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第4章~第7話 ネズミの楽園・ユニバース25⑦~

ー/ー



 そんなことを考えていると、ふと我に返ったのか、「コホン……」と咳払いをしたネコ先輩が、解説モードに立ち返って語りだす。

「ともあれ、『ユニバース25』の実験結果を持って、ユートピア的な環境が、生物の衰退や滅亡をうながすという考え方は、その実験の意図からも、不誠実極まりない実験報告の内容からも肯定することは出来ない。ただ、その研究姿勢の不足点を指摘させてもらったカルフーン博士を擁護するとすれば、彼が、『行動的衰退』を説明するために、寄稿した文書に『人口密度と社会の病理』というタイトルを付けている」

 先輩の言葉を耳にした九院さんは、確認するように問いかけた。

「じゃあ、その博士自身も、楽園が生き物を滅亡に導く、という考え方はしてないってこと?」 

「あぁ。その考え方が広まったのは、さっき話した新聞メディアの報道の影響が大きいだろうからね。もっとも、いまでは、それを無批判に取り上げる雑学系動画の影響の方が、より深刻だが……」

 ネコ先輩の返答を聞いた九院さんは、「そっか……」と安堵したように、微笑む。そんな彼女に対して、先輩は、さらに言葉を続けた。

「もし、この不誠実な実験結果から、それでも何かの教訓を得ようとするなら、閉鎖された空間に大勢の人間を集めた過密状態は良くない、ということだ。避けるべきは、快適な家庭よりも、不特定多数の児童や生徒が集まる学校の教室や学生寮、それに放課後の学童保育の施設などが、この条件に当てはまるな」

「あっ、そっか! たしかに、そうだね」

「キミの従兄弟くんは、精堂(せいどう)小学校に通っていると言ってたね? 何を隠そう、ワタシもあの学校の卒業生で学童保育にも入所していた時期がある」

「えっ、そうなの? アタシん()は、高志の実家から歩いて5分程のところにあるんだけど、高志とは小学校の校区は違うんだよね」

「うむ……それなら、彼が通っている学校や学童の雰囲気が判らないのも無理はない。これは、ワタシの個人的な体験であることと、日本全国の学童保育には様々な運営形態があるそうだから、一般化できる話ではないということだけは、あらかじめ、ことわっておくが―――それでも、個人的経験から言わせてもらえば、従兄弟くんが夏休みの間、キミの家で過ごしていたことは、彼の心身にとって、とてもポジティブな結果をもたらしたはずだ」

「ホ、ホントに!?」

「あぁ、今でも、ときどき学童保育で過ごした夏休みのことを思い出すよ。朝から夕方まで狭い教室の中で長時間過ごしていたときのことを……冷房が効いて、お弁当や、おやつは食べられるものの、熱中症警戒アラートのせいで、外には出られず箱詰め状態……子ども同士、密室、40日間。何も起きないはずがなく……だ」

「そ、そっか……」

「ワタシも先生方に迷惑を掛けたし、他の子に対してもそうだったから、あまり施設のことをとやかく言える立場ではないことを承知した上で言わせてもらえば――――――親戚の家とは言え快適な環境と過密状態でストレスフルな教室や学童保育、どちらが『ユニバース25』の実験施設の実態に近いかは言うまでもないだろう? だから、キミや従兄弟くんの家族が、夏休み中に彼にしてあげたことは間違っていない。長い夏休みの間、キミの家で過ごして心身の充電が出来たからこそ、従兄弟くんは二学期の学校に通えているハズだ。これは、同じ経験を持つ者として断言させてもらおう」

「あ、ありがとう……」
 
 珍しく柔和な表情を浮かべたネコ先輩が、優しく九院さんの肩に手を置くと、彼女は目尻に光るモノを指で拭う。なんだか、人情ばなしで話をまとめるグルメ漫画みたいな展開だけど、どうやら、九院さんの相談は無事に解決したようだ。

 自分のことではないけれど、私も安堵してホッと一息ついたとき、会議室のドアがノックされて、男子生徒が顔をのぞかせた。

禰子(ねこ)、さっき、宇佐美先生に会ったら、今日中に第三会議室を片付けておいてね、だって。ボクも片付けを手伝うから、お話が終わったら教えて」

「ヨ、ヨウイチ!」

 幼なじみの突然の来訪に驚き、九院さんの肩から手を離すネコ先輩。そんな風にあたふたして、すぐに返答できない先輩に代わって、突発的な出来事にも動じない佳衣子が答える。

「あっ、日辻先輩! 今回のお悩み相談なら、たったいま無事に解決しましたよ。そうですよね、九院先輩?」

「えっ? あっ、そうだね。ありがとね、朱令陣(しゅれじん)

 笑顔で返答する九院さんの表情を確認しながら、日辻先輩は、

「そうなんだ。それじゃ、すぐに片付けちゃおうか」

と言って、会議室に入ってきた。そんな上級生男子に対して、佳衣子が声をかける。

「すみません。日辻先輩、ちょっと良いですか? あたし、先輩に聞きたいことがあるんですけど、ここの片付けは、それを聞かせてもらってからでも良いですか?」

「ん、なんだい、蚕糸(さんし)さん? 聞きたいことって」

 下級生の突然の問いかけにも、柔らかな笑顔で応対する日辻先輩。そんな上級生に、我が親友は、とんでもない豪速球の質問を投げつけた。

「はい、さっき、ネコ先輩から、日辻先輩の部屋で、ギャルの女の子がどうとかってタイトルのコミックが何冊も見つかった、って言ってたんですけど……先輩は、そういうタイプの女子が好みなんですか?」

 無邪気を装った佳衣子の質問に、第三会議室の空気が一瞬にして凍りつく。

「ちょ、ちょっと……佳衣子!」

「な、な、な、ナニを言ってるんだ! 蚕糸さん! ワ、ワタシがそんなこと言いふらしたりするハズないじゃないか!」

 空気を読まない親友の発言に、私もネコ先輩も焦りながら、質問をした彼女をたしなめようとする。
 ただ、日辻先輩は、少しだけ困った表情で、

「禰子、勝手にボクの本棚をチェックしたの?」
 
と、たずねたあと、「あっ、あの、それはその……」と、九院さんに隠れるように身を縮めるネコ先輩に対して、「まったく、しょうがないなぁ……」と、つぶやいたあと、意外な真相を語ってくれた。

「キミたちが、彼に会う機会は無さそうだから、まあ、バラしちゃっても良いか……実は、そのコミックは、中学の時に同じ塾だった友だちの緑川くんが、しばらく預かってくれ! って言って置いていったものなんだよ。なんでも、彼と同じクラスの白草四葉ちゃんって言う配信者(ストリーマー)をやってる女子に、配信動画で『男の子の友だちから聞いたんだけど、こんなタイトルのコミックが人気なの?』って感じで、内容をバラされそうになったんだって。彼は、同じ学年に気になる女子がいて、その彼女が自宅に遊びに来ることになったから、自室にその作品を置いておけない……ってことで、ボクが一時的に預かることになったんだ。そろそろ、引き取りに来てほしいんだけどねぇ……」

 苦笑いしながら下達日辻先輩の言葉に、一瞬にして、パァッと明るい表情に戻るネコ先輩。
 
「良かった。日辻先輩がギャル系女子が好みだってのは、誤解だったんですね! ところで、先輩は、どんなタイプの女子が好みなんですか?」

 ネコ先輩の表情をニヤニヤと見つめながら、ここぞとばかりに質問を畳みかける佳衣子。そんな後輩女子の不躾な質問に、苦笑の度合いを深めながら、日辻先輩は答える。

「それは――――――秘密です」

 人差し指を唇の前にあて、ウインクひとつ。いまや古典と言って良いかも知れないファンタジー系ライトノベルの元祖的作品の登場人物のように言葉を結ぶ幼なじみの言葉も、ネコ先輩の耳には最後まで届いていなかったのかも知れない。

「聞いたかい、九院さん。どうやら、キミや桑来さんは、ヨウイチのストライクゾーンには入っていないようだ」

 パシパシと、肩を叩いてくるクラスメートの言動に苦笑しつつ、

「あ〜、アタシ、朱令陣に、めっちゃ失礼なこと言われてる気がするんだけど……」

と言いながらも、寛容な態度でその行為を咎めることはない九院さん。

 ネコ先輩、あなたが存在を否定する、陰キャに優しいギャルは、実在しますよ……と感じつつ、私は、目の前の現実から目を背ける先輩の態度について、科学的な見地からの疑問を感じずにはいられなかった。


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 そんなことを考えていると、ふと我に返ったのか、「コホン……」と咳払いをしたネコ先輩が、解説モードに立ち返って語りだす。
「ともあれ、『ユニバース25』の実験結果を持って、ユートピア的な環境が、生物の衰退や滅亡をうながすという考え方は、その実験の意図からも、不誠実極まりない実験報告の内容からも肯定することは出来ない。ただ、その研究姿勢の不足点を指摘させてもらったカルフーン博士を擁護するとすれば、彼が、『行動的衰退』を説明するために、寄稿した文書に『人口密度と社会の病理』というタイトルを付けている」
 先輩の言葉を耳にした九院さんは、確認するように問いかけた。
「じゃあ、その博士自身も、楽園が生き物を滅亡に導く、という考え方はしてないってこと?」 
「あぁ。その考え方が広まったのは、さっき話した新聞メディアの報道の影響が大きいだろうからね。もっとも、いまでは、それを無批判に取り上げる雑学系動画の影響の方が、より深刻だが……」
 ネコ先輩の返答を聞いた九院さんは、「そっか……」と安堵したように、微笑む。そんな彼女に対して、先輩は、さらに言葉を続けた。
「もし、この不誠実な実験結果から、それでも何かの教訓を得ようとするなら、閉鎖された空間に大勢の人間を集めた過密状態は良くない、ということだ。避けるべきは、快適な家庭よりも、不特定多数の児童や生徒が集まる学校の教室や学生寮、それに放課後の学童保育の施設などが、この条件に当てはまるな」
「あっ、そっか! たしかに、そうだね」
「キミの従兄弟くんは、|精堂《せいどう》小学校に通っていると言ってたね? 何を隠そう、ワタシもあの学校の卒業生で学童保育にも入所していた時期がある」
「えっ、そうなの? アタシん|家《ち》は、高志の実家から歩いて5分程のところにあるんだけど、高志とは小学校の校区は違うんだよね」
「うむ……それなら、彼が通っている学校や学童の雰囲気が判らないのも無理はない。これは、ワタシの個人的な体験であることと、日本全国の学童保育には様々な運営形態があるそうだから、一般化できる話ではないということだけは、あらかじめ、ことわっておくが―――それでも、個人的経験から言わせてもらえば、従兄弟くんが夏休みの間、キミの家で過ごしていたことは、彼の心身にとって、とてもポジティブな結果をもたらしたはずだ」
「ホ、ホントに!?」
「あぁ、今でも、ときどき学童保育で過ごした夏休みのことを思い出すよ。朝から夕方まで狭い教室の中で長時間過ごしていたときのことを……冷房が効いて、お弁当や、おやつは食べられるものの、熱中症警戒アラートのせいで、外には出られず箱詰め状態……子ども同士、密室、40日間。何も起きないはずがなく……だ」
「そ、そっか……」
「ワタシも先生方に迷惑を掛けたし、他の子に対してもそうだったから、あまり施設のことをとやかく言える立場ではないことを承知した上で言わせてもらえば――――――親戚の家とは言え快適な環境と過密状態でストレスフルな教室や学童保育、どちらが『ユニバース25』の実験施設の実態に近いかは言うまでもないだろう? だから、キミや従兄弟くんの家族が、夏休み中に彼にしてあげたことは間違っていない。長い夏休みの間、キミの家で過ごして心身の充電が出来たからこそ、従兄弟くんは二学期の学校に通えているハズだ。これは、同じ経験を持つ者として断言させてもらおう」
「あ、ありがとう……」
 珍しく柔和な表情を浮かべたネコ先輩が、優しく九院さんの肩に手を置くと、彼女は目尻に光るモノを指で拭う。なんだか、人情ばなしで話をまとめるグルメ漫画みたいな展開だけど、どうやら、九院さんの相談は無事に解決したようだ。
 自分のことではないけれど、私も安堵してホッと一息ついたとき、会議室のドアがノックされて、男子生徒が顔をのぞかせた。
「|禰子《ねこ》、さっき、宇佐美先生に会ったら、今日中に第三会議室を片付けておいてね、だって。ボクも片付けを手伝うから、お話が終わったら教えて」
「ヨ、ヨウイチ!」
 幼なじみの突然の来訪に驚き、九院さんの肩から手を離すネコ先輩。そんな風にあたふたして、すぐに返答できない先輩に代わって、突発的な出来事にも動じない佳衣子が答える。
「あっ、日辻先輩! 今回のお悩み相談なら、たったいま無事に解決しましたよ。そうですよね、九院先輩?」
「えっ? あっ、そうだね。ありがとね、|朱令陣《しゅれじん》」
 笑顔で返答する九院さんの表情を確認しながら、日辻先輩は、
「そうなんだ。それじゃ、すぐに片付けちゃおうか」
と言って、会議室に入ってきた。そんな上級生男子に対して、佳衣子が声をかける。
「すみません。日辻先輩、ちょっと良いですか? あたし、先輩に聞きたいことがあるんですけど、ここの片付けは、それを聞かせてもらってからでも良いですか?」
「ん、なんだい、|蚕糸《さんし》さん? 聞きたいことって」
 下級生の突然の問いかけにも、柔らかな笑顔で応対する日辻先輩。そんな上級生に、我が親友は、とんでもない豪速球の質問を投げつけた。
「はい、さっき、ネコ先輩から、日辻先輩の部屋で、ギャルの女の子がどうとかってタイトルのコミックが何冊も見つかった、って言ってたんですけど……先輩は、そういうタイプの女子が好みなんですか?」
 無邪気を装った佳衣子の質問に、第三会議室の空気が一瞬にして凍りつく。
「ちょ、ちょっと……佳衣子!」
「な、な、な、ナニを言ってるんだ! 蚕糸さん! ワ、ワタシがそんなこと言いふらしたりするハズないじゃないか!」
 空気を読まない親友の発言に、私もネコ先輩も焦りながら、質問をした彼女をたしなめようとする。
 ただ、日辻先輩は、少しだけ困った表情で、
「禰子、勝手にボクの本棚をチェックしたの?」
と、たずねたあと、「あっ、あの、それはその……」と、九院さんに隠れるように身を縮めるネコ先輩に対して、「まったく、しょうがないなぁ……」と、つぶやいたあと、意外な真相を語ってくれた。
「キミたちが、彼に会う機会は無さそうだから、まあ、バラしちゃっても良いか……実は、そのコミックは、中学の時に同じ塾だった友だちの緑川くんが、しばらく預かってくれ! って言って置いていったものなんだよ。なんでも、彼と同じクラスの白草四葉ちゃんって言う|配信者《ストリーマー》をやってる女子に、配信動画で『男の子の友だちから聞いたんだけど、こんなタイトルのコミックが人気なの?』って感じで、内容をバラされそうになったんだって。彼は、同じ学年に気になる女子がいて、その彼女が自宅に遊びに来ることになったから、自室にその作品を置いておけない……ってことで、ボクが一時的に預かることになったんだ。そろそろ、引き取りに来てほしいんだけどねぇ……」
 苦笑いしながら下達日辻先輩の言葉に、一瞬にして、パァッと明るい表情に戻るネコ先輩。
「良かった。日辻先輩がギャル系女子が好みだってのは、誤解だったんですね! ところで、先輩は、どんなタイプの女子が好みなんですか?」
 ネコ先輩の表情をニヤニヤと見つめながら、ここぞとばかりに質問を畳みかける佳衣子。そんな後輩女子の不躾な質問に、苦笑の度合いを深めながら、日辻先輩は答える。
「それは――――――秘密です」
 人差し指を唇の前にあて、ウインクひとつ。いまや古典と言って良いかも知れないファンタジー系ライトノベルの元祖的作品の登場人物のように言葉を結ぶ幼なじみの言葉も、ネコ先輩の耳には最後まで届いていなかったのかも知れない。
「聞いたかい、九院さん。どうやら、キミや桑来さんは、ヨウイチのストライクゾーンには入っていないようだ」
 パシパシと、肩を叩いてくるクラスメートの言動に苦笑しつつ、
「あ〜、アタシ、朱令陣に、めっちゃ失礼なこと言われてる気がするんだけど……」
と言いながらも、寛容な態度でその行為を咎めることはない九院さん。
 ネコ先輩、あなたが存在を否定する、陰キャに優しいギャルは、実在しますよ……と感じつつ、私は、目の前の現実から目を背ける先輩の態度について、科学的な見地からの疑問を感じずにはいられなかった。