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第二百三十二話

ー/ー



「――それが、この千葉支部のこれまでであり、これからなのです」
「大規模な社会実験と、元暴五年条項への対策、及び受け皿、ですか……少々夢想家であることを除けば、実に殊勝な取り組みじゃあないですか」
 エヴァが先代からの取り組みに感心している中、礼安はどうも複雑な表情をしていた。
「礼安さん、話難しかったですか」
「いや、そんなことは無かったよ。英雄学の中に、そう言った条項とかの要素はあったし、皆が山梨県に旅している間に二年生の範疇もやったし……そこらへんは心配しなくても大丈夫だよ」
 殊勝な心掛けであることは認識している。しかし、その命題に取り組む『過程』が礼安にとっていただけないものであったのだ。
「――でもさ、私……これまでいろいろな案件を経験して、失ったものを取り戻してきたんだ。小学校高学年の時から、中学生全体で……色々あったから、その穴を埋めていったのは、全部感情の力なんだ」
 その大本に存在し、礼安を成長させてきたのは『感情』。例えそれが負の感情だろうと、大本に存在する感情の数々に触れてきたからこそ、ここまで強くなれたのだ。
「――人が争う根本にあるものが、感情と欲望だってのは……分かるよ。そして感情を一時的に貰って、平和な人にしていく発想も、悪くないと思うよ。でも……奪われた感情は、その人のところにいつか戻ってくるの?」
 一時感情がほぼ喪失状態にあった礼安だからこそ、失ったときの重要性は理解している。それが争いの元になるかもしれない、それが当人にとって不要なものかもしれない。それでも、失った後の世界でもそれを要するタイミングは確実にやってくる。
 その後に残る虚しさは、常軌を逸するものであり、当人を浮かせる要因でもある。
「――でも、勘違いしないでほしいのが……考えはいいと思うんだ。私も争い事は好かないし、そこに理由があるのも分かるんだ。あくまで――手段がよくないんだと思うよ」
 明確に否定しなかった理由は、元暴五年条項の受け皿になっているからこそ。礼安も、通常の世の中に、完全に足を洗った元反社会的勢力の人間がいようと、今一度犯罪行為に手を染めない限りいたって構わないと考える。その姿勢は受け入れるものであり、反社会的勢力と敵対する存在だからこそ、その存在の母数が減少するのは非常に喜ばしいことだと考える。
 あくまで礼安は、そのやり方に異を唱えたのだ。
「……いつか、その拝借した感情を返す……その算段は付いていたのですか」
「――正直なことを申し上げますと、返すつもりはありませんでした。ある程度研究を重ねていった結果……と言うより、昨今の世界情勢上、戦争や紛争は絶えません。長年の研究をいくら突きつけようと、争いの波は絶えません。マイナスな感情を返してしまったら、その先に待つものは――新たなる争いの火種になる。そう考えた結果です」
 しかし、和井内の表情は非常に暗かった。それは、その導き出された結論が間違っている、と自分でも重々理解していたからこそだった。
「……この感情たちは、長い年月をかけて集めてきた物です。ですが……研究はある程度行き詰ってきました。その為……時間はかかるでしょうが確実に返しましょう。それが――」
 そこまで和井内が言いかけた中で、監視カメラの映像に動きがあった。園内で騒ぎが起こっている様子が映し出されていた。そこに映し出されていたのは、自分たちを襲った一般人と同じ挙動をした存在であった。
 その瞬間、和井内は瞬時に理解した。
「――まさか、これら一般人が暴走した原因は……その欠落していない感情によるものなのか……!?」


 昇降機から降り、表層に出る三人。各所で騒ぎが起こる中、和井内はこの状況を憂いたのだ。
「……本当に申し訳ありません、結局我々の研究による弊害が……生まれてしまいました」
「どういう……ことなの?」
 端的に語るならば、喜怒哀楽の内怒と哀を無くし、喜楽しかなくなった存在が、善吉による洗脳を受けた結果、マイナスの感情を抜きに、戦いに悦楽を感じる一般人を量産したのだ。
 有り体に言うならば、狂人そのもの。皮肉にも、争いの要素たる感情を省いたことで、それ以上の存在が生まれてしまったのだ。しかも、それら一般人相手に、英雄が手出しをすることは半ば無理に近い。下手に傷つけでもしたら最後、一生残る不本意な傷跡が生まれてしまう。
 しかし、この状況でも和井内は事態の解決に動き出したのだ。
「――我々が、一般の方を何とか抑えます。それで……貴方がたが動きやすくなるのなら、我々が何でもいたしますゆえ」
 その目に嘘が無いことは、第六感の無いエヴァでも理解できた。ただ無言で頷くと、一旦和井内と別れサンドリオンの城を後にした。
「礼安さん、申し訳ありませんが、今の私は正直使い物にならないと考えてください……愛用の鍛冶用小鎚はありますが、あの一対の剣は……山梨の一件で大破しました」
「――そっか」
 そうとだけ言うと、礼安はエヴァを前に立たせることはせず、先陣切って市民の誘導に動き始めたのだ。エヴァも勇敢な彼女の助けになれれば、とすぐさま動き出した。
 エントランスは和井内の一言によって開放し、感情もすぐさま返還。即断即決の振る舞いに感心しながら二人は避難させていた。
 その時であった。
 漆黒のスーツ姿、そして漆黒のフレームの眼鏡をかけ、一般人の中に紛れていたある存在。
 エヴァは、その存在を目の当たりにした瞬間、怨嗟の声が口から漏れ出そうになった。しかし、唐突に口が不思議な力によって封じられる。そして魔力の反応や感情も操作される。

「――すみません、そこのお嬢さん。出口をお聞きしていいかな。私は少々方向音痴なので……心配なんですよ」

 礼安は正体が分からない。しかし今口を封じられ、礼安の感じ取る第六感すら読み取れないようになってしまったエヴァは、この男の全てを知っている。

 そう、礼安の目の前に。山梨県を大混乱に陥れた元凶たる来栖善吉(クルス ゼンキチ)が、何食わぬ顔かつ一般人に紛れ、助けを求めていたのだ。



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「大規模な社会実験と、元暴五年条項への対策、及び受け皿、ですか……少々夢想家であることを除けば、実に殊勝な取り組みじゃあないですか」
 エヴァが先代からの取り組みに感心している中、礼安はどうも複雑な表情をしていた。
「礼安さん、話難しかったですか」
「いや、そんなことは無かったよ。英雄学の中に、そう言った条項とかの要素はあったし、皆が山梨県に旅している間に二年生の範疇もやったし……そこらへんは心配しなくても大丈夫だよ」
 殊勝な心掛けであることは認識している。しかし、その命題に取り組む『過程』が礼安にとっていただけないものであったのだ。
「――でもさ、私……これまでいろいろな案件を経験して、失ったものを取り戻してきたんだ。小学校高学年の時から、中学生全体で……色々あったから、その穴を埋めていったのは、全部感情の力なんだ」
 その大本に存在し、礼安を成長させてきたのは『感情』。例えそれが負の感情だろうと、大本に存在する感情の数々に触れてきたからこそ、ここまで強くなれたのだ。
「――人が争う根本にあるものが、感情と欲望だってのは……分かるよ。そして感情を一時的に貰って、平和な人にしていく発想も、悪くないと思うよ。でも……奪われた感情は、その人のところにいつか戻ってくるの?」
 一時感情がほぼ喪失状態にあった礼安だからこそ、失ったときの重要性は理解している。それが争いの元になるかもしれない、それが当人にとって不要なものかもしれない。それでも、失った後の世界でもそれを要するタイミングは確実にやってくる。
 その後に残る虚しさは、常軌を逸するものであり、当人を浮かせる要因でもある。
「――でも、勘違いしないでほしいのが……考えはいいと思うんだ。私も争い事は好かないし、そこに理由があるのも分かるんだ。あくまで――手段がよくないんだと思うよ」
 明確に否定しなかった理由は、元暴五年条項の受け皿になっているからこそ。礼安も、通常の世の中に、完全に足を洗った元反社会的勢力の人間がいようと、今一度犯罪行為に手を染めない限りいたって構わないと考える。その姿勢は受け入れるものであり、反社会的勢力と敵対する存在だからこそ、その存在の母数が減少するのは非常に喜ばしいことだと考える。
 あくまで礼安は、そのやり方に異を唱えたのだ。
「……いつか、その拝借した感情を返す……その算段は付いていたのですか」
「――正直なことを申し上げますと、返すつもりはありませんでした。ある程度研究を重ねていった結果……と言うより、昨今の世界情勢上、戦争や紛争は絶えません。長年の研究をいくら突きつけようと、争いの波は絶えません。マイナスな感情を返してしまったら、その先に待つものは――新たなる争いの火種になる。そう考えた結果です」
 しかし、和井内の表情は非常に暗かった。それは、その導き出された結論が間違っている、と自分でも重々理解していたからこそだった。
「……この感情たちは、長い年月をかけて集めてきた物です。ですが……研究はある程度行き詰ってきました。その為……時間はかかるでしょうが確実に返しましょう。それが――」
 そこまで和井内が言いかけた中で、監視カメラの映像に動きがあった。園内で騒ぎが起こっている様子が映し出されていた。そこに映し出されていたのは、自分たちを襲った一般人と同じ挙動をした存在であった。
 その瞬間、和井内は瞬時に理解した。
「――まさか、これら一般人が暴走した原因は……その欠落していない感情によるものなのか……!?」
 昇降機から降り、表層に出る三人。各所で騒ぎが起こる中、和井内はこの状況を憂いたのだ。
「……本当に申し訳ありません、結局我々の研究による弊害が……生まれてしまいました」
「どういう……ことなの?」
 端的に語るならば、喜怒哀楽の内怒と哀を無くし、喜楽しかなくなった存在が、善吉による洗脳を受けた結果、マイナスの感情を抜きに、戦いに悦楽を感じる一般人を量産したのだ。
 有り体に言うならば、狂人そのもの。皮肉にも、争いの要素たる感情を省いたことで、それ以上の存在が生まれてしまったのだ。しかも、それら一般人相手に、英雄が手出しをすることは半ば無理に近い。下手に傷つけでもしたら最後、一生残る不本意な傷跡が生まれてしまう。
 しかし、この状況でも和井内は事態の解決に動き出したのだ。
「――我々が、一般の方を何とか抑えます。それで……貴方がたが動きやすくなるのなら、我々が何でもいたしますゆえ」
 その目に嘘が無いことは、第六感の無いエヴァでも理解できた。ただ無言で頷くと、一旦和井内と別れサンドリオンの城を後にした。
「礼安さん、申し訳ありませんが、今の私は正直使い物にならないと考えてください……愛用の鍛冶用小鎚はありますが、あの一対の剣は……山梨の一件で大破しました」
「――そっか」
 そうとだけ言うと、礼安はエヴァを前に立たせることはせず、先陣切って市民の誘導に動き始めたのだ。エヴァも勇敢な彼女の助けになれれば、とすぐさま動き出した。
 エントランスは和井内の一言によって開放し、感情もすぐさま返還。即断即決の振る舞いに感心しながら二人は避難させていた。
 その時であった。
 漆黒のスーツ姿、そして漆黒のフレームの眼鏡をかけ、一般人の中に紛れていたある存在。
 エヴァは、その存在を目の当たりにした瞬間、怨嗟の声が口から漏れ出そうになった。しかし、唐突に口が不思議な力によって封じられる。そして魔力の反応や感情も操作される。
「――すみません、そこのお嬢さん。出口をお聞きしていいかな。私は少々方向音痴なので……心配なんですよ」
 礼安は正体が分からない。しかし今口を封じられ、礼安の感じ取る第六感すら読み取れないようになってしまったエヴァは、この男の全てを知っている。
 そう、礼安の目の前に。山梨県を大混乱に陥れた元凶たる|来栖善吉《クルス ゼンキチ》が、何食わぬ顔かつ一般人に紛れ、助けを求めていたのだ。