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求職

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  毎日、夕方になるとチイが弱々しい声で吠え出す。八月も後半だがまだまだ暑いので、夏バテしているのかもしれない。昔は外で飼っていたが、最近は庭にも陽炎が立つほどの酷暑なので、玄関を入ってすぐの、階段のそばの部屋に入れている。チイの世話は父がやっていて、俺にはあまり懐いていない。高校生くらいまではよく遊んでやったが、もう覚えていないのだろう。もしかしたら、あの少年が冴えない中年になってしまったことを、チイは理解できていないかもしれない。


もちろん俺だって、いきなり今の状態になったわけではなく、毎年少しずつ老けていったのだが。


「スイカ切ったよ。こうちゃん、煙草の吸い殻は、他のゴミといっしょにせんでよ」


 夜七時ごろ、母親が部屋に来て、八分の一に切ったスイカを置いていった。その手には深紫色の血管が浮き出し、細胞の区切りが見えるほど皮膚が乾燥しているのが分かった。完全に、昔見た祖母の手に近づいていた。そういえば、俺が生まれた年の祖母がちょうど、今の母と同い年だった。


 俺自身ももう四十近いが、親も、人の世話を焼くのがつらく感じるであろう年になってきている。俺が毎月迷惑料代わりに渡してきた貯金も先月底をつき、今月からはただ飯食らいだ。父は定年後も再雇用の社員として働き続けているが、給料はこれまでの三分の二程度になったそうだ。母はもう年金をもらい始めているが、ほとんど専業主婦だったので、小遣いにもならないような額しかないらしい。いつまでも親のすねはかじれない。


 さいわい、ネットを使えば夜でも求人票を見ることはできた。スイカの種を口の中でより分けながら、目のほうでは求人票の良し悪しを仕分ける。直近でやめた会社には七年在籍していて、それまでに二回転職したことがあった。新卒での就活では、ほとんどエントリーシートでお祈りされ、十二社受けたうちの最後の一社に滑り込めたので、多くの企業を深く知っているとはいえない。


 それでも、ネット上には多くの転職者の知恵が蓄積されているので、ブラック企業を見分けることはできそうだった。まず、社員の平均年齢が若すぎず、「幹部候補募集」などと書かれていないこと。できれば、ホームページやSNS上での評判も細かくチェックする。


 最近は、社内のことを書き込むのを禁止している企業がほとんどだが、ブラックな就業条件のところはどうしても、退職者から漏れてしまう。匿名掲示板で検索すれば、「求人票と実際の条件が違う」「部署にパワハラ社員がいて、研修期間中に新人が辞めていく」などの情報も出てくる。


 三時間近くネット上であれこれ調べていたが、結局、完全に真っ白な「ホワイト企業」など見当たらなかった。条件がよく働きやすいところは、生え抜きの社員がやめないだろうから、わざわざ中途採用の募集をかけることもないのだろうが。


 俺はその夜、疲れ果てて眠りにつく直前に、ある企業の求人にたどりついた。


『未経験可、営業職。先輩と二人で取引先への挨拶回りからのスタートです。手品やタロットが趣味の真戸部さんの相棒、募集中』


 ジゲン勇亮株式会社。聞いたこともない。独自に開発したアプリなどを売り込んだり、コンサルやマナー講師を企業に派遣したりしている会社らしい。おそらくベンチャー企業だろうが、人間味の感じられる文章に惹かれた。給料は月二十万円から、社保完備で週休二日、土日祝休み。


 営業の経験は、新卒で入った会社での一年程度しかないが、応募だけならWEB上で簡単にできるので、フォームに名前や経歴を入力した。それだけでどっと疲れて、シャワーも浴びずに、敷きっぱなしの布団に倒れこんだ。


 





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  毎日、夕方になるとチイが弱々しい声で吠え出す。八月も後半だがまだまだ暑いので、夏バテしているのかもしれない。昔は外で飼っていたが、最近は庭にも陽炎が立つほどの酷暑なので、玄関を入ってすぐの、階段のそばの部屋に入れている。チイの世話は父がやっていて、俺にはあまり懐いていない。高校生くらいまではよく遊んでやったが、もう覚えていないのだろう。もしかしたら、あの少年が冴えない中年になってしまったことを、チイは理解できていないかもしれない。
もちろん俺だって、いきなり今の状態になったわけではなく、毎年少しずつ老けていったのだが。
「スイカ切ったよ。こうちゃん、煙草の吸い殻は、他のゴミといっしょにせんでよ」
 夜七時ごろ、母親が部屋に来て、八分の一に切ったスイカを置いていった。その手には深紫色の血管が浮き出し、細胞の区切りが見えるほど皮膚が乾燥しているのが分かった。完全に、昔見た祖母の手に近づいていた。そういえば、俺が生まれた年の祖母がちょうど、今の母と同い年だった。
 俺自身ももう四十近いが、親も、人の世話を焼くのがつらく感じるであろう年になってきている。俺が毎月迷惑料代わりに渡してきた貯金も先月底をつき、今月からはただ飯食らいだ。父は定年後も再雇用の社員として働き続けているが、給料はこれまでの三分の二程度になったそうだ。母はもう年金をもらい始めているが、ほとんど専業主婦だったので、小遣いにもならないような額しかないらしい。いつまでも親のすねはかじれない。
 さいわい、ネットを使えば夜でも求人票を見ることはできた。スイカの種を口の中でより分けながら、目のほうでは求人票の良し悪しを仕分ける。直近でやめた会社には七年在籍していて、それまでに二回転職したことがあった。新卒での就活では、ほとんどエントリーシートでお祈りされ、十二社受けたうちの最後の一社に滑り込めたので、多くの企業を深く知っているとはいえない。
 それでも、ネット上には多くの転職者の知恵が蓄積されているので、ブラック企業を見分けることはできそうだった。まず、社員の平均年齢が若すぎず、「幹部候補募集」などと書かれていないこと。できれば、ホームページやSNS上での評判も細かくチェックする。
 最近は、社内のことを書き込むのを禁止している企業がほとんどだが、ブラックな就業条件のところはどうしても、退職者から漏れてしまう。匿名掲示板で検索すれば、「求人票と実際の条件が違う」「部署にパワハラ社員がいて、研修期間中に新人が辞めていく」などの情報も出てくる。
 三時間近くネット上であれこれ調べていたが、結局、完全に真っ白な「ホワイト企業」など見当たらなかった。条件がよく働きやすいところは、生え抜きの社員がやめないだろうから、わざわざ中途採用の募集をかけることもないのだろうが。
 俺はその夜、疲れ果てて眠りにつく直前に、ある企業の求人にたどりついた。
『未経験可、営業職。先輩と二人で取引先への挨拶回りからのスタートです。手品やタロットが趣味の真戸部さんの相棒、募集中』
 ジゲン勇亮株式会社。聞いたこともない。独自に開発したアプリなどを売り込んだり、コンサルやマナー講師を企業に派遣したりしている会社らしい。おそらくベンチャー企業だろうが、人間味の感じられる文章に惹かれた。給料は月二十万円から、社保完備で週休二日、土日祝休み。
 営業の経験は、新卒で入った会社での一年程度しかないが、応募だけならWEB上で簡単にできるので、フォームに名前や経歴を入力した。それだけでどっと疲れて、シャワーも浴びずに、敷きっぱなしの布団に倒れこんだ。