そこは、全く同じ場所――LuLu arena TOKYO-BEYそのままであった。しかし、今と異なる部分は、その場に漂っていた死臭も、血だまりも、何なら会場の破壊もなかった。薄暗いだけで、他はちゃんとした状態そのままであった。人っ子一人いない状況で、加賀美は目を覚まさない中……一人の男――
百喰正明は彼女の傍で胡坐をかき、まだ見ぬ外敵から守り続けていた。
「――最初に目を覚ましたのは、俺か。よりにもよって……これまで英雄側に大して利益を上げてこなかった俺が……か」
学園長の頼みを受け、教会を内部から崩壊させるために、「純粋に」百喰を裏切らせた。その真なる目的は、これまでと異なる環境に身を置くことで、成長を促す目的であった。
結果的に、それは果たされた。経歴上百喰は三年次で中退したようなものではあるが、得たものは大きかった。
しかし。自ら進んで内通者として働いて来て――学生であったことを改めて思い出したのだ。大勢の面子よりも上の立場として動く現在……大切な物を取り落した自分と言うものは、強さ以外に何が残っているのであろう。
その時学園に残してきた仲間は、事の詳細を知らぬまま落第したか、もしくは四年次に進まず三年次にて卒業試験をクリアしたか。英雄学園は、入学試験が難易度高めであるのにも拘らず、卒業試験も難易度が高いために、世界中の大学以上に面倒であるのだ。強さ以外に、英雄としての心構えを問われ、総合力が高くなければどうしようもない。四年次にすら上がれるか、分からない者ばかりである。
だからこそ、英雄の因子を持ったアスリートや、有名人が生まれるきっかけになるのだが……百喰自身も、そうなってしまうような気がしていたのだ。
強いだけでは、英雄は英雄として成り立たない。これだけ世知辛い世の中で、プロとして活躍するには人望が必要不可欠。自分自身の今の在り方では、例え卒業したとしても、過去は付いて回る。なぜ教会側に手を貸していたのか――それは一生かけて自分が向き合うべき強さの代償であった。
だからこそ、少し前にあった合同演習会にて、河本と信之が死んでしまった件に関して、他人事とは思えなかったのだ。河本は教会側にスパイとして短期間の潜入、結果運命の悪戯によって待田の催眠を受けたままの存在が、河本を容赦なく殺害。この千葉での一件、その根幹に存在し続ける信之に関しては、邪魔に思った善吉が容赦なく殺害。
「――だから、俺もそうなる気がしてんだよ。そして――お前が下手人になりそうだってのも……何となく分かるんだよ、来栖善吉」
「……おや、こんなに早く気づかれるだなんて。流石に想定外ですよ」
「馬鹿言え、こっちは幼気な少女一人庇ってんだわ。是が非でも気づかなきゃあダメだろ。俺一人の命なら……まだ軽いだろうが」
「素晴らしい、まさに
紳士の精神性です」
基本的に自分で何でもできるからこそ、周りに護衛すらつけていない強気なスタイルの善吉。不敵に笑みながら、無防備な加賀美に近づこうとする中、それを百喰が遮る。
「――しかし、数奇なものですねえ。君たち二人もまあまあ『奇跡的な繋がり』があるでしょうに」
「……それが何だ? 悪いが、お前が心理学を大学時代専攻していることは情報収集済みだ。技術が分かり切っている中で、お前の論撃をいなすくらい訳はない」
相手の懐に入り込んで、共感の流れを互いの間に促しながら、距離を近づけていき、寝首を掻く。人心掌握術のエキスパートである彼を寄らせず、手に持っている紫色の片手剣を善吉に向ける。切っ先が、鼻先に触れそうなほど近づいていた。そこから先、一歩でも動いた瞬間に、何のアクションをせずとも、頭骨のシュラスコが出来上がってしまうほど。
「……分かりましたよ、流石に同業者相手に論撃は通用しなさそうです。では――
標的を貴方に定めましょうか」
実にその場が冷え切るほどの、凍てつく視線。以前顔を合わせた時よりも、数段力を上げているその事実に冷や汗を掻きながらも、平静は崩さない。
「――単刀直入に言いましょう。百喰正明……貴方の命を差し出しなさい。私の養分にしますので」
「……そう来たか」
百喰は、目を伏せる。自分を犠牲にするならば、恐らく加賀美を仕方なく、あるいは元から興味が無かったために見逃す……最初から、そのプランニングで動いていた。
最初から、全戦力を削ぐのではなく、既存戦力を盾にしながら既存戦力同士を削り合う。しかも、これは基本自分発信ではなく、相手に選択を委ねる方式でやってきたのだ。互いの利を重視する、ビジネスマンを経験した善吉だからこその戦略であった。
「――ここで俺が、加賀美を犠牲にすれば……?」
「無論、私は貴方を仕方なく見逃しましょう。ですが……結局は最終選択が先送りになるだけ。いつか……貴方の内に眠る因子は……私が手に入れて有効活用した方が喜びそうですから」
「馬鹿言え、こいつは……お前みたいな意志もへったくれもないような存在が――軽々しく扱っていいような
英雄じゃあねえ。仲違いの原因でもあり、何なら不貞行為もやらかしはしたが……それでも俺は、
騎士の中の
騎士、だと思っているからよ。俺を馬鹿にするならまだしも……『ランスロット卿』を馬鹿にすることだけは……許さねえよ」
紫色の片手剣、どこか神聖剣エクスカリバーと瓜二つと言えるような強靭さ、そして神々しさを持ち合わせた、シンプルなデザインの変身デバイス兼、竹馬の友同然の武器……『
異聖剣アロンダイト』。
あることがきっかけとなり、アーサー王と道を違えることになりはしたが、元々は騎士の中の騎士、円卓の騎士として背中を預け合いながら戦い続けた、義侠の騎士である。湖の精に育てられ、自分の扱う獲物も見繕ってもらった、聖なる力が宿る剣。それこそがアロンダイトである。文献によって文言は異なるが、それはその分力に厚みが生まれる証である。
「――なら、交換条件と行こう。善吉、手前にも悪くはない話だ」
「……ほう、その条件とは?」
異聖剣アロンダイトをその場に突き立て、善吉に睨みを利かせる。その目から、彼の提案が何となく読めたと同時に、これを無碍にした瞬間予期せぬ事態に発展しかねない、そんな悪寒すら感じさせるほど――百喰の覚悟がひしひしと伝わってきたのだ。
「――これから……俺はお前の腰巾着どもを
斃して回る。全力でかかってきてもらって構わない。だが……その間お前も腰巾着も、何人も加賀美に触れることは許さん。勝負中に俺が死んだら……加賀美を好きにしていいだろうが……俺が腰巾着どもを全て打ち倒したら、加賀美には絶対に手を出すな」
次の世代へ、意志を、力を、眩いような覚悟を繋げていく。少々不利な状況からでも対等の立場まで持っていったその交渉術は、並のものではない。ある意味、教会に居続けキャリアを積み重ねてきた中で、数少なく得たもので堅気の世界でも有利になるものだろう。
「――何、俺は仕事を終えたら……じきに死ぬ、というよりも殺される。だがお前に力をみすみす明け渡すためじゃあない。シンパシーを感じる加賀美に……先を行って欲しいからだ。未来へ託す、百喰正明としての……
有馬正明としての魂の在り方だ」
「……なるほど。逃げを目的とした、目先の分かりやすいものを取りに行く交渉ではなく、死の先にある不確かなものを見据え、
博打じみた交渉ですか……これを無碍にするなら私の普段の在り方も、信条も否定される……下調べは、十分なようですね」
「お前は他人に無関心だ。その分、自分の行いは基本的に王の道のように想像する。たとえ汚れた仕事だろうと、表の真っ当な仕事だろうとな。そしてそこに共通する手前の考えは……そこに自分以上の存在は許さないもんだ。だからと言って妥協はしない、十割あったとしたら最高で十割以上、最低でも十割こなすために動く」
だからこそ、『約束』は無碍にしない。これは交渉術だの賢しく生きるコツだの、そう言ったもの以前の話で人としての話になる。ビジネスマンとして、約束事は常日頃守るべきだと、耳に
胼胝ができるほど聞いた話である。信頼、信用があらゆる仕事の種となる中で、約束を常に破るような存在と誰が仕事をしたいだろうか。
もし仮に、善吉が約束事を放り投げたとしたら。それは善吉が憎む『無能』とほぼ同等。無法の世界に生きる存在ではあるが、無法だろうと約束事は絶対事項。幼子だろうと仕事人だろうと不変の概念が、ここで活きるのだ。
歯を食いしばるだなんてことはしない。悔しがることもしない。善吉自身、約束を守ることに抵抗が無いためである。たとえそれが自分と相手、相互の利が五分同士であったとしても、約束を破った時の
自尊心が壊れてしまうことと比べたら……そんなものは大したことは無いのだ。
「――よく考えましたね。一見単純なことながら、その単純なことすら社会人においてできない存在がよく居らっしゃいます。自分自身が
契約の奴隷であることを忘れているのか、それらを蹴るような、ろくでなしが多すぎるんですよ。だからこそ……私のことをよく分かってらっしゃる。私の強みであり、明確な弱点を突くだなんて」
指を鳴らすと、正気を失った中華マフィアが、そこかしこから現れる。灰崎たちはこの時まだ出会っていない、
流浪の獣の構成員であった。
「本当ならば、契約書を書かせたいところではありますが……今回ばかりはそんな野暮は言いっこなしです。口約束とはいえ――それだけ大口をたたいた分、戦ってもらいますよ。その代わり、私も一端のビジネスマンです、契約はしっかり守りましょう。そうでなければ、私がこれまでビジネスマンとして培ってきた全てが……一瞬にして
瓦解てしまいますからね」
「言われずとも……女を守れずして何が男だよ」
両刃の剣である異聖剣アロンダイトのライセンススロットは、刃の根元部分に備わっている。逆手で持ちながら、その機構を荒っぽくオープンし、一枚のライセンスを認証するのだった。
『認証、罪を背負いし湖の騎士・ランスロット!! 武勲に優れた騎士として、十字架を背負いながらも戦う漢は――戦いの果てに何を見る!?』
「そんなもの決まっている。贖罪と……勝利だ――変身!!」
すぐさまライセンスをスロットに挿入、まるで演武のように剣を手に舞って見せ、『闇』の魔力が辺りに渦巻き始める。それと共に次第に黒の
基本装甲を纏っていき、寄る者全てを弾き飛ばす、魔力の乱気流の中で百喰は完全なる変身を遂げるのだった。
わずかながらの変身時間の間、善吉と傍にいた
流浪の獣構成員が、中国語にて会話する。
「『――総帥。本当にあの女、攫わないでいいのですか?』」
「『当然だ。いくら口約束とはいえ、約束を完全に反故にしたら、俺の名に傷がつく。手を出したら最後、貴様らでも容赦なく殺す』」
「『……! ――了解です、総帥』」
まるでバッターボックスに立った四番バッターが走者一掃のホームランを打つ予告を
観客と相手に見せつけるように、剣を掲げてみせる百喰。透明になっている目元以外、一切彼の表情を窺い知ることはできないが、それでも挑戦的に睨みつけるのだった。
「――貴様らは、俺が始末する。瀧本礼安たちが生きる未来に……貴様らのような外道は残してはおけないからな」