この緊急事態をどうにかするための話し合いが済んだ一行は、数時間後の千葉遠征のためにしばしの休息をとることになった。
その間に礼安が向かった場所は、礼安の寮であった。先の山梨での一件が終わったばかりの院と透が、室内トレーニングを行っていた。しかし、その表情は浮かないままであったのだ。
二人があの場にいなかったことは、つまるところ森信之に関する記憶を保有していない面子だ、ということ。あれだけの事件の功労者が死んだことが、彼女たちの脳内にないことがどこか物寂しく感じられた。
物鬱げな表情の礼安を視認した院が、汗を拭きながら礼安の傍に近づく。
「――どうしましたの礼安? 先ほどまでお父様のところにいましたが……何かあったのですか」
「何かあったら、俺たちはいつだって動けるぜ。万全では無ェかもしれねえけど、戦って安全を齎すのが俺らの役目だからよ」
先ほどの騒動は知っている様子であったが、誰によるものでなぜそうなったかは知らない。いくら本人たちにやる気があろうと、その真実を知ってしまったときのショックは計り知れない。だからこそ、礼安は苦い顔をしていたのだ。
全ての真実が、全員を幸せにしうるものではない。その心の迷いは、二人を遠ざけた。
「……ごめんね、二人とも。これから二時間後……私、千葉県に向かわなきゃあいけないんだ。とっても重要な作戦だから……私以外にも選ばれたメンバーで向かうの」
「――その中に、私たちは入ってませんのね」
図星であったため、表情に表れてしまう礼安。しかし、そんな彼女に笑って見せる院と透。
「……以前から言っているでしょう、貴女は嘘が下手ですわ。いつだって表情に出る、誰かを騙すことに関して素人でしかありません」
しかし、礼安の吐く嘘に関して、その中に悪意が無いことは十分に知っている。これまで共に過ごしてきた中で、何度彼女と接してきただろうか。何百万枚の映画用フィルムでも映しきれない、究極のお人よしゆえの優しい嘘が、いつだって誰かを庇ってきた。
「――礼安。お前さんが嘘吐くときは、誰かを庇っているときだ。そしてそれは……俺らと来た」
「そ、そんなことは……!」
無論、本当のこと。記憶を取り戻して、万が一傷ついたら。そして大事な先輩相手と拳を交えられるのか、という迷いが胸中を席捲。洗い流せないほどの迷いが、優しさに表れているのだ。
「――だから、気にすんな。俺らは後々学園長辺りに直談判して、後々行けるかどうか努力してみる。こん中だったら……お前が一番強ェからよ」
強さに固執していた透は、自分の弱さを知り互いに高め合えるほど人間的に成長した。院は何も語ることなく、礼安の傍で手を優しく握るのみ。
「ごめんね……二人とも……何も言えないことが……こんなに苦しいなんて思わなかったんだ」
二人に優しく慰められながら、余暇の時間を過ごすのだった。
所変わって、某所。ある男が、追われていた。まるで全てを呑み込むような、膨大な悪意に追い立てられながら。
「これ以上は……やめろ!!」
『どうしてだ、私の思惑にお前の力がいる。ただそれだけだ』
「ふざけるな!! この力は私利私欲のために使うような、穢れたものではない! この混沌とした世の中を浄化するべく、使われるものだ!!」
一対一の問答。しかし、この状況は元から一対一の対等な場ではなかった。怪物じみた存在が、側近的存在を食らったからこそ。
『それにしても……この状況は好機でしかない。ここの本来の主はどこかへ行った。よからぬ邪魔は入らないこの状況は……新たな王となる上で最高の流れだ』
怪物は、男の首を乱暴に掴み、力の大本から根こそぎ吸収していく。男は何とか必死に抵抗するものの、怪物相手に人間は無力でしかない。ただ屈強な手を無力に殴る以外に手立てはない。
「止めろ……私は……子供たちの、明るい未来のために――ッ」
『何年甲斐もなく、らしくないことを口走ってやがるんだ? 要らないんだよ、そんな綺麗事は。綺麗事で腹が膨れるか? 綺麗事で金が効率的に稼げるか?? 答えはNO、実に非効率的だ。そんなもので争いが無くなるのなら、誰だって綺麗事を語り、実践するだろうさ』
しかし、世の中はそう甘くはない。いつだって、正直者が馬鹿を見る。誰かを蹴落とし、誰かを嘲笑い、誰かを詰り、誰かを殺す。穿った考え方ではない、この世において必然ともいえる在り方なのだ。
人間は浅ましく、欲深く、性根の悪い悪そのもの。性善説などまやかし同然。その悪の中で、生存競争を繰り広げた結果、これまで数多くの戦争が繰り広げられている。
ならば、誰よりも欲深く。
誰よりも性格が悪く。
誰よりも慇懃無礼で。
誰よりも不真面目に。
誰よりも狡猾に。
誰かを、常に出し抜き続けることこそが、この世界で効率よく、そして長生きし続けるコツである。愛なんて、地球や困った人など救わない。その代わり、金と欲望と悪意のみが当人のみを救うのだ。
『――お前の力は十分に吸った。後は残りかす同然の下らない力だけ。お前はもう様済みだ』
その場に投げ捨てられる男。多くの側近がいた中で、それらは全て物言わぬ肉塊と化した。言い知れないほどの絶望が、その場に満ちていたのだ。
まるで下らない彼氏に捨てられた、大した能もない哀れな女同然の男は、歯向かうこともできず、その場に倒れ伏すのみであった。