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第9話 モノレールが繋ぐ祈り

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 地区大会での祝勝会の熱気が、まだ身体のどこかに残っているようだった。だが、翌日俺が向かったダウンタウンの公立病院に、そんな浮かれた空気は一切なかった。消毒液の匂いがツンと鼻をつく、静かで、どこか寂しい空間。ここが、今の親父の戦場だ。

「よお、クエンティン」
 病室のベッドの上で、親父——マーカス・ミラーは、痩せてしまった身体を起こし、精一杯の笑顔で俺を迎えてくれた。
「お前の試合、病室のモニターで見てたぞ。すごいじゃないか……チームのエースなんだってな」
「まあな! それより、体の調子はどうなんだよ」
 俺がそう尋ねると、親父は一瞬だけ、遠い目をした。
「ああ、保険が効く標準治療のおかげで、痛みはだいぶマシになった。……ただ、この治療じゃ、進行を遅らせるのが精一杯でな」
 親父は、点滴に繋がれた自分の腕を、悔しそうに見つめた。
「本当は、最近承認されたばかりの新薬もあるんだが……。あれを使えば、もっと良くなるかもしれん。だが、保険が一切効かなくてな……。すまんな、クエンティン。もう、お前たちに何もしてやれないばかりか、迷惑ばかりで……」

 その言葉に、俺は奥歯をぐっと噛みしめた。違う、迷惑なんかじゃない。あんたは、俺たちのために、ずっと体を張って働いてくれたじゃないか。
 込み上げてくる言葉を、俺は、無理やり笑顔で飲み込んだ。
「何言ってんだよ! 親父は、ゆっくり休んでろって! あとは俺に任せとけ!」

 俺が病室を出ようとした、ちょうどその時だった。ドアが開き、パート帰りの母さん——サラ・ミラーが顔を出す。
「あら、クエンティン。入れ違いだったわね」
「ああ。じゃあ、母さん、あと頼む」
 俺は母さんと短く言葉を交わし、病室を後にした。

 病院からの帰り道、俺は母さんと二人、モノレールに乗っていた。それは、かつて親父が担当していた路線の一つだ。ダウンタウンとミッドタウンを結ぶ、コロニーで最も利用者の多い路線。親父は、この路線の安全を守ることを、何よりの誇りにしていた。
 だけど、親父の体を蝕んだのは、ここでの仕事じゃない。弟のレオが生まれてから、収入アップのため、親父はより危険手当の高い「外周路線」での勤務を、自ら志願していたそうだ。コロニーの外壁では、どうしても宇宙放射線を浴びてしまう——。
 窓の外には、俺たちが住むダウンタウンの、雑多で、錆びついた工業区画が広がっている。その向こうには、遠くにそびえ立つ、きらびやかなミッドタウンの摩天楼。そして、さらにその奥の、空に浮かぶ庭園のような場所に、アップタウンの低層住宅が、まるで別世界の風景のように見えた。
 親父は、どんな思いで、毎日この景色を見ていたんだろう。乗客の安全を守るという「誇り」と、決してあちら側には行けないという「現実」。そのコントラストが、俺の胸に鋭く突き刺さった。

「母さん」俺は、決意を込めて言った。「俺、必ずこのトーナメントで優勝して、楽させてやるから。リリーとレオだって、大学まで行かせてやる。何も心配いらないよ」
 しかし、母さんは、困ったように笑うだけだった。
「馬鹿言ってるんじゃないの。あなたはまだ高校生でしょ。そりゃ、生活が楽とは言わないけど、でも、なんとかなるから。クエンティン、学生なんだから、今を楽しみなさい」
 その優しさが、俺にはもどかしかった。なんとかなる、わけがない。分かっているのに。

 アパート近くの駅に着くと、俺は買い物袋をひったくるように持った。
「じゃあ、今日は俺が夕飯を作るよ。シチューでいいかい?」
「えぇ、助かるけど……」
 母さんの戸惑いを背に、俺はスーパーへと足を向けた。

 ミッドタウンのきらびやかさとは無縁の、古びて、手狭な俺たちのアパート。
 俺がキッチンでシチューを煮込んでいる間、リビングからは、母さんが妹のリリーと弟のレオに勉強を教える声が聞こえてくる。
 食事の時間。レオに「お兄ちゃん、きのうの試合の話して!」とせがまれ、俺は、自分たちの戦いを、少しだけ面白く脚色して話して聞かせた。俺の武勇伝に、レオは目を輝かせ、リリーは楽しそうに笑う。母さんも、その光景を、穏やかな顔で見つめていた。そこには、慎ましくも、幸せな家族の姿があった。
 食事の後、俺たち三兄弟は、家庭用ゲーム機で、時間を忘れて遊んだ。

 夜、自分の部屋に戻ろうとした時だった。リビングから、母さんの、小さなため息が聞こえてきて、俺は思わず足を止めた。
「……空気税がキツイわねぇ。うちは5人分だから……。またコロニー修繕税が値上がるってニュースで言ってたし……、パートを増やすしかないか……」
 俺は、その場に立ち尽くした。「なんとかなる」と言っていた母さんの、本当の心の声だった。

 俺は、静かに、今は物置になっている親父の部屋に入った。壁には、彼が長年使い込んできた工具が、今も綺麗に整頓されて、大切に保管されている。
 俺は、リストバンド型スマホで、次のトーナメント表を確認した。そして、父が一番愛用していた、ずしりと重いスパナに、そっと触れる。

「親父、見ててくれよ」
 俺は、誰に言うでもなく、静かに、しかし力強く、誓った。
「俺は、あんたの誇りを背負って、必ず、あの場所まで行ってみせるから」



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 地区大会での祝勝会の熱気が、まだ身体のどこかに残っているようだった。だが、翌日俺が向かったダウンタウンの公立病院に、そんな浮かれた空気は一切なかった。消毒液の匂いがツンと鼻をつく、静かで、どこか寂しい空間。ここが、今の親父の戦場だ。
「よお、クエンティン」
 病室のベッドの上で、親父——マーカス・ミラーは、痩せてしまった身体を起こし、精一杯の笑顔で俺を迎えてくれた。
「お前の試合、病室のモニターで見てたぞ。すごいじゃないか……チームのエースなんだってな」
「まあな! それより、体の調子はどうなんだよ」
 俺がそう尋ねると、親父は一瞬だけ、遠い目をした。
「ああ、保険が効く標準治療のおかげで、痛みはだいぶマシになった。……ただ、この治療じゃ、進行を遅らせるのが精一杯でな」
 親父は、点滴に繋がれた自分の腕を、悔しそうに見つめた。
「本当は、最近承認されたばかりの新薬もあるんだが……。あれを使えば、もっと良くなるかもしれん。だが、保険が一切効かなくてな……。すまんな、クエンティン。もう、お前たちに何もしてやれないばかりか、迷惑ばかりで……」
 その言葉に、俺は奥歯をぐっと噛みしめた。違う、迷惑なんかじゃない。あんたは、俺たちのために、ずっと体を張って働いてくれたじゃないか。
 込み上げてくる言葉を、俺は、無理やり笑顔で飲み込んだ。
「何言ってんだよ! 親父は、ゆっくり休んでろって! あとは俺に任せとけ!」
 俺が病室を出ようとした、ちょうどその時だった。ドアが開き、パート帰りの母さん——サラ・ミラーが顔を出す。
「あら、クエンティン。入れ違いだったわね」
「ああ。じゃあ、母さん、あと頼む」
 俺は母さんと短く言葉を交わし、病室を後にした。
 病院からの帰り道、俺は母さんと二人、モノレールに乗っていた。それは、かつて親父が担当していた路線の一つだ。ダウンタウンとミッドタウンを結ぶ、コロニーで最も利用者の多い路線。親父は、この路線の安全を守ることを、何よりの誇りにしていた。
 だけど、親父の体を蝕んだのは、ここでの仕事じゃない。弟のレオが生まれてから、収入アップのため、親父はより危険手当の高い「外周路線」での勤務を、自ら志願していたそうだ。コロニーの外壁では、どうしても宇宙放射線を浴びてしまう——。
 窓の外には、俺たちが住むダウンタウンの、雑多で、錆びついた工業区画が広がっている。その向こうには、遠くにそびえ立つ、きらびやかなミッドタウンの摩天楼。そして、さらにその奥の、空に浮かぶ庭園のような場所に、アップタウンの低層住宅が、まるで別世界の風景のように見えた。
 親父は、どんな思いで、毎日この景色を見ていたんだろう。乗客の安全を守るという「誇り」と、決してあちら側には行けないという「現実」。そのコントラストが、俺の胸に鋭く突き刺さった。
「母さん」俺は、決意を込めて言った。「俺、必ずこのトーナメントで優勝して、楽させてやるから。リリーとレオだって、大学まで行かせてやる。何も心配いらないよ」
 しかし、母さんは、困ったように笑うだけだった。
「馬鹿言ってるんじゃないの。あなたはまだ高校生でしょ。そりゃ、生活が楽とは言わないけど、でも、なんとかなるから。クエンティン、学生なんだから、今を楽しみなさい」
 その優しさが、俺にはもどかしかった。なんとかなる、わけがない。分かっているのに。
 アパート近くの駅に着くと、俺は買い物袋をひったくるように持った。
「じゃあ、今日は俺が夕飯を作るよ。シチューでいいかい?」
「えぇ、助かるけど……」
 母さんの戸惑いを背に、俺はスーパーへと足を向けた。
 ミッドタウンのきらびやかさとは無縁の、古びて、手狭な俺たちのアパート。
 俺がキッチンでシチューを煮込んでいる間、リビングからは、母さんが妹のリリーと弟のレオに勉強を教える声が聞こえてくる。
 食事の時間。レオに「お兄ちゃん、きのうの試合の話して!」とせがまれ、俺は、自分たちの戦いを、少しだけ面白く脚色して話して聞かせた。俺の武勇伝に、レオは目を輝かせ、リリーは楽しそうに笑う。母さんも、その光景を、穏やかな顔で見つめていた。そこには、慎ましくも、幸せな家族の姿があった。
 食事の後、俺たち三兄弟は、家庭用ゲーム機で、時間を忘れて遊んだ。
 夜、自分の部屋に戻ろうとした時だった。リビングから、母さんの、小さなため息が聞こえてきて、俺は思わず足を止めた。
「……空気税がキツイわねぇ。うちは5人分だから……。またコロニー修繕税が値上がるってニュースで言ってたし……、パートを増やすしかないか……」
 俺は、その場に立ち尽くした。「なんとかなる」と言っていた母さんの、本当の心の声だった。
 俺は、静かに、今は物置になっている親父の部屋に入った。壁には、彼が長年使い込んできた工具が、今も綺麗に整頓されて、大切に保管されている。
 俺は、リストバンド型スマホで、次のトーナメント表を確認した。そして、父が一番愛用していた、ずしりと重いスパナに、そっと触れる。
「親父、見ててくれよ」
 俺は、誰に言うでもなく、静かに、しかし力強く、誓った。
「俺は、あんたの誇りを背負って、必ず、あの場所まで行ってみせるから」