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第4章~第9話 ダニング・クルーガー効果②~

ー/ー



 口角を崩して、シニカルに微笑する先輩に、宇佐美先生は戸惑いながら、たずねる。

「今度、教員採用六年目の6年次研修を受けることになったのよ……そこで、このグラフを使って、若手教員への指導力や同僚と協力して生徒が課題を解決する力を伸ばせるように理論づけたいと考えているの。そういうわけで、心理学の実験に詳しいあなたに相談しようと思ったんだけど――――――その表情は、なにか知っているのね?」

「えぇ、そのグラフは、昨今の社会人研修などで、良く引用されていると聞きますからね……ただ、ダニング・クルーガー効果について説明する前に、海外の教育心理学の分野で大きな波紋を読んだ問題について触れさせてもらいます。宇佐美先生は、教育分野における『マインドセットワーク』という考え方はご存知ですか?」

「もちろん、知っているわよ。人間の能力や資質は固定されていて努力しても変わらないという考え方の『固定マインドセット』と、努力や経験によって自分の才能や能力は向上できると信じる考えの『成長マインドセット』ね。この仕事をしているから当然だけど、教育学部出身だから、アメリカの最新の教育理論として大学でも習ったわ」

「そうですか。では、そのマインドセットワークの考え方を教育現場に導入することについて、研究者の間では、疑問が呈されているとしたら?」

「えっ!? そんなことって……」

「やはり、意外に感じられますか? では、ここで会話の蚊帳の外になっているネコくんのために、キャロル・ドウェック博士が提唱したマインドセット研究で、最も有名な小学生を対象とした『褒め方』が、その後の行動にどう影響するかを調べた一連の実験の方法について解説しよう。ホワイトボードを準備するから、ネズコくんは、『マインドセット』に関する書籍について調べてくれないか?」

 ネコ先輩と宇佐美先生との間で交わされる会話を黙って聞いていた私は、突然のご指名に、あわててスマホを取り出して検索を始める。すると、すぐに、ア◯ゾンで販売中の書籍が検索にヒットした。

『マインドセット「やればできる! 」の研究 』

 書籍の解説欄は――――――スタンフォード大学発の世界的ベストセラー!! 学業・ビジネス・スポーツ・恋愛・人間関係……、成功と失敗、勝ち負けは、“マインドセット"で決まる。という文章で始まっている。

(また、スタンフォード大学かぁ……)

 そう感じて、思わず苦笑すると、私の表情をチラリと確認したネコ先輩が、フッと笑みをこぼしながら、

「その顔は、ま〜た、スタンフォード大か……と思っているね? ちなみに、この理論を提唱しているドウェック博士は、監獄実験のジンバルドー教授と同じ、ニューヨークのブルックリン出身らしいよ」

と豆知識を披露しつつ、スラスラと解説用のテキストをホワイトボードに書いていく。
 そうして、真ん中のボードの端まで文書を書き終えると、ネコ先輩の講義が始まった。

【実験の具体的な方法】

 1.参加者と第1段階の課題
 対象:400人以上の小学5年生(10~11歳)。
 課題:全ての子どもたちに、非言語性IQテストの一環として、比較的簡単なパズルを解かせる。これはほとんどの子どもが成功できるように設計されている。

 2. 褒め方の操作(主要な実験操作)
 子どもたちは3つのグループに分けられ、パズルを終えた後に異なる褒め方を受ける。

 知能を褒めるグループ:「すごい、8問も正解したね。頭が良いんだね!」と褒められる。
 努力を褒めるグループ:「すごい、8問も正解したね。一生懸命に頑張ったんだね!」と褒められる。
 コントロールグループ: 単に「すごい点数だね」と褒められる。

 3.第2段階の課題選択
 次に、子どもたちは2回目のパズルを選ぶ機会を与えられる。

 選択肢A:最初のパズルよりずっと難しいが、挑戦すれば「たくさん学べる」パズル。
 選択肢B:最初のパズルと同じぐらい簡単なパズル。

 4.第3段階の課題(挫折経験)
 子どもたちは全員、2回目よりもさらに難しいパズルを解くように求められる。
 これは、子どもたちが失敗や挫折を経験するように意図的に設計されたもの。
 
 5.第4段階の課題(結果の再検証)
 最後に、最初と同じぐらい簡単なパズルを再び解かせて、パフォーマンスの変化を観察する。

 【実験結果】

 課題選択:「知能」を褒められた子どもたちの多く(約67%)は簡単なパズルを選び、失敗を避ける傾向が見られた。一方、「努力」を褒められた子どもたちのほとんど(90%以上)は、難しいパズルに挑戦することを選んだ。
 挫折後のパフォーマンス:挫折を経験した後、「知能」を褒められた子どもたちは、自信とモチベーションを失い、パフォーマンスが低下した。一方、「努力」を褒められた子どもたちは、粘り強く取り組み、パフォーマンスを向上させ続けた。
 結果の報告:さらに、匿名の点数報告では、「知能」を褒められたグループの約40%が点数を偽って報告したのに対し、「努力」を褒められたグループで虚偽の報告をしたのは約10%に留まった。

 【実験から導かれる結論】
 
 この一連の実験から、ドゥエック博士は以下のような結論を導き出した。
 
 知能を褒めると固定マインドセットを育む:「あなたは頭が良い」と褒められると、子どもは自分の能力が固定的であると信じ、失敗がその能力の欠如を示すものだと考える。
 努力を褒めると成長マインドセットを育む:「あなたは一生懸命頑張った」と褒められると、子どもは能力が努力によって向上すると考え、困難を成長の機会と捉える。
 マインドセットは行動に影響する:褒め方というわずかな違いが、子どもたちの課題選択、失敗からの立ち直り、そして最終的なパフォーマンスに大きな影響を与えることが証明された。

 三面あるホワイトボードをいっぱいに使って講義を終えると、ネコ先輩は、こう告げる。

「以上が、マインドセットワークに関する基本的な考え方だ。この理論は、アメリカの教育界で大いに支持されることになった―――だが、この説には、各訪問から疑問が呈されている」


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 口角を崩して、シニカルに微笑する先輩に、宇佐美先生は戸惑いながら、たずねる。
「今度、教員採用六年目の6年次研修を受けることになったのよ……そこで、このグラフを使って、若手教員への指導力や同僚と協力して生徒が課題を解決する力を伸ばせるように理論づけたいと考えているの。そういうわけで、心理学の実験に詳しいあなたに相談しようと思ったんだけど――――――その表情は、なにか知っているのね?」
「えぇ、そのグラフは、昨今の社会人研修などで、良く引用されていると聞きますからね……ただ、ダニング・クルーガー効果について説明する前に、海外の教育心理学の分野で大きな波紋を読んだ問題について触れさせてもらいます。宇佐美先生は、教育分野における『マインドセットワーク』という考え方はご存知ですか?」
「もちろん、知っているわよ。人間の能力や資質は固定されていて努力しても変わらないという考え方の『固定マインドセット』と、努力や経験によって自分の才能や能力は向上できると信じる考えの『成長マインドセット』ね。この仕事をしているから当然だけど、教育学部出身だから、アメリカの最新の教育理論として大学でも習ったわ」
「そうですか。では、そのマインドセットワークの考え方を教育現場に導入することについて、研究者の間では、疑問が呈されているとしたら?」
「えっ!? そんなことって……」
「やはり、意外に感じられますか? では、ここで会話の蚊帳の外になっているネコくんのために、キャロル・ドウェック博士が提唱したマインドセット研究で、最も有名な小学生を対象とした『褒め方』が、その後の行動にどう影響するかを調べた一連の実験の方法について解説しよう。ホワイトボードを準備するから、ネズコくんは、『マインドセット』に関する書籍について調べてくれないか?」
 ネコ先輩と宇佐美先生との間で交わされる会話を黙って聞いていた私は、突然のご指名に、あわててスマホを取り出して検索を始める。すると、すぐに、ア◯ゾンで販売中の書籍が検索にヒットした。
『マインドセット「やればできる! 」の研究 』
 書籍の解説欄は――――――スタンフォード大学発の世界的ベストセラー!! 学業・ビジネス・スポーツ・恋愛・人間関係……、成功と失敗、勝ち負けは、“マインドセット"で決まる。という文章で始まっている。
(また、スタンフォード大学かぁ……)
 そう感じて、思わず苦笑すると、私の表情をチラリと確認したネコ先輩が、フッと笑みをこぼしながら、
「その顔は、ま〜た、スタンフォード大か……と思っているね? ちなみに、この理論を提唱しているドウェック博士は、監獄実験のジンバルドー教授と同じ、ニューヨークのブルックリン出身らしいよ」
と豆知識を披露しつつ、スラスラと解説用のテキストをホワイトボードに書いていく。
 そうして、真ん中のボードの端まで文書を書き終えると、ネコ先輩の講義が始まった。
【実験の具体的な方法】
 1.参加者と第1段階の課題
 対象:400人以上の小学5年生(10~11歳)。
 課題:全ての子どもたちに、非言語性IQテストの一環として、比較的簡単なパズルを解かせる。これはほとんどの子どもが成功できるように設計されている。
 2. 褒め方の操作(主要な実験操作)
 子どもたちは3つのグループに分けられ、パズルを終えた後に異なる褒め方を受ける。
 知能を褒めるグループ:「すごい、8問も正解したね。頭が良いんだね!」と褒められる。
 努力を褒めるグループ:「すごい、8問も正解したね。一生懸命に頑張ったんだね!」と褒められる。
 コントロールグループ: 単に「すごい点数だね」と褒められる。
 3.第2段階の課題選択
 次に、子どもたちは2回目のパズルを選ぶ機会を与えられる。
 選択肢A:最初のパズルよりずっと難しいが、挑戦すれば「たくさん学べる」パズル。
 選択肢B:最初のパズルと同じぐらい簡単なパズル。
 4.第3段階の課題(挫折経験)
 子どもたちは全員、2回目よりもさらに難しいパズルを解くように求められる。
 これは、子どもたちが失敗や挫折を経験するように意図的に設計されたもの。
 5.第4段階の課題(結果の再検証)
 最後に、最初と同じぐらい簡単なパズルを再び解かせて、パフォーマンスの変化を観察する。
 【実験結果】
 課題選択:「知能」を褒められた子どもたちの多く(約67%)は簡単なパズルを選び、失敗を避ける傾向が見られた。一方、「努力」を褒められた子どもたちのほとんど(90%以上)は、難しいパズルに挑戦することを選んだ。
 挫折後のパフォーマンス:挫折を経験した後、「知能」を褒められた子どもたちは、自信とモチベーションを失い、パフォーマンスが低下した。一方、「努力」を褒められた子どもたちは、粘り強く取り組み、パフォーマンスを向上させ続けた。
 結果の報告:さらに、匿名の点数報告では、「知能」を褒められたグループの約40%が点数を偽って報告したのに対し、「努力」を褒められたグループで虚偽の報告をしたのは約10%に留まった。
 【実験から導かれる結論】
 この一連の実験から、ドゥエック博士は以下のような結論を導き出した。
 知能を褒めると固定マインドセットを育む:「あなたは頭が良い」と褒められると、子どもは自分の能力が固定的であると信じ、失敗がその能力の欠如を示すものだと考える。
 努力を褒めると成長マインドセットを育む:「あなたは一生懸命頑張った」と褒められると、子どもは能力が努力によって向上すると考え、困難を成長の機会と捉える。
 マインドセットは行動に影響する:褒め方というわずかな違いが、子どもたちの課題選択、失敗からの立ち直り、そして最終的なパフォーマンスに大きな影響を与えることが証明された。
 三面あるホワイトボードをいっぱいに使って講義を終えると、ネコ先輩は、こう告げる。
「以上が、マインドセットワークに関する基本的な考え方だ。この理論は、アメリカの教育界で大いに支持されることになった―――だが、この説には、各訪問から疑問が呈されている」