夕方になって、敬一クンとエビセンが帰ってきた。
「つーワケで、今日からウチに住むコトになった、俺の子分のスバルだ。ケイちゃん、ミナト共々勉強見てやっちくり」
ホクトの甥っ子をしばらく預かる旨を簡単に説明されて、敬一クンはスバルに向かって右手を差し出した。
「柊一兄さんの弟の、中師敬一です。よろしく」
「僕は、天宮昴です」
「スバル君と呼んでいいかな?」
「うん。僕は、なんて呼べばいい?」
「一緒に暮らすんだから、名前をそのまま呼んでくれていい。仲良くやっていこう」
見るからに大人っぽくてカッコイイ敬一クンが、丁寧に挨拶してくれたのが、よほど嬉しかったらしい。
ずっと生意気な態度だったスバルが、ちょっぴり頬を紅潮させながら、コクコクと頷いている。
「今日の晩飯は白砂サンの料理っすか? 楽しみだなぁ」
エビセンは爽やかにスバルをスルーして、ダイニングテーブルにサッサと夕食用の食器類を並べ始めた。
「海老坂、おまえも挨拶をしろ」
「あーん? ……じゃあ、俺は海老坂千里だ。おまえがどんなヘマをやらかしてきたのか知らんが、ココでまたヘマやらかしても、とばっちりは願い下げだぜ」
「僕、エビにとばっちりなんて、とばさないし!」
「言ってくれたナ。じゃ、とばっちりがあったら十倍返しにすっからナ」
「何を言ってるんだ海老坂。すまないな、スバル|君《くん》。海老坂は口が悪いんだ」
「いいよ。どうせ大人はみんな、僕のコト邪魔っけって思ってるって、知ってるから」
スバルがふてくされるのを見て、詳しい経緯を知らない敬一クンが怪訝な顔をしている。
俺は、シノさんの前ではいつもソツのないエビセンが、こんなチビッコに突っかかるような態度なのが不思議だった。
スバルはエビセンから逃げるように、テレビを見ているシノさんの隣に座り込んだ。
ミナトはキッチンの白砂サンを手伝っていて、スバルに格別なにか気を使おうとする様子は見せない。
シノさんと白砂サンが|態《わざ》とスバルと二人きりでビル内の案内をさせたものの、やっぱりそう簡単には打ち解けないのだろう。
まあ、二人の性格もずいぶん違うようだし、ミナトにしてみればいきなりの「いらない子」発言で悪気もなくケンカを売ってきたスバルに、好印象を持てと言うのも無理な話だ。
シノさんも白砂サンもその辺りは理解しているようで、今日のところは無理に一緒に置こうとはしないつもりらしい。
営業日は限られた人数でやっている夕食の支度も、店休日はフルメンバーが揃うから、俺は何もすることが無くなる。
尻尾を巻いてスゴスゴとキッチンを離れた俺は、コソッとシノさんの居るテレビの前のソファに座った。
「ねえ……? どうして敬一と柊一は、兄弟なのに苗字が違うの?」
「う〜む、それはな。俺とケイちゃんが義兄弟だからだ」
「ぎきょうだい……?」
「ケイちゃんのおとうさんと、俺のメシマ……おかあさんは再婚したのだ」
さすがに子供相手に「メシマズ」呼ばわりはまずいと思ったのか、珍しくシノさんが椿さんを「おかあさん」と呼称している。
「あー、ん〜……再婚って、意味解るか?」
「結婚したけど、離婚して、もう一回結婚するんでしょ」
「う〜む、離婚じゃなくて死別の場合もあるナ」
「しべつって、しんじゃうの?」
「うむ。ケイちゃんのおかあさんと俺のおとうさんは死んじゃったんだナ」
「柊一のおとうさん、しんじゃったんだ」
「俺が子供の頃だけどナ。とにかくそーいうワケで、ケイちゃんのおとうさんと、俺のおかあさんが再婚をしたので、ケイちゃんと俺は義理の兄弟になったんだナ」
「そっか」
「兄さん、そろそろ食事にしましょう」
敬一クンに声を掛けられて、シノさんはスバルを連れてダイニングテーブルに移動した。
§
「スバル。セイちゃんも、義兄弟の仲間になる予定だぞよ。子分は親分の兄弟も敬わねばイカンので、セイちゃんとケイちゃんには特に敬意を払わねばイカンぞ」
「うん。ワカッタ」
「白砂さんの話、進んだんですか?」
シノさんのセリフを耳にした敬一クンが問うた。
「うむ。メシマズから連絡が来てナ。ケイちゃんのおとっつぁんがスーパー敏腕弁護士を派遣してくれて、ジジイのムカツク弁護士を、コテンパンにやっつけたらしいぞ」
「へえ、その弁護士サン、どうやったんですか? 後学のために聞かせてもらえませんか」
すると耳聡く会話を聞いていたらしいエビセンが、殊更話に加わってきた。
なんの後学なのか知らないが、エビセンの様子はいつも以上に真面目な感じがする。
「セイちゃんトコのジジイがセイちゃんにした虐待の、セイちゃん以外の第三者の証言ちゅーのを集めてナ。それをきちんとした資料にして持ってった、つってたナ」
「でも、虐待には時効? みたいなの、あるんじゃないですか?」
「今回の場合、時効は関係ナイのだよ。なんせジジイはカソリックの神父サマだから、息子がゲイに目覚めて家から逃げたってだけでも体裁が悪いのに、その原因が神父サマの|実息《じっそく》に対する虐待だってコトになれば、ジジイの社会的立場がヤバくなるからな。セイちゃんがローマの総本山に虐待の証拠共々訴え出たら、もっと困ったコトになっちうよ〜と、あっちの弁護士に言ってやったんだとさ」
「それはつまり、法的には何も出来ないってことですか?」
敬一クンの声音は不満そうだ。
「んだ。でも老い先短いジジイとはいえ、あと何年生きてるかワカランじゃろ? そんなジジイから逃げ隠れする人生なんて、チャッチャと終わらせて、自由をエンジョイしたほーが、セイちゃんにとって有意義じゃん。ケイちゃんのおとっつぁんに後見人になってもらって、気持ち的にはセイちゃんも俺らの家族ってコトで、イイんじゃね?」
「白砂サンと家族になれるのは嬉しいですが、加害者を法的に咎められないのは不満です」
「だけど、セイちゃん自身があのジジイと関わりになるのは、もう御免だって思ってるンだからなぁ。まぁ、半身不随で寂しい老後を送るのが、神様からの罰ってコトでさ」
「そうですね……加害者を罰するために被害者が傷つくのは本末転倒だ……。解りました。ところで兄さんと白砂さんは、どちらが年上なんですか?」
「セイちゃんのが上だよ。よって、セイちゃんが一番上のお兄さんとゆーコトになるナ」
「東雲サンと白砂サンって、どっちが上って言われても、違和感アルつーか、ナイつーか……」
「まぁ、年齢になんて大した意味はナイさ。とゆーワケで今日はスバルのウェルカムと、セイちゃんが俺らの家族になったウェルカムの、ダブル・ウェルカムぱーちーだ」
首を傾げて悩むエビセンに、シノさんはニシシと笑った。
「なのにパーティーの主役が、せっせと料理してるんですか?」
エビセンが、やや呆れ口調で言った。
「俺がピザとキッシュ焼いたんじゃけど、スバルのウェルカムぱーちーの分は、自分が用意するってセイちゃんが言うんじゃもん」
「白砂さんは本当に子供好きだな」
「アレはただの子供好きとゆーのとはチガウと思うが……、まぁ、そーいうコトにしとけ。あと、セイちゃんはケイちゃんの兄になったんじゃから、苗字呼びは、修正するがよかろうよ」
「でも、今のお兄さんの話からすると、白砂さんの苗字はそのまま……なんですよね?」
「俺も東雲姓のまま、ケイちゃんには兄さんと呼ばれておる。細けェコトは気にすんな。兄さんは兄さんだ」
シノさんの返事に、エビセンは一瞬面食らったような顔をしたが、すぐにあははと笑った。
「お兄さんのそーゆートコ、ホントかっこエエわ」
「解りました。これからは白砂さんを、聖一兄さんと呼ばせてもらいます」
「うむうむ」
シノさんは満足そうに頷いてみせた。
「つーワケで俺とセイちゃんとケイちゃんは、他人だが仲良し家族なのだ。スバルも仲間に入りたいか?」
シノさんはスバルに振り返ると、いつものチシャ猫の笑みを浮かべて問うた。
「ん〜、どうかな〜?」
ミナトは冷めていて可愛くない子供だが、スバルは生意気で可愛くない子供で、シノさんの天性の子供好きを持ってしても、一筋縄ではいかないようだ。
それでもシノさんは、スバルを面白そうに見ている。
「スバル|君《くん》。実家の名古屋で何があったのか、俺は知らない。知っていたとしても、此処では関係無い。俺はスバル君が此処で安心して生活出来るように、サポートをする。それが兄さんの言う "家族" だと思っているからだ。そして俺は、スバル君にも家族になってもらいたいと思ってる」
敬一クンの言葉は、拗ねたスバルの気持ちに良く響くらしい。
スバルは最初に敬一クンに挨拶された時以上に頬を紅潮させながら、コクンと大きく頷いた。
「ケイちゃん、スバルは名古屋ではなく、神戸の子だぞよ」
「ああ、そうだった。ごめんな、間違えて」
「ううん。別に、名古屋のおばあちゃんちも神戸の家も好きじゃないから、どうでもいいよ」
「料理を運ぶのを手伝ってくれたまえ」
キッチンから白砂サンが声を掛けてきたので、俺達はテレビの前から解散して、リビングへ向かい、配膳をして夕食の席に着いた。
「セイちゃん、これはなんじゃ?」
白砂サンが運んできた物を見て、シノさんが訊ねた。
「ロシア料理の "ガルショーク" をアレンジしてみた。ガルショークはつぼ状の器にシチューを入れ、パン生地で蓋をしてオーブンで蒸し焼きにする料理だが、私は蓋にパイ生地を使い窯で蒸し焼きにした。器も蓋も、かなり熱いから気を付けるように。蓋部分のパイを突き崩して、シチューに浸しながら食べてくれたまえ」
「おお、俺もそれは聞いたコトがあるぞよ。つぼ焼きとかゆー名前だったけど」
「表面の記号はなんですか?」
「ああ、それは焼き上がりに私が混乱しないように、ミナトが皆のイニシャルを描いてくれたのだ。個々の器は、苦手な食材を抜き、微妙に味付けも変えて仕上げてある」
つぼ焼きの他に、テーブルの中央には塊肉のローストや、細かく切った野菜がまるでキラキラした宝石みたいに見えるテリーヌなんかも並んでいて、更にそこにシノさんのピザとキッシュが加わると、正にパーティーと言った様相になった。
「これ美味しい!」
パイ皮を破って中のシチューをひとくち食べたスバルが感嘆すると、向かい側に座っているミナトはちょっと自慢げな顔をしたが、何も言わなかった。
「あれ? セイちゃんは食わんの?」
「ああ、いや。イタルがまだ帰宅していないのでな。先に食べてしまっては、可哀想なので……」
「今日は無礼講のぱーちーだ。コグマが帰って来る頃まで、大盛況のままだろうし、すきっ腹にシャンパンがばがばやったら、逆にコグマ帰ってくる前に泥酔しちまうんじゃね? まぁ、俺は酔ったセイちゃんがキス魔になるの、好きじゃけど」
「白砂サンって、酔うとキス魔になるんですか?」
ホクトにまで驚いたように言われて、珍しく白砂サンが戸惑った表情になる。
「うむ、特に|日本酒《にほんしゅ》は弱いんさ。鎌倉でディナーした時に、顔を赤らめて酔っ払ってるのが可愛かったぞ。そんで、ケイちゃんのおとっつぁんにチューしちゃってなぁ!」
「柊一っ、|止《や》めてくれたまえっ!」
冬眠前のリスみたいに頬を膨らませて、ガンガン食べていたエビセンが笑った。
「へえ! 中師のお父さんにキスしちゃったんだ!」
「うん。だが父は笑っていた。そういうことを気にするような人じゃないから」
「そうだろうな。俺だって白砂サンのキス魔なら、全然OKだぜ」
白砂サンはますます戸惑い、少し怒ったようにシノさんを睨みつけている。
「じゃから、俺は酔わないように食べれってゆってんの。それにセイちゃんが料理に手を付けないと、ミナトも食べにくい気分になっちうよ?」
ウケケと笑ったシノさんは、ヒトの悪い顔をしつつも、白砂サンに食事を勧めている。
諦めたように、白砂サンはパイ皮の表面をスプーンで割った。
結局その後、帰ってきたコグマは白砂サンの予想通り、食事を待ってもらえなかったことに不満そうな顔をしたが、シノさんが「子供主体の歓迎会に、オトナがこまけぇコト言うんじゃねェよ」と言って黙らせた。
§
歓迎パーティーを兼ねた夕食がお開きになり、白砂サンやエビセン達は三々五々と各自の部屋に戻っていった。
「スバル、少しはミナトと馴染めたか?」
一人でテレビを見ているスバルに向かって、シノさんがそう切り出す。
「アイツ、ちっとも口利かないし、僕と居るのイヤそうだもん。馴染むのなんかムリだよ」
「そりゃオマエ、初っ端から "いらない子" なんて言われて、フレンドリーな態度取る奴、いないんじゃね?」
「スバル|君《くん》、ミナト君にそんなことを言ったのか?」
シノさんがその話を振ったのは、スバルに対して無条件で好意を示していた敬一クンに、その話を聞かせるためだったようだ。
スバルは少し慌てた様子で、首を横に振る。
「だって、ママがそう言ってたから!」
「スバル|君《くん》」
改まった感じで口を開いた敬一クンは、そこで一度言葉を切ってから、おもむろにリモコンを手に取ってテレビを消した。
「ママがそう言っていたのか?」
「うん」
「でも、そんなことを言われたら、誰だって嫌な気持ちになるんじゃないか?」
「……そう、だね」
「そうしたら誰だって、兄さんが言うように、あまり口をきかなくなるんじゃないかな」
「……うん」
俯いたスバルが、小さな声で言った。
「僕の方が、悪かった……と、思う……。僕、明日、ミナトに謝るよ……」
「そうだな。自分の間違いを正すのは勇気がいるが、スバル君にその勇気があって嬉しいよ」
スバルは敬一クンに叱られたり、嫌われたりするんじゃないかと怯えていたのだろうが、むしろ応援してくれる敬一クンに安堵して、一気に元気が戻った様だ。
俯いていた顔をあげて、大きく頷いている。
「兄さん、スバル君はミナト君と同じ学校に通うんですよね?」
「どーじゃろか? 神戸で通ってたのは私立じゃったから、こっちも|私立《しりつ》って言い出すかもだけど。とにかくアマホクのネーチャンと連絡が取れんコトには、話もへったくれもねーな」
「天宮の家の人達はまったく……」
敬一クンはそこでちょっと憤慨していたが、直ぐに穏やかな顔でスバルを見た。
「いいかいスバル君、此処での生活は今日みたいに皆で食事をすることも多いし、大人ばかりではなく、同級生のミナト君とも一緒に過ごさなきゃならない。みんなと仲良く出来るように、頑張ろうな」
無償の愛に溢れまくっている敬一クンの笑みに、スバルは完全にのぼせ上がってしまったらしく、顔を真っ赤にしてうんうんと頷きまくっていた。
「敬一クンって、強豪校の運動部で主将をやってたと思えないよね」
敬一クンがスバルを寝室に連れて行って、二人だけになったところで俺がそう言うと、シノさんは面白そうな顔をした。
「そうでもなかろ。部員はケイちゃんの下心無しの甘い言葉と、無自覚なお色気にメロメロになったところを、他の先輩達にギュッと絞られて、強豪校の生え抜きになってくんじゃね?」
「ああ、主将が飴担当だったのね。……じゃあ、ココだとシノさんが鞭担当?」
俺の問いに、シノさんはものすごく意地の悪い顔でニシシと笑った。
「当たり前だろが。スバルもミナトも、最後は俺に屈服するのだ」
「鞭担当を、そこまで楽しそうに自ら買って出る人間も、そういないよね」
「そりゃオマエ、本当の|鞭担当《むちたんとう》ってのは、飴担当なんかよりもずっと信頼関係築かなきゃダメってコトを、世間は知らねェからだろ。俺は嫌われない自信があるからのう」
シノさんは、そこで更にウヒヒヒヒと、かなり妖怪めいた声で笑った。