――セクション3―
大杜はエレベーターではなく非常階段へ向かい、駆け上がった。
ビル内では業務ロボットと遭遇する可能性が高くなるため、屋上からケリアと共に降りるほうが遭遇のリスクを減らしつつ、より早くアイビーの元に辿り着けると判断したのだ。
「おい、いい加減に手を離せ。別に引いてもらわなくても迷子にはならない」
「あ! ごめん!」
大杜は慌てて手を離す。
二人が屋上に飛び出ると、ヘリポートに小さなヘリが一機停まっており、その前に研矢の姿があった。
室内から見た以上に激しい雨が降っているが、彼は気にした風もなく、びしょ濡れになりながら、パソコンらしき機器を軽やかに叩いている。
壊れないのかなと、大杜は思わず場違いな心配をした。
二人に気づいた研矢は顔を上げた。
「研矢、なの?」
大杜が聞いた。オリジナルなのか、友人なのか、判断がつかない。
「ここはいいからお前は行け。間に合わなくなる」
武朗の言葉にハッとして、大杜は上空にいるセリアを確認しようと顔を上げた。
だが、研矢がおもむろに笑う。
「動くな。妙な動きをすれば、こいつの体が死ぬぞ?」
研矢は胸ポケットから、折りたたみ式のサバイバルナイフを取り出し、自身の頸動脈に切っ先を当てた。
「――お前は、俺たちの知る研矢ということか?」
武朗が聞く。
鷹田の証言にあった、本物の研矢の能力が使われているのであれば、級友の研矢は、思考を制御されていると考えられなくもない。
「ああ。もともと始末するつもりだったから、俺はこのまま切っても構わないんだぞ」
(意識制御を受けているのか? しかしこの悪天候だ。他のビルからの視界は効かないはず)
武朗はさりげなく辺りを見回す。
鷹田の証言には、研矢の能力は『視覚』が大きく関わると書かれていたのだ。
だからこそ、今回この捕物劇に武朗が呼ばれた。
防犯カメラの使用も考えられるが、それもこの雨ざらしの中では有効とは思えなかった。
「さっきのミーティングも見てたぞ。プロフューの侵入方法も侵入者もバレたんだな。――大した調査能力じゃないか」
研矢はオーバーアクションで語る。
――大杜と武朗は動けないでいる。
「侵入者――妹を連れて行っただろ。しかしあいつは大切な道具なんだ。返して貰わねぇとな」
研矢は一方的に語っている。大杜たちの返答などどうでもいいかのように。
まるで、さっき自分たちが役員室でやったこと――そう時間稼ぎのようだと、大杜は思った。
(わざと回りくどい説明をして、俺が逮捕状を持ってくるまでの時間を確保して貰ったけど、彼からも何か、そんな意図を感じる。だとしたら――なんのための時間稼ぎ?)
アイビーを助けに行こうとしている経緯を理解しているとは思えなかった。級友の研矢であればカスミの件で事情を理解していただろうが、意識が本物に制御されているとしても、記憶まで覗けるとは思えない。
大杜は両手を握り締める。心臓の音が高鳴っていくのを感じる。
(間に合わない……)
ほんの数時間前、「いつも心配してくれてありがとう」――そんな言葉を伝えたところなのに。
(もうこれで終わり? ……本当に?)
一番最初の友だちで、寝てる時も起きてる時も……親よりも長い時間を共に過ごしてきた。
一人の留守番が寂しい時はそばで寝てくれて、いつも体調を気遣ってくれて――学校で嫌なことがあった時は、大杜が自分から話すまで、ずっと待ち、話せばすべて受け止めてくれた。
(……嫌だ……)
ここのところ、何度も泣きそうになるのを堪えてきた。でも今度こそ限界だと大杜は感じた。
――その時。
「諦めるな、大杜! そいつは俺じゃない! 行け!!」
雨と風の音にまぎれて気付かなかったが、ビルの下から、突如ヘリが姿を見せ、悪天候にも関わらず、繊細な操縦で屋上のそばに寄る。
そのヘリの後部座席には、研矢が乗っていた。
「!?」
「急げって!」
突如現れた研矢に促され、大杜はハッとして、慌ててケリアを呼ぶ。
ケリアが上空から降りて来て、大杜の体を抱えると、ビルの縁を蹴り、壁面に沿うように急降下した。
松宮博士が、一階に代替機を用意してくれると言っていたが、社員には外に出ないように伝えている。矛盾する指示だが、本当に替えはあるのだろうか……。
(なかったら? 間に合わなかったら?)
「いや、できることの最善を尽くせ! 後悔はそれからだ!」
大杜はあえて声に出して自分を叱咤する。
地上に着くと、ホーソンがビルの入り口に待機していた。
「え!? 何で!?」
「ボス、急いで下さい!」
大杜が驚いているのを無視して、ホーソンは大杜の手首を掴んで、アイビーの残骸のある場所に連れてゆく。
(……痛っ)
引っ張られれば、首も胸も背中もあちこち痛む。
普段であれば、強引なことはしない物静かなホーソンなのだが、彼もまた、大杜を気遣う余裕がない。
落下場所には、破片が散らばっているばかりで、ボディはほぼ形を留めていなかった。
大杜はかろうじて形が残っている頭部を手に取り、抱き締めた。
消えかかった温かい光が心の中に見えた。
見守りロボットと警官ロボットを移動させる時に感じるのは、とても明るくて熱い――そんな感覚だ。白熱電球に触ってるみたいで、やけどしそうな気すらしている。
けれど今は例えるなら、線香花火の最後の輝きのように、チリチリと揺れながら輝いている感じだった。
(……どんなに小さな光でも、光ってくれてさえいれば大丈夫。いつも見守ってくれてありがとう)
大杜は頭部を抱いたまま、ホーソンに軽く触れた。動作としてはそれだけだった。
だが、その一瞬に、マラソンを走り終えたぐらいの疲労がのし掛かるのが、この能力だ。
無事終えて、大杜ははぁと大きく脱力して座り込んだ。
気がつくと、自分の周りの雨が止んでいた。
それを不思議には感じたが、疲れと安堵と痛みと色んなものがない混ぜになって、放心してしまう。
――何も考えられない。
「たーくん、たーくん!」
「え……あ……鈴木さん?」
雨が止んだのは、傘を差し出されたせいだと気付く。内側に華やかなバラが描かれている傘を持って、黒いスーツを着た舞華が立っていた。
ぼんやりと彼女を見上げると、大杜の肩がぐんぐん揺すられた。
「う、痛……たいです」
「ごめんね。でもね、まだ放心してる暇はないと思うのよ」
「そうだった……」
大杜の意識が現実に引き戻される。
「matsuQ本社ビルのセキュリティーシステムが乗っ取られちゃって、プロフューのこともあるから、高犯対に連絡取ったら、あなた達がここにいると言うから、手回しさせてもらったの。役に立ったみたいね」
「ホーソンですよね。一生頭が上がらいぐらいに感謝してます」
「それじゃ今度ご飯食べに行きましょうよ。あなたの奢りでね。それでチャラよ」
これだけのことを食事でチャラにしてくれるのかと大杜は苦笑した。
「ナショナルタウンズで、研矢君に会ったわ。あの騒動の最中、野次馬の中に私もいたのよ。研矢君がその場を去った時、捕まえたのは、私」
「え……」
「ごめんね。すぐに伝えなくて。でも彼の覚悟がね、決まらなくて」
「覚悟?」
「覚悟ができたというから、彼を連れてきたの。でもま、これ以上は私が勝手に話していい事じゃないわね。彼から聞いて」
「わかりました。本当にありがとうございます」
大杜は頭を下げると、ケリアとホーソンを見やった。
「ホーソン、本部で待機して。ケリア、ホーソンを本部へ」
「了解しました」
彼らが上空に消えるのを見送ってから、舞華は大杜を振り返った。
「ごめんね。奪われたシステムがなかなか取り返せないのよ。南波記念病院もプロフューもMatsuQ本部も、外部セキュリティーを請け負ってるのは我が社なのに……。ほんっと不甲斐ないわ」
「いえ、犯人が天才なんだと思います。敵でなければ、心強いんだろうけど……あいにく、そうではないので」
大杜の覚悟を決めたような険しい表情を見て、舞華は頷いた。
「これからどうするの?」
「オリーブが対抗してますし、鈴栄の技術者も協力しているなら、すぐに取り返せると思います。何より、乗っ取りの犯人は今屋上にいますから、捕えます」
「マイカさん、システムが正常に戻りました。ビルに入れますが、自分はどうしますか?」
Q2-
04がやって来て伝える。開発段階のQ2《キューニ》の実地試験を兼ねた試作品で、舞華の護衛を担当している。
「たーくんを援護して、犯人を捕まえに行って」
「いえ、鈴木副社長、俺は大丈夫です。――ロータス、君は鈴木さんのそばを離れないで」
「了解しました」
大杜の兄の名をニックネームに持つ舞華の護衛は、敬礼のまま、ビル内に戻る大杜を見送った。