ネズミの楽園の実験の真相が語られた日から、数週間が経った頃―――。
ようやく、本格的な秋の涼しさを感じ始めた時期になって、久々に生物心理学研究会の顧問を務める宇佐美先生が、第二理科室を訪ねてきた。
この日は、佳衣子や日辻先輩は、兼部するクラブの方に行って、部室代わりのこの教室には、ネコ先輩と私だけが来ていた。
「最近の活動はどう? もし、他に依頼に来ている生徒がいないなら、相談したいことがあるんだけど……」
私たちの顔を見るなり、先生はこう切り出した。
自分のクラスを受け持つ担任教師の唐突な質問に読んでいた文庫本を閉じたネコ先輩は、顔を上げて聞き返す。
「なんでしょう、ウサミ先生。新しいコスプレ衣装についての相談ですか? 前回ご相談に乗ってから、すでに数カ月が経過しますからね。そろそろ、また夜の生活がマンネリに陥る頃ではないですか?」
「うっ……どうして、それを……たしかに、夏休みが明けてから一ヶ月くらい、お互いに忙しくて、ご無沙汰だけど……」
「仕方がないですね。ハロウィンのイベントも、もうすぐですし、ここは新しいコスプレ衣装を提案させていただきましょう」
ネコ先輩は、そう言って、先日の『ユニバース25』の実験説明でも大活躍したネズミのパペットを取り出す。
どうでも良いけど、生物学的な性別が女子しかいないこの空間で、どうして、こんなオッサン臭い会話になってしまうんだろう?
そんなことを感じながら、私が新書の本を閉じると、いつものようにネコ先輩の寸劇が始まった。
◆
雄ネズミ:最近、マンネリだな〜。ミミコの衣装にも存在自体にも飽きてきたって言うか……
雌ネズミ:ジャ〜ン! ア◯ゾンから、こんなの届きました〜。ハロウィンのもこもこコウモリのコスで〜す! でも、ちょっと、セクシー過ぎかな? (照れ照れ)
商品名:[ミルティータイム] コウモリ ハロウィン コスプレ 吸血鬼 ヴァンパイア 仮装 悪魔 コスチューム 大人 網タイツ付きセット
雄ネズミ:ん? 黒いマントに黒い耳、黒のミニスカートに黒い網タイツ……ほう〜、いいじゃないか? こういうのでいいんだよ、こういうので……(ハァハァ)早速、着てみるでチュー!
雌ネズミ:もう、ホントに好きなんだから…… (照れ照れ)
\お着替え中/
雌ネズミ:ジャ〜ン! 着てみました〜。どうかな(照れ照れ)?
雄ネズミ:うん、良いんだけどね? バンパイアが変身するコウモリなら、当然、血を吸うよね? まだ、足りないところがあるな……。ちょっと、メイク用のリップを貸してみ?
\ルージュのリップを受け取り、自分の口に塗り塗り/
雄ネズミ:さあ、これで準備できた。ミミコに足りないのは、コレだよ……
雌ネズミ:キャッ……(〃∇〃)
\雄ネズミが雌ネズミにディープキス/
雄ネズミ:ほら、鏡を見てみ?
雌ネズミ:あっ……(*´ェ`*)
ナレーション:ミミコちゃんの口元には、血が滴り落ちるかのような真っ赤なルージュが付いていました。
◆
ゴクリ――――――。
宇佐美先生が固い唾を呑み込む音が、そばにいる私の耳にも聞こえてきた。
「こ、この衣装、ア◯ゾンで買えるのね?」
「えぇ、今ならタイムセール価格で、税込み3820円です」
「わかったわ!」
そう言って、宇佐美先生はスマホで素早く商品名を検索し、あっという間に購入ボタンをクリックしたようだ。
そして、一連の動作を終えたあと、ようやく、我に返った先生は、今さらながらに
「違う! そういうことじゃな〜い!」
と立ち上がって声を上げる。
ただ、私とネコ先輩は、長い長い前フリのあとのノリツッコミを行う顧問教師に構うことなく会話を続ける。
「―――という訳で、ネズコくん。次回は、こんなシチュエーションで新作小説を描いてくれたまえ。ちなみに、雄ネズミと雌ネズミは、幼なじみ同士という間柄だから、ゆめゆめ、この設定を忘れないように」
「書きませんよ、そんな、トチ狂ったシチュエーション。私の創作活動に口を出さないで下さい」
「なっ、なぜだ! この溺愛&甘々シチュエーションさえあれば、ウェブ小説の閲覧数でもジャンルトップ間違いなしだ!」
「あきらめて下さい。こんなシチュで胸を熱くするのなんて、年下の彼氏とのレスに悩む20代後半の女性教師くらいです!」
キッパリとネコ先輩の依頼を断ると、それまで私たちの会話を黙って聞いていた宇佐美先生が青筋を立てて、握りこぶしを固めながら、
「あなたたち、それ以上、好き勝手に言うと、この生物心理学研究会の顧問を辞めるわよ?」
生心研の存続に関わる脅し文句を言い放った。
その一言に、ネコ先輩も私も、背筋を伸ばして、居住まいを正す。
「これは、失礼しました。気を取り直して、本題に入りましょう」
「最初から、そう言っておけば良いのよ」
憮然とした表情で返答する宇佐美先生だけど、ネコ先輩のパペット劇につられて、ア◯ゾンでコスプレ衣装を購入する瞬間を目にした私としては、目を合わせずに、「はい、申し訳ありません」と返事しつつも、肩を震わせてしまう。
そんな私のようすを気にする様子もなく、先生は持っていたファイル用具入れから、資料を取り出す。
「まず、見てもらいたいのは、このグラフなの」
先生が提示した画面には、極端な上下を繰り返している折れ線グラフだった。
「ほう、ダニング・クルーガー効果の成長曲線ですか?」
チラリとグラフを一瞥したネコ先輩は、フッとなにかを嘲さ笑うかのように表情を緩めた。