―セクション2―
時刻は昼過ぎだったが、分厚い遮光カーテンのお陰で、病室は薄暗いままだった。
患者が静かな寝息を立てているため、医師は小声で、「輸液バッグを取り替えますね」と伝え処置を行う。
頸椎固定カラーを巻いた少年の腕から伸びる管の中を、新しい薬剤が流れ込んで行った。
「……それはなんの薬?」
大杜は薄く目を開き、呟くように尋ねる。
「永遠の眠りにつく薬」
「それは困るよ。まだやらなければいけない事も、やりたい事もたくさんあるから」
「ではなぜ、最初に声を掛けたときに、すぐにやめろと言わなかったんです? 本当は起きてたでしょう?」
大杜は腕に刺さった針をちらりと見やった。
「お前を信じてるからだ、シラー」
「ファクターですよ」
「約束しただろ。俺がお前を呼ぶ時は、シラーと呼ぶ、と」
「――相変わらずお人好しですね。でもたいがいにした方がいい。このバッグの3分の1が体に入れば、心不全で死にますよ。早く誰か呼んだ方がいい」
医師ロボットは、呼び出しボタンが先端についたコードを大杜に握らせて言うが、大杜はその警告を無視した。
「俺が弓佳さんの見舞いに行ったとき、病室に入ることを阻止したのは、俺のためだよね?」
「――お気楽な人ですね」
「クローンの存在を知った時、彼女もクローンだったのかと思った。けど、今朝、プロフュー内部に侵入したのが弓佳さんだと聞いたとき、違和感が生まれたんだ。クローンは肉体は普通の人と同じはず。その彼女が、巨大な工場内を段ボールを持ったままで軽快に移動できるだろうか、って。しかも映像は3時間半に及んだらしい。大人でもしんどいんじゃないかな。体の成長が小さいままで止まっている女の子のできることじゃない」
「……それで?」
「お前が取った行動の意味を考えたんだ。そうしたら――ひとつ可能性が浮かんだ。お前が俺を遠ざけたのは、彼女に接触させないためだったんじゃないかって」
「……なぜ?」
「病室に入って、万が一、俺が彼女に触れたら、彼女の秘密を知って暴いてしまうから――。彼女はハイブリッド?」
「……もしそうだとして、その秘密をあなたが暴いたらどうなると言うんです?」
「お前が泳がせている対象が逃げ、手掛かりを失ってしまい、内偵が失敗する。――お前は、今も内偵を続行中なんだ」
「頭はお花畑ですか?」
医師ロボットは点滴のスピードを上げた。
横になっているのに、頭がぐるぐる回転するような感覚に陥り、大杜は気分が悪くなった。
「ほら呼びましょう。助けてって。――アイビー? カスミ? それとも――」
「シラー、助けて!」
「……っ」
その瞬間、医師ロボットは動揺して、思わず点滴を止めた。
「ほら、お前が俺を殺すことはないだろ」
大杜は頭だけをシラーの方に向けた。室内は薄暗く、姿はぼんやりとしか見えない。
「ねぇ、お前はもしかして、死にたい?」
「なぜそう思うんです?」
「お前が去ったから――。そりゃあ選べなかったよ。お前が決めてくれて、本当にありがたかった。でも理由を考えてしまう。みんな俺の周りから離れる事を恐れるのに、どうしてお前は自分から申し出たんだろうって」
「……貴方の思考を占領できたのなら、光栄ですね」
シラーがフッと笑ったような気配をまとった。
「で、思ったんだ。お前たちは警官ロボットである状況から自由になることはない。そしてキューレイとはいえロボットである以上、自殺する事も出来ない。だからファクターと融合する事で、シラーであることを捨てようと――死のうとしたのかなって」
大杜は管を抜き取った。無理矢理引き抜き、血がにじんだ。
「なぜこんな回りくどいことをする? ファクターになってもダメだったのか? 創造主である俺の束縛から心は自由になれなかった? 俺が誰かに助けを呼んで、お前は初期化されることを願った? なぁ、どうなんだよ……」
医師ロボットは沈黙したままポケットから注射針用の小さな絆創膏を取り出して、大杜の血のにじむ傷に貼った。
「ほら、そうやって労わるくせに、さっきみたいなこともする。――なんなの? お前の中には一体どんな葛藤があるんだ?」
大杜が呆れたように言うと、医師ロボットとなったシラーは、俯きながら、絆創膏の上をそっと撫でた。
「そうですね……ずっとずっと葛藤がありましたよ。医師ロボットでの内偵を申し出たのも、初期化のことも、貴方の推理で、おおむね間違いありません。役に立ちたいと思う気持ちと、消えたいという気持ち、どちらも真実なんです。――消えた後、内偵の報告書が目に留まるように準備はしていました。最後に役に立ってはおきたいですからね」
シラーは顔を上げた。
「Q0ー07として誕生したときから、ずっと葛藤してきたんです。皆と同じように、貴方をただ大切に思えたら良かったんですけどね。特別になりたい想いが強すぎて、心を持て余してきた。とても苦しかった」
「……」
「ファクターになったら、この想いも終わると思ったんですけど、変わりませんでした。だから今もずっと辛いままなんですよ」
「それは"好き"って気持ち?」
「違いますよ、たぶん」
「え? こんな告白みたいなこと言っておいて違うの?」
大杜は苦笑する。
「愛してるんですよ。どうにもならないのにね」
大杜の苦笑が引き攣った。
「キミカゲが消滅したとき、貴方泣いたでしょう? キミカゲがものすごくうらやましかった」
「お前さ、こんなことをしておいて、初期化されたときに、泣いてお前を惜しむと思う?」
「思いますね。貴方は甘いので」
「まぁ……その通りだけど」
どれほど意地悪されても、彼らをどうしても嫌いにはなれない。キューレイの皆が、自分を嫌いになれないように。
(困ったな。人間にはカウンセラーという存在がいるけれど、ロボットにはどうしたらいいんだろう……)
「シラー、俺はお前が好きだよ。それだけではだめ?」
「駄目ですね。だって貴方はみんな好きでしょう?」
大杜は「確かにね」と呟く。
「仕方ない」
大杜は、ボタンを押して、ベッドの背もたれを起こした。不思議と体の痛みはなかったが、視界が再びくらりと歪む。
大杜は体の不快感を抑えて言う。
「二人だけの秘密を一つ作ろう。それが特別。これは誰にも知られてはいけない」
「秘密一つで特別ですか? ほんと能天気ですね――」
シラーは言葉を止めた。
大杜の顔が間近にあった。
「――この秘密は能天気?」
シラーは止まったままだ。
「言っとくけど、俺には十分大きな秘密だから」
大杜は再びベッドの背を倒し、再び横になった。
「まったく……もう。――で、お前、本当に何しにきたの?」
「――稚拙だとばかり思っていたのに、油断なりませんね」
「さっきから、俺に対する表現がひどいよ。無理矢理、悪口捻り出すのやめてよ」
大杜はむっと膨れっ面をしたが、急に不快感が増して、胃の中が逆流する。
シラーは冷静に、病室にあった汚物受けを差し出した。
「来た目的ですが」
大杜の背を撫でて嘔吐を促しながら、シラーは言う。
「貴方を殺しに来ました」
「この点滴……うっ……」
「神経系が麻痺します。一種の医療用麻薬ですね」
「お前……」
「本来こんなに早く入れるものではないので、副作用が出ただけですよ。大丈夫。あちこち痛むでしょうから、痛み止めになって、体は楽になります」
「永遠に、じゃないだろうな……」
「医局で渡された物をそのまま使っていたら、今頃は言葉のままに」
大杜は一通り吐きってから、ベッドに埋もれるように脱力した。
「お水飲みます?」
「飲むけど――冷蔵庫の未開封のペットボトルを取って!」
大杜が怒り気味に言うと、シラーが楽しそうに話を続ける。
「で、輸液バッグを差し替えた人物ですけど」
「え、教えてくれるの?」
「内偵中だと指摘したのは誰ですか? いざと言うときの報告書も用意してあると言ったでしょう?」
シラーはペットボトルの蓋を緩めてから、大杜に手渡した。
「あと、病室から消えた『彼女』の行方もお伝えしなければいけませんね」
「ああ、そうだった」
手を引いて行ったのは彼なのだから、行き先を知っていてもおかしくはない。
「貴方の言う様に、泳がせてたんですよ。ファクターは、彼女の主治医として松宮研矢に購入されていました。ファクターは彼女を患者として見ているだけだったので、彼女の秘密には疑問を持たなかった。――ですから、彼女に秘密があることは早くにわかっていたものの、ファクターが疑問を持っていなかったために、私にも具体的に何がどう問題なのかわからなかったんです」
「……そうだったのか」
「ファクターには、ある女が頻繁に連絡を取ってきました。また彼女の病室には、松宮研矢ではなく、別の男が頻繁にやって来ていました。男の呼び名は『エイト』。調べたものの正体がわからない。彼が何者か探ろうと思っていましたが、貴方が弓佳さんに接触しかけて時間がないと思い、こちらから仕掛けることにしました。貴方を追い返してすぐに、女の方の連絡先に、『警察が弓佳さんの事を探りにやって来た』と伝えた。そうしたら、弓佳さんの脱走を指示されたんです。――そして貴方に使う輸液バッグを差し替えていました」
「なるほど。――で、女の人って?」
(まさか……周さん?)
松宮邸で会った彼女の様子からは、何かを企むようには思えなかった。
しかし弓佳を今見舞いに来る家族は、周だけだと、松宮博士も言っていた。
「ことを急いだので『エイト』の正体は探れませんでしたが、今回、貴方を殺そうとしたその女の証拠は掴んでいます。そこから真相を辿ってみて下さい」
「うん。すごいな。――ありがとう」
通信が途絶えたと聞き、心配したけれど――葛藤を抱えながらも、自分の任務を果たしてくれたことに感謝する。
「貴方に褒めて貰いたくて頑張ったんですよ?」
シラーが悪戯っぽく言った。
「でも、まぁ、もし初期化されてたら、それはそれで良かったんですけどね」
「もうそういうことは言うなよ。次にそんなことを言ったら、秘密を撤回するからな。アイビーにバラす」
「ああ、それは、死ぬより嫌ですね。もう言わないでおきます」
病室に慌ただしくアイビーが入ってきたとき、大杜はベッドの背もたれを立て、ノートPCを叩いていた。
「どうしたの?」
アイビーの様子がいつもと違うので、大杜が首を傾げ――掛けて、痛たたと慌てて首を戻している。
「いや、大丈夫ならいいんだ。さっき医師から、君が吐いたと聞いたから、大丈夫かと心配で来ただけだ」
「ああ、それね。ドSな医者に軽くいじめられたんだ」
「シラーか!」
大杜はぷはっと吹き出した。
「『ドSの医者』で即シラーの名前が出てくるって」
「違うのか?」
「いや、正解なんだけど」
「奴が見つかったのか! 何をやらかした⁉︎」
「アイビー、いいんだよ。大丈夫」
(あいつなりに、自分の中で折り合いをつけていくと思うから……特別の魔法はどれぐらい保つかな)
面倒な感情だけれど、ロボットにそこまで強い感情があるなんて奇跡だな、なんて大杜は呑気に思った。
「シラーがね、重要な情報を持ってきてくれたよ」
「それは信用できるのか?」
「俺は信じてる。アイビーが俺を信じるなら、俺が信じてるシラーも信じて」
「仕方ないな」
アイビーは諦めて、大杜のそばに立った。
「起きてて体は大丈夫なのか?」
「うん。シラーのせい、いやおかげ? まぁともかく」
点滴が入った当初は気持ち悪さが優ったが、痛みが麻痺しているのか、今は逆に随分と体が楽だった。大丈夫な訳ではないが、動けるならできることをしておきたい。
「俺を殺そうとした人間がいる。次に使う輸液バッグの中身がすり替えられてることに気づいたシラーが、阻止してくれた」
「シラーが?」
「ストレートに助けてくれないところがあいつらしいけど、まぁいつものことだよ」
大杜は苦笑する。
「来てくれてちょうど良かった。出掛けたかったから、運転してくれる?」
「ああ。しかしどこに?」
「逮捕令状の発付を直接お願いしようと思って。――俺の殺害未遂でね」
「まったく、本当にじっとしてないな、君は。まぁ元気なら良いんだが」
溜め息でもつきそうなアイビーの口調に、大杜はパソコンから目線を外した。
大杜はアイビーを手招きしてもっと近くに寄らせると、その手を取った。
「いつも心配かけてごめん。それと心配してくれてありがとう」
「タイト、どうしたんだ?」
アイビーがものすごく戸惑っているのかわかり、大杜は笑った。
「たまにはちゃんとお詫びと感謝の気持ちを伝えなきゃな、って思っただけだよ。これからは、みんなにももっと伝えていくことにする」
「いや、やめておいた方がいい。熱が出てショートしそうな奴もいるだろう?」
アイビーはひときわ気性の荒い滑空する美女を思い出し言う。
「シラーにも、同じように感謝を伝えたのか?」
「そりゃまぁ、情報を揃えてくれたわけだし……」
大杜が言いにくそうに言うと、アイビーは「そうか」とだけ呟いた。
「副室長への報告は?」
「これから。あの人にもすぐにして欲しい事がある」
「やれやれ、慌ただしいことだな」
アイビーは手を引っ込めて、首を振った。
「慌ただしいついでにもう一つ」
「まだあるのか」
「ここを出る前に『彼女』を保護しに行こう。身柄はここの所轄に連絡して、任せることにする」
大杜はベッドから降りた。
「タイト、ギリギリまで動き回らない方がいい。――彼女とはハタか? 保護なら私が行こう」
「いや、違うよ。――確認しておきたいから俺もいく」
「君にしかできないことか?」
「そう」
大杜はクローゼットを開け、出動服を取り出した。
重い手つきでゆっくり着替え終わると、アイビーを見つめる。
「シラーに阻止された秘密を確かめないと」
大杜はエレベーターに乗ると、八階のボタンを押した。
「タイト、そこは」
アイビーもそのボタンの意味を察したようだった。
「灯台下暗し、の言葉を作った人、天才だと思う」
大杜は肩をすくめて言うと、ゆっくり上昇するエレベーターの階数ランプを見上げる。
「あの映像で、我々は、『彼女』が外に出た、と思わされたと言うことか?」
「騒動になっていた数時間は確かにフロアに居なかったけど、騒ぎが落ち着いてから戻ってきたんだ」
エレベーターが八階に止まる。
大杜とアイビーはフロアに降りた。
三度曲がり角を経由すると、弓佳の病室の前に出る。ガラスケースのような病室に彼女の姿はなかった。
大杜はくるりと踵を返すと、来た廊下沿いの、二つ手前の扉の前まで戻り、ノックしてから、スライド式のドアを開ける。
女の子が、アンティークなロッキングチェアに座り、ゆらゆらと揺れながら、一人でスケッチブックに絵を描いていた。
大杜はその脇に寄り、片膝を付いて手元を覗き込んで、驚いた。
クレヨンを使っていたため細かい部分は描き切れないものの、奥行きと広がりを感じさせる、美しい山の絵が描かれていたからだ。なにかの写真か映像で見た風景だと大杜は思った。
彼女は大杜を見た。そこになんらかの表情は見て取れなかったが、少女は大杜の手を取ると、自分の頭に置いた。
背後でアイビーが緊張した。何をされるのか――危害を加えられない保証はない。
しかし少女は何をするでもなくそのままだ。
大杜はようやく意図に気付いて、思わず、泣きそうな気持ちになりながら、
「綺麗な絵だね。とっても上手だよ……」
そう言って彼女の頭を撫でた。
少女は初めて感情を浮かべた。それは満足そうな笑みだ。
(研矢は似ていない、と言ったけど……)
少し自慢げに笑っときの、研矢の表情にそっくりだった。
「タイト」
「――ああ、ごめん」
大杜は、目を瞬かせて、立ち上がった。
「彼女はクローン体じゃない。ハイブリッドだ」
短く答えた。
「しかも彼女の生体は脳の一部だけ。生体と人工知能が融合され、複雑な構造になってる」
「なに……」
「美しい瞳も笑顔も、作り物だよ。精巧に偽装されたハリボテだ」