「―――と、ここまでが『ユニバース25』の実験の問題点、その1な訳だが……」
言葉を区切って語るネコ先輩に、九院さんと佳衣子が反応する。
「はあ? もう、問題点は指摘されたんじゃないの?」
「そうですよ! 今ので、十分にこの実験の実態がわかりましたから」
そんな声に困惑しながら、ネコ先輩は唇を尖らせながら言葉を返す。
「いや、昨日、この動物実験には、重大な欠陥がいくつもあるんだ、と言ったじゃないか……」
上級生の子供っぽい仕草に苦笑しながら、私は声をかけた。
「そう言えば、そう言ってましたね。他に実験の問題点があるのなら聞かせてもらえませんか?」
「フッ……さすが、ネズコくんだ。キミがそう言うなら、聞かせてあげよう」
別に助け舟を出したつもりはないけれど、ネコ先輩の機嫌が直ったことに安心しながら、相変わらず、面倒な性格の彼女の解説を聞くことにする。
「問題は、マウスの数の過密状態だけではなかった。カルフーン博士は、生物学的に理想的な環境だったと言うが、その点すら疑わしい実態があるんだ。彼は、同じ論文内で清掃頻度について異なる証言をしているんだ。本文では、4から8週間ごとに清掃、ディスカッション部分では、6週間から2ヶ月ごとに清掃と同じ論文内で話が変わっているのだ」
「へっ、そうなんですか?」
「そうなんです。基本的な実験管理すら把握していなかったのかもしれません。しかも片方では何も消毒しなかったと名言している。2200匹のマウスが、目の前にあるダンボールと同じ大きさの狭い空間に詰め込まれた状態で、最長2ヶ月間も清掃せず消毒もゼロ。大部分の汚いものは除去していたとあるが、大部分という言葉の幅は広いのでちょっと判断が難しい。想像してみてほしい。不完全な2200匹分の汚いものが蓄積された環境を……」
「う……ちょっと、それ以上は止めてくんない? 晩御飯が食べられなくなる……」
九院さんが顔をしかめながら訴える。彼女だけなく、食事の時間が近い人はごめなさい……。
ただ、私たちの反応をよそに、ネコ先輩は、いつものように饒舌に語り続ける。
「これのどこが理想的環境なのか? カルフーン博士は、閉鎖システムだから消毒は必要ない。一般的な実験室
より生存率が良いと主張しているが……このように不衛生な環境というだけでなく、他にも恐ろしい問題があるんだ」
「恐ろしい問題?」
「これまた同じく、現在のダンボールハウスの中と同じく、この実験は、たった4組、つまり8匹のマウスから始まっている。しかも使われたのは、BALBCという実験用に品種改良された、元々、遺伝的多様性が低いマウスだったんだ」
「それって、近親交配による問題が出る、ってことですか?」
「あぁ、そのとおりだ。この点で、この実験を一般の人間社会にあてはまることに疑問が生じる。実際、『極小集団
』での繁殖なので、このような実験では良くないだろう。さらに悪いことに、カルフーン博士の論文には、昨日、説明したボスネズミやニートネズミのように、性的なアプローチに積極的な個体や消極的な個体の行動についての記述がある。つまり、少数のオスが複数のメスを独占していた疑惑だ。これによって、ただでさえ少ない遺伝的多様性がさらに減少し、近親交配が加速度的に進行した可能性がある」
「うげ〜」
今度は、佳衣子が苦々しい表情を浮かべた。
「このような環境が引き起こす問題を考えてみよう。高密度プラス不衛性環境は、病気の完璧な培養皿です。カルフーンが観察した症状、不妊、行動異常、グルーミング、社会性の喪失。これらは本当に病気や遺伝などが原因でなかったと言えるのだろうか?」
ゲンナリしながら、私は答える。
「その環境だと、人間でもおかしくなりますよね……」
「さらに問題なのは、博士が病気の可能性を一切検証していないことだ。病理解剖もしていない、病理検査もしていない。ただ病気ではないと断言しているだけだ。つまり、『ユニバース25』のマウスたちは、不衛性環境による病気、近親交配による遺伝的多様性の欠除のダブルパンチを受けていた可能性がある」
「理科の授業で習いましたけど、近親後輩が進むと、遺伝的多様性が低下するんですよね」
「あぁ、ただでさえ病気にかかりやすい不衛性環境でさらに偏った個体が生まれ続けるという悪循環だな」
「それはかわいそうですね」
「母親の育児放棄にオスが繁殖行動をしないグルーミングばかりするニートの出現。これらは、近親交配や感染症に不衛生な影響のストレスなどの複合的な要因が原因である可能性が高い。カルフーン博士が観察した異常行動は、実はストレス以前の問題だったが極めて高い。次に第三の致命的欠陥だ」
「第三の欠陥?」
「『ユニバース25』は、25回目の実験であることをあらわしているということは、すでに述べたかも知れない。ただ、詳細な報告があるのは、この『ユニバース25』だけなんだ。他の24回の実験結果はどこに行ったのだろう? しかもカルフーンの記術によると全ての実験で問題が発生したわけではない。実はこれは、典型的なチェリーピッキングという手法である可能性が高い。複数の実験を行って、自分の仮説に都合の良い結果だけを報告し、都合の悪い結果は隠す手法だな。
「あっ、それ聞いたことあります! 綺麗で美味しそうなさくらんぼだけを果樹園のバイキングで取るイメージですよね?」
「あぁ、さらに全ての過密実験で問題が発生したわけではない。結果のばらつきが大きかったり、安定した個体軍もあったことが判明している。つまり、失敗例や都合の悪い結果は全て使用しなかった可能性があるんだ。このr0年間、我々はたまたま都合よく選ばれた1つの実験結果に踊らされ続けていたかもしれないのだ」
「はぁ……たしかに、問題山積みですね」
「そして、最後の第四の問題点」
「まだあるんですか!?」
「科学者なら異常な現象を観察した時複数の仮説を立てて検証することが多いだろう。でもカルフーン博士は、社会的要因以外の説明を完全に無視したんだ。例えば、問題のあるマウスを正常な環境に移して観察すると、仮に病気や遺伝的問題なら改善しないし、環境的問題なら改善するはずだ。実際、後続の他者の追試では高密度マウスを正常環境に移すと行動が正常化ている。さらに深刻なのは、適切な対象郡がないことだ。高密度が原因と主張するなら同じ遺伝的背景のマウスを低密度環境で飼育して比較するべきです。そして、無限の資源が原因と主張するなら資源制限のある環境と比較するべきだが、もちろんそれもしていない」
「つまり、どんな要因と比較してるかも分からない、と?」
「困ったことにそのとおりだ。カルフーン博士は、仮説ではなくすでに確信している結論を証明しようとしていただけだと言える。近親交配、病気、データの隠蔽、非科学的手法……これ全部が重なった結果が、『ユニバース25』の奇跡だった、というわけだ」
「なるほど……よくわかりました。説明ありがとうございます」
私が、頭を下げてお礼を言うと、ネコ先輩は、「うむ!」と満足気にうなずく。
そのようすを見ながら、佳衣子が、こっそりと耳打ちをしてくる。
「音寿子、先輩のあしらい方が上手くなったね。あたしなんて、半分くらい話を聞いてなかったよ」
その言葉が耳に入ったのか、九院さんが苦笑する。
そして、二人に、先輩の長い話に付き合ってくれたことに対するお礼の視線を送った後、私は、最後の質問をした。
「でも、どうして、そんな実験で生じたニートマウスや育児放棄マウスなどの特性に注目するヒトが多いんですかね?」
「それは……ヒトは自分の見たい属性や特性を見出してしまうものだからだろう。たとえば、オタクに優しいギャルなどとという、有りもしない幻想を追ったりな。まったく! なぜ、ヨウイチの部屋に、『オタクだってギャルを愛したい』と『古泉ん家はどうやらギャルの溜まり場になってるらしい』『ギャル達ハーレム』なんてマンガが存在するんだ!」
そんな上級生の心の叫びに対して、佳衣子はニヤニヤとした笑みを浮かべている。
あ〜、最近、ネコ先輩が、九院さんや桑来さんのギャル系の女子をやたらと敵視しているのは、それが理由だったのか……。それにしても、日辻先輩、意外な趣味と言うか性癖を持ってるな―――。
だけど、幼なじみとは言え、どうして、ネコ先輩は男子の部屋に置いているコミックのタイトルなんて知ってるんだろう?
私でさえ、最近のケンタが、どんなマンガを読んでいるかなんて知らないのに……。