たまきたちの一行は、三日前から、峡原の東に聳える大薩埵峠――その入口の山塊に立地する、薩埵寺を拠点にしていた。戈家の祈願寺で、住職ら数名ほどで管理している。森に囲まれた古刹然とした佇まいから、戈家の隠し寺とも。
登山道沿いの山腹に本堂と書院があり、境内の苔むした二百廿四の石段を登った山頂には、山祇を鎮守する奥の院がある。
武士とその下働きが廿名ほど、乳母を含めた女房衆が六名、やんごとなき身分の者が四名。総勢丗人ほどだが、身分性別によって生活空間は分かたれている。
やんごとなき者たちは、選抜された乳母と共に奥の院を宿にし、たまきもその一員だった。
たまきにしてみれば、男たちは油断ならないので、山頂の奥の院にいる方がましである。とはいえ、そこには御神体を祀る祠と、小さな拝殿があるだけ。井戸も台所も山腹の寺の敷地にあり、上り下りが大変だった。しかも食事の管理権は、寺の本殿に起居する男どもに握られている。
意地の汚い連中だと唾棄しつつ、こっちはこっちで自給自足するしかあるまい。
朝型のたまきは、まだ薄暗いうちから起き上がり、用を済ませたついで、山菜を摘みに森へと入った。時期的に、山の幸に恵まれているのは幸いだった。タラの芽やフキノトウなど、収穫して頭陀袋に入れていく。
ふとウグイスの声がして、なんとなしにその方向へ顔を向けると、遥か遠方に立ち昇る煙柱が、深い山林越しに見えた。
たまきは、胸を締め付けられるような悪い予感に駆られ「つむぎさま、つむぎさま」と拝殿へ駆け込んだ。
つむぎは拝殿の隅で、木彫りの鳩を無心に撫でていた。まるで婆樹羅のように闇を睨んでいた夜の姿を思い出すと、余計にとぼけて見える。
たまきの報告を聞くと「まことか」と顔をこわばらせ、共に不気味な煙柱を確認しに行った。
方角にすると南である。
やにわに、ずっと他人行儀だったつむぎが、ぎゅっと抱きついてきたので、たまきはびっくりしてしまった。
「いま、私はそなたへ全力で気を送った、つもり」
長く抱き寄せた後、つむぎは真面目な顔で言う。
こういう訳の分からないことを口にするから、邪教徒は気味が悪い。というか、眼は充血で真っ赤、隈がくっきり目立ち、頬もげっそりこけ、顔面蒼白。他人に気を送るより、自分に気を使って?
眉をひそめるたまきに構わず、つむぎは、袂から巾着を取り出し、兵糧丸が入っているから、ちびたちと一緒に食べなさい。
「良い? 何があっても最後まで諦めないように。三人を頼む」
もし私が戻ってきたら、合図を鳴らすから、と言って、指笛をひゅっと鳴らした。
「つむぎさまは、おひいさまなのに、なんでそんないろいろ出来るんですか?」
尋ねてから、あ、自分いま、失礼なことを言ったかもしれないと、ひそかに焦る。「しょーもないこと」を付け加えなかったのは、偉い。
つむぎは「いろいろ苦労してきたから」と鼻の穴を膨らませた。いや、褒めてはいない。
「……って、つむぎさまはどこかへ行かれるんですか?」
「うむ、男どもに理を諭してみるつもりだが、果たして……」
つむぎは石段を降り、寺へ向かった。たまきは、その儚げな背中を見送るしかなかった。つむぎこそ、ちゃんとごはんを食べて休んで欲しいと、心配になった。
春のうららかな空の下、空気はじわりと緊張を孕んでいく。
たまきは、あれから三人のちびを起こして世話をした後、つむぎの様子見も兼ねて、山腹のお寺へ朝食作りの手伝いに降りた。炊事をしながら、監視の目を盗んでこっそりつまみ食いをするわけだ。女たちとて抜け目ない。ちび用の握り飯なども、こっそり拵えてくれる。
すると先に寺へ降りていた、あまねの乳母の宵が、たまきの姿を見かけるや、おっとり刀で駆け寄ってきた。
「食事は何か持っていくから、あんたは上に戻りな」
四十路を迎えた宵は、がっちりした体格の大柄な女で、乳母というより護衛のような風貌だ。あまねの母に従って竜門から戈家にきた女房で、いかにも穂州人らしい烈東の気風を漂わせていた。
その背後では、数人の武士がまるで戦支度かのように、殺気立って右往左往している。
たまきとて武家の娘ゆえ、この空気がのっぴきならないものだと理解できた。
最悪の予感を振り払うように、小走りで山頂へ引き返す。
三人のちびたちは、あまねのもう一人の乳母の澪が、奥の院で遊ばせてくれていた。こちらは四尺(120センチ)に満たない小柄な女性で、先程の宵とは対照的だ。六つの男児のよなげと同じくらいの背丈ながら、御年は既に六十を超えている。ちょこんと座る様は、まるで趣ある土産の人形のようだった。
澪は、たまきの青褪めた顔を見て察したのか、まあまあ、あんたも座りなさいと、手招きで呼び寄せる。
たまきは、つむぎから兵糧丸を貰っていたことを思い出し、皆で食べた。小ぶりな饅頭のようでいて、練りこまれた香草や薬草のせいで食すに一筋縄ではないが、栄養だけは満点である。
「大人の味がする」
四歳のあまねが神妙な顔で呟き、それが可愛いやら可笑しいやらで、場が少し和んだ。