髭面の武士は二百廿四の石段を避け、道外れの森の奥へと分け入った。たまきも遅れまいと、必死にその背中を追う。
山の斜面に足を取られ、藪に袖を引っかけられ、人を拒むような獣道を往く。辺境育ちのたまきは山猿を自負していたが、十歳の体にはさすがに酷だった。
「ねえ、義父上はいずこにおわすの?」
堂々と表から抜けられるはずもないが、これほど険しい抜け道なのだから、そんな早足で進まなくても良かろうもの。
たまきは、ぷっくりと頬を膨らませる。
もともと人質なのに加え、逃亡生活ではあまねたちの乳母役まで任され、忘れかけていた。そう、自分とて石家では姫なのである。
「うむ。では、ここらで良かろうか」
明るい陽射が差し込む林冠の欠所に出ると、男がやおらに立ち止まった。休憩か、よきにはからえ。たまきはそう解釈し、倒木に腰をかける。
その刹那、男のむくつけき掌が、たまきの頬を打った。
「――?」
衝撃で声も出ず、たまきの脳裏には疑問符が奔るばかり。
「奸賊のおまえの義父が裏切りおって、御屋形様はお討死になされた。逆心は九族誅殺が習いである。潔く、そこになおれ!」
髭面の武士が、腰のものを抜き放った。太陽の光を受け、刃文は無慈悲な輝きを放つ。
彼は石家の人間ではなく、どころかその裏切りによって壊滅した戦場から、落ち延びてきた武者だった。
突如降りそそいだ禍事に、たまきは頭が真っ白になってしまう。
恐怖で体が硬直し、ただ、涙だけが溢れる。許しを乞うよう、弱々しく首を振るほかない。視界がぼやけ、世界が遠のいていくのを感じた。
「最後に言い残すことは」
男が、冷たい表情で刀を振りかぶる。
たまきの心の臓は早鐘を打ったように波打ち、言葉など出せないに決まっていた。
ひゅっと、彼方から微かに笛の音が聞こえてくる。
「お、お、お慈悲を」
死にたくない一心で、蚊の泣くような懇願をなんとか絞り出した。
遠くから笛の音が鳴り続けている。
みっともない姿に、男は「不様、それでも武家の娘か」と蔑み、たまきの腹部を蹴りあげた。
ううっと体を丸めて蹲る。
――これはきっと、自分だけ助かろうとした罰だ。私、あほ過ぎる。
あまね、よなげ、もえぎの顔が浮かび、最後に、つむぎ。当然の報いだと、冷たく言うに違いない。慙愧の念で、嗚咽が止まらない。
笛の音が鳴っている。
たまきの怯えようを睨めつけ、男はいったん刀を下ろした。
慈悲の心ではない。
目に邪な淀みを含ませ、草摺をがしゃりと持ちあげる。そして、袴の股間の切れ目に手を差し入れると、割褌の布を横へずらし、ぴんぴんの陰部を露出させた。
たまきの父方は、戈家の猛将『不死身の土恒』の親戚筋だ。たまきもその血を継ぎ、他の子より体が大きい。そのぶん、女性らしい体型へ近付いており、劣情の対象になったようだ。
この絶体絶命の状況で、生き残りへの光が微かに芽生えた。
たまきは、お腹を蹴られた激痛が少しやわらぐと、蹲ったまま上目遣いで男の下半身を見やり、おしっこでもしにいくのだろうかと訝りつつ、刀は下げられていることを確認する。
僅かに生まれた安堵が、たまきの混濁する頭に「最後まで諦めるな」と、抱きしめられた体温を蘇らせた。
それでも自分ひとりの気持ちなら、とうに折れていた。だが、ぴゅいいっと間近まで近づいてきた指笛が、全力で与えられたぶんの〈気〉を発動させた。
「お、お、お待ちくだされ。い、言い残すことがございますう。お願いです、殺さないでえ。痛いのはイヤあ。助けてえ、死にたくないよう!」
たまきは、全身の力を振り絞って叫んだ。
一心不乱のキンキン声は、峠を揺らすような木魂を響かせた。
「死にたくない、死にたくない」と尚も喚き、そのまま四つん這いで逃げ出す。
男は、武家の娘らしからぬ惨めな命乞いに言葉を失い、一瞬、憐憫の情すら湧いた。
いやいや待て待て、庶民の娘っこではないのだと我に返る。
落ち延びたこの隠し寺に、石家の娘がいると聞かされ、これは自分に託された天命なのだと悟った。今朝がたの地獄の如き戦場で散った同胞のため、せめて裏切り者の石伏めに、愛娘の首を叩きつけてやるのだ。
「潔く散らぬか!」
髭面の武士は怒鳴り、解き放った野生の双玉もそのままに少女を追った。
すると俄かに茂みがざわめき、山祇の蛟の息吹めいた気配が忍び寄る。
猛然と藪から飛び出してきた塊が、天命に燃える美髯公へ体当たりを喰らわせた。
つむぎだった。
「淵公の兵法、十の条――よくぞやり通した」
ぜいぜい息を切らしながら、たまきに軽く手を上げた。
そのまま果敢にも男を組み伏しにかかるが、あっさりと逆に押さえ込まれてしまう。そもそも断食しているうえに、全力疾走してきたのだから、戦う力など残っていないに決まっていた。
「おのれ、私を誰と心得るか。無礼な下衆めが」
それでも尚も頑張って声を張るのだが、もともと内向的な性質で息が弱いのもあいまって、拒む力には到底なりえない。むしろ男の本能を煽り、すっかり着物を乱されてしまう。
男は、散り際の華を手折るが如く、血走った目で、つむぎを犯さんとした。