引っ越しは男子達の協力であっと言う間に終わり、プラグはまた二十五号室に戻って来た。
今はシオウが風呂に行っているので二人だけだ。
「今日は凄く疲れたわ……!」
「本当に」
プラグは深く頷いた。
カーテンには闇の赤プレートで目隠し、旋風の精霊結晶で音消しがされ『鍵』のプレートもあるし完璧だ。
アルスもこれで安心して眠れるだろう。
特に『闇』は、プラグも大昔に使った事があったが、快適すぎるから、彼女は寝坊してしまうかもしれない。
――『闇』の精霊ギナ=ミミムはたまに『お泊まり会』を開いていて、カド=ククナも参加したことがある。色々なお菓子を持ち寄って『闇』の薄暗い中でゲームをしたり、精霊達の噂話をしたり、恐い話をしたりした。
とても楽しかったのだが、アルスに言うわけにはいかないのでプラグは黙り込んだ。
……特に話題がない。
「……水でも飲む?」
プラグは言った。
「そうね。コップ……」
アルスが勉強机の端から、自分のカップを手に取って、プレートを取り出した。
以前、アメルと出かけた時に買った花柄のカップだ。
プラグも机の本棚の上から、自分の、水色のカップを用意した。汚れないように盆の上に置いて、布をかけてあるし、使う度に洗っているので清潔だ。
「お茶にする?」
「私は水でいいわ。私のプレートで。ル・フィーラ」
アルスが『水』の赤プレートから、カップに水を出現させる。
初めは良くこぼしていたが、もうすっかり慣れている。
「プラグも」
「ん」
プラグがカップを差し出すと、アルスが再び、「ル・フィーラ」と言って水を出した。
「一度に出せば良かったわ」
「それ、前、失敗したやつ」
プラグは思わず笑った。アルスが一度に三人分の水を出そうとして失敗して、プラグの教本が濡れたことがあり、アルスはそれから一つずつ出すようにしていた。
……濡れた教本は今もしわしわのままだ。
二人は互いのベッドに腰掛けて、向き合って水を飲んだ。
「ねえ、最近たまに思うんだけど」
アルスの言葉に、プラグは首を傾げた。
「何?」
「この『ル・フィーラ』っていちいち言うの面倒じゃない? なんでこんな仕組みなのかしら」
アルスの言葉に、プラグは咳き込んで、思わず笑ってしまった。
「ゲホッ、…………確かに、けど、仕方無いんじゃ?」
「これ、直せないのかしら? プレートって誰が作ったのかしら?」
アルスは『水』のプレートを眺め、裏返し、曲げられないか、などと考えている。
プラグはまさか『自分が作りました』とは言えないので、肩を震わせることしかできなかった。
そしてふと。ある考えに至った。
(万が一、今のプレートで足りないと言う事があれば――いっそ、まとめて、作り変えてしまったらどうだろう?)
実はプレートの仕組みを全て、一気に変える方法はある。
あるのだが……。
「まあ、ないか」
呟いてプラグは水を飲んだ。
「?」
アルスが首を傾げた。
プレートには、幾つもの隠し機能があって、その中に『カド=ククナがプレート自体を、不要と思った時は、全て同時に機能停止できる』と言う物がある。
その場合、全ての精霊はプレートから開放され……自由になる。
また、カド=ククナが死んだ場合も、同じくプレートは機能停止して、精霊は解放される。こちらは、調整の神々との契約者である、カド=ククナがいなくなるので、仕方がないのだが……。
要するにカド=ククナは、戦いが終わったら、プレート自体を無くそうと思っているのだ。
精霊は人間に負ける予定なので、そのときは精霊は全て人になるから、プレートも不要になる。
しかし、今は思ったよりプレート頼みの社会なので、いきなり停止はまずい。
やるとしたらもっと科学が発達して、医療技術も追いついて、人間が少しずつ、『不便』なプレートから離れていき……プレートが不要になった頃……千年後の未来か。
(かなり先だな……)
千年は、プラグにとっても長い時間だ。百年が十回あるのだから。
ただ……それも過ぎ去ってしまえば案外、短い物だ。
「……アルスは、もし、プレートを自由に変えられるとしたらどんな機能が欲しい? 何でも自由に付けたい機能を付けられるとか、そういう場合」
プラグは聞いてみた。
当然のごとく、変更機能は付けている。ただ、ものすごい霊力が必要なので、プラグ一人ではできない。ラ=ヴィアの協力があればできるが、一つ変更すると、人間社会にどんな影響が出るか分からないので、変更する気は無い。
精霊のプレート収納が一キロでは短い、と言う問題も、やろうと思えば一気に延ばせるのだが。定着していたので変えるのはやめた。
下手に変えると『いきなり変わった! 変えたのは誰だ!?』となって危ないのだ。
しかし『ル・フィーラが面倒くさい』というアルスの意見はもっともだ。
プラグもたまに――いや、良く面倒だと思う。
作った時は、祝詞に比べれば楽だと思っていたが、こうして頻繁に使うと、その不便さが際立ってくる。
「私? そうねぇ、まずル・フィーラ廃止、でも後はそんなに困ってないわ。とても良くできているもの」
褒められて、プラグは少し嬉しくなった。
しかし何故か「『ル・フィーラ』の事も可愛がってあげて欲しい」と言う複雑な心境になった。
「そっか。他には、困ってる事ない?」
こっそり、参考にしようと思って聞いてみた。
「他ねぇ……、……すぐに思いつかないわ。プラグは? 不便と思う事ない? うぅん……」
アルスは逆にプラグに聞いて、その後も考え込んでいる。
「俺は、そうだな……あ。この前思った事なんだけど」
プラグは以前、ふと思った事を思い出した。
「プレートって、一枚一枚、効果が違うよな。その効果を足したり、プレートごと、くっつけたりできたらいいのに、って思った。二枚を一枚にするとか。そしたら効果が上がるとか?」
プラグの言葉に、アルスが、目を丸くした。
「! あ、それ良いわね! ああ、なるほど……! 強いプレートを足してより強くするってことよね?」
アルスの言葉にプラグは頷いた。
作った当時は思いつかなかったが、技術的には可能だ。ただ何枚までにするか、これは良くて、これは駄目、と言う決まりを考えるのが難しい。
しかも、精霊がいるプレート同士をくっつけるなると、精霊はプレートの中で同居することになるので、相性が悪いと中で喧嘩することになる。
やるなら精霊のいない白、赤のプレートが現実的だ。
「そう、あと手紙とか、範囲が狭いから、中継点が多いだろう? そういうのくっつけたら、なんとかできないかなって」
「なるほど……! 手紙がくっついたら、良いわね! どんな感じか、想像も付かないけど。そういう研究、貴方がしてみたら?」
アルスが目を輝かせた。
「プレート研究員みたいな?」
「そう」
「……それはちょっと大変かも」
プラグは全て仕組みを知った上で、知らない振りをしなければならない。大変だし疲れるだろう。
「まあ、そうよね。ずっと研究だもの」
アルスが頷いた。
プラグはふと心配になった。
プレートは便利だが……人間はプレートに頼り過ぎている。
作ったプラグもこれほど便利だとは思わなかったのだ。精霊結晶の使い方、赤プレートの作り方。生産と流通。人間は上手くやっている。
「ねえ、アルス、君はプレートって、誰が作って、いつから、いつまであるものだと思う? この先もずっと使える物だと思う? ……俺は見る度、不思議だなって思うんだ」
プラグは最後に一般論を付け足した。
あまり変な事を言うと、何を言うのだろう、と思われてしまう。
アルスは「そうねぇ」と呟いた。
「考えた事も無かったけど――ねえ。いつからあるの? どこにも載って無かったけど、貴方、知ってる?」
アルスはプラグに聞いていた。まるで『貴方なら知っているでしょう?』と言わんばかりだ。
アルスにしたら、プラグは何でも知っているように見えるのかもしれない。
プラグは苦笑した。
「さすがに知らないよ。でも、誰が作ったんだろう、ってたまに考える」
アルスは腕を組んで考え始めた。
「そうねぇ……、たぶん、学者さんじゃないかしら。大昔の偉い人。精霊がいっぱいいるから、捕まえて……いえ……違うわね。あ。どこかの国の王様が、王妃様へのプレゼントとして作ったとか? ほら、可愛い精霊を、王妃様のお友達にしようと思って!」
アルスの答えは、初めは分かりやすかったが、少しずれていた。
「……ううん? そうなの?」
「ええ、きっとそうよ。王様は王妃様が、一人で寂しがっているのを見て、話し相手が欲しいと思ったの。あ、どこか遠征とか行くんだと思うけど。そうしたら、ちょうど、可愛い精霊を見つけた。でも精霊は逃げ足が速くて、中々捕まえられない。だから、頑張ってプレートを作って、精霊を捕まえて、王妃様にプレゼントしたの。王妃様は喜んで、精霊とも仲良しになって――各国に広まって、それがプレートの始まりよ! これで決まりね!」
アルスの物語が面白すぎて、プラグは笑ってしまった。
「ふふ、ふふ……そうかも、それで決まりだ! 今度からそう言うよ」
「ええ。ぜひそうして。二人でこの話を広めていきましょう。そのうちそれが本当になるわ。だって私は王女ですもの! 私が言うならそうなのよ」
「それ、使い方あってる? 王女って」
プラグが笑うと、アルスが得意げに笑った。
「合ってるわよ! たぶん!」
「自信満々だな」
「――そう言う貴方はどうだと思うの? ねぇ教えて」
アルスが微笑んで、悪戯っぽい目でプラグを見てきた。
「俺? ……んんん……アルスの説が面白かったから、もうそれでいい気がしてきた。でも……そうだなぁ……プレートは金色だから……たぶん、黒い物から生まれたと思うんだ」
「んんん?」
アルスが首を傾げた。
「黒くてどろどろした液体を混ぜて、何か、壷に入った薬を混ぜて、混ぜて――そしたら、できた、みたいな感じ? いやアルスの方がいい」
するとアルスが笑って。
「なにそれ! 聞いたこと無いわよ!」
と言うので、プラグは大笑いしてしまった。作り話なので、聞いた事などあるはずがない。
二人で「聞いたこと無い?」「液体!?」と言いながら腹を抱えて笑って、しばらくして、ようやく落ち着いた。
「ふう。はぁ。とりあえずプレートは決まった……」
「ふふ、ふふ……貴方って面白いのね。あーあー、苛めてごめんね。そんなつもりじゃなかったのよ」
アルスの言葉にプラグは申し訳無くなった。
「そんな事ない。俺の方が悪かった。ごめん……ごめんなさい。踏んづけて……しかも、一度いいと言ったことを、駄目って言うなんて、最悪の最低だ。本当にごめん」
「もういいわ、その話は。私も悪かったんだから、そんなに謝らないで」
頭を上げた後、プラグは溜息を吐いた。
「はぁ。最近、何もかも上手く行かないな……一体どうしてだろう」
プラグは思わずぼやいてしまった。
むしろ、上手く行っていたことがあるのだろうか。と思った。
するとアルスが首を傾げた。
「あら。それ、上手く行っている証拠よ。ってバウル先生が仰っていたわ。上手く行っている時ほど、気を引き締めなさいって。だから、少し悩むくらいが丁度良いって」
アルスの言葉にプラグは感心した。
「バウル教授が? 凄いな……さすが、ストラヴェルの最高峰……頭がいい」
「そうなのよ。先生、凄いのよ。さすがよね」
アルスが頷いた。
少し喉が渇き、プラグは水を飲み干してしまったので、水を注ぐか迷った。
「――そろそろ寝ようか?」
とアルスに聞いて。
「そうね、シオウが戻ったら」
アルスが頷いたが。プラグはふと顔を上げた。
「あ。でも、これからはカーテンがあるから、もしかして、一緒に寝なくてもいいのか」
アルスのカーテンに『闇』が付いたので、部屋の灯りが点いていても、カーテンの中は真っ暗だ。
「あ。そうね。同じ時間じゃ無くてもいいのかも。でもあんまり意味はないわね。宿題も一緒にやるし。夜更かしもしないから……」
そこでアルスが少し目線を下げた。
「でも、何だかちょっと寂しいわ。少し遠くなったみたいな? 疎外感って言うの? 同じ部屋なのに区切られているなんて……」
それはプラグも感じていた。
「うん、でも慣れれば快適だと思う。明日、感想を聞かせて」
「そうね……そうするわ」
「カップを洗ってこようか?」
「いいわ。後で行くから」
「そう」
プラグは、カップを持って立ち上がったのだが。
「あ! ねえ、プラグ」
アルスが声をかけてきたので、動きを止めて振り返った。
「? ん?」
「――ちょっと、聞きたいんだけど。いい?」
改めて言うので、プラグは首を傾げた。
「なに?」
アルスはプラグを見上げて、引き留めている。いつもの、人形のように整った顔だ。長い睫毛に縁取られた、丸い目が大きく見開いている。
アルスは短い逡巡の後、口を開いた。
「……こんな事、聞いて良いのか、分からないんだけど……アメルちゃんって、どうして死んでしまったの? 事故? ……病気?」
意外な質問に、プラグは少し戸惑った。
「え、アメル?」
「……本当は、少し前から、気になってて。それで、ちょっと怒りっぽくなっていたの。何だか、不安になっちゃって。あまりにも、貴方がアメルちゃんにそっくりだから……」
アルスは首を傾げて、少し目をそらして、溜息を吐きながら髪を撫で付けた。
その後、はっと顔を上げて、プラグを見て手を振った。
「あ、待って、でも、話せないならいいの! ごめんね、変な事聞いちゃって!」
アルスの言葉にプラグは、また反省した。確かに故人の真似は気味が悪いだろう。
「そっか、ごめん。気味が悪かった?」
男が女の格好をするのも、そう言えば異常だ。アルスからしたら気色悪いだろうし、上手くやっているつもりでも、変なのかもしれない。
「女装も、どこか変だったなら、やめるけど……。見苦しかった?」
するとアルスは凄い勢いで首を振った。
「あ、いえ、違うの! そんな事ないわ! むしろ可愛いの、可愛いんだけど、可愛すぎて! 上手すぎて、貴方の頭って、どうなってるのかしら? って気になったのよ。ごめんね。女装は立派な趣味よ! 貴方は本気の本気だもの! 気にせず続けて!」
「そう……? 変じゃないのかな……もっとしっかり、やらないと」
「ちょっ、ちょっ、うん、そうなんだけど、見た目も話し方も十分よ。仕草も本当に女の子にしか見えないから、安心して! ――でもそういう事じゃ無くって……」
アルスは頰を膨らませた。
「アメルちゃんの事が聞きたいの……って、言ったら駄目?」
アルスの言葉にプラグは考えた。
「アメルか……」
深く、息を吐く。
「アメルちゃんって、いつ亡くなったの……? 何歳とか……、本当にいたのよね……? なんだか、分からなくなっちゃって。カルタにいて、捨て子だったのに、妹がいるってどういうことなの? ……こんなに、詮索しちゃ駄目なんでしょうけど」
アルスは賢いので、プラグの矛盾や、辻褄の合わないところを感じ取っているのだろう。
プラグはどう答えたらいいのか、と考えた。
アメルの設定は考えてある。
「アメルは……双子の妹で……巫女として」
そこまで言って、プラグは、詰まった。
アメルはまだ、カルタで巫女として、生きている。
アルスには『死んだ妹の代わりに、巫女として生きていた』くらいしか話していない。
そうまでして演じる理由。……アルスが心配するはずだ。いつから? と気になるのも仕方無い。
「アルスには言ったっけ? アメルはずっと俺が変装してたって」
「ええ、だから、いつからなのかしらって。アメルちゃんは、養子になるまで、お兄さんの存在を忘れていたって言っていたけれど。じゃあそれまでプラグはどこにいたの? アメルちゃんって、本当にいたの? って不思議に思ったの。気を悪くしないで欲しいんだけど。本当は初めから、アメルちゃんはいなくて、実は一人だったんじゃないの? ……って思っちゃったのよ」
アルスの言葉は正論だ。彼女は『アメル』を尊重しようとしてくれている。
プラグは苦笑した。
「アルスは鋭い。でも、アメルは本当にいたよ。偽物じゃない」
「そうなの……じゃあ貴方がアメルちゃんになったのって……何歳頃から? 結構前なの?」
アルスは首を傾げて、プラグをまじまじと見て、不思議で仕方無い、と言う顔をしている。
プラグはまた、ベッドに座った。今度は、足元だ。アルスを見ずに呟く。
「幾つだろう……」
幾つで死んだか。アメルは生きている前提でいたので、死んだ年を考えていない。
これでは本当に、プラグが『アメル』と言う『嘘』の妹を作り上げたことになる。
――アメルはいたのだ。歴史では千年前だが……五百年間休眠していたプラグの感覚では、つい、五年前の事だ。
「五年前……」
プラグは、なんだ、そうか。と思った。五年前が、アメルが死んだ時だ。
「十歳、いえ、九歳の時?」
「うん。そのくらい。その時までは生きてて。そこで、ちょっと、不幸な事故があって……」
実際はちょっとどころでは無いが、そう言う他ない。アルスに話すにはあまりに重すぎる。話して、背負わせる事はできない。
「あんまり、いい死に方じゃなかったんだ」
プラグはそれだけ言った。
「……そうなの。ごめんなさい。聞いてしまって……」
アルスの優しい声が聞こえる。
プラグは顔を上げた。
「いや、いい。そろそろ、踏ん切りを付けた方がいい。でも、姿はこのまま借りる。カルタでは元気だし、アメルもその方が喜ぶと思うんだ。アメルができなかった分、俺は精一杯、アメルを演じる。それでいいんだ」
プラグがアメルを映した存在であればあるほど。きっと、アメルが戻ってくるのは早くなる。現に今もアメルは、たまに顔を出している。お茶目な妹だ。
いつか戻ってくるから――とは言えないけれど。
プラグは笑って振り返った。もしアメルが戻って来たら、アルスにも会わせたい。きっと驚くだろう。……しかし、その頃には、今度はアルスがいないのだ。
そう思うと胸が痛んだ。アルスがいなくなった世界でも。ククナは生きている。
よく分からないが、とても切ない。
……人間と精霊は、寿命が違いすぎる。
プラグは思いきり笑った。
――でも、きっと、アルスがプラグと過ごして、楽しいと思ってくれたなら。
数十年の後、満足して旅立ったなら。
プラグ――ククナもきっと、笑っていられる。
(あれ……)
ふと。『その時プラグは、生きているのだろうか?』と思った。
ククナは生きている。けれど、プラグは……?
一緒に過ごす前提でいたが、もともと、数年で立ち去るつもりでは無かったのか?
『勝者の書』を回収したらプラグ・カルタは消える予定だった。
別に死んだ事にしなくても、旅に出るとか、方法はある。
――得体の知れない恐怖が、プラグの中に生まれた。
「プラグ?」
(――この気持ちは何だろう? 『俺』は、何が恐いんだ……?)
何かが恐くて仕方ない。けれど上手く言葉にできなくて、漠然としている。
プラグは少し無理して微笑んだ。
「ええと……だから、アルスは気にしないでくれ。俺は楽しくてやっているんだから。本当にそこにアメルがいると思って接してくれると嬉しい」
「わかったわ」
アルスが微笑んで、頷いた。
「ありがとう」
プラグも再び微笑んだ。
「ねえ、プラグ、こんなことを言うのはどうかと思うんだけど。……ひとつお願いしてもいい?」
アルスが自分の髪を耳にかけ、少し、照れた様子を見せた。
「どんな?」
プラグは体をしっかりアルスの方を向けて、首を傾げた。
「私、貴方と友達になりたいの」
アルスの言葉にプラグは瞬きをした。
アルスが続ける。
「あ、シオウともだけどね。アメルちゃんとはもっと仲良くなりたいわ。親友くらいに。あの子の事が、なんだかとっても気になるし……、それで貴方とは、お友達がいいなって思ったの。駄目かしら」
プラグはアルスは凄く変わった子だな、と思った。
「友達。……うん……ちょっと待って、考える」
プラグはここは慎重に、と思って考えた。プラグは友達が少ない。
トゥーワとルーミー、後は、動物くらいだろうか。鳥のトゥーワは友達だと思う。クロスティアにいた、狐の親子も友達だ。他には兎とか、最近できたところで言えば、馬のラ=ファータと、妖精のラナ=ホタルとか……。
それ以外の生き物――と思って考えると、意外と顔が浮かんだ。毎日来てくれる鳥も、毎朝来てくれる虫もいた。蝶もよく『おともだち』と言う気配を出して、カド=ククナの側にいた。
カド=ククナは陸で暮らしているので、魚とは親しく無いが、水の精霊はよく、魚と友達になっていた。鯨や、イルカと結婚したと言う話も聞く。
「それって、動物も入る? 虫とか」
「え?」
「鳥とか、兎とか、魚とかは?」
「あ、いえ、人限定で……」
アルスが言った。
すると。……ほぼいない。いや、巫女達は友人だけど仲間で家族だし、カルタには親しい人もいるが。友達枠はいなかった。でもミーアは親友だと思う。
「友達はミーアくらいしかいない。でも親友って感じだし。巫女達は仲間だし……後はシオウかな……友達になってくれるかな……」
「エミールは?」
アルスが言った。エミールとは確かによく話す方だが。
「まだそこまでじゃないかも。彼と友達になるなんて。考えた事も無かった」
仲は悪くないと思うし、良く喋るが、友達にして貰えるかは分からない。
そこでプラグは、ふと、フィニーや、ウォレス、アドニス、その他の候補生の事を考えた。
彼等は友達、で良いのだろうか。
フィニーは友達、で良いと思う。
「フィニーは友達かも。俺が勝手に思ってるだけなんだけど……そんな感じ?」
プラグは問いかけた。
「感じ? と言われても……」
アルスが珍しく戸惑っている。万事はっきりしている彼女には珍しい。彼女はそれきり考え込んで、黙ってしまった。しばらく待ったが、特に続きがない。
一方でプラグは少し嬉しくなった。
友達になりたいとは、余程気に入ってくれたのだろう。
「いいよ。なる。今日からでいい?」
「え、ええ!? ええ! ……良いわ!」
アルスが目を丸くして、頷いた。
「わかった。よろしく。握手する?」
「え、ええ……お願い」
プラグはアルスと握手した。
するとアルスが首を傾げた。
「よろしくね。私、実は、友達を作るの、初めてだから。こんな感じでいいの?」
「え? 初めてなの?」
「ええ、王女だから、友達はいないのよ。セラ国のエリシア王女とは、年は近かったんだけど。変な贈り物して、泣かせちゃったし」
「何あげたの?」
「蝶々……になる予定の芋虫とカマキリの卵。でも、虫が苦手で、驚かせたみたいで。泣かせたわ。それから避けられちゃった。引っ込み思案な子だったの」
「あー……、なるほど」
プラグは苦笑した。アルスは活発な少女だったらしい。
「でも、もう少しあのお城にいれば仲良くなれたかも。貴方は虫、平気?」
「俺は平気だけど、今、もらっても困るかな。ここで飼っても良いけど。虫は外にいた方がいいだろう」
「さすがにもうあげないわ」
アルスが苦笑した。
アルスは、足をベッドに乗せて座り直した。
「ねえ、下らないお願いなんだけど……、このまま、卒業まで仲良しだったら、卒業した後も、たまに話してくれる?」
プラグは瞬きをした。
「それは勿論。機会があれば……ああ、そっか。機会が無いかも……」
アルスは王女だ。今はこうやって話しているが、卒業してしまったら会えないかもしれない。
アルスは寂しそうに溜息を吐いた。
「そうなのよね。お城に籠もっちゃったらどうしよう。広いけど、退屈なのよ。このお城、社交界は無いけど、女の子達の交流会はあって、それに出たり、勉強したり。一人で鍛練したり。勉強は嫌いじゃないけど。普段は話し相手もいないのよ。妹とお母様くらいしか、ああ、お兄様もいるけど、それだけじゃあね……つまらないわ。貴族の女の子もなんだかぴんとこないって言うか。どうしても遠慮されるし、喋る度にお茶やお菓子が出てきて困るのよ。なるべくお菓子は断っているけど。お誘いも断れない時はあるから……」
アルスは肩を落として、天井を見上げた。
王女の暮らしというのは、皆が夢見るような楽しい暮らしでは無いのだろう。
もちろん楽しい事もあるだろうが。その分、義務も多い。
貴族のもてなしは王女の仕事だろうし、賓客に会うこともあるだろう。舞踏会があったら踊る必要があるし。勉強は大変そうだ。アルスにはその上、聖女の役目まであるから、普通の人間では、アルスも相手も気にしてしまって、仲良くなれないのかもしれない。
そこをいくと、プラグは精霊だ。人間の決まりなんて正直どうでもいい。
アルスが退屈だというなら、話し相手くらいにはなれそうだ。
「確かにそうだな。うん。じゃあ俺で良ければ。手紙で話せばいい。怒られない?」
「え、いいの? ええ、怒られないわ……さすがに部屋までは見ないもの」
「え? 自分の部屋があるの? 王女なのに?」
プラグは首を傾げた。アルスに自分の部屋があるとは思わなかったのだ。もっと言えば、自由があるとは思わなかった。
「そこまでじゃないわよ! ちゃんとあるわよ。自分の部屋くらい! お兄様の部屋の隣だし、ミアルカとも近いわよ」
アルスが声を大きくした。
「そんなに仲が良いんだ?」
兄妹仲が良いとは思っていたが、部屋まで隣というのは珍しい。
「ええ、そうね。仲良しよ」
「へぇ。じゃあいいんじゃないか。見つからなければ」
プラグは笑った。
「アメルが貴族だったら、こっそり遊びに行くんだけど……何とか抜け出せない?」
プラグの言葉にアルスが苦笑した。
「ちょっと、それは無理よ。さすがに。普段は厳しいの。って言うか、近衛がいるのよ。お城でも、上の方だし……」
「そうなんだ? あ、ラ=ヴィアは入れる? ナダとか、遊びに行かせるけど」
「あーそれが無理なのよ。悪い精霊が来ないように結界が張ってあるの。プレートは大丈夫なんだけど、精霊がそのまま中に入るには通行証か、祝福が必要なのよ」
アルスの言葉にプラグは笑ってしまった。
プラグは警備を楽々すり抜けられそうな、悪い精霊だ。
「でもアルスも精霊騎士になるかもしれないし。そうしたら、鍛練だって言えば出られるんじゃないか? 近いし」
「そうね。どうせ暇なんですもの。もしなれたら、お仕事だって言えば――」
すると外から、ノックがされた。
誰かと思ったら、シオウだった。シオウは扉をあまり開けず、先に声を掛けてきた。
「――もういいか?」
「? いいけど?」
「遅かったわね?」
シオウはいつもより大分遅かった。髪も乾いているようだ。シオウの後ろには、ラ=ヴィアとナダ=エルタがいる。風呂に行くとき、シオウが『リズに用があるから、お前等も一緒に行くぞ。どうぞごゆっくり』と言って連れて行ったのだ。
シオウはなぜか溜息を吐き「はぁー。まあ駄目か」と呟いた。
〈おわり〉