所変わって、ニューアルマホテル最上階。
善吉と京のみが存在する、この状況。京にとって、非常に面倒であったのだ。
京自身、『原初の英雄』として活躍してきた実績がある。力がある。ドライバーがある。そんな中で、馬鹿力でこの状況を無理やりどうにかするだなんてことは出来なくはないが、そうなると下層に存在する一般人が含まれた、来栖善吉の寄越した兵隊が傷を負う。
この状況は、一見善吉が完全に格上の存在に睨まれて身動きが取れない状態にある……のだが、善吉はそれも織り込み済みであったのだ。自分以外に、一般人の命を天秤にかけ、圧倒的戦力となりうる『原初の英雄』を封じ込めている。やっていることは下種の極みであるが、実に理に適ったものである。
「――お前と顔を合わせるのは、お前を山梨から輸送するあの時で終わりだと思っていたよ……クソッタレ」
「おや、そうでしょうか。私はそうは思いませんでした。何せ……
流浪の獣管轄下……いえ、今は私の管轄下でしょうか。お膝元にあるカジノにて高額当選金を連発するだなんて……お客様として非常に目立ってくださったではありませんか。分かりにくい『イカサマ』まで組んで」
「――だったら何だよ。イカサマの罰として、ここに閉じ込めるってことかよ」
開き直る京に対し、善吉は営業用の笑顔を見せながらカジノテーブルの上に腰掛ける。
「いえ、そんなことを口走ることはありません。何せ下手なことをしたら……いくらドーピングを重ねた私でも、貴方には問答無用で、余裕で負ける。わざわざ猛獣を前に、暴れやすいような分かりやすいエサは撒きませんから」
善吉は、懐からある手紙を取り出す。それを京に向け、鋭く投げる。あまりにもの速度により、周りに空気の刃すら生じる手前のそれを、何の気なしに摘み取る。
「簡単な条件です。大切な情報資産を渡しますので……私……そして、何気なしに迷い込んでしまった一般人の方々をここから出してください。それに……貴方は千葉県から出て行ってください。私、明日正午のタイミング、東京デスティニーアイランドにて重要な用事がありますので」
「何だ、女と遊びにでも行くのかよ」
「別に。私に女遊びの趣味はありませんよ。ただ、用事を済ませる相手は――女ですが」
「馬鹿言え。お前巧みに隠しちゃあいるが……あの秘書同然の元部下……『そういう契約』交わした女がいるだろ。そいつに対して愛着も執着も、何もかも無いだろうが……嘘はよくねえな。随分ご執心な上に、よりにもよって千葉県に前入りした上で東京デスティニーアイランドに『下見』していた、ってのに」
京のその一言に対し、非常に不満げではあるが弁解じみた反論をぶつける。口調の端々に、らしくもなく苛立ちを隠さないようにしながら。
「――あの
女は……実に傲岸不遜な、まるで猫のような存在です。仕事に関する福利厚生を全て
擲って、私と『寝る』ことを報酬として求めているだけです。そこに、私としては愛情も何もありません。ただ、社員に対する義務を果たしているだけですよ。対抗会社がパワハラだのなんだの、そう言った社会人として下らない行為を働いているから――私がスカウトさせていただいただけです。重ねて言わせていただきますが、『そういう』関係にはなっていないので」
「元々のお前らしくもなく、急に饒舌になった挙句……やたら『嘘』に『嘘』を取り繕って……下手糞なもんだな。愛情も何もそこにないはずの、空虚な契約上の
性交を重ねているのにも拘らず、そこに『嘘』を重ねやがって。でも……その女を、パワハラ云々していた別企業からヘッドハンティングとは……そこに『嘘』がねえ辺り、本当に奇妙なもんだ。常識もクソもないような性格最悪のお前でも、社会人として守るべき最低ラインがあるなんてよ」
「殊勝な働きにはそれなりの報酬を。これはこの資本主義社会が出来上がってから、人類が重ねてきた歴史であり行いでしょう。私はそれを否定する気はありませんし、これほど合理的なものは無いと考えます。しかしそこに愛情などという、あるだけで面倒なものを持ち込まれていても困ります。ただ努力を重ねた社員に対し、褒賞を与えているだけなので。第三者からしてみればそう見えてしまうは必然かもしれませんが……実際にはそんなことは『無い』ので」
人としても、同じ会社の人間としても、そこに特別な感情は何もない。それは、いま語る『女』に関しても同一である。かつて「子孫を一人作ったために、『もういらない』から」と自分の手で殺した、元妻に関しても同一。実の娘かつ絶縁状態である葵が唯一、計画の通りに動いたために、多少なり評価しているくらいか。
誰であれ、無関心。一部の超常的存在を除き、誰であれ自分の下にある存在。
それこそが、来栖善吉と言う男。用意周到であり、孤高かつ至高の悪人。ビジネスマンとしての常識を備え、見てくれが多少良いだけの、最高クラスの極悪人である。
だが、京にはたった一人だけ『そう』思っているとは到底思っていなかった。
元々、支部長として渋々付き合いがある中で、その女が関わってから、本人はよく分かっていないものの、少々態度が変わっている。元々結婚生活を営んでいた時の数十倍以上、輝いて見えていたのだ。
だからこそ、今の京にとって、来栖善吉という存在は、酷く滑稽に思えたのだった。口では否定しておきながら、内心秘めるものは全く違う。
大人の社交の場において、相手に弱みを見せないことが大前提となる中で、こうも分かりやすく脆くなってしまうものか、と。
「――さて、談笑はここまで。逃がして……くれますよね?」
「そっちがフル戦力に近いもので脅しにかかってんだ。少しはそれに乗ってやらないと……お前の面子も丸つぶれになるだろ」
「その言葉は、肯定と受け取ってよろしいですか」
「受け取りたきゃあそうしろ。だが――これだけは忘れんなよ
善吉」
何も言わず、京の方を向く善吉。彼はらしくもなく、激情に満ちた形相を見せる。今までの群馬支部支部長としての、そして『原初の英雄』としての
戦火慣れしたような立ち居振る舞いではなく、一人の戦友、その息子を自分勝手に殺した男に向けての、殺意が漏れ出していたのだ。
「――もし、最終的に瀧本の娘がお前を仕留め損ねたのなら……俺は真っ先に手前を殺す。こう見えてもな……
戦友の
血縁者傷つけられたのは……頭に来てんだよ」
「おお、怖い。何より、今までこの議題の中に、一切出てこなかった存在の名前が出ているのですが……それはさておき。その時が来たら……私も少しくらいは、反抗してみますかね。伊達に……今回『混ぜて』いないので」
京の怒りゆえの殺意むき出しの挑発に対し、同じく敵意由来の殺意をむき出しにし答える善吉。身の程知らずの阿呆では無いことを知っているからこそ、勝ち戦しか基本しないような男であることを認識しているからこそ、余計に腹立たしかったのだった。
「それでは、来るべくⅩデーまで……ごきげんよう」
ひらひらと後ろ手を振り、その場を去る善吉。ボーイが気絶していたのを確認すると、ため息交じりに昇降機に乗り込むのだった。
京は、その様子を見送るしかできなかった。今の胸中に巣食う不快感を拳に乗せたら、ニューアルマホテルが更地になってしまいそうであったから。