しばらくの間、意識がどこか遠くへ行っていた中で、『 』は深淵の中にある人物を見た。
「――誰、だろう」
その先へ向かうと、まばゆい光に包まれながら、『 』に手を差し伸べる何者か。しかし、顔や姿は一切視界に入れることは許されない。何かしらの悪戯が施されているような。
『……なるほど、この姿は見られないのか、君は。力は――行使できているはずなんだがね』
「――その声、どこかで……聞いたような」
その人物を思い出そうとしても、なぜか靄がかかって全てが阻害される。それなりに長い付き合いであったはずなのに。
『――なぜ、力を十分に扱わないんだ』
「……それは……」
言い淀む『 』。しかしそんな人物を叱るのではなく、ただその手をその人物に差し出すのみであった。しかし、それはその人物にとって、大切な選択を強いるものであった。『ある物』を握る『 』は、それによって全てが左右されることを知っている。
元はと言えば、その人物は恵まれた因子を持ち合わせていながら、『覚悟』が決まっていなかったというだけ。英雄の因子には一切の非が無い。自分が土壇場で日和っているからこそ、未だ満足に力を振るえていない。
その人物も全力を出せず、英雄もどこか消化不良感が否めず。双方何とも言えないぎこちなさがあるからこそ、WIN‐WINではなくLOSE‐LOSEとなってしまっている。
その人物は、英雄の手を取ろうとしても、そこに見えない壁があるかのように『その先』へ進むことを躊躇ってしまう。
『怖い? 『 』』
「――怖いよ、凄く怖い」
まっすぐ前を見据えることは無く、ただ俯くのみ。いくら何のとりえもなくとも、自分は自分自身の物語の主人公とよく言うものだが、主人公などとは思った試しはない。自分など大した存在ではない。いつだって日陰者である、その自覚があった。
しかし、ある存在に出会ってから、『 』の人生は大きく変わった。それこそ、瀧本礼安。自分は主人公ではない、この眼前にいる存在こそ主人公である。自分はそれを支える存在であり続けたい。
ある種、それがその人物のささやかな欲望であり、願いだったのだ。
『――まだ、覚悟は決まらないままかい』
「……ごめんなさい、意気地の無い私で」
『……いいさ、いわばこの選択は
人生の分水嶺。選択次第で……どうなるかは分かっていること。そしてその道を選んだ君は……その結末を決める権利も持ち合わせている。今がその時でなくとも……いつか決めなければならないタイミングが訪れる。それは因子に選ばれた存在の――宿命だよ』
一般人でも、あるタイミングで重要な物事を決めなければならない、そんなタイミングが存在するだろう。どれほどその選択から逃げていようと、いつかは訪れる強制的な選択肢が。
ましてや、それが『生き死に』に関係しているのなら。
英雄はその人物の肩を優しく叩き、いつか来るであろうXデーに備え力を蓄える。その為に再び闇の中へ溶けていく。
次第に暗闇から光が差していき、意識が浮上していく感覚を覚える。まるで数年間眠り呆けていたかのような、どことない脱力感と共に、その決断を先延ばしにする『 』。
(――本当、情けないな……私って)
そんな優柔不断な自分を嘲りながら、千葉県某所で目覚めるのだった。
礼安が豪快ないびきを掻き、盛大に涎を垂らしながら眠り続けている中、同じ場所でそんな彼女を揺さぶる存在。他でもない、エヴァであった。
「礼安さん、礼安さん! 起きてください!」
「うーん……あと五杯……」
「五分なんて待てないですってちょっと待ってください五杯って何ですか」
至極ごもっともな疑問に対し、ご丁寧に寝言で返す。
「んへぇ……? 全マシマシマシぃ……えへへぇ……」
「よりにもよって二郎系ラーメンですか!? そんでもってとんでもない量食べますね分かっていたことですけど!! ってそんなツッコミしている場合じゃあないんです起きてください!」
寝相が盛大に悪い礼安を力一杯揺さぶって、何とか起こす。寝ぼけ眼であり、涎の跡がくっきりと頬に残る中、上体のみを起こす。
「んう……エヴァちゃん……私のパジャマ、着替えさせてぇ……」
「そんなすけべ展開院さんが許してくれません私は大歓迎ですがと言うかパジャマじゃあありません貴女が今着ているのは私服です!!」
何とか手持ちのティッシュで礼安の涎を拭って全力でもう一遍揺さぶる。そこまでやって、何とか完全に起こすことに成功したエヴァは、端的にこの現状を説明する。
「――簡潔に済ませるので、聞いてください礼安さん! 我々……完全にはぐれてしまいました!」
「……え!? 皆はどこにいるの!?」
「それが……何者かによって通信妨害されているのか、皆と連絡が取れないんです! 灰崎さんの連絡用デバイスも、百喰さんのデバイスも、加賀美さんのデバイスも……全部試しましたが、皆結果は同じで……」
礼安が辺りを見回すと、そこは奇想天外な場所であった。千葉と言えば、と言うような場所ではあったのだが。
「――それで、何で私たち……デスティニーアイランドにいるんだろう」
二人が目を覚ました場所こそ、東京デスティニーアイランド。
日本で多くの人々を笑顔にする究極のテーマパークであり、世界に誇るエンターテイメントの宝物庫。老若男女問わず、長い間人々の『笑顔』を追求し続ける。
大きく分かれ七つのエリアが存在し、多くの個性豊かなアニメのキャラクターたちがお客ことゲストを楽しませる。その中で衣食が完結し、過去に笑顔で帰らなかった存在はいなかった、とされることも。
しかし、そんなデスティニーアイランドにも、都市伝説と言うものが存在する。それは、『人を呆けさせる実験施設』、そう呼ばれていることである。
笑顔を生み出し続けてきたこの施設であるが、その事実を反転させると笑顔以外の全てを無くすことに他ならない。何事にも極端な物言いは存在し、その名前から来るブランドを落ちぶれさせるのだが、困ったことに文字通りの事象が起こっているのだ。
辺りを行く人は皆笑顔のまま、その場で座り込む礼安たちを通り過ぎていく。
「――これ、不味くないですか? 千葉県に辿り着いた時のことを思い出してください……礼安さん」
「でも、私たちに出来ることは……」
疑心暗鬼になりつつある二人の傍に、ある人物が歩み寄る。柔和な笑みを絶やすことの無い、白い髭をたくわえ純白のスーツを着用した、文字通り純白の存在。しかし顔の皴は相当のもので、齢六十は優に超えていそうな男であった。
「――お嬢さん方、無事ですか」
「! 下がってください礼安さん!!」
何とも優しい風貌のお年寄りであったが、警戒する要素はあった。それは、二人の目線の先に存在する、胸元で光る教会支部長を示す鈍色のバッジ。
しかし、一向に攻撃する様子の無い男に首を傾げるも、礼安はその男をじいと見つめる。そして、一つの確証が得られたため、警戒心をむき出しにするエヴァを宥めるのだった。
「――エヴァちゃん、この人に悪意が一切ない。黒いオーラが……微塵も見えないんだ」
そんなことがあるものか、と一瞬でも礼安を疑ってしまったエヴァは、自分があの一件から心根が本当の意味で歪んでしまったのだと自覚した。最悪の性悪を相手にしたがために、何事も疑ってかかるようになってしまった。信頼性において、現状その者の潔白を証明するうえで必要不可欠ともいえる礼安の第六感すら、疑ってかかってしまったのだから。
想い人の能力すら、一瞬でも疑った自分を、その場で殴り飛ばしてしまいたかった。
「……貴方は、誰?」
「――私は、この東京デスティニーアイランド二代目総支配人であり……このデスティニーアイランドの姿をした千葉支部、その支部長代理……
和井内大二です。諸事情ありこんな見てくれですが……御年三十です」
「「――はい!?」」