―セクション1―
病院を後にした紀伊国とアイビーは本部へ戻った。
「カスミはまだ戻ってないのかい?」
司令室が部屋代わりのカスミの姿がないことに、紀伊国は怪訝に思って聞く。
時間的に、先に戻っていると思っていたのだ。
「花鈴さんと一緒に、ハンバーガーショップに寄ると連絡がありました」
オリーブは複数の機器を操りながら応える。
紀伊国が渋い顔をした。
「朝ごはん食べるのに付き合うってこと? 気が効くのはいいんだけど、花鈴ちゃんとあんまり仲良くなられると困るなぁ。大杜よりカスミの方が積極的なぐらいだ」
「いつか、人工知能が本当に恋愛を理解したなら、面倒かもしれないな」
「君たちはある意味人工知能じゃないから心配してるんだけどね」
紀伊国は溜め息を吐く。
ロボットと人との恋愛などまだフィクションの世界だが、人と等しい心を持つキューレイに限って言えばあり得なくもない。
「変な心配はしたくないなぁ」
紀伊国はコーヒーを淹れ、ソファーに掛けた。
「副室長、我々と人間の恋愛などを心配するより、こちらを心配して下さいますか」
オリーブにやや強い口調で言われて、紀伊国は慌てて立ち上がると、オリーブの目線を辿る。
多数のモニターにプロフュー内の監視カメラの映像が映し出されていた。
「……確かに、心配ごとが増えたね」
「心配というか謎だな」
アイビーが呟く。
「これはいつの映像だ?」
「三月十日。啓明光学園の卒業式の日です」
「……これは、弓佳さんで間違いないよね?」
「病院の防犯カメラで見た姿と同じだしな」
無機質なパイプが剥き出しになったプロフュー内部を、ワンピースを着た少女が軽快に歩いている。いや、スキップしている。段ボール箱を抱えて。
「ものすごい違和感だねぇ……」
映像を見ていると、不思議なことに気づく。プロフュー内には扉があちこちにあるが、彼女が進むごとに、タイミングよく扉が開く――すべて電子ロックが掛かっているにもかかわらずだ。
「迷わずに進んでいるようだが、通信しながら誰かに誘導されているのか?」
アイビーの問いにオリーブは首を振った。
「プロフューは外部からの電波を遮断していると聞いています。外部と通信するのは無理だと思います」
「なら――」
「あれをご覧ください」
オリーブが画面を停止し、細部を拡大してクリアにした。
小さな物体が、弓佳の前方を移動している。
「なるほどね。ネズミ、かな」
「精密機器が造られている最新鋭の工場にネズミがいるのか?」
アイビーが呆れたように言う。
「もちろん、居ないだろうね。本物ならね」
「ハイブリッドアニマルか」
「小さなお姫様が動物と共に楽しそうに歩いているさまはアニメのようだね」
「そんな平和な世界観ならよかったが――オリーブはこの映像を見て何か気付く点はないか?」
「そうですね」
彼女はさまざま場所の監視カメラ映像の静止画を複数並べた。
「彼女の前に常にネズミがいます。ハイブリッドアニマルであれば、内部の地図が入手できれば、プログラムで迷わず目的地に行くことができますから、彼女はネズミについて行っている可能性が高いでしょう。あと気になるのは、彼女がどこに移動しても、監視カメラが追っていること――。これから推測すると、監視カメラが外部からのハッキングされ、リアルタイムに彼女を追っていたのではないか、さらにそのレベルでシステムを乗っ取ることができるのであれば、遠隔のまま電子ロックを外すことも可能でしょう。ネズミと彼女の動きに合わせて、扉を開けているのではないでしょうか」
「あそこの監視カメラや電子ロックの管理は外部セキュリティだよね。――鈴木副社長、また怒るだろうなぁ」
「ここのところ、出し抜かれ続けているからな」
「ですが、幼少期よりクローン研究に勤しむような少年が相手では、優秀なエンジニアが出し抜かれても、納得してしまうところではありますね」
「この誘導が松宮研矢と断定されたわけじゃないけど、まぁ彼の部屋のパソコンからハッキングされた日と一致してるしね。ほぼ確実だね」
「で、彼女のゴール地点は?」
「人工頭脳を頭部に組み込むエリアのパーツ置き場です。その後はまた同じルートで帰っています。――地上に着いた後は、彼女は黒いヘルメットを被った黒と青のカラーリングのバイクの後部に乗って消えました」
「ネズミは?」
「彼女の服の中に入って行きました」
「メルヘンだなぁ」
「だからそんな平和な世界線ならな」
アイビーがくどいように言う。
「まぁそうなんだがね。――さて、研矢君の入れ替わりは、卒業式の日か、その少し前あたりか。それより前としても鷹田が春頃と言っているからそれほどタイムラグはないんだろう。弓佳さんの入れ替わりがいつだったのかは気になるところだけど」
「八階は彼女以外無人のことが多いと言うから、入れ替わりは難しくなかっただろう。普段は病人のふりをしていたということか」
「それはどうなんでしょうか」
「どうとは?」
「研矢さんは、自身がクローンであることに気付いていなかったのでしょう? どのように行うのかはわかりませんが、記憶の移植のようなものがあった――。ですが、弓佳さんはずっと寝たきりであったのなら、記憶を持たない。入れ替わりによる齟齬は発生しない。本人は自分が本物か偽物かなんて意識しないでしょう。普段は病人のふりをして寝ておいてください、なんてさせられます? もちろん、薬を使って眠らせることはできますが、そんなことをさせる必要性を感じないのですが」
「――確かにね。機を見て、奇跡が起こったとか言って生還劇を演じさせるほうがいいね。――松宮研矢が、妹を助けたいという善意の気持ちでクローン育成したのなら、ね」
「……タイトの意見も聞いてみるか」
「頼んだよ。でもまだ無理させたくないから、そのあたり気を付けてね」
「それは難しい頼みだな。こっちはさせる気がなくても、彼がじっとしていない」
アイビーの言葉に、紀伊国は困ったような表情を浮かべた。