地区大会一回戦の勝利の興奮も冷めやらぬまま、僕たち四人は『シュミットの工房』の、油と埃の匂いが染みついた小さな事務室に集まっていた。ヴィル爺さんが出してくれたジュースと安物のスナック菓子が、今日の僕たちのささやかな祝杯だ。
「悪いな、ヴィル爺さん。こんなことまでしてもらっちゃって」
クエンティンが、少し気恥ずかしそうに言った。
「いや何、お前さんたちのお陰で、少し儲かったんでな。利益の還元というやつさ」
ヴィル爺さんは、悪戯っぽく片目をつぶって見せる。
「えっ? 何? 賭けをしてたのかよ」
クエンティンが、ジト目でヴィル爺さんを睨んだ。
「まぁな。お前さんたちのチーム、とんでもないオッズがついてたからな」
「食えない爺さんだなぁ……。今度俺にも一口頼むよ。未成年だと買えないんだよ」
「これは大人の特権だからな、諦めろ」
「そんなぁ」
クエンティンが本気で悔しがっているのか、ふざけているのか。そのやり取りを見て、みんながどっと笑った。高価な料理なんかよりも、ずっと美味い、勝利の味がした。
「……まさか、あたしらが優勝候補の一角に勝てるなんてねぇ」
「全く……、クエンティンが部室に入ってきたときにはどうなるかと思っていたが……まさかな、ハハハッ!」
ミミ先輩、リョウガ先輩とも、心の底から嬉しそうに、上機嫌で笑っていた。
「なっ! リク! 俺の言った通りだったろ、お前がクラフターをやってくれれば、絶対上手くいくって!」
クエンティンも、ジュースを飲んでいるだけなのに、その熱量はすでに酔っ払っているかのようだった。
「そうそう、リクっち! 難しい顔しない! このまま行けば、絶対に優勝狙えるよ!」
「う、うん……、そうですね」
今日の勝利に、僕が水を差すわけにはいかない。僕は、少し気圧されながらも、精一杯そう合わせるのがやっとだった。
一時間ほど経ち、少し落ち着きを取り戻した僕たちは、ヴィル爺さんが用意してくれた大きなモニターで、さっきの試合のリプレイ映像を見ていた。
序盤、僕たちが一方的に追い詰められていた場面が映し出されると、ミミ先輩が悔しそうに声を漏らした。
「……うーーーん、あたし、随分やられてるなぁ」
「今回は、相手の装備がかなり良かったのもあると思います」
「そうそう、あいつらの装備エグかったよな」
僕とクエンティンが慰めるように言うが、ミミ先輩はまだ納得していないようだった。
彼女は、ふと真剣な顔になると、リプレイ映像の一点を指さした。
「ねぇ、ここの場面さ、あたしがもっと早く敵の背後に回り込めてたら、リョウガ先輩はやられなかったかも」
その言葉に、リョウガ先輩も厳しい表情で頷く。
「うむ。俺も、リクの城に頼りすぎていた。もっと自分がヘイトを集め、攻撃を引き付けねばならん」
僕は、二人のその前向きな姿勢が、どうしようもなく嬉しかった。ただの勝利に浮かれるのではなく、もう次の戦いを見据えている。僕たちは、本当の意味で「チーム」になったのかもしれない。
リプレイ映像を見終わり、興奮した様子のミミ先輩が、僕に身を乗り出してきた。
「あたしさ、昔、器械体操やってたんだよね。だから、ああいうぴょんぴょん飛び回るの、得意なんだ。それを活かしたクラフトって、何か作れないかな、リクっち?」
「うーん、考えておきます」僕がそう答えると、今度はリョウガ先輩が口を開いた。
「いいな。そういう事もできるんだよな。……俺の話も聞いてくれないか?」
「はい」
「俺は今日、目からウロコが落ちた気がした。正直なところ、リクの作戦はセオリーを無視した無謀な作戦だと思っていた。しかし、それでも勝った、あれほどの相手にだ。それで思ったんだ。実戦では非対称戦なんてざらにあるし、今回のようにセオリー通りに戦闘を進められるとは限らない。その場に合わせた工夫こそが、大切なんだと」
「いや、そんな……」
二人の真剣な眼差しと、僕への期待が、少しだけくすぐったい。
クエンティンは、そんな僕たちの姿を、満足そうに見ていた。彼の戦う理由の重さを、僕も知っている。ミミ先輩やリョウガ先輩の「強くなりたい」という想いとは少し違う、彼の切実な願い。そのために、僕も、もっと強くならなければ。
家に帰ると、リビングの電気は消えていた。共働きの両親は、今日もまだ帰ってきていないらしい。静かな家に一人、というのも、もう慣れたものだ。
僕は自室のベッドに倒れ込んだが、なかなか寝付けなかった。ミミ先輩の言葉、リョウガ先輩の言葉、そして、勝利の瞬間の興奮が、頭の中をぐるぐると回っている。僕は、たまらず起き上がると、タブレットの電源を入れた。
画面に、ミミ先輩のアイデアを元にした、新しいクラフトの設計図を描き始める。バネを使った、高機動ユニット。器械体操の動きを、FFOの世界で再現するための、僕だけの答え。
スタイラスペンを走らせる僕の心は、次なる戦いへの、静かな闘志と、仲間たちへの熱い想いで満ち溢れていた。
まさに、その時だった。
来客を告げる玄関のチャイムが鳴り、続いて、「リク、入るわよ」という声と共に、僕の部屋のドアが遠慮なく開いた。
「あれ、姉さん、帰ってきてたの」
そこに立っていたのは、アパートから訪ねてきた姉さん、ミサキだった。手には、ずしりと重そうな書店の紙袋を提げている。腕を組み、呆れたような、それでいて少し怒っているような目で、僕をじっと見ている。
「母さんから聞いたわよ。アンタ、期末試験の成績、ギリギリだったんだって?」
その言葉に、僕の心臓が、試合中とは別の意味で、ドキリと跳ねた。姉さんは、持っていた紙袋を、ドン、と僕の机の上に置いた。中からは、分厚い参考書と問題集が何冊も顔を出す。
「アンタの勉強見るように、母さんから頼まれちゃったじゃないの! 私だって暇じゃないのに、ったく……。はい、これ。夏休み中に、最低でもこの一冊は終わらせなさい。次に帰ってきたときに、ちゃんと進んでるかチェックするからね!」
「げっ!」
思わず、カエルが潰れたような声が出た。夏休みは、FFOに全力を注ごうと決めていたのに。
「何が『げっ!』よ!」
姉さんの鋭い声が、部屋に響き渡った。
「だいたい、アンタがゲームばっかりやってるからでしょ! 返事は!?」
「……は、はい……」
その時突然、部屋の照明が一瞬だけチカッと瞬いたと思ったら、真っ暗になった。
「またか……最近多いな」と僕はぼやいた。
「ダウンタウンの電力供給網は、これだから信用できないのよ。アップタウンじゃ、こんなこと絶対起きないんだろうけどね」
と姉さんが言っている間に電力が復旧し、照明がついた。
「まぁいいわ! とにかくそういうことだから」
姉さんは、フンと鼻を鳴らすと、「じゃあ、私、もう帰るから。ちゃんとやるのよ!」と言い残し、嵐のように去っていった。
一人残された部屋で、僕はがっくりと肩を落とす。タブレットの画面では、描きかけの設計図が、希望に満ちて輝いている。そして、その隣には、分厚い参考書の山。
僕の目の前には、FFOの強敵たちとは別に、姉さんに課された課題という、もう一つの巨大な壁が立ちはだかっていた。