通常、英雄として装甲を纏う前から、ベース能力を十全に発揮できる存在は、一年次ではありえないとされる。何故なら、通常時からそれを発揮するには二年次学習領域の履修、マスターが必要不可欠とされるからだ。
しかし。今善吉の顔面をフルパワーで殴り抜くその一撃は。
正しく、天から齎された、落雷そのもの。礼安の学習の成果であったのだ。
舗装されたはずの地面が、激しくめくれ上がる。人間が生み出すには異常な、魔力と衝撃の融合。それに加え、礼安の一撃によって意識を激しく揺さぶったことにより、エヴァの完全拘束も解かれた。
しかし、彼女が釘付けになったのは、激しい怒りを露わにした礼安であった。
「――礼安、さん」
これまで、どうしようもないろくでなしであるグラトニーに対して、怒りの拳を叩き込んだことはあった。その件に関しては、エヴァ自身は目撃しておらず、透からの又聞きでしかないのだが、それの比にならないほどに、彼女は怒っていたのだ。
本来ほんの少し青みがかった白銀のロングヘアが、魔力の奔流と度を越えた雷が齎す静電気により、超高電流を纏いながら逆立っていたのだ。まさに、怒髪天を突く状態であったのだ。
被害者の数によって格付けするだなんてことは無い。しかし、これまで多くの罪を重ねてきた上に、悪びれもなくその次すら実行に移そうとする、その醜悪かつ悪辣な精神が、礼安の滅多に見せない『激情』あるいは『憤怒』を形にしたのだ。
本当に怖いものは、滅多に怒らない人の怒った姿、と言われることが多いが、まさしくこの様子こそ、その状況であった。
そして、そんな彼女の姿を目撃したエヴァは、ほんの少しではあるが恐怖していたのだ。善吉の力をただの根性と怒りのみで跳ね除け、圧倒的爆発力で拳を叩き込んだ。その一連の流れが、常軌を逸していたからこそであった。
意識が飛んだ善吉であったが、すぐさま出血多量状態をどうにかするべく、眼鏡が完全に使い物にならなくなった中、礼安の傍から離れ、体勢を立て直しにかかる。逃げる際にも、地面に対し大量に頬裏からあふれ出る、どす黒い血を吐き出しながら。
(おかしい、おかしい!! 瀧本礼安、アイツの力はおかしい!! ただの怒りで、しかも誰かから感じ取ることすら出来なくした状態で、なぜ感知できた!?)
理由を脳内で探ろうとした時、どこからともなくドライバーによる変身音が聞こえた。
そしてそれは、善吉自身に『命の危機』と言うものが何なのか、を教えるには十分であったのだ。
『アーサー×トリスタン、マッシュアップ!! アースタンフォーム!!』
蒼雷と共に、装甲を瞬時に纏う礼安。頭部装甲から覗く彼女の表情は、これまでにないほど激昂していた。ゆえに、この状況を危険視した。通常の総高出力よりも、遥かに
過重放出された魔力の奔流は、これまでの比にならないレベルであったのだ。
めくれ上がった地盤による視界の遮りで、善吉はほんの少し理解が遅くなった。しかし、彼女のその爆発的な力を感知して、そして目の当たりにして、平静を装っていられるほど、善吉は戦闘に秀でた存在ではなかった。
声にならない怒りの声をあげながら、善吉の腹部に叩き込むはフルパワーの乱暴な蹴り。臓物も、骨も、一瞬にして肉体内で爆散し、亡きものになる。
盛大に喀血し、礼安の頭部装甲を濡らすも、それは目つぶしにすらならず、ただひたすらに原動力となりうるのみであった。
その返り血、隙間から覗く彼女の瞳は、今までの温厚な彼女などどこかへ捨て去ったような、獲物を前に血走った眼の獣のよう。
煉瓦で舗装された道を何度も叩きつけられながら、大木すら胴体着地した衝撃で完全破壊、勢いを全く殺すことが出来ない中で、何とか足を踏ん張り後ずさりながらも完全着地。
その際にも、足の骨を折らされるほどの被害を受けながら、必死にこの状況の打開策を脳内で何十も何百も試行する。しかし、どれも未熟者には効くだろうが、礼安のような激昂状態の超常的存在に、通用するとはとてもではないが思えなかった。
(不味いッッ、不味い不味い不味い不味い不味いッッッッ!! これまでの中で最も不味いッ!! プライドを優先して死ぬだなんて、そんなの馬鹿のすることだッ!!)
初めての、マグマのように沸き立った心が叫ぶ怒りのままに、礼安は型など関係なしの乱暴な拳を振るうのみ。怪人化をする暇もなく、善吉は次第に衰弱していくのみであった。
腕は治癒不可能なレベルまで折れ、ぶらんと垂れ下がるのみ。出血はかなりのレベルであり、あと数分もすれば出血多量にて死亡、なんて間抜けな終わりも視野に入る。
しかし、一瞬だけ行動が止まったのだ。なぜか、これまで自分の怒りのままに人間の姿をした鬼畜である善吉を屠っていたのにも拘らず、動きが制止したのだ。
それは礼安に原因があるものでも、ましてやエヴァが、半ば暴走する礼安を制止した訳でもない。傷心状態のエヴァに、眼前の仇を思いやれるほどの良心は残っていないからだ。
ならば、なぜ。その答えは至極単純。
血も涙もない、劣った人間を悉く見下し自分の駒としか見ていない、実に畜生同然である来栖善吉という男が、泣いていたのだ。
血に混じる涙であったため、頬のあたりで流血する血と混ざり合い、膝元で血だまりなのか涙だまりなのか、よく分からないエリアを形成していた。
しかし不思議だったのは、この男は声をあげて泣いているわけではなかったのだ。ただただ静かに、涙していたのだ。自身の親が亡くなった時でも、この男は一切の涙を流すことは無かった。自らの妻を手に掛けた時も、涙することは無かった。だが善吉は今、この時に久方ぶりに涙を流したのだ。
礼安も、エヴァも。たった五秒ばかりではあったが、その光景を理解するのに脳のリソースを割かれてしまった。
それが、彼女たちの最大の失策であったのだ。
脳で何を思うわけでもなく、まるで流動的な動作で、朝起きてからの自分のルーティーンを淀みなく行うように、実に自然な動作でチーティングドライバーを装着したのだ。無論ではあるが、『徳川家康』のライセンスを装填した状態で。
「――――、!! すぐに距離を取ってください礼安さん!!」
「そんなにあっさりと時を許すだなんて……貴女はどれほど怒ろうとお人よしですねェ。そしていくら忠告をしようと――――遅ェんだよメスガキがァ!!」
無感情の涙を荒っぽく拭ってドライバー上部を押し込み、すぐさま歪んだ魔力を辺りに満たしていきながら怪人化。既に感情が荒ぶった善吉は、眼前のお人よしをただひたすらに嘲笑していたのだ。
『お前は馬鹿みたいな膂力と能力を持っておきながら、結局のところただのお人よしな大馬鹿野郎だ!! どんな野郎でも改心出来るだなんて、思ってんじゃあァねえだろうなあああッ!?』
善吉の涙は嘘でできていた。礼安の第六感が怒りで鈍っている、そう確信したのかは定かではないのだが、彼は無意識のうちに涙を流していた。そうすれば、礼安の動きは完全に鈍るという推論からくる結論が、安易な作戦だろうが彼をそう動かしたのだ。
エヴァと葵の前でした、あの時の姿よりもさらに、各所が攻撃的なほど鋭利になっていた。自らの英雄から発露した武器である、『物吉貞宗・真打』と『鯰尾藤四郎・真打』はそのままであったが、人間に近い異形の姿であった見てくれが、怪人特有の捻じれが顕著なものになった結果、より生物の根源的恐怖を煽るような見た目に。
礼安の中に『恐怖』と言う概念が無いからこそ、この見た目による脅しが通用しないが、これがあの時ならば、とエヴァは戦慄していたのだ。
実際、現在の善吉のポテンシャルは前回を遥かに超えている。魔力濃度が、合同演習会にて礼安を襲撃した、待田の平常時に匹敵するほどの圧であったのだ。
そして何より。これほどの力を、あれほどの畜生が持ち合わせていることが、現状において最悪の事象でしかなかったのだ。
「――礼安さん、逃げましょう!! いくら修行を重ねた貴女であっても……今のアイツには恐らく敵いません!!」
そんなエヴァの、至極真っ当な指摘に対し、礼安はこれまで見たことないほどの冷徹無比な瞳を向ける。それはエヴァに向けてのものではないことは、重々理解していたのだが、これまで見たことないような一面に、彼女は自分の観察眼の甘さを思い知った。
「――エヴァちゃん。ごめんね……今回ばかりは、聞けない」
そう、彼女がこれまでどれほど自分の身を犠牲にして、誰かを助けてきたか。たとえそれが戦力において不利的状況にあろうと、そしてその傷つけられた対象が、赤の他人であったとしても。礼安は絶対に退かない。
特に、礼安は山梨の案件に手出しできていない。その現場に居られたら、もし善吉をその場で止めることが出来たら――そんなタラレバに似た無力さが、彼女の内にある限り、彼女は善吉に戦いを挑む。
「――アレは、エヴァちゃんを泣かせた。エヴァちゃんの『大切』を身勝手に奪った。そこに多少なり罪悪感があるのなら……少しは譲歩する道もあったけれど……」
それでも、善吉はどこまで行っても非情な男であった。だから、徹底的に許さない。
『何が許さない、だ?? 俺のビジネスのために犠牲になれるんだ、光栄に思えェェッ!!』
「――絶対に、絶対に許さない――来栖善吉ィィッ!!」
これまでにないほど、怒りを湛えながら。礼安と善吉が、千葉支部内で激突するのだった。