一通り警戒心を解く行動を重ねた後、演技など関係なしに、ある中華料理店に入る二人。
その名も、『登竜門』。
そこは、多くの客でごった返している訳でも、ましてや行列ができている訳でもない。一部の常連によって細々とやっているような、小ぢんまりとしたもの。
しかし、こんなところに入り込んだのには訳がある。流浪の獣、その情報を少しでも得るためであった。日常に溶け込むマフィアを探すのは、砂浜で砂金を百グラム見つけるよりも途方もない作業が強いられるが、内情をある程度知る千尋には打算があった。
これまでの警戒心を解く作業の中で、地道に灰崎にだけ分かるように、耳打ちしていたのだ。一定の間その場所に留まるよりも、分散させ数秒の情報を繋げていく方が、「何かを企んでいる」様子が薄れるのだ。さらに、そこから分かりにくくするための暗号化である。
あらかじめ、ある程度のジェスチャーで肯定や否定、その他の簡単なハンドサインを日常の中でカモフラージュして、お互いにコミュニケーションを図っていたのだ。この作戦立案は灰崎のものである。
少々薄汚れたメニュー表を二人で見ながら、誰にも聞こえないように囁きあう。
(――千尋、本当にここがそうなのか? 一見、ただの中華料理店に見えるが)
(まあまあ。大丈夫、一週間だけとはいえ内部関係者だったから、そこん所はバッチリ)
注文用ボタンを押し、ホールの人間がキッチンから現れる。一切平静を崩すことなく、注文内容を口にする。
「ご注文、お決まりで?」
「うん、『本場の焼き餃子』で」
ウェイターは少し目を見開くと、その注文内容を書き記し、一礼してキッチンにオーダーを伝える。
一見、その中に特別なやり取りが無かったために、灰崎は疑問を口にする。
(……何で急に餃子を注文したんだ? さっき食べたろ、動きっぱなしで疲れたか?)
(違う違う、これが『合言葉』なんだ)
まず、日本と中国の餃子文化の違いがここで現れる。日本の飲食店が『餃子』と口にして提供されるメジャーなものは、基本的に焼き餃子。水餃子もジャンルとして存在するが、大概どの店でも『餃子』と言えば焼きに限定される。
しかし、中国はその逆。基本的に水餃子がメジャーであるため、注文内容としてはちぐはぐなものになる。だからこそ、この情報を知るのは内部関係者、あるいは裏サイトでその情報を購入した者に限られる。
しかし、ここで問題がある。千尋そのままの姿でこの注文をしたならば、速攻で連中に囲まれ裏切り者として痛い目を見るだろう。高校生がその情報を知っていること自体、少々違和感があるのだが、真なる地元民ならばこの情報は多少なり関係が深ければ知っている。地域密着型のマフィア、その利点を逆手に取ったのだ。
(なるほど……でもそれって、裏社会の組織として、多少無防備じゃあないか? 流石にそんな軟弱なセキュリティで「過度に踏み込まれたら殺す」だなんて、当たり屋にも程がある)
(そこも大丈夫。この情報の入手は、これまでの散策過程でしっかりやっておいたの。アリバイもばっちりだから
、無問題……基本的に気にすることは無いよ)
先ほど辺りの店で購入していた焼き餃子串、それは合言葉を入手した証。少々小ぶりな焼き餃子が五つ、たったそれだけで一本千五百円である。少々値段が張るが、それがある意味通行証代わりとなっている。他メニューよりも明らかに高値であるため、普通は大したこともないそれを、わざわざ買う必要性は無い。
もし仮に合言葉の情報だけ仕入れたら、『突っぱねられる』ことは確定事項。一見無駄なように思える行動をとることで、地元民ではない灰崎もこの先へ進むことが出来るのだ。
(……だから合言葉で「私の行動に従って」だなんて言ってたのか。用意周到なこった)
(そうじゃあなければ、流浪の獣その内部に潜入は出来ないから。さっき……命を救ってもらったお礼も兼ねてるし)
キッチンで働く者が示し合わせたかのように頷くと、傍にあった小型リモコンを操作し店先のシャッターを下ろす。灰崎は静かにアタッシュケースに手を添え、臨戦態勢を整えるも、灰崎の予想を超える光景が広がるのだった。
皆、テーブルの形を手動で変え、様々なあるものを広げていく。それはなんと、ポーカーやバカラの緑色のプレイマットだったり、ルーレット用の設置物であったり。
つい少し前に、似たような環境で戦ってきたからこそ、その見慣れた光景に驚愕してしまうのだ。
「――ここは、
流浪の獣が元締めの小規模裏カジノ。ここで勝つことが、私たちの次なる関門なの」
常連の客やら、顔なじみ程度の客が、料理人が姿を変えて現れたディーラーとの対戦を楽しむ……グレープほどではないにしても、それなりに金が動くプレイエリア。そこである程度名を広め流浪の獣、その核に近づく。それこそが、二人に課せられた題目である。
「――つっても、どう稼ぐ気だ? 悪いが俺はイカサマなんてできやしないぞ」
「? イカサマなんてアタシもできないよ」
「……まさか」
「そ
、実力で稼ぐってコト」
一見――
脳筋、実際――
脳筋。何とも先が不安になる中で、千尋を睨む灰崎。
「……元々そういう世界で生きてきたから分かる。裏カジノってのは、一定の
閾値から稼ぎすぎると目を付けられる。どれほど稼ごうが退かねえとカモにされる。それなのに……何でそこん所の対策してなかったんだよ」
「――ごめんなさい」
舌を少し出しておどける千尋。高校生には少々似つかわしくない舌ピアスが光るも、頭を掻いて仕方なく作戦を耳打ちして伝えるのだった。
それもこれも、この先へ進むための、裏社会を生きてきた灰崎の策である。
まず一つ目の作戦。それは。
「――では、ショウダウンです」
示されたディーラー側の手札は二十、灰崎の手札は十九。僅差で、灰崎の負けとなる。少額ではあるが、賭けたチップが水泡と帰す。
「惜しかったですね、また挑戦してください」
プレイするはブラックジャック。その時担当しているディーラー側の癖、それを数戦行うことで掴むことであった。
千尋から提供された軍資金、それはお世辞にも多くは無い。それぞれ十万円分、それを出来る限り増やし目を付けられることが最終目標な中で、下準備として一回のゲーム内で、少しでも癖を観察することが重要であった。
ただ勝つのではなく、常勝あるいは圧勝が求められる。その中で、基本的な駆け引きを行いつつも、イカサマがそこに介入するか、そして単純に手札を配る際の一挙手一投足、それらを穴が空くほど観察する。
千尋は別場所で別のゲームを楽しんでいる。それもディーラー側のイカサマが可能なゲーム、ルーレット。しかし本気でそのゲームに取り組んでいるわけではなく、灰崎と同じく観察することに重きを置く。どちらが現状勝ちやすいかを確認し、もし勝ちの目がそこにあるのならそのゲームに一点集中。
二人の目は、とてもではないが高校生には見えない。しかし、そんなこと気にする余裕はなく、ただお互いの様子を確認し合いながら、遠目で戦況を見守る。
そして、その中で解法は――実に悲しいことに、示されなかった。
二人ともウェイターからノンアルコールドリンクを受け取りながら、壁にもたれかかる。
「――おい
、少々不味くないか」
「だね……ここでちょっと手詰まりになりそうというか……イカサマがあったとしても見抜けるだなんて息巻いてたのが馬鹿みたいで」
二人とも、イカサマの種類は分かっていても、見抜く方面には悲しいことに門外漢。しかも一般人でもあからさまに見抜けるような拙いものなど、裏カジノのディーラーがやるはずもなく。それに、二人とも地頭がそこまで良くないため、法則性を覚えるにも四苦八苦。何とも困った状況であった。
いかんせん、双方の軍資金十万ずつは、二万ほどにまで減少し、あと少しで全て毟られる。何とも八方塞がりな状況で、別テーブルにてかなり調子のよさそうなプレイヤーを目撃する。
「……ああいう退き際を知っている、あるいは単純に観察眼が優れてる人見ると……羨ましいなあって思うよ」
「――単純に大量にチップを稼いでいるからじゃあないか?」
元も子も夢もない返答に、無言で肩を殴る千尋。「痛ッてえなおい」と怒りたくなる気持ちを何とか抑えようとしていた灰崎。しかし、台詞を押し殺そうとした時、その稼いでいる人物の後ろ姿に、どこか見覚えがあるように思えたのだ。
「お客様、また勝利なさいましたね、おめでとうございます」
「おう、こう見えて戦況を見る力には長けてんだ、俺」
その人物は、以前目の当たりにした時とは異なり、フードを取り払っていた。漆黒時のロングコートを羽織っていることに変わりは無いのだが、どこか浮世離れした白髪のショートヘアと、皴一つない若々しい表情が目につく。醸し出す雰囲気は猛者であることに変わりは無いのだが、少なくともその辺りの一般人なんかでは彼の前に立つことすら許されない、圧倒的な覇気を感じ取ることが出来る。
以前、唯一その者の後頭部すら目撃することは無かった存在かつ、その物の雰囲気から安易に触れてはならないような風格を滲ませる存在は、たった一人しか知らない。
それに、その声にも聞き覚えがあった。威厳がありながら、そこに年齢感をあまり感じさせない、若々しい男の声であった。
「――ちょっと待ってくれ、まさか……」
灰崎には、一人思い当たる人物が存在した。それと同時に、その人物がこの千葉県に存在することが、どうも理解できなかった。
「……ン、誰か俺に用でもあるのか?」
振り向いた男は、変装していた灰崎の顔を見るや否や、ただ静かに笑って見せた。それは、敵に回るような悪戯な笑みではなく、その何とも間抜けな様子を疑問に思う、憐みの笑みであった。
「――へえ。人生ってのは大概つまんないことばかりだが、面白いこともあるもんだな」
当人の表情を、一度でも見た試しは無い。しかし、灰崎は理解した。そこに居たのは、名乗ることすらせず、ただ所属・役職だけを明かして「野暮用がある」とグレープ・フルボディに潜っていった、『教会』群馬支部支部長の男であった。