第18話 イメイア家 ①日傘の少女 -1/2-
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六月十九日。
初めての模擬戦が終わって、三日が過ぎた。
この日は休日で、プラグは一人坂道を登っていた。初夏の日差しが少し眩しい。
プラグは候補生の夏服姿で、青い半袖の下に白い七分袖を着ている。
首都キルトの東側は高台になっていて起伏が激しい。
途中までは坂道だが、途中からはほとんど階段になっているので石段を踏みしめて上っていく。ラ=ヴィアとナダ=エルタがいて、二人は霊体で浮遊している。
首都キルトには水色の漆喰と青い屋根が多いが、この辺りは土壁、石壁、赤、灰色などの屋根も多かった。
階段の途中にお洒落な家があり、猫がいて、入り口前の石畳を歩いていた。
絵葉書になりそうな街並みだ。
プラグは頂上の教会を目指している。
道は知らないが、目的地は見えているし、階段も整備されていて分かりやすい。
それに時折、礼拝を済ませた貴婦人が降りてくるので迷うことは無い。
遠くから見ると小山だが実際に登ってみればたいした距離に感じない。
階段は緩く折り返しながら頂上へ続いていて、あと二、三回も折り返せば頂上に着く。
途中に少し拓けた場所があり、二つ、石のベンチが置かれていた。
立ち止まって振り返ると、少し遠くが見渡せた。
「この辺りは景色が綺麗だな」
『そうですね!』『みー、綺麗だミー』
ナダ=エルタが霊体のまま返事をした。ラ=ヴィアもみーみー言っている。
石の塀は、石のベンチに座るとちょうど景色が見られる高さだ。
良く出来ているなと感心して、今はまだ座らずに進む。
兄妹らしき子供が地面に石で落書きをしていた。
プラグは微笑んで家屋の間にある細い階段を上がろうとした。
しかし先に降りて来る少女がいたので、しばらく避けて待つ事にした。
少女は白い日傘を差していた。
顔は見えないが、青いケープは貴族の証だ。
ドレスは淡いクリーム色。ピンク色の細い縦縞が入っていて肘までの白手袋が見える。
最近、縦縞が流行っていた。カルタの巫女サリーが仕掛け人だ。チェック柄は秋冬に流行らせると先日届いた手紙に書いてあった。
「どうも」
その貴族少女がすれ違い様に会釈をした。
すれ違ったので、プラグは階段を上がろうとしたのだが。
「……あの? すみません」
五段ほど登った所で背後からその少女に声を掛けられた。
「はい?」
プラグは振り返って首を傾げた。
「あなた、プラグ様ではありませんか?」
「――え?」
名前を言われてプラグは首を傾げた。
少女は日傘を畳みながら、驚いた様子で続けた。
やや赤みがかった茶髪、巻き髪の少女で、茶色っぽい瞳をしている。
前髪を長く伸ばして、左右に分けて額を広く出している。左右の髪を細く長い三つ編みにしていて、三つ編みの根元と毛先に白いリボンを付けていた。後ろ髪は腰まであるようだ。
「私、アルマティラと言います――精霊騎士の候補生だったのですけど、覚えていらっしゃいますか? もう辞めてしまったのですけれど」
言われて、プラグは思い出した。
「ああ、そう言えば……いたような」
記憶力はいい方なので覚えていた。確か、二日で辞めた貴族女性の一人だ。
少女は笑顔になった。
「やっぱり。少しお時間頂けますか?」
「? 何かご用ですか」
プラグは首を傾げた。
プラグは銀髪が目立つので声を掛けられることは良くある。顔を出していると無駄に絡まれる事もあったので、見知らぬ人の場合は少し距離を取るのを習慣にしていた。
「いいえ、久しぶりにお会いしたので、皆様の様子を知りたくて。私、すぐ辞めてしまって、凄く後悔しているんです。ちょうど、そこにベンチがありますから、少しお時間頂けますか? ぜひ」
「ああ……少しなら」
「良かった」
少女――アルマティラは左側のベンチに、景色が見える向きで腰掛けた。
「どうぞ、そちらのベンチに」
アルマティラは右側のもう一つのベンチを勧めたが、プラグは断った。貴族女性と並んで座る事はできないのだ。
プラグは二メルトほど離れ、彼女の左斜め後ろに立った。
「お兄ちゃん、あれ取ってくる」「ん、俺は枝、さがす」
近くで兄と妹が話している。
「――皆様はどんなご様子ですか? 元気にされていますか」
アルマティラがプラグのいる左側を振り返って言った。
「そうですね。皆、元気です」
「それなら良かった。差し支えなければ。今、どんな事を勉強されていますか?」
プラグは勉強については、他の候補生より進んでいるので、どう答えた物かと思った。
たくさん教科があるのだが、一括りにするなら一般常識、なのだろう。
「色々ですね。数学や一般常識……あとは古代語や歴史とかです」
「まあ! では精霊術については? 何か学びましたか。戦いについてですけど」
「戦闘は大変です」
「今何をされてますか?」
「すみません、あまり詳しくは言えなくて」
一応、機密……になるのだろう。まさか『訓練で死んじゃってもイイヨ』と言う念書を書いたところです、なんて言えない。
アルマティラは「ああ、そうですわね」と言って頷いて、前を向いた。
「私、本当に辞めなければ良かったと思って、あれから少し勉強をしているんです。あ、独学では無く先生に教わって」
「そうなんですね」
プラグは少し微笑んだ。彼女は貴族だろうから、無理に騎士を目指すことは無い。プレートの扱いに関しては巫女やプレート学者も教えている。ただしどちらも教師の資格が必要で、教える相手は貴族に限られている。そもそもプレートが高価なので貴族の中でも名家でなければ用意ができない。
そこで彼女はドレスと共布の鞄から何か取り出し、立ち上がって、振り返って、プラグに差し出した。手紙のようだった。
「あの、これ、良かったら。元、近衛騎士団の方に教わっているんですけど。勉強会の紹介状です。場所も、近衛の候補生宿舎内ですから、近いですよ」
「えっと……? ですが、そこは貴族でないと入れないのでは?」
「私の紹介があれば大丈夫です。私はアルマティラ・ラ・イメイアと申します」
プラグは名前を聞いて驚いた。
『イメイア家』と言えば『王族縁者』……降嫁した王族の末裔で、その中でも血筋が確かな、五家のうち一家で、名家中の名家だ。階位は侯爵で当主のイメイア侯爵は評議員にもなっている。ちなみに五家のうち三家は公爵で王族の『一級縁者』と呼ばれている。残り二家はイメイア侯爵家と、もう一家のハイン家は男爵だが、この二家は『二級縁者』と呼ばれていて、三十家ある『三級縁者』とは格が違うし、他の侯爵家やその他貴族も相手にならない。
プラグは恐縮して首を振った。
「すみません、身分が無いので、受け取れません」
プラグは距離を取って、手を後ろで組んだ。
受け取ってしまったら最後、絶対に行かなくてならない。そんな恐ろしい招待状は絶対にいらない。
アルマティラは気さくに近づいて来た。
「あら、プラグ様なら、皆さん歓迎して下さると思いますよ。噂は聞いていますもの」
プラグは内心で青ざめ、さっともう一歩下がった。
アルマティラが微笑んで続ける。
「プラグ様はとてもお強い方で、戦いも勉強も一番だと、良い評判ばかりですわ。先生方もとても会いたがっていましたもの」
プラグはさらに青ざめた。
……プラグは先日、レイン・サルザットと問題を起こしたばかりだ。どんな歓迎か考えるだけで恐ろしい。絶対にいびられる。
「申し訳ありません。今の環境で充分ですので――では、もう時間なので、失礼致します」
深く頭を下げて、とりあえず丁寧に言って逃げる作戦で、振り返らずに立ち去った。
(王族縁者が一人で歩いているなんて。なんて恐ろしい街なんだ……!)
プラグは階段を上りながら考えた。程なく、教会に着いた。
この教会は小山の上に建っているので、ここまで馬車が入れないのだろう。
途中までは坂道だから、あの少女は途中まで馬車で来たのかもしれない。人の気配は無かったから、護衛も連れずに……。それだけ治安が良いのだろうが、ここは少し外れなのであまり良い事では無い。
(貴族には関わらないようにしよう)
レイン・サルザットの件もあるし。貴族は服装で分かるのだから出会わないようにすればいい。
「今日は四回も話しかけられたな……」
プラグは溜息を吐いて呟いた。
『主、目立つから……』
ラ=ヴィアが言った。
『顔を隠した方がいいのでは?』
ナダ=エルタが言った。
プラグは溜息を吐いた。銀髪が目立つのと、あとはこの制服だ。首都の中心部でプラグに話し掛けてくる人は、大抵、しばらく制服を見て、その後プラグの髪を見て、目を見て「ああ」と笑顔になり気さくに話し始める。
一人目は八百屋の女性。
たまに買い物をするのでこの場合は『顔見知り』だ。
ただ、そこに別の女性が来て、世間話が始まってしまった。隊長や皆さんによろしくと言われ「はい」と笑顔で答えた。
プラグは教会へ行く目的があったので、「ではこれで」と言って去ろうとしたのが。ちょっと待ってと引き留められて、店の品物を渡されかけた。しかも結構、どっさりと。
「そんな、こんなに頂けません。また買いに来ますから」
「いいよ、持って行きなよ」
「すみませんが、東の教会に行くので……持てなくて」
「ああそうか、荷物になるね。じゃあ、また来てね、おまけするから」
「いえ、お気遣いなく。でも、またそのうち来ますね」
プラグは微笑んで立ち去った。普通のやり取りだ。
次は屋台の前で話し掛けられた。
プラグが普通に歩いていると、プレッツェル――細いパンを売っている屋台があった。
屋台には焼き上がったパンがざっくり詰まれている。細く錬った生地を丸型や面白い形にしてあって、ここのプレッツェルは双葉を根元から半分ほどくっつけたような、かわいい形になっていた。
ちょうど店主と男性客が話し込んでいる。
用は無いので通り過ぎようとしたら、「ん?」と言われて店主に話しかけられた。
「あ、ちょっとそこの、君!」
道には他にも人がいるし、プラグは気のせいと思い通り過ぎようとしたが、「そこの白い子! 君だよ」と言ってもう一度呼び止められた。
どう考えてもプラグの事だったので、立ち止まって屋台を見た。
「俺ですか?」
売るつもりの呼び込みか、と思い、まあラ=ヴィアとナダ=エルタもいるから買ってもいいか、くらいに思っていたのだが。
「あんたプラグさんじゃないか。一つ食べて行きなよ」
呼び込みには違い無かったが、主人はプラグの名前を知っていた。
「あれ? 名前……」
「ああ、ええと三日前、女房がアレを見に行ってな、白い子がいたって言うからさ」
説明は適当だったが、なんとなく分かった気がした。
男性客は首を傾げているので、そちらに向けて店主が説明する。
「ほら、精霊騎士の候補生。良い方の。こないだ、公開の模擬戦があって、俺の女房が行ったわけ、あそこの手伝いしてるからなぁ。んで、この子が首席なんだってよ。お前さんだよな? プラグ・カルタって」
「あはい、そうです」
どうやら、先日の模擬戦を見た人が話したらしい。
「えらく強いって話じゃないか。あの名門カルタ家の出身で、細っこいのに? 銀髪だって聞いてたから、それだと思ってよ。しかし……はぁーやっぱ違うねぇ精霊騎士は! 頑張れよ、あ、一個持ってけ。タダでいいぞ」
すると隣にいた男性客が小銭を出した。
「はは、おいおい、育ち盛りが一個じゃ足りないだろ、もう二、三個持って行け、俺が奢ってやら」
「そんな、いいですよ、普通に買います」
すると男性客が笑った。
「精霊もいるんだろ? 気にすんな。お前さんにゃ、誰がついてるんだ?」
「えーとなんて言ってたかな、氷の何とからしいぞ。セラ国生まれの。若い精霊」
男性客の言葉には店主が答えた。
「詳しいですね? ナダ=エルタです」
「もしかして、今日、連れて来てるのか?」
「はい」
「おお。見せてくれるか」
「あ、はい……ナダ、出てきて、挨拶して」
精霊は人と見た目が違うので、おおっぴらに連れ歩く事は無いが、ここまで知っているなら別に出しても問題は無いはずだ。
「あ、……こんにちは。ナダ=エルタです」
ナダはもじもじと恥ずかしそうに挨拶をした。
「ひゃーこりゃまた、今風の精霊だな、へぇ、でも可愛いな。セラ国かぁ。さすが新精霊。ほら、一つ持ってけ。あ、うちの女房、あそこの公爵の大ファンでな。絵ばーっか買ってやがる。ミチラナって言うんだが。もし見かけたらよろしくな」
名前に覚えがあったので、プラグは微笑んだ。
「ああ。その方なら知っています。そうなんですね。奥さんだったんだ」
「おおそうか」
「いつも良くして頂いてます。あ、もう一つ買います、下さい」
プラグは金を渡した。これは早くしないと奢られてしまうので、さっと出し、ラ=ヴィアの分を支払った。
そして奢られてしまった分と合わせて二つ受け取った。一つずつ紙に包んであるのでそのまま持って歩ける。わざわざ焼きたてをくれた。
「熱いぞ。もう一つでいいのか?」
「はい、精霊がもう一体いるので。恥ずかしがり屋なので出て来ませんが。その子の分です」
「そうなのか。へぇー。へぇー、奢りで良いんだがなぁ」
「いえ実は、さっきも断った所なんですよ、向こうの通りで……」
プラグは笑って、少し後ろを振り返った。
「ははは、そうか。皆、もう噂してるからなぁ」
プラグはナダに手渡した時に、気が付いて、彼女に声を掛けた。
「あ、そうだナダ、お礼を言って」
ナダは「ありがとうございます! 美味しく食べます!」と嬉しそうに言って頭を下げた。
店主と男性客が微笑んだ。
「あ、そろそろ行きます。約束に遅れちゃう」
「お、どっか行くのか」
「ええ、礼拝に。向こうまで」
「おお――! 関心だねぇ。じゃ、引き留めちゃ悪いな、気を付けて」
「はい」
プラグとナダは手を振って後にした。
「ナダ、良かったな」
「はい」
ナダ=エルタはラ=ヴィアの分も持ち、嬉しそうに匂いを嗅いでいる。
「ラ=ヴィア、もうちょっと行って、その辺で食べるか」
出て来ると話が長くなるのでラ=ヴィアは霊体のままでいた。
ラ=ヴィアが頷いて辺りを見回す。
ちょうど良い場所は無さそうだ。余裕を持って少し早めに出て来たので、ゆっくりしても問題は無い。プラグの息抜きでもあるが、精霊達の休みでもある。
「ナダは食べるの好き?」
「はい。そう言えば、セラ国ではあまり食べませんでした」
「もらえないの?」
「いえ、確か、持ち主が出していると聞いた事があります。あ、でも厨房でまかないをもらう事は良くありました。美味しかったですよ」
「なるほど」
「散歩もあんまりしなかったので、楽しいです」
「街並みは違う?」
「全然違いますよ。セラ国の道はもっと真っ直ぐで広いです」
「へぇ」
「み? そう言えば、セラ国で友達はいた? 厨房、一人だったの? 精霊はいた?」
ラ=ヴィアが実体化して、ナダ=エルタに尋ねた。
精霊はお互いに霊体同士、実体化同士であれば姿が見えて会話できるのだが、片方が霊体だと実体化している方からは見えない。
ただ力の強さによっては、何となくそこにいる、というのは分かる場合もある。
これが『プラグ』の『霊体の精霊に気付ける、うっすら見える』状態だ。
稀に霊体の声が聞こえる、という精霊もいるのだが『プラグ』も『カド=ククナ』も耳には特別な力が無く、霊体の声は聞こえない。
「ああ、ウェラさんという湧き水の精霊と、ポレさんっていう熾火(おきび)の精霊がいて、その二人に色々教えてもらいました」
ウェラ=エルタ――短い水色髪、青い瞳の精霊で、元気が良くてお喋り好きだ。
ポレ=ナーダ――彼女は赤い髪を、高い位置で二つ結びにした精霊で、橙色の瞳とくるっとした前髪が特徴だ。
「ウェラとポレ! 懐かしい。元気だった?」
「はい、元気ですよ。ウェラさんは魚料理が得意で、ポレさんは凄い腕前でした。炒めもの、焼き物は天才的で、包丁捌きが目に見えないくらいで、盛り付けや飾り切りも凄かったです。何か、すぱぱぱビラビラ~って」
「へぇ。……ポレが?」
プラグは彼女を思い出して腕を組んだ。
ラ=ヴィアも瞬きをしている。
「意外。ポレって料理してたっけ?」
ラ=ヴィアが言った。ポレは火の精霊だが、熾火だからか炎を纏っていない。肌の色も人に近い精霊で、常時実体化しても問題はなさそうだが料理をしているのは見た事が無い。
まさに意外といった感じだ。
「ウェラも魚、料理するんだ?」
プラグは言った。水の精霊はクロスティアでは魚と友達、と言う事が多かったのだが、どういうわけかこちらの魚を食べることにあまり抵抗はないらしい。
プラグも、確かに喋らないし念話もしてこないので別物という気がするが、良くそのままの形で出て来るので、食べる時は少し心が痛む。それはそれとして美味しい。
魚はどうしても駄目と言う水精霊もいるのだが、長く過ごして慣れていることも多い。
が、料理するとなると珍しい。
「お二人ともやってみたら意外といけた、って仰っていましたよ。ポレさんは自分で火加減の達人だって仰っていました」
「へぇー、そうなんだ」
話しながらしばらく歩くと、繁華街から外れ、木が増えてきた。
見ると、道の端に井戸があった。井戸の側にはベンチがあるが、今は誰もいない。石段があって、階段を上がったところに共同のかまどがあるようだ。パン焼き屋、とも呼ばれる場所で家にかまどがない場合は、ここでまとめて焼いてもらう。周囲には誰も居ないが、見上げると煙が上がっていた。
「あ、ここは?」
ラ=ヴィアが空中で停止して言った。
「丁度良いな。食べよう」
「主の分は? はんぶんこする?」
「俺はいいや。お昼食べたばかりだし。二人で食べて」
「み!」
「頂きます」
プラグは、ラ=ヴィアとナダ=エルタを座らせて、自分は適当に周囲を見た。
すると三人の女性が、通りを横切って、こちらに歩いて来た。
三人とも紺色の三角布で髪を覆っている。
うち二人は四十代、五十代くらい。最後の一人はまだ若く十代に見える。女性達はパンを焼いてもらいに来たようで、それぞれハンカチをかけた籠を持っている。
服装は茶色いベストに飾り気のないブラウス、エプロン、長めのスカートだった。スカートの色は四十代、五十代の女性が紺色、女性が若い女性が赤、足元はブーツでは無く平靴を履いている。
女性達はプレッツェルを食べるラ=ヴィアとナダ=エルタを見て、驚いた顔をした。
「あ、すみません、お邪魔してます」
プラグが言うと「ああ、いえ、どうぞ」と言って足早に階段を上ろうとしたのだが。
最後の一人、金髪の若い女性が立ち止まって――プラグの制服をじっと見た。
「あの、もしかしてー、精霊騎士……クロスティアの方ですか?」
首を傾げて、かなり控え目に尋ねてきた。
「あ、いえ、俺はその候補生です」
プラグが答えると女性はぱっと表情を明るくした。
「そうなんですね! わぁ、ちょっと待って下さい!」
そして早足で先に行った二人にパンを預け、戻って来て、ラ=ヴィアとナダ=エルタが食べ終わるまでの短い間、少し会話した。彼女は一年程前、近所で火事があったとき、水の精霊が火を消すのを見た事があるという。
「結構広がる勢いだったんですけど。その時、街にいた、赤い髪の女性隊士が駆け付けてくれて、すぐ火を消してくれて。そちらの精霊さんって水の精霊ですよね? あの時とは違う方だと思いますけど、ありがとうございました」
「そうだったんですね。赤い髪……アプリアさんかな」
「ああ、そんな名前だったかも。そうだ、アプリア・ナナさんだったかな。首都の、お屋敷のお嬢様で、髪が凄く短くて、美人で背が高くてスタイルの良い……」
「じゃあアプリアさんだ。お礼を伝えておきます」
プラグは微笑んだ。
精霊にはそんな使い道もあるのだと感心した。
するともう一人の女性が「何話し込んでるの?」と様子を見に来た。
「お母さん、この方、アプリアさんの知り合いだって、ほら、火事の時の女性。精霊騎士の候補生さんだって」
「ああ、そうなんだね。今日はお休み?」
「はい」
そこから少し雑談になった。
彼女達はさすがにプラグの事を知らないようでほっとした。
「パンが焼けていたら差し上げたのに」と残念そうにしたが、ナダとラ=ヴィアがプレッツェルを食べ終えた辺りで分かれた。
――そんな感じで、先程の貴族女性は四回目だった。
余裕を持って出て来たはずが、これ以上は遅れる、とプラグは焦っていた。
プラグは髪が目立つから、話しかけやすいのだろう。
「あ」
山頂の教会に着いてすぐ、見晴らしの良い場所にアルスがいて、塀に手をかけていた。
ここにもベンチがあって、先程、中腹にあった物と同じく石造りで、塀の側に幾つか置かれている。高い場所にあるからか、塀は先程より高めになっている。ちょうどアルスの腰より少し上だ。
アルスは初めて見た時と同じ、白い七分袖のワンピースを着ていた。三角の襟がついていてそでが少し広がっている。中に黒い長袖を着ているので、黒い袖が少し見えている。コルセットは無く、ウエストは金属の輪が連なっただけの簡素なベルトで留めている。
足元はいつものブーツだった。
鮮やかな赤い髪に白がよく似合う。少し風が吹いていた。
「――あ」
アルスがプラグに気付いて振り返った。
「ごめん、遅くなった」
プラグが手を振ると、アルスが微笑んだ。
「大丈夫よ、ねえ、さっき、誰かと話してた? そこのベンチで」
彼女が右下を指さした。覗き込むと、少し下が見えた。
「あれ、見えるのか」
先程の場所は中腹だが、真下ではなく少し右にずれていた。その上、あの場所には木がなかったので、上からちょうどベンチが見える。今見ても、結構、良く見えた。
「たまたまね」
アルスは言った。寄り道したせいで、待たせてしまったらしい。
「ごめん、遅くて、用事は終わった?」
「ええ、隊長達のおかげであっさりね。渡したら、適当に書いて適当に判子を押してくれたわ」
アルスが大きめの、革の鞄を見せて苦笑した。今日、アルスは朝から国王に念書のサインをもらいに行っていた。
午前中に会う約束で、お昼は久しぶりに城で食べると言っていた。
その後、午後からは暇だからどこか行こうと言われて、どこが良いかと尋ねたら、丘の上の教会がいいと言われた。礼拝目的では無くのんびり景色を見たい、とのことだった。
『あの教会、お城からも見えるんだけど、行ったことがなくて、気になっていたの』
プラグは頷き、じゃあアメルで、と言ったのだが、たまにはプラグで出かけたら? と言われてしまった。その結果、良く話しかけられたのだ。
「礼拝は済んだ?」
「ええ、もうしちゃったわ。小さな教会ですもの。あ、今は巫女さんがいないと思う。さっき、庭に出て来たから――ああ、あそこね」
入り口の右横で、青い祭司服を着た、年配の巫女が花壇を調えていた。服装からして巫女長だ。六十代くらいで頭は真っ白だった。
「あ。本当だ。じゃあ行ってくるから待ってて」
プラグの言葉にアルスが頷き、少し下がってベンチに座った。
プラグは礼拝を済ませて戻って来た。
教会の中にはステンドグラスがあり、立派な紅玉鳥がのんびりしていた。
「お待たせ」
プラグはアルスの左側に腰を下ろした。
つまり左隣に座ったのだが、彼女の今の格好はどう見ても平民だから問題ない。
ワンピースはあっさりしているし、このベンチは先程より長い。
「思ったより遅かったわね? 私、先にいると思って急いじゃったわ」
二人は今日、アルスが『食事が終わるの、何時になるか分からないわ』と言ったので『じゃあ昼すぎに東の教会で』という適当な待ち合わせをしていた。
普段は精霊を連れてこられないのだが、最近ナダ=エルタの元気が無いのでリズに言ってみたら許可が出た。
アルスは少し遠出と言う事で、リズからウル=アアヤを連れて行くように言われていた。
適当な待ち合わせで時間が合わなくても、お互い話し相手がいるのでなんとかなる。
プラグとアルスは、リズに『これからは二人の外出はなるべく避けて、何となく出かけたらなんとなく会った』くらいにしておけと言われていた。
リズは『噂対策』だと言っていた。意味は分かったので素直に頷いた。
模擬戦の事もあるし『アルスティア王女』と二人きりで外出する仲だと思われると不都合だ。
しかし元々、プラグはアルスと二人きりで出かけた事は無い。彼女と出かける時は必ずアメルの姿でいた。
今日もアルスに言われなければアメルで来るつもりだったし、今後は誰か一人は連れて来て二人きりは避けるつもりだ。
……アルスが特別なのではなく、普通、男性は未婚の女性と二人きりで出かけない。
ストラヴェルはかなり緩いのだが、ここは首都だから、あるとすれば幼なじみか、家族か親戚か、仕事仲間か同僚か、恋人や許嫁か、使用人か護衛、そのくらいだ。
プラグは彼女と二人の外出はこれが最初で最後だろうと思っていた。後はアメルにお任せだ。
それにしても、ここまで話し掛けられるとは思わなかった。
「この間まではそんな事なかったのに、急に良く話しかけられて……」
「ああ、模擬戦のせいでしょ。毎年そんな風らしいわ。私も話しかけられたもの」
「アルスも? 服が違うのに?」
プラグは首を傾げた。
青い訓練着ならともかく、アルスは私服のワンピースだ。それで気が付くとは……。
「そう、服が違うのにね。きっとこの髪だわ。あとはこの目」
アルスが赤い巻き毛と、目元に触れて苦笑した。
「アルスはどんな人と話したんだ?」
「私、あ、そうだわ。これをもらったの。誰かと一緒に食べなさいって」
と言って彼女が鞄から取り出したのは、先程のプレッツェルだった。
「ああ、なるほど。俺もそこで捕まった」
アルスが笑った。
「そうよね。私、待ち合わせで……って話しちゃったもの。あの方、お手伝いさんの旦那さんだって、それなら仕方無いわね。頂きましょう、あ、お水もあるから」
アルスは鞄から水筒と木のコップを取り出した。木のコップは取っ手が無く、底が少し細くなっていて、二つ重ねられる物だ。何か食べるつもりだったのだろう。用意が良い。
プラグは受け取った。
「ありがと、ミチラナさんだよね。ルネのファンなんだって」
「旦那さん、とても勢いが良かったけど、貴方はもらわなかったの?」
「一つもらって、一つ買って、ナダとラ=ヴィアにあげた。でもお腹が空いてきたから食べたい」
「どうぞ。三つあるから一つはシオウの分ね。まさか気付かれるとは思わなかったわ……」
「はは。――あ、美味しいな。また買おうかな」
プラグは一口囓って言った。
ナダとラ=ヴィアが美味しそうに食べるので、少し食べたくなり、帰りに買おうかと思っていたのだ。アルスも微笑んだ。
「買うならおまけを覚悟しないと。貴方、狙われているわ……だって旦那さん、私に、大喧嘩したっていう白い髪の子はいないの? って言ったもの。後で会うかもって言ったら『二人で食べな』って、貴方がルネさんの弟子だって知ってるのかも。これでも減らしてもらったのよ」
「そうだな、気を付けよう。まあ増えたらルネにあげればいいや」
「きっとそういう計画よね」
プラグからルネに届けてもらって、ルネに食べてもらう作戦だ。ファンならば嬉しいだろう。
「いいんじゃないか。ルネは何でも食べるし。この前、俺が作ったクッキーを横取りしてきたんだ。ちょうど出来た頃に現れるんだから」
先日、プラグはようやく、シオウにクッキーを渡した。執務棟を燃やしてくれたお礼だ。厨房はシェフや精霊が使っているので使えない。ではどうしようと考えて、薔薇の館はどうだろう、と思ってルネに尋ねると『君、料理できるの? 僕にも何かくれるならいいよ』と承諾された。そして場所代にとチーズタルトを作った。それはいいのだが、クッキーも大分奪われた。
「あのクッキー、本当に美味しかったわね……」
「ラ=ヴィア直伝だから。美味しいよ。それでいっぱい食べられて焦った。材料は好きに使って良いって言われたから、結局、焼き直したんだ」
「ヴィアちゃんは料理が上手だものね。可愛いし、優しいし。いいお嫁さんになれるわ。あなたはどう? ヴィアちゃんと仲良しだけど、結婚とか考えてるの?」
「ええ?」
アルスの言葉にプラグは戸惑った。そのラ=ヴィアはナダと一緒に庭を散策している。
ラ=ヴィアとはずっと一緒だったし、無くてはならない存在だが、そんな風に考えた事は無かった。しかし彼女も一個人なのだ。
「そうだな……誰か良い人がいたら、その人との結婚も考えた方がいいか……確かにそうだな」
プラグは千年前は、いずれ戦いが終わって精霊が人間になった際、皆が生活出来るように、困ったら頼れるように、とお金を貯めていた。しかしどうなったか分からない。たぶん根こそぎ無くなっているだろう。
「何か違う気がするわ。貴方がヴィアちゃんと結婚すればいいのに」
アルスが呟いた。
「え? ラ=ヴィアと? 妹みたいなものだけど……」
正確にはアメルが作った精霊なので、妹の妹だ。人で言う姪みたいな感じだろうか。親しい家族、親戚みたいな物だし、大切で重要な精霊なので結婚なんてとんでもない。
十二神は位で言えば『見る神』になる前のカド=ククナより上なので、精霊にとっては神様として礼を尽くす相手だ。
たまに尊大になるが、有能だし、優しいので……甘えている自覚はある。これは気を付けたいと思った。
たぶん今、ナダが悩んでいるのもプラグの態度が原因だ。
いや、あれはルネが、ナダに色々言ったせいなのだが。
ルネはナダに対して『君にプラグは荷が重いから変わってもらった方がいい』とか『そんな程度では全然駄目だ』とか、生まれたばかりの精霊によくもと、殴りたくなるような事を言った。そしてプラグも精霊に甘すぎると言われた。
仲良しごっこは命取りだと――腹が立つが、その通り、としか言えない正論だ。
しかし怒ったラ=ヴィアが見事に反撃してくれたので、それは良しとする。
プラグは、そう言うルネは真面目過ぎると思うのだが……言う機会はまだない。
するとアルスに溜息を吐かれた。
「そんな感じなのね。はぁ。……妹ね……? 妹?」
アルスが首を傾げたのでプラグは「アメルの精霊だから」と言って、慌てて話題を探した。
「あ、そうだ。さっき会った子、アルマティラって言っていたけど、もしかして知り合い? たぶんアルスの親戚だと思うんだけど。イメイア家の」
「……アルマティラ? ああ、うん。一応、親戚になるのかしらね。どうかしたの?」
「うん、勉強会に誘われた。でも断った。貴族の集まりらしいから……」
「……そうなのね。断って正解よ。だって、貴族の集まりでしょ? どんな感じの?」
「近衛の、候補生の宿舎を借りて勉強会だって。感心だな」
「へぇーそうなの」
「あ、彼女、そう言えば、候補生だったって言ってたな。二日で辞めた子だって」
「ああ、そうね、たぶんそうよ」
アルスはあまり彼女の事が好きでは無いのか、明らかに返事が適当だ。
「あんまり親しくないんだ?」
「ええ、そんなに」
「そっか」
プラグは立ち上がって、景色を眺める事にした。
ふと、下を見ると――。
「!」
少女が階段を駆け上がっている。声にならない悲鳴を上げながら。
背後に武器を持った男が三人。しかも少女の肩と胸、ドレスが赤く染まっている。
「ラ=ヴィア! 来い! 女の子が襲われてる!」
プラグは塀の上に乗り、ラ=ヴィアを呼んだ。ラ=ヴィアが反射で来るのと同時に塀から飛び降りた。
手を伸ばしてラヴィアの手に捕まる。そのまま飛んで落下する。
階段の途中なのでそのまま割り込み、ラ=ヴィアに捕まったまま、男二人を蹴飛ばした。
まとめて蹴飛ばされた男達は転げ落ちていく。そこで手を放す。少女に掴みかかろうとしているもう一人を殴り、ナイフを飛ばして、そのまま下に投げ飛ばす。階段は長かったので、転げ落ちていく。
「大丈夫ですかっ!?」
プラグはうつ伏せに転んだ少女の怪我を見た。背中に数カ所の刺し傷。腕にも怪我がある。抱き起こすと左肩から胸にかけても斬られていた。少女は意識があり、衝撃を受けて固まっている。重症だがまだ致命傷ではない。ドレスを染めているのは返り血――? 喧噪が聞こえる。下からまだ五名ほど登ってきている。
「ラ=ヴィア、上へ! 治療を。まだ来てる、ナダを呼んで!」
「了解!」
ラ=ヴィアは運ぼうとしたが、そこでアルスとナダが降りてきた。
「大丈夫!?」
「アルス、この子を頼む、君は上に!」
「わかったわ……! 私が治すのね!?」
「いや、教会に『治療』がある! 無ければ止血で間に合う! ナダ」
プラグはナダに少女を持たせた。
「!」
アルスは驚き、わかった、と言って、少女を抱えたナダ=エルタと階段を上っていった。精霊のプレートは持って来たが『治療』などのプレートは預けてあった。教会には必ず治療のプレートがあるので、アルスの力は必要ない。
あの子は先ほどの子だが、なぜ襲われたのだろう。いや、大貴族というだけで理由は十分か。
「主、ここは任せて!」
位置はこちらがかなり有利だ。階段では戦いにくいが、浮いている精霊には関係無い。
「頼む、本職じゃない」
ラ=ヴィアが水を発生させて男達を押し流す。プレートを持っている様子は無く、あっと言う間に流された。
――とその時、階下と、木の上から飛んでくる精霊がいた。
「!」
プラグに気付いて一瞬固まった。
「近衛の精霊ですか!」
プラグは言った。
「はい!」
精霊が答えたのでプラグは任せる事にした。
「少女は上にいます、今、治療をしているはずです、男達は任せます」
精霊が頷き、そして持ち主らしき近衛兵が『飛翔』で必死に追いついてきた。
プラグは近衛兵に手で上を示し、先に上がった。
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六月十九日。
初めての模擬戦が終わって、三日が過ぎた。
この日は休日で、プラグは一人坂道を登っていた。初夏の日差しが少し眩しい。
プラグは候補生の夏服姿で、青い半袖の下に白い七分袖を着ている。
首都キルトの東側は高台になっていて起伏が激しい。
途中までは坂道だが、途中からはほとんど階段になっているので石段を踏みしめて上っていく。ラ=ヴィアとナダ=エルタがいて、二人は霊体で浮遊している。
首都キルトには水色の漆喰と青い屋根が多いが、この辺りは土壁、石壁、赤、灰色などの屋根も多かった。
階段の途中にお洒落な家があり、猫がいて、入り口前の石畳を歩いていた。
絵葉書になりそうな街並みだ。
プラグは頂上の教会を目指している。
道は知らないが、目的地は見えているし、階段も整備されていて分かりやすい。
それに時折、礼拝を済ませた貴婦人が降りてくるので迷うことは無い。
遠くから見ると小山だが実際に登ってみればたいした距離に感じない。
階段は緩く折り返しながら頂上へ続いていて、あと二、三回も折り返せば頂上に着く。
途中に少し拓けた場所があり、二つ、石のベンチが置かれていた。
立ち止まって振り返ると、少し遠くが見渡せた。
「この辺りは景色が綺麗だな」
『そうですね!』『みー、綺麗だミー』
ナダ=エルタが霊体のまま返事をした。ラ=ヴィアもみーみー言っている。
石の塀は、石のベンチに座るとちょうど景色が見られる高さだ。
良く出来ているなと感心して、今はまだ座らずに進む。
兄妹らしき子供が地面に石で落書きをしていた。
プラグは微笑んで家屋の間にある細い階段を上がろうとした。
しかし先に降りて来る少女がいたので、しばらく避けて待つ事にした。
少女は白い日傘を差していた。
顔は見えないが、青いケープは貴族の証だ。
ドレスは淡いクリーム色。ピンク色の細い縦縞が入っていて肘までの白手袋が見える。
最近、縦縞が流行っていた。カルタの巫女サリーが仕掛け人だ。チェック柄は秋冬に流行らせると先日届いた手紙に書いてあった。
「どうも」
その貴族少女がすれ違い様に会釈をした。
すれ違ったので、プラグは階段を上がろうとしたのだが。
「……あの? すみません」
五段ほど登った所で背後からその少女に声を掛けられた。
「はい?」
プラグは振り返って首を傾げた。
「あなた、プラグ様ではありませんか?」
「――え?」
名前を言われてプラグは首を傾げた。
少女は日傘を畳みながら、驚いた様子で続けた。
やや赤みがかった茶髪、巻き髪の少女で、茶色っぽい瞳をしている。
前髪を長く伸ばして、左右に分けて額を広く出している。左右の髪を細く長い三つ編みにしていて、三つ編みの根元と毛先に白いリボンを付けていた。後ろ髪は腰まであるようだ。
「私、アルマティラと言います――精霊騎士の候補生だったのですけど、覚えていらっしゃいますか? もう辞めてしまったのですけれど」
言われて、プラグは思い出した。
「ああ、そう言えば……いたような」
記憶力はいい方なので覚えていた。確か、二日で辞めた貴族女性の一人だ。
少女は笑顔になった。
「やっぱり。少しお時間頂けますか?」
「? 何かご用ですか」
プラグは首を傾げた。
プラグは銀髪が目立つので声を掛けられることは良くある。顔を出していると無駄に絡まれる事もあったので、見知らぬ人の場合は少し距離を取るのを習慣にしていた。
「いいえ、久しぶりにお会いしたので、皆様の様子を知りたくて。私、すぐ辞めてしまって、凄く後悔しているんです。ちょうど、そこにベンチがありますから、少しお時間頂けますか? ぜひ」
「ああ……少しなら」
「良かった」
少女――アルマティラは左側のベンチに、景色が見える向きで腰掛けた。
「どうぞ、そちらのベンチに」
アルマティラは右側のもう一つのベンチを勧めたが、プラグは断った。貴族女性と並んで座る事はできないのだ。
プラグは二メルトほど離れ、彼女の左斜め後ろに立った。
「お兄ちゃん、あれ取ってくる」「ん、俺は枝、さがす」
近くで兄と妹が話している。
「――皆様はどんなご様子ですか? 元気にされていますか」
アルマティラがプラグのいる左側を振り返って言った。
「そうですね。皆、元気です」
「それなら良かった。差し支えなければ。今、どんな事を勉強されていますか?」
プラグは勉強については、他の候補生より進んでいるので、どう答えた物かと思った。
たくさん教科があるのだが、一括りにするなら一般常識、なのだろう。
「色々ですね。数学や一般常識……あとは古代語や歴史とかです」
「まあ! では精霊術については? 何か学びましたか。戦いについてですけど」
「戦闘は大変です」
「今何をされてますか?」
「すみません、あまり詳しくは言えなくて」
一応、機密……になるのだろう。まさか『訓練で死んじゃってもイイヨ』と言う念書を書いたところです、なんて言えない。
アルマティラは「ああ、そうですわね」と言って頷いて、前を向いた。
「私、本当に辞めなければ良かったと思って、あれから少し勉強をしているんです。あ、独学では無く先生に教わって」
「そうなんですね」
プラグは少し微笑んだ。彼女は貴族だろうから、無理に騎士を目指すことは無い。プレートの扱いに関しては巫女やプレート学者も教えている。ただしどちらも教師の資格が必要で、教える相手は貴族に限られている。そもそもプレートが高価なので貴族の中でも名家でなければ用意ができない。
そこで彼女はドレスと共布の鞄から何か取り出し、立ち上がって、振り返って、プラグに差し出した。手紙のようだった。
「あの、これ、良かったら。元、近衛騎士団の方に教わっているんですけど。勉強会の紹介状です。場所も、近衛の候補生宿舎内ですから、近いですよ」
「えっと……? ですが、そこは貴族でないと入れないのでは?」
「私の紹介があれば大丈夫です。私はアルマティラ・ラ・イメイアと申します」
プラグは名前を聞いて驚いた。
『イメイア家』と言えば『王族縁者』……降嫁した王族の末裔で、その中でも血筋が確かな、五家のうち一家で、名家中の名家だ。階位は侯爵で当主のイメイア侯爵は評議員にもなっている。ちなみに五家のうち三家は公爵で王族の『一級縁者』と呼ばれている。残り二家はイメイア侯爵家と、もう一家のハイン家は男爵だが、この二家は『二級縁者』と呼ばれていて、三十家ある『三級縁者』とは格が違うし、他の侯爵家やその他貴族も相手にならない。
プラグは恐縮して首を振った。
「すみません、身分が無いので、受け取れません」
プラグは距離を取って、手を後ろで組んだ。
受け取ってしまったら最後、絶対に行かなくてならない。そんな恐ろしい招待状は絶対にいらない。
アルマティラは気さくに近づいて来た。
「あら、プラグ様なら、皆さん歓迎して下さると思いますよ。噂は聞いていますもの」
プラグは内心で青ざめ、さっともう一歩下がった。
アルマティラが微笑んで続ける。
「プラグ様はとてもお強い方で、戦いも勉強も一番だと、良い評判ばかりですわ。先生方もとても会いたがっていましたもの」
プラグはさらに青ざめた。
……プラグは先日、レイン・サルザットと問題を起こしたばかりだ。どんな歓迎か考えるだけで恐ろしい。絶対にいびられる。
「申し訳ありません。今の環境で充分ですので――では、もう時間なので、失礼致します」
深く頭を下げて、とりあえず丁寧に言って逃げる作戦で、振り返らずに立ち去った。
(王族縁者が一人で歩いているなんて。なんて恐ろしい街なんだ……!)
プラグは階段を上りながら考えた。程なく、教会に着いた。
この教会は小山の上に建っているので、ここまで馬車が入れないのだろう。
途中までは坂道だから、あの少女は途中まで馬車で来たのかもしれない。人の気配は無かったから、護衛も連れずに……。それだけ治安が良いのだろうが、ここは少し外れなのであまり良い事では無い。
(貴族には関わらないようにしよう)
レイン・サルザットの件もあるし。貴族は服装で分かるのだから出会わないようにすればいい。
「今日は四回も話しかけられたな……」
プラグは溜息を吐いて呟いた。
『主、目立つから……』
ラ=ヴィアが言った。
『顔を隠した方がいいのでは?』
ナダ=エルタが言った。
プラグは溜息を吐いた。銀髪が目立つのと、あとはこの制服だ。首都の中心部でプラグに話し掛けてくる人は、大抵、しばらく制服を見て、その後プラグの髪を見て、目を見て「ああ」と笑顔になり気さくに話し始める。
一人目は八百屋の女性。
たまに買い物をするのでこの場合は『顔見知り』だ。
ただ、そこに別の女性が来て、世間話が始まってしまった。隊長や皆さんによろしくと言われ「はい」と笑顔で答えた。
プラグは教会へ行く目的があったので、「ではこれで」と言って去ろうとしたのが。ちょっと待ってと引き留められて、店の品物を渡されかけた。しかも結構、どっさりと。
「そんな、こんなに頂けません。また買いに来ますから」
「いいよ、持って行きなよ」
「すみませんが、東の教会に行くので……持てなくて」
「ああそうか、荷物になるね。じゃあ、また来てね、おまけするから」
「いえ、お気遣いなく。でも、またそのうち来ますね」
プラグは微笑んで立ち去った。普通のやり取りだ。
次は屋台の前で話し掛けられた。
プラグが普通に歩いていると、プレッツェル――細いパンを売っている屋台があった。
屋台には焼き上がったパンがざっくり詰まれている。細く錬った生地を丸型や面白い形にしてあって、ここのプレッツェルは双葉を根元から半分ほどくっつけたような、かわいい形になっていた。
ちょうど店主と男性客が話し込んでいる。
用は無いので通り過ぎようとしたら、「ん?」と言われて店主に話しかけられた。
「あ、ちょっとそこの、君!」
道には他にも人がいるし、プラグは気のせいと思い通り過ぎようとしたが、「そこの白い子! 君だよ」と言ってもう一度呼び止められた。
どう考えてもプラグの事だったので、立ち止まって屋台を見た。
「俺ですか?」
売るつもりの呼び込みか、と思い、まあラ=ヴィアとナダ=エルタもいるから買ってもいいか、くらいに思っていたのだが。
「あんたプラグさんじゃないか。一つ食べて行きなよ」
呼び込みには違い無かったが、主人はプラグの名前を知っていた。
「あれ? 名前……」
「ああ、ええと三日前、女房がアレを見に行ってな、白い子がいたって言うからさ」
説明は適当だったが、なんとなく分かった気がした。
男性客は首を傾げているので、そちらに向けて店主が説明する。
「ほら、精霊騎士の候補生。良い方の。こないだ、公開の模擬戦があって、俺の女房が行ったわけ、あそこの手伝いしてるからなぁ。んで、この子が首席なんだってよ。お前さんだよな? プラグ・カルタって」
「あはい、そうです」
どうやら、先日の模擬戦を見た人が話したらしい。
「えらく強いって話じゃないか。あの名門カルタ家の出身で、細っこいのに? 銀髪だって聞いてたから、それだと思ってよ。しかし……はぁーやっぱ違うねぇ精霊騎士は! 頑張れよ、あ、一個持ってけ。タダでいいぞ」
すると隣にいた男性客が小銭を出した。
「はは、おいおい、育ち盛りが一個じゃ足りないだろ、もう二、三個持って行け、俺が奢ってやら」
「そんな、いいですよ、普通に買います」
すると男性客が笑った。
「精霊もいるんだろ? 気にすんな。お前さんにゃ、誰がついてるんだ?」
「えーとなんて言ってたかな、氷の何とからしいぞ。セラ国生まれの。若い精霊」
男性客の言葉には店主が答えた。
「詳しいですね? ナダ=エルタです」
「もしかして、今日、連れて来てるのか?」
「はい」
「おお。見せてくれるか」
「あ、はい……ナダ、出てきて、挨拶して」
精霊は人と見た目が違うので、おおっぴらに連れ歩く事は無いが、ここまで知っているなら別に出しても問題は無いはずだ。
「あ、……こんにちは。ナダ=エルタです」
ナダはもじもじと恥ずかしそうに挨拶をした。
「ひゃーこりゃまた、今風の精霊だな、へぇ、でも可愛いな。セラ国かぁ。さすが新精霊。ほら、一つ持ってけ。あ、うちの女房、あそこの公爵の大ファンでな。絵ばーっか買ってやがる。ミチラナって言うんだが。もし見かけたらよろしくな」
名前に覚えがあったので、プラグは微笑んだ。
「ああ。その方なら知っています。そうなんですね。奥さんだったんだ」
「おおそうか」
「いつも良くして頂いてます。あ、もう一つ買います、下さい」
プラグは金を渡した。これは早くしないと奢られてしまうので、さっと出し、ラ=ヴィアの分を支払った。
そして奢られてしまった分と合わせて二つ受け取った。一つずつ紙に包んであるのでそのまま持って歩ける。わざわざ焼きたてをくれた。
「熱いぞ。もう一つでいいのか?」
「はい、精霊がもう一体いるので。恥ずかしがり屋なので出て来ませんが。その子の分です」
「そうなのか。へぇー。へぇー、奢りで良いんだがなぁ」
「いえ実は、さっきも断った所なんですよ、向こうの通りで……」
プラグは笑って、少し後ろを振り返った。
「ははは、そうか。皆、もう噂してるからなぁ」
プラグはナダに手渡した時に、気が付いて、彼女に声を掛けた。
「あ、そうだナダ、お礼を言って」
ナダは「ありがとうございます! 美味しく食べます!」と嬉しそうに言って頭を下げた。
店主と男性客が微笑んだ。
「あ、そろそろ行きます。約束に遅れちゃう」
「お、どっか行くのか」
「ええ、礼拝に。向こうまで」
「おお――! 関心だねぇ。じゃ、引き留めちゃ悪いな、気を付けて」
「はい」
プラグとナダは手を振って後にした。
「ナダ、良かったな」
「はい」
ナダ=エルタはラ=ヴィアの分も持ち、嬉しそうに匂いを嗅いでいる。
「ラ=ヴィア、もうちょっと行って、その辺で食べるか」
出て来ると話が長くなるのでラ=ヴィアは霊体のままでいた。
ラ=ヴィアが頷いて辺りを見回す。
ちょうど良い場所は無さそうだ。余裕を持って少し早めに出て来たので、ゆっくりしても問題は無い。プラグの息抜きでもあるが、精霊達の休みでもある。
「ナダは食べるの好き?」
「はい。そう言えば、セラ国ではあまり食べませんでした」
「もらえないの?」
「いえ、確か、持ち主が出していると聞いた事があります。あ、でも厨房でまかないをもらう事は良くありました。美味しかったですよ」
「なるほど」
「散歩もあんまりしなかったので、楽しいです」
「街並みは違う?」
「全然違いますよ。セラ国の道はもっと真っ直ぐで広いです」
「へぇ」
「み? そう言えば、セラ国で友達はいた? 厨房、一人だったの? 精霊はいた?」
ラ=ヴィアが実体化して、ナダ=エルタに尋ねた。
精霊はお互いに霊体同士、実体化同士であれば姿が見えて会話できるのだが、片方が霊体だと実体化している方からは見えない。
ただ力の強さによっては、何となくそこにいる、というのは分かる場合もある。
これが『プラグ』の『霊体の精霊に気付ける、うっすら見える』状態だ。
稀に霊体の声が聞こえる、という精霊もいるのだが『プラグ』も『カド=ククナ』も耳には特別な力が無く、霊体の声は聞こえない。
「ああ、ウェラさんという湧き水の精霊と、ポレさんっていう熾火(おきび)の精霊がいて、その二人に色々教えてもらいました」
ウェラ=エルタ――短い水色髪、青い瞳の精霊で、元気が良くてお喋り好きだ。
ポレ=ナーダ――彼女は赤い髪を、高い位置で二つ結びにした精霊で、橙色の瞳とくるっとした前髪が特徴だ。
「ウェラとポレ! 懐かしい。元気だった?」
「はい、元気ですよ。ウェラさんは魚料理が得意で、ポレさんは凄い腕前でした。炒めもの、焼き物は天才的で、包丁捌きが目に見えないくらいで、盛り付けや飾り切りも凄かったです。何か、すぱぱぱビラビラ~って」
「へぇ。……ポレが?」
プラグは彼女を思い出して腕を組んだ。
ラ=ヴィアも瞬きをしている。
「意外。ポレって料理してたっけ?」
ラ=ヴィアが言った。ポレは火の精霊だが、熾火だからか炎を纏っていない。肌の色も人に近い精霊で、常時実体化しても問題はなさそうだが料理をしているのは見た事が無い。
まさに意外といった感じだ。
「ウェラも魚、料理するんだ?」
プラグは言った。水の精霊はクロスティアでは魚と友達、と言う事が多かったのだが、どういうわけかこちらの魚を食べることにあまり抵抗はないらしい。
プラグも、確かに喋らないし念話もしてこないので別物という気がするが、良くそのままの形で出て来るので、食べる時は少し心が痛む。それはそれとして美味しい。
魚はどうしても駄目と言う水精霊もいるのだが、長く過ごして慣れていることも多い。
が、料理するとなると珍しい。
「お二人ともやってみたら意外といけた、って仰っていましたよ。ポレさんは自分で火加減の達人だって仰っていました」
「へぇー、そうなんだ」
話しながらしばらく歩くと、繁華街から外れ、木が増えてきた。
見ると、道の端に井戸があった。井戸の側にはベンチがあるが、今は誰もいない。石段があって、階段を上がったところに共同のかまどがあるようだ。パン焼き屋、とも呼ばれる場所で家にかまどがない場合は、ここでまとめて焼いてもらう。周囲には誰も居ないが、見上げると煙が上がっていた。
「あ、ここは?」
ラ=ヴィアが空中で停止して言った。
「丁度良いな。食べよう」
「主の分は? はんぶんこする?」
「俺はいいや。お昼食べたばかりだし。二人で食べて」
「み!」
「頂きます」
プラグは、ラ=ヴィアとナダ=エルタを座らせて、自分は適当に周囲を見た。
すると三人の女性が、通りを横切って、こちらに歩いて来た。
三人とも紺色の三角布で髪を覆っている。
うち二人は四十代、五十代くらい。最後の一人はまだ若く十代に見える。女性達はパンを焼いてもらいに来たようで、それぞれハンカチをかけた籠を持っている。
服装は茶色いベストに飾り気のないブラウス、エプロン、長めのスカートだった。スカートの色は四十代、五十代の女性が紺色、女性が若い女性が赤、足元はブーツでは無く平靴を履いている。
女性達はプレッツェルを食べるラ=ヴィアとナダ=エルタを見て、驚いた顔をした。
「あ、すみません、お邪魔してます」
プラグが言うと「ああ、いえ、どうぞ」と言って足早に階段を上ろうとしたのだが。
最後の一人、金髪の若い女性が立ち止まって――プラグの制服をじっと見た。
「あの、もしかしてー、精霊騎士……クロスティアの方ですか?」
首を傾げて、かなり控え目に尋ねてきた。
「あ、いえ、俺はその候補生です」
プラグが答えると女性はぱっと表情を明るくした。
「そうなんですね! わぁ、ちょっと待って下さい!」
そして早足で先に行った二人にパンを預け、戻って来て、ラ=ヴィアとナダ=エルタが食べ終わるまでの短い間、少し会話した。彼女は一年程前、近所で火事があったとき、水の精霊が火を消すのを見た事があるという。
「結構広がる勢いだったんですけど。その時、街にいた、赤い髪の女性隊士が駆け付けてくれて、すぐ火を消してくれて。そちらの精霊さんって水の精霊ですよね? あの時とは違う方だと思いますけど、ありがとうございました」
「そうだったんですね。赤い髪……アプリアさんかな」
「ああ、そんな名前だったかも。そうだ、アプリア・ナナさんだったかな。首都の、お屋敷のお嬢様で、髪が凄く短くて、美人で背が高くてスタイルの良い……」
「じゃあアプリアさんだ。お礼を伝えておきます」
プラグは微笑んだ。
精霊にはそんな使い道もあるのだと感心した。
するともう一人の女性が「何話し込んでるの?」と様子を見に来た。
「お母さん、この方、アプリアさんの知り合いだって、ほら、火事の時の女性。精霊騎士の候補生さんだって」
「ああ、そうなんだね。今日はお休み?」
「はい」
そこから少し雑談になった。
彼女達はさすがにプラグの事を知らないようでほっとした。
「パンが焼けていたら差し上げたのに」と残念そうにしたが、ナダとラ=ヴィアがプレッツェルを食べ終えた辺りで分かれた。
――そんな感じで、先程の貴族女性は四回目だった。
余裕を持って出て来たはずが、これ以上は遅れる、とプラグは焦っていた。
プラグは髪が目立つから、話しかけやすいのだろう。
「あ」
山頂の教会に着いてすぐ、見晴らしの良い場所にアルスがいて、塀に手をかけていた。
ここにもベンチがあって、先程、中腹にあった物と同じく石造りで、塀の側に幾つか置かれている。高い場所にあるからか、塀は先程より高めになっている。ちょうどアルスの腰より少し上だ。
アルスは初めて見た時と同じ、白い七分袖のワンピースを着ていた。三角の襟がついていてそでが少し広がっている。中に黒い長袖を着ているので、黒い袖が少し見えている。コルセットは無く、ウエストは金属の輪が連なっただけの簡素なベルトで留めている。
足元はいつものブーツだった。
鮮やかな赤い髪に白がよく似合う。少し風が吹いていた。
「――あ」
アルスがプラグに気付いて振り返った。
「ごめん、遅くなった」
プラグが手を振ると、アルスが微笑んだ。
「大丈夫よ、ねえ、さっき、誰かと話してた? そこのベンチで」
彼女が右下を指さした。覗き込むと、少し下が見えた。
「あれ、見えるのか」
先程の場所は中腹だが、真下ではなく少し右にずれていた。その上、あの場所には木がなかったので、上からちょうどベンチが見える。今見ても、結構、良く見えた。
「たまたまね」
アルスは言った。寄り道したせいで、待たせてしまったらしい。
「ごめん、遅くて、用事は終わった?」
「ええ、隊長達のおかげであっさりね。渡したら、適当に書いて適当に判子を押してくれたわ」
アルスが大きめの、革の鞄を見せて苦笑した。今日、アルスは朝から国王に念書のサインをもらいに行っていた。
午前中に会う約束で、お昼は久しぶりに城で食べると言っていた。
その後、午後からは暇だからどこか行こうと言われて、どこが良いかと尋ねたら、丘の上の教会がいいと言われた。礼拝目的では無くのんびり景色を見たい、とのことだった。
『あの教会、お城からも見えるんだけど、行ったことがなくて、気になっていたの』
プラグは頷き、じゃあアメルで、と言ったのだが、たまにはプラグで出かけたら? と言われてしまった。その結果、良く話しかけられたのだ。
「礼拝は済んだ?」
「ええ、もうしちゃったわ。小さな教会ですもの。あ、今は巫女さんがいないと思う。さっき、庭に出て来たから――ああ、あそこね」
入り口の右横で、青い祭司服を着た、年配の巫女が花壇を調えていた。服装からして巫女長だ。六十代くらいで頭は真っ白だった。
「あ。本当だ。じゃあ行ってくるから待ってて」
プラグの言葉にアルスが頷き、少し下がってベンチに座った。
プラグは礼拝を済ませて戻って来た。
教会の中にはステンドグラスがあり、立派な紅玉鳥がのんびりしていた。
「お待たせ」
プラグはアルスの左側に腰を下ろした。
つまり左隣に座ったのだが、彼女の今の格好はどう見ても平民だから問題ない。
ワンピースはあっさりしているし、このベンチは先程より長い。
「思ったより遅かったわね? 私、先にいると思って急いじゃったわ」
二人は今日、アルスが『食事が終わるの、何時になるか分からないわ』と言ったので『じゃあ昼すぎに東の教会で』という適当な待ち合わせをしていた。
普段は精霊を連れてこられないのだが、最近ナダ=エルタの元気が無いのでリズに言ってみたら許可が出た。
アルスは少し遠出と言う事で、リズからウル=アアヤを連れて行くように言われていた。
適当な待ち合わせで時間が合わなくても、お互い話し相手がいるのでなんとかなる。
プラグとアルスは、リズに『これからは二人の外出はなるべく避けて、何となく出かけたらなんとなく会った』くらいにしておけと言われていた。
リズは『噂対策』だと言っていた。意味は分かったので素直に頷いた。
模擬戦の事もあるし『アルスティア王女』と二人きりで外出する仲だと思われると不都合だ。
しかし元々、プラグはアルスと二人きりで出かけた事は無い。彼女と出かける時は必ずアメルの姿でいた。
今日もアルスに言われなければアメルで来るつもりだったし、今後は誰か一人は連れて来て二人きりは避けるつもりだ。
……アルスが特別なのではなく、普通、男性は未婚の女性と二人きりで出かけない。
ストラヴェルはかなり緩いのだが、ここは首都だから、あるとすれば幼なじみか、家族か親戚か、仕事仲間か同僚か、恋人や許嫁か、使用人か護衛、そのくらいだ。
プラグは彼女と二人の外出はこれが最初で最後だろうと思っていた。後はアメルにお任せだ。
それにしても、ここまで話し掛けられるとは思わなかった。
「この間まではそんな事なかったのに、急に良く話しかけられて……」
「ああ、模擬戦のせいでしょ。毎年そんな風らしいわ。私も話しかけられたもの」
「アルスも? 服が違うのに?」
プラグは首を傾げた。
青い訓練着ならともかく、アルスは私服のワンピースだ。それで気が付くとは……。
「そう、服が違うのにね。きっとこの髪だわ。あとはこの目」
アルスが赤い巻き毛と、目元に触れて苦笑した。
「アルスはどんな人と話したんだ?」
「私、あ、そうだわ。これをもらったの。誰かと一緒に食べなさいって」
と言って彼女が鞄から取り出したのは、先程のプレッツェルだった。
「ああ、なるほど。俺もそこで捕まった」
アルスが笑った。
「そうよね。私、待ち合わせで……って話しちゃったもの。あの方、お手伝いさんの旦那さんだって、それなら仕方無いわね。頂きましょう、あ、お水もあるから」
アルスは鞄から水筒と木のコップを取り出した。木のコップは取っ手が無く、底が少し細くなっていて、二つ重ねられる物だ。何か食べるつもりだったのだろう。用意が良い。
プラグは受け取った。
「ありがと、ミチラナさんだよね。ルネのファンなんだって」
「旦那さん、とても勢いが良かったけど、貴方はもらわなかったの?」
「一つもらって、一つ買って、ナダとラ=ヴィアにあげた。でもお腹が空いてきたから食べたい」
「どうぞ。三つあるから一つはシオウの分ね。まさか気付かれるとは思わなかったわ……」
「はは。――あ、美味しいな。また買おうかな」
プラグは一口囓って言った。
ナダとラ=ヴィアが美味しそうに食べるので、少し食べたくなり、帰りに買おうかと思っていたのだ。アルスも微笑んだ。
「買うならおまけを覚悟しないと。貴方、狙われているわ……だって旦那さん、私に、大喧嘩したっていう白い髪の子はいないの? って言ったもの。後で会うかもって言ったら『二人で食べな』って、貴方がルネさんの弟子だって知ってるのかも。これでも減らしてもらったのよ」
「そうだな、気を付けよう。まあ増えたらルネにあげればいいや」
「きっとそういう計画よね」
プラグからルネに届けてもらって、ルネに食べてもらう作戦だ。ファンならば嬉しいだろう。
「いいんじゃないか。ルネは何でも食べるし。この前、俺が作ったクッキーを横取りしてきたんだ。ちょうど出来た頃に現れるんだから」
先日、プラグはようやく、シオウにクッキーを渡した。執務棟を燃やしてくれたお礼だ。厨房はシェフや精霊が使っているので使えない。ではどうしようと考えて、薔薇の館はどうだろう、と思ってルネに尋ねると『君、料理できるの? 僕にも何かくれるならいいよ』と承諾された。そして場所代にとチーズタルトを作った。それはいいのだが、クッキーも大分奪われた。
「あのクッキー、本当に美味しかったわね……」
「ラ=ヴィア直伝だから。美味しいよ。それでいっぱい食べられて焦った。材料は好きに使って良いって言われたから、結局、焼き直したんだ」
「ヴィアちゃんは料理が上手だものね。可愛いし、優しいし。いいお嫁さんになれるわ。あなたはどう? ヴィアちゃんと仲良しだけど、結婚とか考えてるの?」
「ええ?」
アルスの言葉にプラグは戸惑った。そのラ=ヴィアはナダと一緒に庭を散策している。
ラ=ヴィアとはずっと一緒だったし、無くてはならない存在だが、そんな風に考えた事は無かった。しかし彼女も一個人なのだ。
「そうだな……誰か良い人がいたら、その人との結婚も考えた方がいいか……確かにそうだな」
プラグは千年前は、いずれ戦いが終わって精霊が人間になった際、皆が生活出来るように、困ったら頼れるように、とお金を貯めていた。しかしどうなったか分からない。たぶん根こそぎ無くなっているだろう。
「何か違う気がするわ。貴方がヴィアちゃんと結婚すればいいのに」
アルスが呟いた。
「え? ラ=ヴィアと? 妹みたいなものだけど……」
正確にはアメルが作った精霊なので、妹の妹だ。人で言う姪みたいな感じだろうか。親しい家族、親戚みたいな物だし、大切で重要な精霊なので結婚なんてとんでもない。
十二神は位で言えば『見る神』になる前のカド=ククナより上なので、精霊にとっては神様として礼を尽くす相手だ。
たまに尊大になるが、有能だし、優しいので……甘えている自覚はある。これは気を付けたいと思った。
たぶん今、ナダが悩んでいるのもプラグの態度が原因だ。
いや、あれはルネが、ナダに色々言ったせいなのだが。
ルネはナダに対して『君にプラグは荷が重いから変わってもらった方がいい』とか『そんな程度では全然駄目だ』とか、生まれたばかりの精霊によくもと、殴りたくなるような事を言った。そしてプラグも精霊に甘すぎると言われた。
仲良しごっこは命取りだと――腹が立つが、その通り、としか言えない正論だ。
しかし怒ったラ=ヴィアが見事に反撃してくれたので、それは良しとする。
プラグは、そう言うルネは真面目過ぎると思うのだが……言う機会はまだない。
するとアルスに溜息を吐かれた。
「そんな感じなのね。はぁ。……妹ね……? 妹?」
アルスが首を傾げたのでプラグは「アメルの精霊だから」と言って、慌てて話題を探した。
「あ、そうだ。さっき会った子、アルマティラって言っていたけど、もしかして知り合い? たぶんアルスの親戚だと思うんだけど。イメイア家の」
「……アルマティラ? ああ、うん。一応、親戚になるのかしらね。どうかしたの?」
「うん、勉強会に誘われた。でも断った。貴族の集まりらしいから……」
「……そうなのね。断って正解よ。だって、貴族の集まりでしょ? どんな感じの?」
「近衛の、候補生の宿舎を借りて勉強会だって。感心だな」
「へぇーそうなの」
「あ、彼女、そう言えば、候補生だったって言ってたな。二日で辞めた子だって」
「ああ、そうね、たぶんそうよ」
アルスはあまり彼女の事が好きでは無いのか、明らかに返事が適当だ。
「あんまり親しくないんだ?」
「ええ、そんなに」
「そっか」
プラグは立ち上がって、景色を眺める事にした。
ふと、下を見ると――。
「!」
少女が階段を駆け上がっている。声にならない悲鳴を上げながら。
背後に武器を持った男が三人。しかも少女の肩と胸、ドレスが赤く染まっている。
「ラ=ヴィア! 来い! 女の子が襲われてる!」
プラグは塀の上に乗り、ラ=ヴィアを呼んだ。ラ=ヴィアが反射で来るのと同時に塀から飛び降りた。
手を伸ばしてラヴィアの手に捕まる。そのまま飛んで落下する。
階段の途中なのでそのまま割り込み、ラ=ヴィアに捕まったまま、男二人を蹴飛ばした。
まとめて蹴飛ばされた男達は転げ落ちていく。そこで手を放す。少女に掴みかかろうとしているもう一人を殴り、ナイフを飛ばして、そのまま下に投げ飛ばす。階段は長かったので、転げ落ちていく。
「大丈夫ですかっ!?」
プラグはうつ伏せに転んだ少女の怪我を見た。背中に数カ所の刺し傷。腕にも怪我がある。抱き起こすと左肩から胸にかけても斬られていた。少女は意識があり、衝撃を受けて固まっている。重症だがまだ致命傷ではない。ドレスを染めているのは返り血――? 喧噪が聞こえる。下からまだ五名ほど登ってきている。
「ラ=ヴィア、上へ! 治療を。まだ来てる、ナダを呼んで!」
「了解!」
ラ=ヴィアは運ぼうとしたが、そこでアルスとナダが降りてきた。
「大丈夫!?」
「アルス、この子を頼む、君は上に!」
「わかったわ……! 私が治すのね!?」
「いや、教会に『治療』がある! 無ければ止血で間に合う! ナダ」
プラグはナダに少女を持たせた。
「!」
アルスは驚き、わかった、と言って、少女を抱えたナダ=エルタと階段を上っていった。精霊のプレートは持って来たが『治療』などのプレートは預けてあった。教会には必ず治療のプレートがあるので、アルスの力は必要ない。
あの子は先ほどの子だが、なぜ襲われたのだろう。いや、大貴族というだけで理由は十分か。
「主、ここは任せて!」
位置はこちらがかなり有利だ。階段では戦いにくいが、浮いている精霊には関係無い。
「頼む、本職じゃない」
ラ=ヴィアが水を発生させて男達を押し流す。プレートを持っている様子は無く、あっと言う間に流された。
――とその時、階下と、木の上から飛んでくる精霊がいた。
「!」
プラグに気付いて一瞬固まった。
「近衛の精霊ですか!」
プラグは言った。
「はい!」
精霊が答えたのでプラグは任せる事にした。
「少女は上にいます、今、治療をしているはずです、男達は任せます」
精霊が頷き、そして持ち主らしき近衛兵が『飛翔』で必死に追いついてきた。
プラグは近衛兵に手で上を示し、先に上がった。