4.およげみなとくん
ー/ー
メゾンの二巨頭の意見の一致により、スバルがメゾンの一員になることは決定事項となったのだが、転校やその他諸々の手続きに手間取って、結局学校に行くのは夏休みが終わってからってことになった。
ホクトが言った通り、ホクトの姉はそういった猥雑で細かい事務処理のような物が苦手で、手違いを連発しているのか面倒でやってないのか判らないけど、全く事態が動かなかったからだ。
結局、しびれを切らしたホクトが義兄さん……つまりスバルの父でありホクト姉のダンナに苦情をねじ込んだ。
すると今までのグダグダはなんだったんだって思うほど、全てがサクサクと解決されたらしい。
一学期の終了日、いつもの通りに夕食が済んだペントハウスで、俺はダイニングテーブルにシノさんのタブレットを置いてスポーツ中継を見ていた。
なぜテレビで見てないのかと言うと、テレビはスバルとミナトに占拠されていたからだ。
そう言うと、まるで仲良く一緒にテレビを見ているように聞こえるが、好きなアニメが同じなので、放送時間にテレビの前にいるだけで、ソファの両端に離れて会話も無い。
スバルは、敬一クンの助言と応援を受けて「いらない子」発言を撤回し、ミナトに謝罪をした。
ミナトの方もその謝罪を受け入れ、水に流すと答えた。
だけどその後もミナトはスバルと距離を取っていて、ソファの両端に座る結果となっている。
まぁ、オトナだってそういうことを本当に "水に流す" のは難しいので、当然といえば当然だが。
「敬一、つかぬことを訊ねるが、君は水泳が得意かね?」
俺の前にコーヒーの入ったカップを置きながら、白砂サンは横を通り過ぎようとした敬一クンに声を掛けた。
夕食後、白砂サンの淹れてくれる素晴らしいアロマのコーヒーを堪能するのが、最近のシノさんのブームなのだが、親切な白砂サンはいつもそこに居る人数分、コーヒーを振る舞ってくれるのだ。
「そうですね、わりと得意な方だと思います」
「ふむ、ミナトはどうも水が怖いらしいのだ。今日ミナトが成績表を持って帰ってきたのだが、連絡欄にプールに入ることを嫌がり、結局授業中に一度も水に触れなかったと書かれていた。夏休みの間に水に親しませた方が良いと思うのだが、私は店があるので頻繁に通って教えることが難しい」
シノさん達にコーヒーを配膳しながら、白砂サンはチラッとテレビを見ているミナトをみやった。
「そうですか。でも泳ぎを教えるのは構いませんが、学校のプールを利用出来るんでしょうか?」
「ミナト達が通っている学校は、夏の間はプールを開放していない。もっとも、もし開放していたとしても、頑なにプールに入らなかったミナトが、クラスメイトの居る場所で練習をしろと言われても、嫌がると思うがね」
「そんなら俺が、イイ場所を知ってますよ」
会話を聞いていたエビセンが言った。
「どこだ?」
敬一クンが訊ねる。
「俺の通ってるキャンパスの直ぐそばに、区立のスポーツセンターがあるぜ。そこは子供なら100円でプールが使えるはずだ」
「それは良いな」
「うーむ、プールかぁ……。何もかもみな懐かし過ぎて、どんな場所だったかも思い出せないのう……」
「シノさん、そんな死に際の沖田艦長みたいなコト言わないでよ!」
会話を聞いていた俺は、同い年として聞き捨てならないシノさんの発言に、思わず話に割入ってしまった。
「そもそも、なんでシノさんがプールを思い出さなきゃならないのさ?」
「そりゃ、俺がミナトに水泳の秘技を伝授してやるからさ」
「白砂サン、敬一クンにお願いしてるよねぇ?」
「ケイちゃんがコーチになったら、絶対スバルも着いて行くべ? あの二人が仲良しなら、それもえーかもしんねェけど、ミナトは人見知りなトコあるし、傍でスバルがはしゃいでたら、じっくり水泳レッスンなんてしてらんねェじゃろ」
シノさんの指摘に、白砂サンがなるほどと頷く。
「確かにそうだ。済まない、保護者として、そこは私が気付くべきだった」
「別にセイちゃんが反省するトコじゃねーよ。俺はミナトをプールに連れてくほーが、真夏に厨房に居るよりずっといーし」
「いや、シノさんが教える方が、不安しかないんですけど?」
「何を言う! 俺は区の大会選抜に選ばれたほどの泳ぎの達人ぞ! ……あ、まさか、覚えてねェんかい?」
「覚えてるよ。ぶっち切りの記録で選ばれて、大会当日に風邪ひいたとか言って休んで、しかもホントはおばあちゃんと遊園地行っちゃってたじゃん」
「そーだっけ?」
「そーだよ」
「そんじゃあ、プールの場所案内ついでに、俺が面倒見ましょうか?」
エビセンが言った。
「良いのかね?」
「いっすよ。お兄さんの言う通り、天宮の甥ッコがいたら、わざわざプールに行く意味がなくなっちゃうっしょ」
「では済まないが、よろしくお願いする。敬一に支払っている、大学生の家庭教師代と同額のバイト代を出すので良いだろうか?」
「あ〜、プール代と交通費だけで充分っすよ。俺も、気晴らしにひと泳ぎ出来ますから」
「エビちゃん、それ行く時は俺も行くから」
「先程の発言、本気だったのかね? 驚きだ」
白砂サンのコメントは、俺の心の声かと思った。
「いや、俺はプールはあんま、どーでもいーんじゃけど。最初から水泳の練習に行こうなんて言ったら、ミナトは乗ってこないじゃろ。だから俺も一緒に出掛けて行楽のようなテイを装うのじゃ」
「ああ、遊びに行くふりで連れ出すんですね。いい作戦すね」
「あのさ、シノさん、水着なんて持ってるの?」
「ちゃーんと持ってるぞ。てか、タモンレンタロウ君も行くから、水着出しておけ」
「はっ? 俺は水泳なんて、したくないよ?」
「タモンレンタロウ君の意見は、聞いておらん」
「色々と気遣いをして貰ってありがたいのたが、しかし多聞君がそちらに行ってしまっては、店のフロアはどうするのかね?」
「そうだよ。俺は仕事があるから……」
「ケイちゃんがスバルとお留守番なんじゃから、フロアはケイちゃんにやって貰えばよろし。ちゅーワケで、明日はみんなで水泳だナ」
シノさんの所為で、俺は否応なしにプールに行かなきゃならなくなった。
§
翌日、俺とシノさんとエビセンはミナトを連れて、区立スポーツセンターに赴いた。
この奇妙な顔ぶれと、行き先がプールと言う話で、ミナトは全く浮かない顔をしていたが、シノさんはわざとらしいほどの楽しそうなノリで、帰りにはちょっと遠回りをして護国寺にある有名な和菓子屋で大福と水羊羹を買うから、と言って連れ出したのだ。
俺は、子供を釣るなら和菓子よりケーキとかの方がイイんじゃないの? と思ったのだが、シノさんに「超一流のパティシエが保護者の子が、なんで洋菓子屋に寄らなきゃならんのじゃ!」と一蹴されてしまった。
まあ、言われてみれば確かにそうなんだけど、そんな条件じゃ無理なんじゃ……と一抹の不安を払拭出来なかったのだが。
意外にも、ミナトはおとなしくついてきた。
だから俺は、ミナトはいつものように空気を読んで、穏便に済まそうとしてるんだと思っていた。
しかし、スポーツセンターに入って水着に着替えるまでは何事もなかったのに、プールサイドに出て軽く体操をした後、ミナトは絶対に水に入ろうとしなかった。
シノさんがやいやい急き立てても、俺やエビセンが水に入って招いても、ひたすら首を横に振って、その場から全く動かない。
全員が水の中でサポートをすると言っても、巌のようになって踏ん張っていて、その頑固さは、まるで鳴らずの鐘の如くなのだ。
スポーツセンターは夏の間、入場から二時間までという制限が付いているのだが、最初の三十分は全くラチがあかず、俺達はほとほと困り果ててしまった。
「どーしても、入りたくないんか?」
シノさんの問いに、ミナトは上目遣いで頷いた。
「泳げるようになると、色々楽しいことが増えるぞよ?」
「僕、紫外線がイヤだから、泳げても楽しいコトなんて増えないよ」
齢八歳にして "紫外線" とか言い出す辺り、理論武装は完璧って感じだ。
シノさんは天井を仰ぎ見て、ふう〜っとため息を吐く。
これでは、水着に着替えただけで二時間が経過してしまうかと、俺が思い始めた時だった。
「じゃあ、仕方ねェな!」
いきなり、シノさんがガッとミナトを抱き上げると、ダッとプールサイドを横切り、「とおっ!」と叫んで足からドボンと飛び込んだ。
もちろんこんな開放されているタイプのプールは、飛び込みは禁止に決まってる。
シノさんの動きに、監視員がホイッスルを吹いて注意してきたが、常にルール無用のシノさんがそんな注意など気にするはずも無い。
いきなりプールに突き落とされた……どころか、シノさんと一緒に水の中に飛び込まされたミナトは、泣き出すんじゃないかと思ったのだが。
シノさんに押し上げられて水の上に顔を出したミナトは、自分が水の中に居ると解った途端、こっちがびっくりするほどのスピードで向こう岸に向かって泳ぎだした。
しかもなぜかずっと「あーーーーーっ!」と大声で叫んでいる。
「なんだよ、アイツ。泳げんじゃん」
呆れた様子で、エビセンが言った。
「あれ……泳いでる……のかな?」
まるで背びれだけを出して水面を泳ぐ、フィクションの世界のサメにそっくりなナゾ泳法に、俺は思わずそう呟いた。
プールサイドにいた人達が、ミナトの叫び声に驚いたらしく、キョロキョロしたり、ミナトを指差したりしている。
ミナトの周囲で泳いでいた子や、泳いでいてミナトに弾き飛ばされた子達も、ビックリして泳ぐのをやめている。
「あんだけ泳げりゃ、ガッコの水泳試験も合格デキるんじゃね?」
水から上がり、俺の隣へ戻ってきたシノさんが言った。
「いや……、あれじゃ、無理じゃない?」
向こうの端まで泳ぎ切ったミナトは、それでプールサイドに上がってくるのかと思いきや、壁に突き当たった途端に壁沿いに直角に曲がり、ナゾ泳法のまま直進していく。
競技用のプールなら、レーンを仕切る黄色と青のブイみたいなものがあるが、遊びも混じったこちらのプールには、それも無い。
なのでミナトは、そのままプールを真横に真っ直ぐ泳いでいく。
俺は一抹どころじゃない、不安を抱いた。
「シノさん、アレ、不味いんじゃないの?」
「むう。爽やかに全部のレーンを横切りおったな、アイツ……」
「あー、お兄さん、アイツ角を曲がってこっちに戻ってきますよ」
ミナトが壁沿いにプールを旋回し始めた時にはもう、プールにいた全員が泳ぐのをやめてミナトを見ていた。
叫びながら凄い勢いで泳ぎ続けたミナトは、途中で監視員の兄さんに捕獲される。
結局、俺達はまとめて監視員にこってり絞られるハメになった。
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結局、しびれを切らしたホクトが義兄さん……つまりスバルの父でありホクト姉のダンナに苦情をねじ込んだ。
すると今までのグダグダはなんだったんだって思うほど、全てがサクサクと解決されたらしい。
一学期の終了日、いつもの通りに夕食が済んだペントハウスで、俺はダイニングテーブルにシノさんのタブレットを置いてスポーツ中継を見ていた。
なぜテレビで見てないのかと言うと、テレビはスバルとミナトに占拠されていたからだ。
そう言うと、まるで仲良く一緒にテレビを見ているように聞こえるが、好きなアニメが同じなので、放送時間にテレビの前にいるだけで、ソファの両端に離れて会話も無い。
スバルは、敬一クンの助言と応援を受けて「いらない子」発言を撤回し、ミナトに謝罪をした。
ミナトの方もその謝罪を受け入れ、水に流すと答えた。
だけどその後もミナトはスバルと距離を取っていて、ソファの両端に座る結果となっている。
まぁ、オトナだってそういうことを本当に "水に流す" のは難しいので、当然といえば当然だが。
「敬一、つかぬことを訊ねるが、君は水泳が得意かね?」
俺の前にコーヒーの入ったカップを置きながら、白砂サンは横を通り過ぎようとした敬一クンに声を掛けた。
夕食後、白砂サンの淹れてくれる素晴らしいアロマのコーヒーを堪能するのが、最近のシノさんのブームなのだが、親切な白砂サンはいつもそこに居る人数分、コーヒーを振る舞ってくれるのだ。
「そうですね、わりと得意な方だと思います」
「ふむ、ミナトはどうも水が怖いらしいのだ。今日ミナトが成績表を持って帰ってきたのだが、連絡欄にプールに入ることを嫌がり、結局授業|中《ちゅう》に一度も水に触れなかったと書かれていた。夏休みの間に水に親しませた方が良いと思うのだが、私は店があるので頻繁に通って教えることが難しい」
シノさん達にコーヒーを配膳しながら、白砂サンはチラッとテレビを見ているミナトをみやった。
「そうですか。でも泳ぎを教えるのは構いませんが、学校のプールを利用出来るんでしょうか?」
「ミナト達が通っている学校は、夏の間はプールを開放していない。もっとも、もし開放していたとしても、頑なにプールに入らなかったミナトが、クラスメイトの居る場所で練習をしろと言われても、嫌がると思うがね」
「そんなら俺が、イイ場所を知ってますよ」
会話を聞いていたエビセンが言った。
「どこだ?」
敬一クンが訊ねる。
「俺の通ってるキャンパスの直ぐそばに、区立のスポーツセンターがあるぜ。そこは子供なら100円でプールが使えるはずだ」
「それは良いな」
「うーむ、プールかぁ……。何もかもみな懐かし過ぎて、どんな場所だったかも思い出せないのう……」
「シノさん、そんな死に際の沖田艦長みたいなコト言わないでよ!」
会話を聞いていた俺は、同い年として聞き捨てならないシノさんの発言に、思わず話に|割入《わりい》ってしまった。
「そもそも、なんでシノさんがプールを思い出さなきゃならないのさ?」
「そりゃ、俺がミナトに水泳の秘技を伝授してやるからさ」
「白砂サン、敬一クンにお願いしてるよねぇ?」
「ケイちゃんがコーチになったら、絶対スバルも着いて行くべ? あの二人が仲良しなら、それもえーかもしんねェけど、ミナトは人見知りなトコあるし、傍でスバルがはしゃいでたら、じっくり水泳レッスンなんてしてらんねェじゃろ」
シノさんの指摘に、白砂サンがなるほどと頷く。
「確かにそうだ。済まない、保護者として、そこは私が気付くべきだった」
「別にセイちゃんが反省するトコじゃねーよ。俺はミナトをプールに連れてくほーが、真夏に厨房に居るよりずっといーし」
「いや、シノさんが教える方が、不安しかないんですけど?」
「何を言う! 俺は区の大会選抜に選ばれたほどの泳ぎの達人ぞ! ……あ、まさか、覚えてねェんかい?」
「覚えてるよ。ぶっち切りの記録で選ばれて、大会当日に風邪ひいたとか言って休んで、しかもホントはおばあちゃんと遊園地行っちゃってたじゃん」
「そーだっけ?」
「そーだよ」
「そんじゃあ、プールの場所案内ついでに、俺が面倒見ましょうか?」
エビセンが言った。
「良いのかね?」
「いっすよ。お兄さんの言う通り、天宮の甥ッコがいたら、わざわざプールに行く意味がなくなっちゃうっしょ」
「では済まないが、よろしくお願いする。敬一に支払っている、大学生の家庭教師代と同額のバイト代を出すので良いだろうか?」
「あ〜、プール代と交通費だけで充分っすよ。俺も、気晴らしにひと泳ぎ出来ますから」
「エビちゃん、それ行く時は俺も行くから」
「先程の発言、本気だったのかね? 驚きだ」
白砂サンのコメントは、俺の心の声かと思った。
「いや、俺はプールはあんま、どーでもいーんじゃけど。最初から水泳の練習に行こうなんて言ったら、ミナトは乗ってこないじゃろ。だから俺も一緒に出掛けて行楽のようなテイを装うのじゃ」
「ああ、遊びに行くふりで連れ出すんですね。いい作戦すね」
「あのさ、シノさん、水着なんて持ってるの?」
「ちゃーんと持ってるぞ。てか、タモンレンタロウ君も行くから、水着出しておけ」
「はっ? 俺は水泳なんて、したくないよ?」
「タモンレンタロウ君の意見は、聞いておらん」
「色々と気遣いをして貰ってありがたいのたが、しかし多聞君がそちらに行ってしまっては、店のフロアはどうするのかね?」
「そうだよ。俺は仕事があるから……」
「ケイちゃんがスバルとお留守番なんじゃから、フロアはケイちゃんにやって貰えばよろし。ちゅーワケで、明日はみんなで水泳だナ」
シノさんの所為で、俺は否応なしにプールに行かなきゃならなくなった。
§
翌日、俺とシノさんとエビセンはミナトを連れて、区立スポーツセンターに赴いた。
この奇妙な顔ぶれと、行き先がプールと言う話で、ミナトは全く浮かない顔をしていたが、シノさんはわざとらしいほどの楽しそうなノリで、帰りにはちょっと遠回りをして護国寺にある有名な和菓子屋で大福と水羊羹を買うから、と言って連れ出したのだ。
俺は、子供を釣るなら和菓子よりケーキとかの方がイイんじゃないの? と思ったのだが、シノさんに「超一流のパティシエが保護者の子が、なんで洋菓子屋に寄らなきゃならんのじゃ!」と一蹴されてしまった。
まあ、言われてみれば確かにそうなんだけど、そんな条件じゃ無理なんじゃ……と一抹の不安を払拭出来なかったのだが。
意外にも、ミナトはおとなしくついてきた。
だから俺は、ミナトはいつものように空気を読んで、穏便に済まそうとしてるんだと思っていた。
しかし、スポーツセンターに入って水着に着替えるまでは何事もなかったのに、プールサイドに出て軽く体操をした後、ミナトは絶対に水に入ろうとしなかった。
シノさんがやいやい急き立てても、俺やエビセンが水に入って招いても、ひたすら首を横に振って、その場から全く動かない。
全員が水の中でサポートをすると言っても、巌のようになって踏ん張っていて、その頑固さは、まるで鳴らずの鐘の如くなのだ。
スポーツセンターは夏の間、入場から二時間までという制限が付いているのだが、最初の三十分は全くラチがあかず、俺達はほとほと困り果ててしまった。
「どーしても、入りたくないんか?」
シノさんの問いに、ミナトは上目遣いで頷いた。
「泳げるようになると、色々楽しいことが増えるぞよ?」
「僕、紫外線がイヤだから、泳げても楽しいコトなんて増えないよ」
齢八歳にして "紫外線" とか言い出す辺り、理論武装は完璧って感じだ。
シノさんは天井を仰ぎ見て、ふう〜っとため息を吐く。
これでは、水着に着替えただけで二時間が経過してしまうかと、俺が思い始めた時だった。
「じゃあ、仕方ねェな!」
いきなり、シノさんがガッとミナトを抱き上げると、ダッとプールサイドを横切り、「とおっ!」と叫んで足からドボンと飛び込んだ。
もちろんこんな開放されているタイプのプールは、飛び込みは禁止に決まってる。
シノさんの動きに、監視員がホイッスルを吹いて注意してきたが、常にルール無用のシノさんがそんな注意など気にするはずも無い。
いきなりプールに突き落とされた……どころか、シノさんと一緒に水の中に飛び込まされたミナトは、泣き出すんじゃないかと思ったのだが。
シノさんに押し上げられて水の上に顔を出したミナトは、自分が水の中に居ると解った途端、こっちがびっくりするほどのスピードで向こう岸に向かって泳ぎだした。
しかもなぜかずっと「あーーーーーっ!」と大声で叫んでいる。
「なんだよ、アイツ。泳げんじゃん」
呆れた様子で、エビセンが言った。
「あれ……泳いでる……のかな?」
まるで背びれだけを出して水面を泳ぐ、フィクションの世界のサメにそっくりなナゾ泳法に、俺は思わずそう呟いた。
プールサイドにいた人達が、ミナトの叫び声に驚いたらしく、キョロキョロしたり、ミナトを指差したりしている。
ミナトの周囲で泳いでいた子や、泳いでいてミナトに弾き飛ばされた子達も、ビックリして泳ぐのをやめている。
「あんだけ泳げりゃ、ガッコの水泳試験も合格デキるんじゃね?」
水から上がり、俺の隣へ戻ってきたシノさんが言った。
「いや……、あれじゃ、無理じゃない?」
向こうの端まで泳ぎ切ったミナトは、それでプールサイドに上がってくるのかと思いきや、壁に突き当たった途端に壁沿いに直角に曲がり、ナゾ泳法のまま直進していく。
競技用のプールなら、レーンを仕切る黄色と青のブイみたいなものがあるが、遊びも混じったこちらのプールには、それも無い。
なのでミナトは、そのままプールを真横に真っ直ぐ泳いでいく。
俺は一抹どころじゃない、不安を|抱《いだ》いた。
「シノさん、アレ、不味いんじゃないの?」
「むう。爽やかに全部のレーンを横切りおったな、アイツ……」
「あー、お兄さん、アイツ角を曲がってこっちに戻ってきますよ」
ミナトが壁沿いにプールを旋回し始めた時にはもう、プールにいた全員が泳ぐのをやめてミナトを見ていた。
叫びながら凄い勢いで泳ぎ続けたミナトは、途中で監視員の兄さんに捕獲される。
結局、俺達はまとめて監視員にこってり絞られるハメになった。