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環(2)

ー/ー



 たまきたちの一行は、三日前から、峡原(かいはら)の東に(そび)える大薩埵峠(だいさったとうげ)――その入口の山塊(さんかい)に立地する、薩埵(さった)寺を拠点にしていた。()家の祈願寺で、住職ら数名ほどで管理している。森に囲まれた古刹(こさつ)然とした佇まいから、戈家の隠し寺とも。
 登山道沿いの山腹に本堂と書院があり、境内の苔むした二百廿(にじゅう)四の石段を登った山頂には、山祇(やまつみ)を鎮守する奥の院がある。
 武士とその下働きが廿(にじゅう)名ほど、乳母を含めた女房衆が六名、やんごとなき身分の者が四名。総勢(さんじゅう)人ほどだが、身分性別によって生活空間は分かたれている。
 やんごとなき者たちは、選抜された乳母と共に奥の院を宿にし、たまきもその一員だった。
 たまきにしてみれば、男たちは油断ならないので、山頂の奥の院にいる方がましである。とはいえ、そこには御神体を(まつ)(ほこら)と、小さな拝殿があるだけ。井戸も台所も山腹の寺の敷地にあり、上り下りが大変だった。しかも食事の管理権は、寺の本殿に起居する男どもに握られている。
 意地の汚い連中だと唾棄(だき)しつつ、こっちはこっちで自給自足するしかあるまい。

 朝型のたまきは、まだ薄暗いうちから起き上がり、用を済ませたついで、山菜を摘みに森へと入った。時期的に、山の幸に恵まれているのは幸いだった。タラの芽やフキノトウなど、収穫して頭陀袋(ずだぶくろ)に入れていく。
 ふとウグイスの声がして、なんとなしにその方向へ顔を向けると、遥か遠方に立ち昇る煙柱(えんちゅう)が、深い山林越しに見えた。
 たまきは、胸を締め付けられるような悪い予感に駆られ「つむぎさま、つむぎさま」と拝殿へ駆け込んだ。
 つむぎは拝殿の隅で、木彫りの鳩を無心に撫でていた。まるで婆樹羅(ばじゅら)のように闇を睨んでいた夜の姿を思い出すと、余計にとぼけて見える。
 たまきの報告を聞くと「まことか」と顔をこわばらせ、共に不気味な煙柱を確認しに行った。
 方角にすると南である。
 やにわに、ずっと他人行儀だったつむぎが、ぎゅっと抱きついてきたので、たまきはびっくりしてしまった。
「いま、私はそなたへ全力で気を送った、つもり」
 長く抱き寄せた後、つむぎは真面目な顔で言う。
 こういう訳の分からないことを口にするから、邪教徒は気味が悪い。というか、眼は充血で真っ赤、隈がくっきり目立ち、頬もげっそりこけ、顔面蒼白。他人に気を送るより、自分に気を使って?
 眉をひそめるたまきに構わず、つむぎは、(たもと)から巾着を取り出し、兵糧丸(ひょうろうがん)が入っているから、ちびたちと一緒に食べなさい。
「良い? 何があっても最後まで諦めないように。三人を頼む」
 もし私が戻ってきたら、合図を鳴らすから、と言って、指笛をひゅっと鳴らした。
「つむぎさまは、おひいさまなのに、なんでそんないろいろ出来るんですか?」
 尋ねてから、あ、自分いま、失礼なことを言ったかもしれないと、ひそかに焦る。「しょーもないこと」を付け加えなかったのは、偉い。
 つむぎは「いろいろ苦労してきたから」と鼻の穴を膨らませた。いや、褒めてはいない。
「……って、つむぎさまはどこかへ行かれるんですか?」
「うむ、男どもに理を諭してみるつもりだが、果たして……」
 つむぎは石段を降り、寺へ向かった。たまきは、その(はかな)げな背中を見送るしかなかった。つむぎこそ、ちゃんとごはんを食べて休んで欲しいと、心配になった。

 春のうららかな空の下、空気はじわりと緊張を(はら)んでいく。
 たまきは、あれから三人のちびを起こして世話をした後、つむぎの様子見も兼ねて、山腹のお寺へ朝食作りの手伝いに降りた。炊事をしながら、監視の目を盗んでこっそりつまみ食いをするわけだ。女たちとて抜け目ない。ちび用の握り飯なども、こっそり(こしら)えてくれる。
 すると先に寺へ降りていた、あまねの乳母の(しょう)が、たまきの姿を見かけるや、おっとり刀で駆け寄ってきた。
「食事は何か持っていくから、あんたは上に戻りな」
 四十路を迎えた宵は、がっちりした体格の大柄な女で、乳母というより護衛のような風貌だ。あまねの母に従って竜門(りゅうもん)から戈家にきた女房で、いかにも穂州(ほしゅう)人らしい烈東(れっとう)の気風を漂わせていた。
 その背後では、数人の武士がまるで戦支度かのように、殺気立って右往左往している。
 たまきとて武家の娘ゆえ、この空気がのっぴきならないものだと理解できた。
 最悪の予感を振り払うように、小走りで山頂へ引き返す。

 三人のちびたちは、あまねのもう一人の乳母の(みを)が、奥の院で遊ばせてくれていた。こちらは四尺(120センチ)に満たない小柄な女性で、先程の宵とは対照的だ。六つの男児のよなげと同じくらいの背丈ながら、御年は既に六十を超えている。ちょこんと座る様は、まるで趣ある土産の人形のようだった。
 澪は、たまきの青褪(あおざ)めた顔を見て察したのか、まあまあ、あんたも座りなさいと、手招きで呼び寄せる。
 たまきは、つむぎから兵糧丸を貰っていたことを思い出し、皆で食べた。小ぶりな饅頭(まんじゅう)のようでいて、練りこまれた香草や薬草のせいで食すに一筋縄ではないが、栄養だけは満点である。
「大人の味がする」
 四歳のあまねが神妙な顔で呟き、それが可愛いやら可笑しいやらで、場が少し和んだ。


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 たまきたちの一行は、三日前から、|峡原《かいはら》の東に|聳《そび》える|大薩埵峠《だいさったとうげ》――その入口の|山塊《さんかい》に立地する、|薩埵《さった》寺を拠点にしていた。|戈《か》家の祈願寺で、住職ら数名ほどで管理している。森に囲まれた|古刹《こさつ》然とした佇まいから、戈家の隠し寺とも。
 登山道沿いの山腹に本堂と書院があり、境内の苔むした二百|廿《にじゅう》四の石段を登った山頂には、|山祇《やまつみ》を鎮守する奥の院がある。
 武士とその下働きが|廿《にじゅう》名ほど、乳母を含めた女房衆が六名、やんごとなき身分の者が四名。総勢|丗《さんじゅう》人ほどだが、身分性別によって生活空間は分かたれている。
 やんごとなき者たちは、選抜された乳母と共に奥の院を宿にし、たまきもその一員だった。
 たまきにしてみれば、男たちは油断ならないので、山頂の奥の院にいる方がましである。とはいえ、そこには御神体を|祀《まつ》る|祠《ほこら》と、小さな拝殿があるだけ。井戸も台所も山腹の寺の敷地にあり、上り下りが大変だった。しかも食事の管理権は、寺の本殿に起居する男どもに握られている。
 意地の汚い連中だと|唾棄《だき》しつつ、こっちはこっちで自給自足するしかあるまい。
 朝型のたまきは、まだ薄暗いうちから起き上がり、用を済ませたついで、山菜を摘みに森へと入った。時期的に、山の幸に恵まれているのは幸いだった。タラの芽やフキノトウなど、収穫して|頭陀袋《ずだぶくろ》に入れていく。
 ふとウグイスの声がして、なんとなしにその方向へ顔を向けると、遥か遠方に立ち昇る|煙柱《えんちゅう》が、深い山林越しに見えた。
 たまきは、胸を締め付けられるような悪い予感に駆られ「つむぎさま、つむぎさま」と拝殿へ駆け込んだ。
 つむぎは拝殿の隅で、木彫りの鳩を無心に撫でていた。まるで|婆樹羅《ばじゅら》のように闇を睨んでいた夜の姿を思い出すと、余計にとぼけて見える。
 たまきの報告を聞くと「まことか」と顔をこわばらせ、共に不気味な煙柱を確認しに行った。
 方角にすると南である。
 やにわに、ずっと他人行儀だったつむぎが、ぎゅっと抱きついてきたので、たまきはびっくりしてしまった。
「いま、私はそなたへ全力で気を送った、つもり」
 長く抱き寄せた後、つむぎは真面目な顔で言う。
 こういう訳の分からないことを口にするから、邪教徒は気味が悪い。というか、眼は充血で真っ赤、隈がくっきり目立ち、頬もげっそりこけ、顔面蒼白。他人に気を送るより、自分に気を使って?
 眉をひそめるたまきに構わず、つむぎは、|袂《たもと》から巾着を取り出し、|兵糧丸《ひょうろうがん》が入っているから、ちびたちと一緒に食べなさい。
「良い? 何があっても最後まで諦めないように。三人を頼む」
 もし私が戻ってきたら、合図を鳴らすから、と言って、指笛をひゅっと鳴らした。
「つむぎさまは、おひいさまなのに、なんでそんないろいろ出来るんですか?」
 尋ねてから、あ、自分いま、失礼なことを言ったかもしれないと、ひそかに焦る。「しょーもないこと」を付け加えなかったのは、偉い。
 つむぎは「いろいろ苦労してきたから」と鼻の穴を膨らませた。いや、褒めてはいない。
「……って、つむぎさまはどこかへ行かれるんですか?」
「うむ、男どもに理を諭してみるつもりだが、果たして……」
 つむぎは石段を降り、寺へ向かった。たまきは、その儚《はかな》げな背中を見送るしかなかった。つむぎこそ、ちゃんとごはんを食べて休んで欲しいと、心配になった。
 春のうららかな空の下、空気はじわりと緊張を孕《はら》んでいく。
 たまきは、あれから三人のちびを起こして世話をした後、つむぎの様子見も兼ねて、山腹のお寺へ朝食作りの手伝いに降りた。炊事をしながら、監視の目を盗んでこっそりつまみ食いをするわけだ。女たちとて抜け目ない。ちび用の握り飯なども、こっそり|拵《こしら》えてくれる。
 すると先に寺へ降りていた、あまねの乳母の|宵《しょう》が、たまきの姿を見かけるや、おっとり刀で駆け寄ってきた。
「食事は何か持っていくから、あんたは上に戻りな」
 四十路を迎えた宵は、がっちりした体格の大柄な女で、乳母というより護衛のような風貌だ。あまねの母に従って|竜門《りゅうもん》から戈家にきた女房で、いかにも|穂州《ほしゅう》人らしい|烈東《れっとう》の気風を漂わせていた。
 その背後では、数人の武士がまるで戦支度かのように、殺気立って右往左往している。
 たまきとて武家の娘ゆえ、この空気がのっぴきならないものだと理解できた。
 最悪の予感を振り払うように、小走りで山頂へ引き返す。
 三人のちびたちは、あまねのもう一人の乳母の|澪《みを》が、奥の院で遊ばせてくれていた。こちらは四尺(120センチ)に満たない小柄な女性で、先程の宵とは対照的だ。六つの男児のよなげと同じくらいの背丈ながら、御年は既に六十を超えている。ちょこんと座る様は、まるで趣ある土産の人形のようだった。
 澪は、たまきの青褪《あおざ》めた顔を見て察したのか、まあまあ、あんたも座りなさいと、手招きで呼び寄せる。
 たまきは、つむぎから兵糧丸を貰っていたことを思い出し、皆で食べた。小ぶりな|饅頭《まんじゅう》のようでいて、練りこまれた香草や薬草のせいで食すに一筋縄ではないが、栄養だけは満点である。
「大人の味がする」
 四歳のあまねが神妙な顔で呟き、それが可愛いやら可笑しいやらで、場が少し和んだ。