程離れた場所に存在する、職員用駐車場。そこにある千尋の車に乗り込み、千尋は焦りながらもエンジンをかける。
「これで……木更津方面まで突っ走る。教会の奴らもそこまで行けば、そこまで来ないだろうから――多少の時間は稼げるはず」
「……悪ィな、俺土地勘無くってよ」
「伊達に、長いことこの千葉県に住んでないし。生まれも育ちもバリバリ千葉県だし」
すぐさまその場から離れようとする千尋であったが、灰崎は即座に制止した。車前方からゆっくりと歩いてきたのは、二人を追う教会の構成員。その中には、明らかに親玉と言えるような風格ある存在も確認できたため、下手に車を動かすことは得策ではない、と考えた次第であった。
「う、嘘……何人か銃持ってるし」
「……悪い、一旦降りるぞ」
連中を睨みつけながら、灰崎は千尋の乗車する車を背にして立つ。
それぞれが、人としての生気を奪われたかのような
、屍生人を思わせるような出で立ちであった。みすぼらしい恰好でもあり、その辺りのホームレスでも引っ掛けてきたのかと思い込んでしまうほど。
しかし、中央に立つ存在は違って見えた。何せ、灰崎の懐にあったはずのカスタムピストルを手で遊ばせながら、不敵に笑んでいる東南アジア系の男。灰崎と色は異なるものの、かっちりとしたスーツ姿であり、その下に隠れる筋肉は灰崎のそれを優に超えるだろう。
(――チッ、あの学園長さんに貰ったやつをああも雑に扱いやがって)
静かに戦闘態勢を取ると、男は冷笑していた。
「『――おいおい、俺らが誰か知らねえのか』」
「……?? ちょっと待て、俺は中国語だなんて知らねえぞ?
日本人にも分かりやすく頼むわ」
しかし、手元で鈍く光る銃から発される殺気は、中国語が分からずとも理解できる。灰崎だけではなく、後ろの千尋すら狙う非情さを内包している。本当ならば、それは堅気の人間には、到底向けるべきものではないのにも拘らず。
「『見たところ……アンタ同業者だろ? 間違いなく、堅気の人間様じゃアねえ。いくつもの修羅場を歩いてきた極道だ。そうだろう? そうじゃアなければ、こんな天下の往来で、こんな
拳銃なんて持ち歩かねえよなあ』」
「――よく分かんねえけど、俺に対してなんか言いたげだよな、お前。さっさと俺を殺してみやがれってんだ。まさか使い方が分からねえとか、ンな訳でもあるまいし」
お互いに言語が通じない中、灰崎は一向に中国人の男の様子から、次取るべき行動を決めあぐねていたが、どうにもこうにも不利であることに変わりが無いため、どうも精神面の優位は相手のもの。
言葉が分からずとも、挑発行為であることを理解し多少いらだったのか、灰崎の背後に向け射撃。優れた
静音器を装着しているからか、空を切る音以外に耳には入らない。しかし、フロントガラスを割る音はそれなりに大きくなる。
「千尋!!」
千尋の肩口に、銃弾が命中。これまで受けたことの無い圧倒的な痛みが、一般人である彼女を襲う。
「――ッ、止めろ!! あの子は何も関係ねェじゃあねえか!! ましてや堅気の人間だぞ!?」
「『言葉は分からんが言いたいことは分かる……その上で一言言わせてもらおう、『だから何だ』? アイツはろくでもない女だ、お前を殺そうとした組織の関係者である以上……無関係な訳が無いだろうに』」
これだけ平和な日本にも、抗争に巻き込まれ亡くなった、なんて話は、以前はそれなりに存在した。ある程度暴力団に対する圧力が強まった現在でも、無い話ではない。今、まさに千尋はそんな渦中に置かれている。ただその宗教を一時的に信仰していただけなのに。
「『何も難しいことを要求するわけじゃあねえ、お前の首さえ貰えればそれで終わる話だ。あの女も正直どうなったって構わねえ、生かしても殺しても一切関係無ェなら労力を割かずに終わらせた方がいいだろ?』」
「――よく分からねえ、よく分からねえよ。堅気の人間に……平気で手ェ出すなんてよ。日本じゃア……俺らのような極道は堅気を食い物にするか、堅気の皆さんを守るかのどっちかなんだ。まだサンプルが少ねェから多くは言えねえが……お前みたいな外道は裏世界でも大して地位は高くねえんだろうよ」
元々同業だからこそ、そのやり口は分かりやすい。男が口角を歪ませると、顎を遣うようにして、辺りのホームレスたちを灰崎に仕向ける。
(クソッ、一体多なんて状況はある程度武器があればどうとでもなるっつーのに……最悪だ、全く!)
心の内で悪態を吐きながら、拳を叩き込もうとすると、どこからともなくエンジン音が聞こえた。後ろを振り向くと、痛みを堪えた千尋が、雄叫びをあげながらアクセルを全開に踏み込んで、ホームレスたちをなぎ倒していくのだ。
その瞬間、当人の強固な精神に敬意を示しつつ、謎の男に向かっていく灰崎。計画が台無しになったことに、分かりやすく血相を変え彼に突撃する男。
しかし、それもすぐに決着がつく。灰崎は、ふと脳裏に過ぎった戦闘術を行えたゆえであった。その戦闘法こそ
、効率的戦闘法。あの時一対一で戦った、清志郎の技術であったのだ。
銃を撃つであろう動作を見切り、すぐさま体の軸をずらし、銃弾を易々と避ける。
その後、顔面に裏拳を叩き込み視界を奪った後に、銃を握る力が緩んだため、奪い去った後に膝裏に蹴りを叩き込んで腕の関節を決める。
なおも抵抗する男であったが、左手に持ち替えた銃を脳天に突きつけ
詰み。
自分自身で、一切勉強したことの無い格闘術を活かせたことが、一番の驚きであった。しかし、そんな精神的動揺を見せてどうなるかを考えたくないために、平静を装っていた。
「――悪いが、俺はお前ごときただのチンピラ風情に負けるほど、全く落ちぶれちゃあいない。こちとらお前以上の『化け物』ともやり合ったことがあるんでな」
どんな悪態を吐かれようと嘲笑してやる、だなんて思い込んでいた灰崎であったが、そのほんの少しの慢心が命取りであった。
男は、自分の敵などいないと言わんばかりにスーツを脱ぎ捨てる。腹部に巻かれていたのは、ダイナマイトベルト。そんな物騒なものを装備するのは、自爆テロ犯以外に存在はしない。
「『俺は――あくまで鉄砲玉として雇われただけだ。どこぞの組のトップだとか、そんなことは一切ねえ……ただ、お前を殺すためにありとあらゆる手段を用いて、どうにかしてやるだけだ』」
言葉が分からないからこそ、ジェスチャーなら理解できる。瞬時に命の危機を感じ取った灰崎は冷や汗を掻いたものの、そんな彼に心の限り叫ぶは意思無きホームレスたちを撥ね飛ばした張本人、千尋であった。
「乗って!!」
灰崎はその声を聞いた瞬間に、男がボタンを押すのを確認。男をありったけの力で蹴り飛ばし、こちらに近づかせないようにして、千尋の車の方へ駆け出した。
しかし男は、二人だけではなく、近くにいる一般人にすら聞こえるほどの大声で叫ぶ。
「『今に分かる、流浪の獣の団結力を! 今に分かる、中華街の闇を内包した流浪の獣の底知れなさを!! 多くの『裏』を内包し我が組織は、お前ら腐った人間どもに誅罰を与えるだろうゥゥッ!!』」
高嗤う男を背に、走り去っていく千尋の車。背後で大きな爆発があったものの、千尋の心をこれ以上傷つけないよう、灰崎はグロテスクな話題を口にすることは無かった。
フロントガラスを損傷、そして千尋が肩口に銃創を負った状態で長距離を走るのは不可能。騒ぎの起こったファザー牧場から離れつつ、近場でどうにか治療を施すことを考えていた。
「――近くのコンビニに寄ってくれ。そこで運転手交代だ」
「で、でも土地勘はアタシの方が……」
「じゃあ助手席でナビゲートしてくれ。本当は後部座席で治療を施した後休んでいてほしいがな」
不器用ながら見せる灰崎の優しさ。そんな口下手な彼に、微笑するのだった。