急に決まってしまったが……愛し合っている二人の事だ。
ルネは成人で既に公爵だし、リリも成人だし、何ら問題は無い。
「それは……おめでとうございます……。祭司はミリル様にお願いするんですか?」
一瞬、自分がやるべきかと思ったが、カド=ククナはまだルネに姿を見せていない。
「うん、どこでやるかはこれから陛下と相談するけどね。ちょうど今日、行く予定だからついでに話す」
『ついでに』で結婚報告される国王陛下は大変だろう。
「はぁ……わかりました。それが良いと思います」
プラグはそう言う他なかった。
〈おわり〉