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ウェイトドール

ー/ー




「寝相が悪くてごめんね」
 今朝も下敷きにされていた『杏ちゃん』のカラダの毛をポンポンと整えた。
 「毎日ごめんね。苦しい思いさせちゃって」
 高校生の全体重を受け止めているクマの『杏ちゃん』の毛並みは、 綿菓子のようなフワフワ感がなく、カーペットのようにペッタリとしている。両足の刺繍も汚れている。
 「たまには、洗ってあげなくちゃ」
 今夜『杏ちゃん』をお風呂に入れ、フワフワ感が戻ることを楽しみにリビングへ向かった。
 「ママ。おはよう」
 「杏奈、おはよう。……あら、下品よ。女の子なのにそんな大欠伸しながら挨拶するなんて」
 「ママの前だと、つい気が抜けちゃって」
 無邪気な笑顔をした。
 「……杏奈、少し痩せた?もしかしてダイエットしてるの?ダメよ。そんなことしたら」
 「してないよ。でもね、最近『杏ちゃん』が軽くなった様に感じることが気になって」
 「きっと、杏奈が赤ちゃんを抱っこできるほど大きくなったからよ」
 「そうなのかなぁ……」
 「ママもね、杏奈を初めて抱いた喜びを肌で思い出すことができるから、時々『杏ちゃん』を抱っこするのよ。ウェイトドールを作っておいてよかったわ」
 「私ってあんなに軽かったんだ」
 「だから気にすることないわよ」
 
 学校に向かう足取りが日に日に重くなっている。
 友好関係良好。成績は月並み。きっと問題なしのように見えるだろう。
 靴を脱ごうとした時、蝉の鳴き声にも負けないほどの大声を発しながら里穂が近づいてきた。
 「聞いて!聞いて!菜摘がね彼氏に振られたんだって。ざまぁよね。自慢ばっかりしてるからよ。私、笑いを堪えるのが大変で外に視線を送ってたの。そしたらナイスタイミングで杏の姿が見えたから『ラッキー』って思って」
 「菜摘、泣いてるの?」
 「そう。だるいんだよね。『私、かわいそうでしょ』みたいな感じでさ」
 「本当に悲しいんだと思うよ」
 「杏って優しいよね。でもそんなわけない。だってあいつ悲劇のヒロイン気取り得意じゃん。とにかく、だるいから杏が慰めてあげてよ」
 今度は鼓動の音で蝉の鳴き声が掻き消されていく……。
 
 静かにドアを引くと菜摘の震えた音響が耳に入ってきた。そっと背中に手を添え音量を下げようとした。
 「なっちゃん、大丈夫?」
 「触らないで!なんで杏が知ってるのよ!……里穂が言ったのね」
 「……うん」
 「ムカつく。あいつ腹の中で笑ってるのよ。自分に彼氏がいないから僻んでたの知ってるんだから。私が振られて『ざまぁ』って思ってるのよ」
 「……そんなことないって」
 「本当のこと言いなよ」
 「……ウソじゃない」
 「それなら、私が先に教えてあげる。里穂がいつも言ってたよ。『杏って八方美人だよね』って」
 「……」
 もう、全ての音量を下げた。
 「とにかく、私は大丈夫。里穂に『裏切り者』って伝えといて」
 ……『杏ちゃん、助けて』無音にしたはずなのに、自分の途切れそうな音だけは聞こえた。

 夜になっても蝉は鳴き続けている。決められた短い期間だからこそ全力で生きられるのだろう。
 『杏ちゃん』にシャンプーをつけたまま抱き、なっちゃんの言葉を思い出し音を立てずに泣いた。
 モアモアと泡まみれになり、本来の毛色に戻っていくはずの『杏ちゃん』は真っ黒な泡に飲み込まれ、次第に小さくなっていった。
 「……消えてしまわないで!」
 蝉の声を遮るほどの大声を出し我に返った。目を閉じ深い呼吸をし、もう一度『杏ちゃん』を見ると真っ白な泡に包まれていた。
 ……黒い泡はきっと、私の妄想だったのだ。
 もう一度強く『杏ちゃん』を抱きしめ自分の心に誓った。
 
 「今日からは気持ちをしっかりと伝えよう。本当の自分を見失わないように……ありがとう。杏ちゃん」


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「寝相が悪くてごめんね」
 今朝も下敷きにされていた『杏ちゃん』のカラダの毛をポンポンと整えた。
 「毎日ごめんね。苦しい思いさせちゃって」
 高校生の全体重を受け止めているクマの『杏ちゃん』の毛並みは、 綿菓子のようなフワフワ感がなく、カーペットのようにペッタリとしている。両足の刺繍も汚れている。
 「たまには、洗ってあげなくちゃ」
 今夜『杏ちゃん』をお風呂に入れ、フワフワ感が戻ることを楽しみにリビングへ向かった。
 「ママ。おはよう」
 「杏奈、おはよう。……あら、下品よ。女の子なのにそんな大欠伸しながら挨拶するなんて」
 「ママの前だと、つい気が抜けちゃって」
 無邪気な笑顔をした。
 「……杏奈、少し痩せた?もしかしてダイエットしてるの?ダメよ。そんなことしたら」
 「してないよ。でもね、最近『杏ちゃん』が軽くなった様に感じることが気になって」
 「きっと、杏奈が赤ちゃんを抱っこできるほど大きくなったからよ」
 「そうなのかなぁ……」
 「ママもね、杏奈を初めて抱いた喜びを肌で思い出すことができるから、時々『杏ちゃん』を抱っこするのよ。ウェイトドールを作っておいてよかったわ」
 「私ってあんなに軽かったんだ」
 「だから気にすることないわよ」
 学校に向かう足取りが日に日に重くなっている。
 友好関係良好。成績は月並み。きっと問題なしのように見えるだろう。
 靴を脱ごうとした時、蝉の鳴き声にも負けないほどの大声を発しながら里穂が近づいてきた。
 「聞いて!聞いて!菜摘がね彼氏に振られたんだって。ざまぁよね。自慢ばっかりしてるからよ。私、笑いを堪えるのが大変で外に視線を送ってたの。そしたらナイスタイミングで杏の姿が見えたから『ラッキー』って思って」
 「菜摘、泣いてるの?」
 「そう。だるいんだよね。『私、かわいそうでしょ』みたいな感じでさ」
 「本当に悲しいんだと思うよ」
 「杏って優しいよね。でもそんなわけない。だってあいつ悲劇のヒロイン気取り得意じゃん。とにかく、だるいから杏が慰めてあげてよ」
 今度は鼓動の音で蝉の鳴き声が掻き消されていく……。
 静かにドアを引くと菜摘の震えた音響が耳に入ってきた。そっと背中に手を添え音量を下げようとした。
 「なっちゃん、大丈夫?」
 「触らないで!なんで杏が知ってるのよ!……里穂が言ったのね」
 「……うん」
 「ムカつく。あいつ腹の中で笑ってるのよ。自分に彼氏がいないから僻んでたの知ってるんだから。私が振られて『ざまぁ』って思ってるのよ」
 「……そんなことないって」
 「本当のこと言いなよ」
 「……ウソじゃない」
 「それなら、私が先に教えてあげる。里穂がいつも言ってたよ。『杏って八方美人だよね』って」
 「……」
 もう、全ての音量を下げた。
 「とにかく、私は大丈夫。里穂に『裏切り者』って伝えといて」
 ……『杏ちゃん、助けて』無音にしたはずなのに、自分の途切れそうな音だけは聞こえた。
 夜になっても蝉は鳴き続けている。決められた短い期間だからこそ全力で生きられるのだろう。
 『杏ちゃん』にシャンプーをつけたまま抱き、なっちゃんの言葉を思い出し音を立てずに泣いた。
 モアモアと泡まみれになり、本来の毛色に戻っていくはずの『杏ちゃん』は真っ黒な泡に飲み込まれ、次第に小さくなっていった。
 「……消えてしまわないで!」
 蝉の声を遮るほどの大声を出し我に返った。目を閉じ深い呼吸をし、もう一度『杏ちゃん』を見ると真っ白な泡に包まれていた。
 ……黒い泡はきっと、私の妄想だったのだ。
 もう一度強く『杏ちゃん』を抱きしめ自分の心に誓った。
 「今日からは気持ちをしっかりと伝えよう。本当の自分を見失わないように……ありがとう。杏ちゃん」