俺がゴミをまとめてビルの裏手にあるゴミの一時集積所に持っていくと、そこに小さな背中が二個並んでいるのが見えた。
しゃがみ込んでいる二人は、俺に気付いてないらしい。
「ミナトは猫が嫌いって言ったけど、こいつはおとなしくて、メッチャ可愛いだろ」
「可愛いかもしれないけど、飼わせてはもらえないと思うよ」
「なんで? ミナトそんなに猫がイヤなの?」
「僕じゃなくて。僕がココに来るより前に、聖一も猫を拾ってきたけど、敬一がお店があるからダメって言って、赤ビルでペットは飼えないコトになったんだって。だから聖一は、猫をミナミにあげちゃったんだよ」
「それは、聖一が大人だからだよ。僕が頼めば敬一はきっと、飼っても良いって言うよ」
「そうかなぁ……敬一は、聖一がダメでもスバルなら良いとは、言わないと思うけど」
「キミ達、なにしてるの?」
俺が歩み寄ったことも気付かなかったらしく、声を掛けると二人は、ほぼ同時に飛び上がった。
「なんでもないよっ!」
立ち上がったスバルが後ろ手に隠した辺りから、ニャアと鳴き声がする。
「猫、拾ってきたの?」
「僕のだもんっ!」
猫を胸に抱いたスバルは、それだけ叫ぶと俺の横をすり抜けて、ビルの中へ駆け込んで行ってしまった。
「あの猫、どうしたの?」
「学校の裏門のところに捨てられてたんだ。五〜六匹いたんだけど、クラスのヤツとか知らない子とかいっぱい集まってて。可哀想だから持って帰るって言った子達が、一匹ずつ持ってった」
「で、そのうちの一匹を、スバルが貰ったのかい?」
「僕、猫は飼えないよって言ったんだけど」
困ったような顔で、ミナトは俺を見上げてきた。
「ああ。こりゃ、ひと騒動ありそうだな」
やれやれと溜息を吐き、俺は中に戻るようにミナトの背中を押す。
スバルは先に上に行ってしまったようで、俺はミナトと並んでエレベーターに乗った。
「ねえ、タモン……さん」
ミナトは、俺に呼びかける時に必ず敬称のところで、一瞬引っかかる。
「シノさんや敬一クンのコトを名前呼びしてるんだから、俺ももっとラフな呼び方で良いよ」
「え? じゃあ、タモンレンタロウ君?」
「いや、それ、長すぎでしょ……。てか、それより、なんだい?」
「聖一、元気?」
問われて俺は、答えを迷った。
白砂サンの挙動がおかしい理由を、俺は知っている。
だが、その理由をミナトに話して良いかどうか?
「え……あ〜〜……」
言葉を詰まらせたまま、俺はチラッとミナトの顔を見た。
ミナトの顔は、俺の腰ぐらいの低い低い位置にある。
だけど俺を見上げているミナトの目線は、真面目で真剣だ。
事情を知らなくても、白砂サンに何かあったと察することが出来て、なおかつ白砂サンのことを心底心配している。
そんな顔をしている相手が子供であっても、曖昧なことを言ってはぐらかすなんて、俺には出来なかった。
「シノさんが学校に呼び出された話は、知ってる?」
「スバルがクラスのヤツを殴ったからでしょ? 知ってるよ。あんなコトでスバルが怒るなんて思わなかったから、すごくびっくりした」
「そっか。帰ってきてからシノさんに何があったのか訊かれて、ミナトが "ホモの子" って言われたから殴ったって、スバルが言ったのを、白砂サンに聞かれちゃったんだよ」
俺の説明に、ミナトは大きな溜息を|吐《つ》いた。
「そういうの、だったんだ」
「ごめんな。フォローしてやれなくて」
「ううん。だって、聖一は気にしぃだから、聞いちゃったら気にするし。きっと柊一とか、なんか言ってくれたと思うけど、全然効果なかったんでしょ?」
コグマよりずっと的確に白砂サンの心理を理解している答えに、ミナトの|方《ほう》がよっぽど大人で、むしろカレシ向きなんじゃないか……ってな気分にさせられる。
もっともミナトも白砂サンも、その気は微塵もないだろうが……。
「うん……まぁね」
俺は、なんとも歯切れの悪い返事をした。
§
気まずい空気のまま、エレベーターが最上階に到着したので、俺とミナトは無言でペントハウスの扉を開けた。
「だってこれは僕の猫だよっ!」
途端にスバルの声が聞こえてくる。
「だが、このビル内で、獣を飼育することは出来ない」
俺達がリビングへの扉を開けたところで白砂サンの声も聞こえてきたので、スバルは白砂サンに諌められているのだな……と察しを付けた。
俺は扉を半開きにして、そっと中の様子を伺おうとしたのだが、ふと見ると俺の腰の辺りから同じような格好でミナトも中を覗いている。
見えた範囲には、スバルと白砂サンの姿は無かった。
俺達の姿が目に入ったら、お説教に水を差してしまうナ……と思った俺は、チラッとミナトの方を見遣る。
するとミナトも俺の顔を見上げていた。
可愛げは無いが空気を読むチカラはなまじな大人より長けているミナトは、俺同様にこの状況でノコノコ中に入っていくのは不味いと判断しているようだ。
意見の一致を見た俺達は、コソコソしながらリビングに入った。
声の様子から、どうやら二人はテレビのあるソファの所にいるらしい。
足音を忍ばせて進むと、予想通りテレビの前で白砂サンがスバルと対峙していた。
そして、キッチンの大ガラスが嵌った扉の陰から、シノさんがこちらに向かって来い来いをしている。
スバルは完全に背中を向けているから、そうっと音を立てずに通り過ぎれば気付かれずに行けそうだった。
なので俺は再びミナトに目配せをして、素早く移動した。
俺達の姿が見えてるはずの白砂サンは、一部の隙もなく視線をスバルに向けたままだった。
キッチンにいたシノさんは、食パンの間からハムとチーズがはみ出た焦げ色サンドイッチを口に|咥《くわ》えている。
「敬一クン、帰ってたんじゃないの? それにどうして白砂サンが話してるの?」
「スバルが猫を抱えて部屋に飛び込んで来たら、そのすぐあとからセイちゃんが来たんじゃよ。スバルが猫持って上に向かうのに気が付いて、あとから追っかけてきたんだってさ。そんでスバルがケイちゃんに猫をねだる前に、セイちゃんがケイちゃんに下行って店を見ててくれって言ってリビングから追い出してしまったのだ。俺は小腹が減ったので、キッチンにいたんだけど、テレビの前に戻ろうとしたらセイちゃんに目で追っ払われた」
「それって、なんなの?」
「チーズとろとろ、ホットなハムサンド?」
「いや、そうじゃなくて。なんで白砂サンは、みんなを追っ払ったの?」
「うむ。こないだ、赤ビルではペット禁止を申し合わせたろ。そんでスバルは今、ケイちゃん大好きっ子になって懐いてるじゃん。せっかく安定してきたスバルの信頼バランスを崩したくなくて、セイちゃんは敢えて自分が憎まれ役を買って出たんじゃねぇかな」
「聖一じゃ話になんないよ! どうして敬一を下に行かせちゃったのさっ!」
声を潜めて話していた俺達の耳に、スバルの癇癪が炸裂した声が聞こえる。
「私はマエストロ神楽坂の店長だ。そして店のオーナーであり、ビルの持ち主である柊一に、重要な決断をする許可も貰っている。例え敬一がその猫の飼育を許可したとしても、私は許可しない。諦めなさい」
「なんだよっ! 聖一は自分が猫を飼わしてもらえなかったからって、僕の猫も取り上げるのっ!」
「理由は、きちんと説明しただろう。飲食店を経営している以上、このビルで獣の飼育は禁止だ。これは皆で、相談して決めたルールだ。此処で暮らす以上、スバルもルールは守らなければならない」
白砂サンはスバルが持っていた猫を、驚くほど素早くサッと取り上げる。
「あっ! 返せよっ! 僕の猫だぞっ!」
「ルールが守れない者は、此処で暮らすことが出来なくなる。わきまえなさい」
猫を取り戻そうとしたスバルを、白砂サンはいとも簡単にかわし、どこをどうしたのか判らないうちに、スバルのことも猫みたいに掴んでひょいと持ち上げてしまう。
右手に猫を、左手にスバルをぶら下げて、白砂サンはこちらに歩み寄ると、スバルをシノさんに向かって突き出した。
「追いかけてこないように、押さえて置いてくれたまえ」
「うい」
シノさんがジタバタしているスバルを受け取ると、白砂サンは猫を持ってペントハウスから出ていってしまった。
「酷いよっ! 僕の猫なのに!」
スバルは、ワアッと泣きながら、シノさんをメチャクチャにバシバシ叩いた。
§
いつもうるさいほど元気なスバルが、泣き止んでからは、ムッツリ黙り込んでしまった。
シノさんが二人を連れて階下へ降りたので、俺も一緒になって店に戻る。
案の定というか、いつも通りというか、客はポツポツとしかおらず、店番をしていた敬一クンに、シノさんがここまでの経緯をザッとかいつまんで教えた。
黙り込んだスバルは、店のいつもの席でミナトと二人座っている。
「言いたいことがあるなら、ちゃんと聞くから話してごらん」
シノさんから事情を聞いた敬一クンは、二人の小学生の前に座ってからそう問うた。
だが促されても、スバルは口をへの字に結んだままだ。
「だから、猫は飼えないって言ったじゃないか。それに聖一は意地悪したワケじゃないよ。ホントは聖一だって猫飼いたいの、我慢してるんだから」
「ミナトは聖一に優しくされてるから、聖一が僕に意地悪してるのがわかんないんだ! ミナトは聖一の "大事な子" だけど、僕は違う! どうせ僕は "いらない子" だもの!」
「スバル|君《くん》。君はいらない子なんかじゃない。俺はスバル君もミナト君も、大事な子だと思ってる」
「でもミナトには、絶対一番に選んでくれる聖一がいるけど、僕を一番にしてくれる人はいないもの! だから僕は、僕に一番懐いてくれる猫が欲しかったのに!」
「スバルみたいに短気じゃ、猫は|懐《なつ》かないよ」
「そんなコトないよ! ちゃんとエサをやって、面倒見れば、絶対僕に|懐《なつ》くよ!」
言い張るスバルに対し、ミナトは懐疑的な顔をしていたが、それ以上は何も言わなかった。
「確かに聖一兄さんは、二人のどちらかを選ばなきゃならない時には、ミナト君を一番にするだろうな……」
しみじみと納得するような敬一クンの呟きに、スバルがキュッと唇を噛む。
「俺はスバル君もミナト君も、大事な家族だと思ってる。だけどミナト君には、必ずミナト君を一番にしてくれる聖一兄さんが居る。だからスバル君のことは、俺が必ず一番にしよう」
スバルはまだ疑いを残しながらも、期待のこもった目で敬一クンを見た。
「それ、本当?」
「ああ、本当だ。俺も動物が好きだし、聖一兄さんの拾った猫はとても可愛かった。だから飼いたい気持ちは俺にもあったよ。でも今は生活の基盤が一番大事だと思ったから、猫は飼わないことにした。だがスバル君は家族になったんだ。家族は何より一番大切なものだ。俺はスバル君を、俺の一番大事な子にする。約束する」
スバルの顔が真っ赤になって、嬉しさと不安が綯い交ぜになったように言葉に詰まっている。
その顔をジッと見ていたミナトが、言葉を添えた。
「僕だって、スバルが居なくなったら、また学校でぼっちになっちゃうよ」
スバルはしばらく敬一クンとミナトの顔を交互に見てから、コクンと頷いた。
「僕、敬一とミナトを信じる」
「信じてくれてありがとう」
敬一クンがスバルの頭を撫でると、スバルは甘える猫みたいに、その手に擦り寄っていたのだが。
「だがスバル|君《くん》。聖一兄さんも柊一兄さんも、スバル君のことを大事な家族と思ってくれてる。そのことも、信じて欲しい」
そう言われると、また怪訝な顔になって敬一クンを見返した。
「聖一兄さんは意地悪で猫を取ったんじゃないし、スバル君を叱った|訳《わけ》でも無い。聖一兄さんは此処で皆が一緒に暮らしていくためのルールを、スバル君に教えようとしただけだ」
「そうだよ。僕がミナミの家に居た時に、聖一が猫と遊ぶために来たのを見てたけど、聖一はホントに猫が大好きなんだ。スバルの拾った猫を他所にやるの、聖一だってすごく残念だったと思う」
「うん。聖一兄さんは、猫が大好きな優しい人だよ。スバル君とミナト君が此処で楽しく暮らせるように、誰よりも考えてくれてるはずだ」
「そうかなぁ?」
「そうさ。此処に来た日のことを思い出してごらん。聖一兄さんが作ってくれたガルチョップ、美味しかっただろう?」
「敬一、ガルショークだよ。柊一はつぼ焼きって言ってた」
ミナトがコソッと言った。
「ああ、そうか。その……つぼ焼き、美味しかっただろう?」
「……うん」
「あれが美味しかったのは、スバル君を歓迎するための聖一兄さんの心尽くしがあったからだよ」
敬一クンは、諭すようにスバルに言った。
「そうだ、来月はハロウィンだろう? 二人が頼めば、聖一兄さんはきっと、すごいハロウィンのパーティーを催してくれるんじゃないかな」
なんとかスバルの気持ちをほぐそうと考えてか、敬一クンはちょっと趣向の違う話題をふる。
「そうなの?」
「やってくれるよ。聖一はコスプレの衣装だって、自分で作っちゃうんだから」
「そんなのまで出来るんだっ!」
「なにしろ兄さんは本場仕込みだし、それにとても器用だからな」
日本生まれの日本育ちで、しかも神父の息子だった白砂サンは、ハロウィンの本場仕込みとは言えないと思うけど、敬一クンは嘘も方便でそう言っているのだろう。
少なくともハロウィンパーティーの話は、白砂サンに腹を立てていたスバルも大いに興味をそそられたようだ。
折良く坂の上から、ミナミに猫を預けたらしい白砂サンが戻ってくる。
道路側の掃き出し窓が開いていたので、敬一クンにも見えたのだろう。
サッと立ち上がると、子供達の傍に行く前に話し掛けた。
「スバルはまだ、腹を立てているかね?」
「随分落ち着きましたが、屈託もあるようです。それで考えたんですが、ハロウィン・パーティーを企画してもらえませんか?」
「なにか時間を掛けた企画を……という意味かね?」
「はい。スバル君とミナト君はそれなりに仲良くなったようですが、大人は偏った者としか口を利かないフシもありますし。時間に余裕を持って、大人も手伝う形で子供達に準備をさせれば、メゾンのあまり接点の無い大人とも馴染むことが出来るんじゃないかと思うんです。ハロウィンですから、仮装などもしたら打ち解けると思うのですが、どうでしょうか?」
「ふむ。全員分の衣装を作るのでは、むしろ時間の制約はギリギリかもしれんな」
「猫コスみたいな、凝ったものじゃなくてもいいのでは?」
「なにを言う。衣装の細部にまでこだわってこそ、仮装は面白いのだよ」
「では、テーマなどは兄さんに一任しても?」
「そうだな。引き受けよう」
「二人から兄さんに頼むよう言ってあるので、話を合わせて貰えませんか?」
「了解した」
白砂サンが子供達のいるテーブルに歩み寄ると、ミナトが白砂サンを見上げて言った。
「聖一、僕達がハロウィンのパーティーがやりたいって言ったら、手伝ってもらえる?」
「もちろんだ」
「でもハロウィンパーティーって、お菓子を貰いに行くって話だけど、やったコトないな」
スバルが言った。
「ふむ。ハロウィンは、元々ケルト民族が季節の節目に|行《おこな》った祭事なのだよ。仮装をしてお菓子をもらって歩くようなことは、ご近所や町内会と話をしなければならないので、少々実行は不可能だな」
「じゃあ、どうするの?」
「うむ。まずは、お店をハロウィン向けに飾り付けるのを、手伝ってもらおうか」
「え〜っ? それって、お店の手伝いじゃん!」
「いや、君達がやらねばならないのは、飾るためのジャック・オ・ランタンの作成だ」
白砂サンの言葉に、スバルとミナトは顔を見合わせた。
「それって、オレンジ色のかぼちゃのランタンだよね? 買ってくるんじゃなくて、僕達が作るの?」
「そうだ。それらは、当日まで店を彩り、パーティーの夜には室内を飾る。イベントというのは、その日の楽しさももちろんだが、事前の準備もとても楽しいのだよ。ランタンのデザインは、君達が好きにすると良い」
「面白そう!」
パッと、スバルが食いついた。
「かぼちゃを購入する時に一緒に行けば、自分で選べる。同行するかね?」
「うん、行く」
ミナトはスバルほどハロウィンに興味を持ったワケではなさそうで、ただ空気を察して白砂サンの援護に回ったようだ。
だがとにかくスバルの気分は持ち直したし、白砂サンとの関係がこじれなかったことにも俺は安堵した。