表示設定
表示設定
目次 目次




環(4)

ー/ー



 髭面(ひげづら)の武士は二百廿(にじゅう)四の石段を避け、道外れの森の奥へと分け入った。たまきも遅れまいと、必死にその背中を追う。
 山の斜面に足を取られ、(やぶ)(そで)を引っかけられ、人を拒むような獣道を往く。辺境育ちのたまきは山猿を自負していたが、十歳の体にはさすがに酷だった。
「ねえ、義父上(ちちうえ)はいずこにおわすの?」
 堂々と表から抜けられるはずもないが、これほど険しい抜け道なのだから、そんな早足で進まなくても良かろうもの。
 たまきは、ぷっくりと頬を膨らませる。
 もともと人質なのに加え、逃亡生活ではあまねたちの乳母役まで任され、忘れかけていた。そう、自分とて(せき)家では姫なのである。
「うむ。では、ここらで良かろうか」
 明るい陽射(ひざし)が差し込む林冠(りんかん)欠所(けっしょ)に出ると、男がやおらに立ち止まった。休憩か、よきにはからえ。たまきはそう解釈し、倒木に腰をかける。
 その刹那、男のむくつけき()が、たまきの頬を打った。
「――?」
 衝撃で声も出ず、たまきの脳裏には疑問符が(ほとばし)るばかり。
奸賊(かんぞく)のおまえの義父が裏切りおって、御屋形様はお討死になされた。逆心は九族誅殺(きゅうぞくちゅうめつ)が習いである。潔く、そこになおれ!」
 髭面の武士が、腰のものを抜き放った。太陽の光を受け、刃文は無慈悲な輝きを放つ。
 彼は(せき)家の人間ではなく、どころかその裏切りによって壊滅した戦場から、落ち延びてきた武者だった。
 突如降りそそいだ禍事(まがごと)に、たまきは頭が真っ白になってしまう。
 恐怖で体が硬直し、ただ、涙だけが(あふ)れる。許しを乞うよう、弱々しく首を振るほかない。視界がぼやけ、世界が遠のいていくのを感じた。
「最後に言い残すことは」
 男が、冷たい表情で刀を振りかぶる。
 たまきの心の臓は早鐘を打ったように波打ち、言葉など出せないに決まっていた。
 ひゅっと、彼方から微かに笛の音が聞こえてくる。
「お、お、お慈悲を」
 死にたくない一心で、蚊の泣くような懇願をなんとか絞り出した。
 遠くから笛の音が鳴り続けている。
 みっともない姿に、男は「不様、それでも武家の娘か」と(さげす)み、たまきの腹部を蹴りあげた。
 ううっと体を丸めて(うずくま)る。
――これはきっと、自分だけ助かろうとした罰だ。私、あほ過ぎる。
 あまね、よなげ、もえぎの顔が浮かび、最後に、つむぎ。当然の報いだと、冷たく言うに違いない。慙愧(ざんき)の念で、嗚咽(おえつ)が止まらない。

 笛の音が鳴っている。
 たまきの(おび)えようを()めつけ、男はいったん刀を下ろした。
 慈悲の心ではない。
 目に(よこしま)な淀みを含ませ、草摺(くさずり)をがしゃりと持ちあげる。そして、(はかま)の股間の切れ目に手を差し入れると、割褌(わりふんどし)の布を横へずらし、ぴんぴんの陰部を露出させた。
 たまきの父方は、戈家の猛将『不死身の土恒(どこう)』の親戚筋だ。たまきもその血を継ぎ、他の子より体が大きい。そのぶん、女性らしい体型へ近付いており、劣情の対象になったようだ。
 この絶体絶命の状況で、生き残りへの光が微かに芽生えた。
 たまきは、お腹を蹴られた激痛が少しやわらぐと、(うずくま)ったまま上目遣いで男の下半身を見やり、おしっこでもしにいくのだろうかと(いぶか)りつつ、刀は下げられていることを確認する。
 僅かに生まれた安堵が、たまきの混濁(こんだく)する頭に「最後まで諦めるな」と、抱きしめられた体温を(よみがえ)らせた。
 それでも自分ひとりの気持ちなら、とうに折れていた。だが、ぴゅいいっと間近まで近づいてきた指笛が、全力で与えられたぶんの〈気〉を発動させた。
「お、お、お待ちくだされ。い、言い残すことがございますう。お願いです、殺さないでえ。痛いのはイヤあ。助けてえ、死にたくないよう!」
 たまきは、全身の力を振り絞って叫んだ。
 一心不乱のキンキン声は、峠を揺らすような木魂(こだま)を響かせた。
「死にたくない、死にたくない」と尚も(わめ)き、そのまま四つん這いで逃げ出す。
 男は、武家の娘らしからぬ惨めな命乞いに言葉を失い、一瞬、憐憫(れんびん)の情すら湧いた。
 いやいや待て待て、庶民の娘っこではないのだと我に返る。
 落ち延びたこの隠し寺に、石家の娘がいると聞かされ、これは自分に託された天命なのだと悟った。今朝がたの地獄の如き戦場で散った同胞のため、せめて裏切り者の石伏(せきふく)めに、愛娘(まなむすめ)の首を叩きつけてやるのだ。
「潔く散らぬか!」
 髭面の武士は怒鳴り、解き放った野生の双玉もそのままに少女を追った。
 すると(にわ)かに茂みがざわめき、山祇(やまつみ)(みづち)の息吹めいた気配が忍び寄る。
 猛然と(やぶ)から飛び出してきた(かたまり)が、天命に燃える美髯公(びぜんこう)へ体当たりを喰らわせた。
 つむぎだった。
「淵公の兵法、十の条――よくぞやり通した」
 ぜいぜい息を切らしながら、たまきに軽く手を上げた。
 そのまま果敢にも男を組み伏しにかかるが、あっさりと逆に押さえ込まれてしまう。そもそも断食しているうえに、全力疾走してきたのだから、戦う力など残っていないに決まっていた。
「おのれ、私を誰と心得るか。無礼な下衆めが」
 それでも尚も頑張って声を張るのだが、もともと内向的な性質(たち)で息が弱いのもあいまって、拒む力には到底なりえない。むしろ男の本能を(あお)り、すっかり着物を乱されてしまう。
 男は、散り際の華を手折るが如く、血走った目で、つむぎを犯さんとした。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 環(5)


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 |髭面《ひげづら》の武士は二百|廿《にじゅう》四の石段を避け、道外れの森の奥へと分け入った。たまきも遅れまいと、必死にその背中を追う。
 山の斜面に足を取られ、|藪《やぶ》に|袖《そで》を引っかけられ、人を拒むような獣道を往く。辺境育ちのたまきは山猿を自負していたが、十歳の体にはさすがに酷だった。
「ねえ、|義父上《ちちうえ》はいずこにおわすの?」
 堂々と表から抜けられるはずもないが、これほど険しい抜け道なのだから、そんな早足で進まなくても良かろうもの。
 たまきは、ぷっくりと頬を膨らませる。
 もともと人質なのに加え、逃亡生活ではあまねたちの乳母役まで任され、忘れかけていた。そう、自分とて|石《せき》家では姫なのである。
「うむ。では、ここらで良かろうか」
 明るい|陽射《ひざし》が差し込む|林冠《りんかん》の|欠所《けっしょ》に出ると、男がやおらに立ち止まった。休憩か、よきにはからえ。たまきはそう解釈し、倒木に腰をかける。
 その刹那、男のむくつけき|掌《て》が、たまきの頬を打った。
「――?」
 衝撃で声も出ず、たまきの脳裏には疑問符が|奔《ほとばし》るばかり。
「|奸賊《かんぞく》のおまえの義父が裏切りおって、御屋形様はお討死になされた。逆心は|九族誅殺《きゅうぞくちゅうめつ》が習いである。潔く、そこになおれ!」
 髭面の武士が、腰のものを抜き放った。太陽の光を受け、刃文は無慈悲な輝きを放つ。
 彼は|石《せき》家の人間ではなく、どころかその裏切りによって壊滅した戦場から、落ち延びてきた武者だった。
 突如降りそそいだ|禍事《まがごと》に、たまきは頭が真っ白になってしまう。
 恐怖で体が硬直し、ただ、涙だけが|溢《あふ》れる。許しを乞うよう、弱々しく首を振るほかない。視界がぼやけ、世界が遠のいていくのを感じた。
「最後に言い残すことは」
 男が、冷たい表情で刀を振りかぶる。
 たまきの心の臓は早鐘を打ったように波打ち、言葉など出せないに決まっていた。
 ひゅっと、彼方から微かに笛の音が聞こえてくる。
「お、お、お慈悲を」
 死にたくない一心で、蚊の泣くような懇願をなんとか絞り出した。
 遠くから笛の音が鳴り続けている。
 みっともない姿に、男は「不様、それでも武家の娘か」と|蔑《さげす》み、たまきの腹部を蹴りあげた。
 ううっと体を丸めて|蹲《うずくま》る。
――これはきっと、自分だけ助かろうとした罰だ。私、あほ過ぎる。
 あまね、よなげ、もえぎの顔が浮かび、最後に、つむぎ。当然の報いだと、冷たく言うに違いない。|慙愧《ざんき》の念で、|嗚咽《おえつ》が止まらない。
 笛の音が鳴っている。
 たまきの|怯《おび》えようを|睨《ね》めつけ、男はいったん刀を下ろした。
 慈悲の心ではない。
 目に|邪《よこしま》な淀みを含ませ、|草摺《くさずり》をがしゃりと持ちあげる。そして、|袴《はかま》の股間の切れ目に手を差し入れると、|割褌《わりふんどし》の布を横へずらし、ぴんぴんの陰部を露出させた。
 たまきの父方は、戈家の猛将『不死身の|土恒《どこう》』の親戚筋だ。たまきもその血を継ぎ、他の子より体が大きい。そのぶん、女性らしい体型へ近付いており、劣情の対象になったようだ。
 この絶体絶命の状況で、生き残りへの光が微かに芽生えた。
 たまきは、お腹を蹴られた激痛が少しやわらぐと、|蹲《うずくま》ったまま上目遣いで男の下半身を見やり、おしっこでもしにいくのだろうかと|訝《いぶか》りつつ、刀は下げられていることを確認する。
 僅かに生まれた安堵が、たまきの|混濁《こんだく》する頭に「最後まで諦めるな」と、抱きしめられた体温を|蘇《よみがえ》らせた。
 それでも自分ひとりの気持ちなら、とうに折れていた。だが、ぴゅいいっと間近まで近づいてきた指笛が、全力で与えられたぶんの〈気〉を発動させた。
「お、お、お待ちくだされ。い、言い残すことがございますう。お願いです、殺さないでえ。痛いのはイヤあ。助けてえ、死にたくないよう!」
 たまきは、全身の力を振り絞って叫んだ。
 一心不乱のキンキン声は、峠を揺らすような|木魂《こだま》を響かせた。
「死にたくない、死にたくない」と尚も|喚《わめ》き、そのまま四つん這いで逃げ出す。
 男は、武家の娘らしからぬ惨めな命乞いに言葉を失い、一瞬、|憐憫《れんびん》の情すら湧いた。
 いやいや待て待て、庶民の娘っこではないのだと我に返る。
 落ち延びたこの隠し寺に、石家の娘がいると聞かされ、これは自分に託された天命なのだと悟った。今朝がたの地獄の如き戦場で散った同胞のため、せめて裏切り者の石伏《せきふく》めに、|愛娘《まなむすめ》の首を叩きつけてやるのだ。
「潔く散らぬか!」
 髭面の武士は怒鳴り、解き放った野生の双玉もそのままに少女を追った。
 すると|俄《にわ》かに茂みがざわめき、|山祇《やまつみ》の|蛟《みづち》の息吹めいた気配が忍び寄る。
 猛然と|藪《やぶ》から飛び出してきた|塊《かたまり》が、天命に燃える|美髯公《びぜんこう》へ体当たりを喰らわせた。
 つむぎだった。
「淵公の兵法、十の条――よくぞやり通した」
 ぜいぜい息を切らしながら、たまきに軽く手を上げた。
 そのまま果敢にも男を組み伏しにかかるが、あっさりと逆に押さえ込まれてしまう。そもそも断食しているうえに、全力疾走してきたのだから、戦う力など残っていないに決まっていた。
「おのれ、私を誰と心得るか。無礼な下衆めが」
 それでも尚も頑張って声を張るのだが、もともと内向的な|性質《たち》で息が弱いのもあいまって、拒む力には到底なりえない。むしろ男の本能を|煽《あお》り、すっかり着物を乱されてしまう。
 男は、散り際の華を手折るが如く、血走った目で、つむぎを犯さんとした。