美都が連れてきた新入生、篠崎という男は乗馬経験もなく、全くの素人であった。もちろん初心者だって入部大歓迎である。
部長である舞羽がオリエンテーションとして厩舎を案内して回る。高等部はまだ授業中で、大学生の部員たちは他で仕事をしているのか、見当たらなかった
「あれ?」
一つの馬房の前で舞羽は立ち止まる。馬房の中の馬が前肢で地面をかいているのに気付いた。
これは『前がき』といって良くない癖である。何か欲しがっているときや、お腹が痛い・暑いなどの意思表示で、お手をするように前肢で地面をカリカリする。
本当に何かを知らせる場合もあるし、そうではなく、むやみにやらせたままにしていると蹄を痛める。
ここの厩舎はオガ粉の下がコンクリートになっている、何かの要求ではなく癖ならば、ゴムマットを引くなり対応が必要となる。
「ごめん、ちょっと待ってて」
そう言うと、舞羽は篠崎から離れる。馬の緊張をほぐすための微笑みを浮かべながら首を傾げると、舞羽は馬との世界に入っていくように、その瞳を見つめた。
初めて馬を間近に見た篠崎は、少し興奮していたのかもしれない。慣れない臭いが、その思考を鈍らせていたのかもしれない。
いずれにせよ手持無沙汰になった篠崎は、馬の鳴き声につられたのか、色味の足らない狭い厩舎を嫌がるかのように、フラフラとその場を離れる。
そしてブラシを掛けられている馬を見つけた。
馬が気持ち良さそうにしているのが、篠崎でも分かる。ブラシ掛けしている人間は馬の陰なのか、背を向けているのか、なんにせよ想定外の事態に気付いていない。
「あっ! ダメ!」
駆け寄ってきた舞羽が短く声を上げ、篠崎の腕を引いた瞬間であった……不用意に後ろへ入った人影に驚いた馬、シャルロットが、その後肢を蹴り上げた……。