「ええ、神社カフェの話だめなのぉー」
本気の不満顔でそう言われたのは、初秋のある朝、社務所を開けるための準備をしている時だった。
そんなあ、という顔を思い切り遠慮なく柚真人に向けているのは、皇神社の神職のひとり――橘飛鳥だ。
「……あれはお前の入れ知恵だったのか」
柚真人はそう言って、飛鳥――柚真人の従兄弟であり、付き合いは幼少の頃からであり、ついには神社に就職してくれてからもすでに長く、柚真人との腐れ縁を自ら好んでずっと作り続けてくれている男だ――に軽く呆れた目つきを向けた。
神社カフェ、というのは昨今様々な神社で真面目に流行の兆しを見せている神社境内におけるカフェ運営のことだ。最初にその話を向けられたのは、先日、弁護士の優麻からであったと記憶しているが――と柚真人が思ったところ、
「ちがうちがう。この間、優麻さんとそんな話になってさ。え、絶対いいじゃん、ておれが勝手に思ったの」
優麻には、一蹴したはずだった。なのに今になってなお、飛鳥がその話題を自分の前に引っ張ってくるとなると、あの弁護士、案外と諦めていないのかもしれない。などと、柚真人は思った。
「それでなくとも忙しいのに、このうえカフェなんてやってられないだろうが。お前ら、うちの仕事をなんだと心得る」
柚真人はふたたび、飛鳥に向かっても一蹴しにかかる。しかし飛鳥は食い下がろうとする。
「いやそこはほら。おれと緋月ちゃんでまわすからさあ」
「なんでもかんでも緋月を巻き込んでやるな」
「でも、緋月ちゃんにも話してみたけど、けっこう乗り気だったよー? 軌道にのればけっこう儲かっちゃったりして」
話したのか、と柚真人は天井を仰ぎたい心地になった。緋月、というのもまた柚真人の従妹で、飛鳥と同じく付き合いは幼少の頃から。現在は飛鳥とともにこの神社に勤務する神職である。
もともと、飛鳥の家である橘家と、緋月の家である暁家は、この皇神社の神職を宮司家である皇とともに継ぐために代々続いてきた社家のひとつであったから、そう考えると彼らの現在地は順当なものではあったろう。けれども皇の当代には色々な面倒事と問題が、現在進行形で付きまとっている。そのため、柚真人は社の宮司として、飛鳥と緋月が人生の進路を決めなくてはいけない頃に、今後一切この神社に関わらない生き方をしてくれてもよいと告げたのだった。それでも、自分たちで好き好んで柚真人についてきてしまっているのが、この二人だ。
「じゃあさー、せめてキッチンカーとか。どうよ」
「どうよじゃない。断るっての! カフェ、から、離れろ!」
優麻はもちろんのことだが、飛鳥や緋月とのやり取りも、昔からかわらない。柚真人が人の時間を離れ、二人との間に容姿的な意味では年齢差が開いてきたが、そんな今でも、飛鳥は飛鳥、緋月は緋月だ。そんな二人が、今もここにいてくれることには、柚真人も助かっている。だからとくにこの二人には、あまり強く出ることもしないのだけれど、それにしたって神社にカフェをぶちたてようよするのはなんとかやめてもらいたい。
「だいたい……この先ずっと、そんなものを境内に維持する方の身にもなってくれ」
柚真人がそういう言い方で仄めかすのは、自分がそのことについて何故ダメだというかの理由のひとつだ。その他にも、理由ならいくつかある。だがそう言えば、さすがの飛鳥にも伝わるはずであると思う柚真人である。
「……やっぱり、だめえ?」
飛鳥はなお、――その年齢の成人男性がするにはあまりにあまりなしなのようなものでもって柚真人に重ねてくる。
「ご当主様、お菓子作りの腕もあいかわらずプロ級だし、最近またいろいろ作ってくれるようになったから、もったいないなー、と思うのにぃ」
「……見ず知らずの他人に食べさせたくて作ってるんじゃないよ。おれは『家族』に作ってる」
柚真人が返すと、飛鳥はついに言葉に詰まったようになり、
「――ずるいぞ柚真人! 殺し文句ゥ!」
と喚いた。
それでも、こっちも飛鳥がそう受け取ってくれるだろうことは織り込みで口にした。狙った通りの飛鳥の反応なわけだが、その反応を、確かに少しばかり嬉しいと感じる自分がいることに、いまは、感謝すべきなのだろう。
そんな現皇家当主の後姿を近くに見つめながら。
――ほんと、ずいぶんとまるくなったねえ。
と、思う橘飛鳥である。
今の柚真人は、自分からちゃんと『家族』といってくれる程度には、自分や緋月のことを、大事に思い、やがて自分の傍らから失われていくであろうことを惜しいと思ってくれている。柚真人が、言外にでも、そう、こちらに伝えようと思ってくれることに――満足すべきなのだろう。
自分としては、真逆の意図を含ませて、神社カフェには賛同したつもりであるのだけれど、ここのところの食い違いはそのまま飛鳥と柚真人の性格の質の違いだ。である以上、もはやいかんともしがたいものなのかもしれない。飛鳥としては、そろそろ柚真人に遺すものを考えたい。そんな気分になることが多くなってきた。
たとえひとりになろうとも、ここへ残るという選択をしたこの従兄弟を、自分はひとりにはしたくない。そう願っているのである。
もちろんこの先の状況は、まだ、どうなるのかわからない。彼がひとりで残される。それが確定しきっている未来というわけでもない。彼の願いが叶う日が、あるはすぐそこまで迫っているのかもしれない。それならそれで、こんなに喜ばしいこともないのだけれど。
――お前の懐に、入れてもらった。当主と従者の垣根を越えて、信頼と友情さえ越える絆と呼んでもいいのであろうものを得た。
それだけで、納得しなきゃいけないおれが、けっこう寂しいんだよねえ。
そういう想いが、ちょっとだけ小さな溜息になって飛鳥の鼻先から洩れると、敏い柚真人は、
「――なんだ?」
と、飛鳥を振り返る。
「なんでもない、よ」
飛鳥が、自分とは確かに同い年ながら十数年前から歳をとることをやめてしまった従兄弟の顔を見返して嘯いた時、
「おはようございます。朝の清掃終えてまいりましたわ――」
巫女装束に身を包んだ緋月が社務所に顔を出した。清掃とは境内の清めのことだ。神社では、毎朝夕に行う。緋月は柚真人の姿を認めると、まず柚真人に深々頭をさげ、それから飛鳥にもいつものように微笑みかける。おそらく、飛鳥と似ていてそう非なるものでもない想いを、同じく胸には抱えながら。
皇神社の秋のある一日は、そうして始まった。
☆
その後、朝拝のために、三人は本殿へ移動する。
三人の他の、非常勤の神職やバイト扱いの巫女などとは、ここでいつも顔を合わせる。当日の勤務者全員が揃うと、ここで毎朝大祓詞を奏上する。
その間、飛鳥はいつになくなお、過去のことに記憶と思索を巡らせた。
あれは、確か高校二年生のときの、文化祭が終わった次の日の出来事だと記憶している。
その日、柚真人の妹である司が消えた。
消えたといっても、言葉でいうほど単純なことではない。司が消えた日は、おまけに柚真人が倒れて意識不明となり病院に担ぎ込まれるし、神社の本殿とその後ろ手にあった皇の家は何某かの原因で爆発炎上して半壊してしまうし、なにがなんだかわからないことがいっぺんに起きた。
あれは、そういう日だった。
そうして、飛鳥は知ることになった。自分の生まれた家とその主が継承するとされていた『勾玉の血脈』というものが、真に何であったのか。柚真人と司の両親がいつも家におらず、弁護士が後見人として常駐していたのはどうしてか。柚真人と司の上にいるはずの長兄が、弟妹を弁護士に任せて何をしていたか。柚真人と司の生家であるはずのこの家で、過去に何があったのか。それが何を意味しているのか。柚真人と司が、『何者』であるのか。
聞けば背を向けることは許されず、こちらの世界で生きることになる。そう前置きをされたけれど、飛鳥は、その時にすべてを聞いたのだ――鎮護官、と名乗る人物から。
その後、病院で意識を取り戻した従兄弟と対面した。
その時何があったのか。どうして柚真人が司のもとを離れて病院に担ぎ込まれる事態になったのか。柚真人は、多くを語らなかった。
ただ、起こってしまった出来事とあまりにもなすすべのない現状に、柚真人は平静を保つことも難しい状態にはなっていた。柚真人自身、司の身になにがあったのかわからないということと、何かが起きたらしいその瞬間に自分の手で司の身を守れなかったということが、重かったようだ。くわえて、その原因が自分にあるとも思っていたようだった。
柚真人や鎮護官とかいう人物から聞いたところによると、あの日、あの時、どういうわけでかはわからないが、柚真人の中に封印されていたものが壊れてしまって、それがそこいらじゅうの良くないものを呼び寄せてしまうことになったのだとか。
柚真人が意識を喪失したのはその衝撃のため。しかし柚真人は、その時に司と一緒だった。司は、おそらくその場で機能不全に陥った柚真人を守ろうとして、こちらもその中に封印されていた本来の力を目覚めさせてしまった。
司には、どうやら皇の巫女としての属性よりも大きな、何かさらに特異で大きな力のようなものがあったらしい。けれどもそれこそが司の中の目覚めさせてはいけないものであったらしく、それによって司が失踪する事態となってしまった。
自分が、もっと、なにか、違う行動ができていれば、と。
柚真人は強く強く自責したのだと思われる。
――司ちゃんて、ただふつうにオバケが苦手な女の子ってだけなんじゃなかったの。
――それは反動なんだよ。大きすぎる力の。
――反動。
――ああ。自分の力が大きいぶん、その力と下手にかかわるとどうなるか、本能であいつは理解して、怖がっていた。だから、仕事にも神社にもかかわらせていなかったんだ。ただ、そろそろそれも限界で、なんとかしないとって時期にもさしかかっていてな――。
自責のうえに苦悶と後悔をさらにあつく塗り固めたような表情で柚真人が言っていたのを、飛鳥は覚えている。
その後、ほどなくして表面上の冷静さは、取り戻したように見えた柚真人だった。
しかし、明らかに柚真人が変わってしまった。
柚真人からは、自分がもともとの『皇柚真人』とは別の存在であることと、そんな自分には特異な『前世』があり、これが今の自分と本来の『皇柚真人』だった存在を分け隔てるもととなった、という話も聞いた。
以来、柚真人は飛鳥や緋月をこれまでのように皇の事にからわらせなくなったし、接し方も態度も冷淡でよそよそしくもなっていった。以前のようにみんなで学校のあとで皇の家に集まったりすることもなくなったし、そもそも飛鳥や緋月が皇神社に足を向けることも減っていった。顔を合わせることも、むしろ学校でしかなくなってしまったくらいで、辛うじていつも皇の家にいた弁護士が時々仲介役のように飛鳥たちのことも気遣ってくれたっけ。
当時、一時期は、飛鳥の方もそれでもいいのかと思ったこともあった。なにより、そんな重大な諸々のことを、飛鳥と緋月に、柚真人と皇の家の人間は、教えてくれなかったのだ。こっちにしてみたらなんの疑いもなくすごしていた時間が、嘘と秘密で塗り固められたものだった。そのこと自体が少なからず衝撃的ではあったし、なんだ、最初から自分たちは信用されていなかったのか、という思いにも至りはした。
でも、もともと飛鳥自身が、そういうふうに屈託のある方向へと物事を考えたり切り捨てたりする性格ではなく――今にして思えば、それがよかったのかもしれない。
飛鳥は柚真人が好きだったし、少なくとも友達ではあると思っていたし、家同士の関係でいえば己の主たる人間だとも定めていた。そうやって付き合った自分自身の肌の感触で、柚真人の性根のところの人の好さや、殺しきれない優しさのようなものを信じるべきだと思っていた。
柚真人はおそらく、飛鳥たちを信用できなかったから真実を隠すような行動をとったのではない。何も知らず、なんの覚悟ももたない飛鳥たちを、いたずらに、巻き込みたくはなかったのだ――と。
だから、飛鳥の方でも己の感情の処理等に少し時間はかかったものの気を取り直して、定期的に自分から柚真人の様子をうかがうことはやめなかった。
逆に、ここで自分がこいつを放り出したら、こいつはなにかもっと極端な方向に走り出す――そんな危うさも、柚真人からは感じられたものだ。それもあって、柚真人を自分の方から放り出すことはしなかった。
その甲斐あって、柚真人にまた少し変化が出てきたなと思ったのは、飛鳥たちが大学生になってからのことになる。
大学は、緋月もそろってまた3人で、同じところへ通うことになった。もっとも、その頃には飛鳥も緋月もともにお互いの硬い意思でもってとるべきひとつの進路を決めていた。そのため、都内で唯一、正式に神職の資格を取得することが可能な神道学科のある大学へ進学する必要があったのだ。
もとは理系を進路にしていた飛鳥にしてみれば大幅な進路変更であった。でも、飛鳥も緋月も、生涯、柚真人と同じ神職として皇神社の中に入って柚真人を支える立場に徹することに異存はなかった。
これまでのような遊び半分興味半分でなく、自分たちが引き継いだとされる力と血と役目に従い、皇の家に従う者であることを全うするために。
それでも柚真人は、飛鳥と緋月に対しては、そうしたければ勝手にしろ、俺にとってはどうでもいい、くらいの距離でいたのだけれど――。
そういえば、きっかけはあったかもしれない。
はっきり、柚真人が、ふたたび飛鳥や緋月と向き合おうと腹を括った顔を見せるようになった、きっかけは――。
大学、二年生の、夏季休暇が終わった頃の話だ。
同じ大学の、女の子の友達二人組に誘われた。いや、誘われたというよりもあれは、人数合わせというか念のためというか一応というかなんというか、ともかくそういうやつだったと思うが――ちょっと、付いてきてくれない、橘君なら、頼れると思うから、と。
その時の彼女たちにとって飛鳥はいわゆる人畜無害な男友達という立ち位置で、もともと女の子と軽い付き合いをするのが好きだった飛鳥には大学時代、そういった女友達が多かった。彼女たちが何に付いてきてくれないかと飛鳥に言ってきたのかといえば、ドライブがてらとある心霊スポットへ、で、それが不味かった。
心霊スポットなんて言われても、飛鳥にしてみれば慣れたバイト先のようなものだし、本当の本当になにかが起こりうる心霊スポットなんて言える場所は実はあまり多くない。夏の名残を惜しむような季節の中で、女の子たちがちょっとこわがりたいんだろうな、くらいの認識で、その時の飛鳥は女友達に付き合うことにした。
そんな軽い気持ちで了解したあと、飛鳥は、チラッとそれでもいちおうは柚真人に話をしておこうかなと思わなくもなかった。しかし当時は、柚真人とはそんなふうにちょっとぎくしゃくした関係だった。話して相談してみたとしても、止めておけと鼻先で一蹴されて俺は忠告したからなとかなんとか突き放されるであろうことが目に見えた。少なくともその時の飛鳥には、そう思えたのだ。
当日、待ち合わせると二人の女友達の他に、初対面の、少し年上と思われる男性がいた。どうやら彼女たちはどこだかでその男と知り合い、その日の約束となったらしかった。約束はしてみたものの、そこまでよくも知らない男性が相手だ。ははーんなるほどだから自分に付いてきて欲しいとなったんだな、と飛鳥にも推察できた。聞けば男も怪談マニアというか心霊マニアというかそういうやつであり、ナンパの手口としてもまあまあありがちな話だった。そんな成り行きでその日、ドライブがてら目指すことになったのが、地図に無い村、だ。これもよくある怪談の一種だ。また、女の子を夕方から夜にかけての時間に、ドライブなんかに誘いやすくもあっただろう。
地図に無い村。何某かの悲劇惨劇があって封印された村。そんな話は、昔からいくつかあるものだ。しかし実際そんなところがあったとしてもドライブがてらの肝試しなんていう短絡的な行動でたどり着けるものではなかろうと飛鳥は思った。だが――。
あったのだ。その、地図に無い村、というやつが。そこにたどり着くにはいくつかの目印があるという話で、なんとも気味の悪い目印を、飛鳥と、女友達二人と、自称怪談マニアの男を乗せた車は越えた。目印は、細い山道を塞ぐように、両脇の樹木から垂れ下がったロープのようなものと、そこから少し進んだところにあった小さな道祖神像らしきものと、なぜか文字が読み取れないほどぼろぼろに錆びついた道路標識のようなものだった。そこからさらに数キロ、すっかり夕暮れになった山道を進んだところ、急に視界が開けた。そこに、まったくひとけのないかつては人がいたのだろう集落のようなものが現れたのだ。
この手の話には慣れている飛鳥でも、最初はさすがになんだこれと少し驚いたのを覚えている。飛鳥は、まがりなりにもそういう世界に触れてここまで生きてきたので、本当にまずいところに来てしまったらそれなりの構えがないと本当にまずいことになるということをよくよくよく知っていたのだ。一方、女友達と怪談男はちょっとはしゃぎながら車を降りて、村の探索を始めた。空は赤く焼けていて、そのためか地上に見て取れるあらゆるものが黒々としたシルエットになっていて、その光景は異様に得体が知れなく怪しかった。
とはいえ、飛鳥は素人ではない。彼女たちの後について、その集落の名残のような場所をそぞろ歩くうちに、気が付いた。ここは、言うほど心霊スポットというわけではない。
確かに、なにかよくわからない場所ではあろう。道中、怪談マニア男から聞いた話によれば、昔――昭和のはじめごろ、謎の訪問者がやってきて、その訪問者に村中の人が殺戮され、滅んだ村なのだということだった。そのため村は地図からなくなったが、村の跡地には怨念が凝り、人を呼んでいるのだとかなんだとか。けれども、飛鳥はなにも感じない、と思ったのだ。ここで、本当に何があったのかはわからない。しかし、ここに、少なくとも怪談男が語るような、人の無念や怨念の凝り、そういったものがもつ生者に対する悪意や害意のようなものは感じられない。
ただ、ふと気が付いてみると赤く焼けた空がいつまで経ってもそのままで、夜になっていく気配がなく、ここが普通の場所でないことだけは確かであった。飛鳥の識っている言葉で言えば、一種の異界、幽世の類か。だとすると、あまり長く居てはいけない気がする。というより、ここから出られなくなる可能性が、ある。そう思って、飛鳥は一緒にやってきた女友達二人を呼んだ。飛鳥がつらつら考え事をしながら、朽ちた建物の間や、伸び切った草むらをかきわけたらいしている間に、彼女たちの姿が飛鳥の視界から消えていたからだ。何度か、彼女たちを呼んだところで、背後でガサっと音がした。飛鳥はその音に振り向いた。そうして――。
気が付いたら、どこか暗い、建物の中にいた。意識が覚醒すると同時に、頭と背中が猛烈に痛み、何があったか脳裏に思い返した。背後で音がしたと思ったら、あの怪談男がいて、いきなり、でかいスコップだかシャベルだかのようなものを振り下ろしてきて。背中と、頭を殴られた。ヤバい感じに痛いなと思って自分で頭を触ってみると、指先にぬるっとした感触があった。あ、血が出てる。ということはマジでヤバい。自分で思うにちょっと軽く起き上がれる感じでもないし、このままここにいたら自分はたぶん戻れなくなる。というより、あの怪談男、なんなんだ。女の子たちはどうしたろう。いやそれ以前にこの状況、どうしたもんだろう。とにかく、起きなきゃ。
そう思ったものの、なんだか意識が遠くなりかけた。痛みのせいと、けっこうな出血量のせいだった、たぶん。いやいやいや、ちょっと待て。マジで。こんなところでこんなことになってる場合じゃないんだけど俺。と、思った時。
自分がいる何某かの建物らしきものの外で、音がした。がたん、とか、ばさ、とか、どさ、とか。ひぇ、なんだ、と飛鳥が思った時、なにか扉のようなものがガラッと開く気配があって、
――ったく、なにやってんだこのバカ!!!
ええ、と思った。見慣れた白い神職服に身を包んだ、柚真人――だったのだ。
なんでこんなとこにお前が? どうしてわかった? と思った飛鳥だったが、飛鳥は物理的に真面目に重症であったらしい。柚真人が本当に真面目に厳しい表情をしているので、飛鳥はいつものような軽口を叩こうともせず、黙って、柚真人に従った。歩けるかと言われて肩を借り、建物らしきものの外に出ると、相変わらずの赤い夕焼け様の空が見えた。四囲は山と山林に囲まれたようなシルエット。時間の止まった村。柚真人も黙って飛鳥に歩くように促した。従って、村の、飛鳥たちが入ってきたあたりまで来ると、見覚えのある車が止まっていた。運転席にも見慣れた人物がいた。優麻だ。柚真人は優麻を伴ってここにやってきたらしい。そこで、飛鳥の記憶はいったんとぎれている。そしてふたたび気が付いたときには病院だった。
頭を切って、数針縫った、大事を取って数日入院してもらうが、いまのところ頭蓋に異常はないと言われた。飛鳥が、そこで柚真人に事情を聞いたところによると。
飛鳥と女友達二人をあの場所に誘った怪談男。そいつが、質の悪い殺人鬼だったというのだ。殺人鬼に質の良いも悪いもあるかという話だが、そいつはあの場所を自分が手に賭けた被害者の屍体の隠し場所にしていた――というのだから質が悪いといえば悪いのだろう。そいつがなぜあの場所を知っていて、あの場所が何であったのか、と飛鳥が病院のベッドで柚真人に問うと。
――あの場所が、かつてある来訪者によって滅ぼされたというのはおそらく本当だ。そのいきさつについてまでは俺にもわからないが、それがきっかけで、道が閉ざされた。そういう場所は存在する。
――一緒だった女の子たちは? あの男は、どうしたわけ?
――残念だが、それについては俺が一歩遅かった。男の姿は無かったから、もうあの場所をそいつは出た後だったんだろう。
――え。ていうことは、あの子たち、あいつに。
――そういうことだ。たぶん常習で、あそこにはもっと遺体があるだろう。殺しの癖のある人間が、たまたまいい場所を見つけてしまった。そうして、その場所に出入りする方法を覚えてしまった。そういうことだ。
――ええ……じゃあ、警察に……。
――いま、いい場所、と言ったろ。常人からは入口の閉ざされた異界だぞ。警察にたどり着けるはずもなければ、遺った遺体が証拠になるはずもない。お前の友達は、現実世界では、行方不明、だ。それ状には触らない方がいい。
――ええ…………。
応える柚真人は淡々としていた。少なくとも飛鳥にはそう見えた。
しかし、どうして飛鳥自身が柚真人に助けられたのか、という話になると、
――お前たち、学食で話をしていたろ。
――ああ。そういえば。
――聞こえた。なんというか、止めておけと言いたくなるような話が。
――っ、はあ!? じゃあ、止めてくれれば。
そういう言葉が飛鳥の口から出たのは、自分だけではなく、友達が一緒だったからだ。柚真人の口ぶりからは、あの女の子たちはもう助けられるような状態ではないことが推しはかれた。だから、もし、わかっていたならその時に止めてくれればと、飛鳥は瞬間的に思ってしまったのだ。だが、飛鳥がそう言ってしまったときの柚真人の表情は、完全にそう言われることを予想していたであろう表情で。
――そのときに、そこまでわかれば止めていた。
――……。
――お前たちが、おそらくその村に向かって出発した後だったんだ。過去の被害者のひとりと思われる女性が、俺のところにやってきた。
――やって、きたって。
――神社に、だ。お前たちが話していた学食でも霊視た女性だと思った。だがその時は、お前たちの話に関連した御霊だとは思わなかった。黙って、学食の隅に立っていたからな。もっと彼女がなにかしら外に発しようとしていたら、お前が気が付けただろう。でも、彼女も男に殺された被害者だ。話に乗り気になってるお前をも、彼女は警戒したんだろう。ただ、彼女の方は、その時に俺とお前の関係をなんとなく感じたんじゃないか。俺の方は、お前のことをそこそこ気にして聞き耳立てていたからな。それで、当日になって、俺の前にあらわれたんだ。
――……。
――もっというと、その御霊は、そもそもは男に憑いていた。男が、お前の友達を怪談話で釣ったときに、お前の友達に、警告を発しようとした。だが、受け取る方に感受性がなければ、御霊の存在は伝わらない。俺のような者が、汲み取らないと、な。
――……そっか。そうだよな……いや、ごめん。悪い。わかってる。……わかってたら、止めてくれてたよな。
――だから、急いで追いかけたんだ。村までの道順は俺のところにきた彼女が覚えていた。特徴的な目印が三つあっただろ。
最初に見えたロープ。それが何某かの呪術の名残だったのではないか、と柚真人はいった。その村が、まだこちら側に在った時にその村を訪れた来訪者には、何かの目的があった。その呪術のせいで、その先の道が閉ざされたのではないかと。飛鳥には、もうひとつ気がかりなことがあった。それは、飛鳥たちが同行していた男の行方だ。
――あの男は? 殺人犯なんだろ? だったら……野放し、ってわけ?
――そうだな。お前が正確な似顔絵を描けるとか、車のナンバーを覚えているとか、そういうことでもなければ。車は、レンタカーだとは思うが。
――俺は、なんで殺されてないわけ。
――男に、そういう傾向がなかったんじゃないか。殺したくなるのは女だけ。……だったとしても、あそこにああやって放置しておけば、お前は村を出られないはず。過去にもそういう成功体験を積んでるんだろう。あの場所は、探せばきっとそういう同伴者も含めた屍体だらけだよ。
ただ、柚真人はこうも言った。その男が、あの場所を知っていて、たどり着けたのには理由がある。もしかしたら、最初に村を訪れたという人間と、なにか因縁があるか、血縁があるか、するのかもしれない。調べればわかることもあるだろうから、いちおう陵に伝えておいた。――陵といいうのは、飛鳥の橘や、緋月の暁と並んで皇の一族を形成する神職家のひとつだ。今は神職能力を喪失しているが、警察関係に幅広い力とネットワークをもっている。皇は、こんなふうにして、人の不可解な死に触れる機会が多い。ゆえに、法律や警察の側から、不可解の解明を促すこともあり、またそれが皇の役目だ。
飛鳥にとっては気持ちの悪い話だった。けれども柚真人は、涼しい顔で飛鳥に言った。
――報いはあるさ。『俺たち』に把握された以上はな。それが俺たちが『勾玉の血脈』を継承するっていうことだ。