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第3章~第1話 スタンフォード監獄実験①~

ー/ー



 金野さんと加絵留先輩の交際がふたたび軌道に乗ったあと、同じように生心研(せいしんけん)こと生物心理学研究会の活動も安定期に入った。
 5月の後半に、金野さんが、

「どれだけ活動に参加できるかわからないけど、相談に乗って、悩みを解決してくれたお礼に……」

と、生心研に入部を表明してくれたことで、クラブ連盟が定める活動最低人員である合計5人の規定を満たすことが出来たのだ。

 正式に放課後の場所として認定された第二理科室に常駐しているのは、他のクラブと兼部をしていないネコ先輩一人だけなんだけど……。
 ともあれ、部活動の立ち上げ時に発生する部員数や顧問の確保の問題をクリアして、なんとか活動も安定し、ネコ先輩は週に何度かのお悩み相談を受けることで、その活動も校内で順調に認知され始めているようだ。

 このまま、生心研にはときどき顔を出すくらいでいいか――――――。

 そう考えて安心していたんだけど……。

 夏休みに入る直前、私と親友の佳衣子は、急にネコ先輩から第二理科室に呼び出された。
 私たちが入室すると、先輩はすぐに声をかけてきた。

「やあ、キミたち。お久しぶり。実は、少々困ったことになっていてねぇ」

「お久しぶりです。どうしたんですか、ネコ先輩。困ったことって、なにかあったんですか?」

「あぁ、さっきクラブ連盟の幹部がやってきてね。『生物心理学研究会は、兼部のメンバーも多く、活動実績が少ないから、夏休み中に、なにか実績をあげて報告するように』と言って帰って行ったんだ」

「はあ……それは大変ですねぇ。ちなみに、その報告を行わないと、どうなるんですか?」

 私がたずねると、ネコ先輩は表情を変えずに淡々と答える。

「最悪の場合は、そのまま廃部ということも十分にあるだろうね……」

「えぇ~! そんな~~! せっかく、先輩はがんばってるのに……」

 佳衣子が声を上げると、ネコ先輩はうなずきながら返答する。

「うむ……無論、ワタシもこのまま何もせずに、クラブ連盟の決定を待つつもりはない」

「じゃあ、なにか予定があるんですか? 新しい実験の計画とか!」

 ワタシがたずねると、先輩は我が意を得たりという感じで軽く微笑んで、

「あぁ、それをキミたちに相談したい、と考えているんだ」

と応じた。

「う~ん……でも、そう言われても、私たちはまだネコ先輩ほど生物学や心理学について、詳しいわけじゃないですし……報告に値する実験なんて、そう簡単に思いつかないですよ?」

「あ~、だね~」

 私のつぶやきに、佳衣子も苦笑しながら同意する。ただ、そんな私たちの不安をよそに、ネコ先輩は穏やかな表情で答えた。

「いや、そんなに難しく考える必要もないんだが……キミたちの普段の生活や最近のニュースなどで気になったことを生物学や心理学の知見からアプローチしてみようと思うんだ。さて、そこでだ……最近、身の回りや世間を騒がせている出来事で気になるトピックは無いかい?」

「う~ん、身の回りや世間で気になるニュースですか~」

 頭をひねって考える私の一方、佳衣子が、「あっ! そう言えば」と声を上げる。

「今朝、ティックタックで話題になってたんだけど……甲子園に出場が決まった野球部の寮で上級生から体罰を受けて転校してしまった生徒がいるんだって。その生徒の親と思われる人が詳細をティックタックに投稿して、炎上の始まりだ~って、注目されてるよ」

「ふむ……体育会系クラブでの体罰か……事実なら、全国大会の出場自体も免れないねぇ」

「あ~、そうですね。でも、どうして、運動部ではそういう『いじめ』が無くならないんですかね~? ケンタが野球部だから、たまに話を聞いてたんですけど……たしか、高校野球の超名門校も、寮内の体罰とかが無くならなくて、廃部になっちゃったんですよね?」

「あっ、それアタシも聞いたことある! なんか、プロ野球選手もたくさん出てる野球部だったんだよね?」

「うむ……閉鎖的な空間での人権侵害にもあたる行為か。確かに、これは興味深い」

 そうつぶやいたネコ先輩の目が、妖しく光ったような気がした。

「あの~、詳しくはわからないんですけど、アメリカの大学で、そんな実験が実施されたって話がありませんでしたっけ? たしか、ナントカの監獄実験って……」

「ふむ……スタンフォードの監獄実験だな。これは、有名な実験だから、心理学に興味のない人間にも広く内容が知られているだろう」

「あ~、たしかにアタシでも聞いたことありますからね~。なんだっけ? 危険すぎて、途中で実験中止になった、みたいな?」

「あぁ、おおむねそのとおりだ。そして、部活動の寮で、こうした体罰問題が起こるのも、監獄実験が主張しようとしていることと、おおよそ一致する」

「えっ、なんですか? 部活動の寮と監獄実験の共通点って?」

「それは、主に3つある。第一に閉鎖性だ。部活動は練習時間が長く、休日も遠征や合宿があるため、外部との接触が少なくなる。内部で起きた問題は外に漏れにくく、『内輪のこと』として処理されがちだからね。第二に序列文化。先輩後輩の上下関係は、技術指導の効率化や規律維持に役立つ一方で、権力の濫用を招く温床にもなる。『先輩の言うことは絶対』という暗黙のルールが、時に不当な命令や行動を正当化してしまう。第三に同調圧力。部の方針や雰囲気に従わない者は『協調性がない』と見なされ、孤立や標的化のリスクが高まる。これはチームワークの美名の下に行われる排除であり、部内の()()がそれを助長するんだ」

「うわ~、それを聞くと、部活の寮生活って監獄そのものじゃないですか? じゃあ、そのスタンフォードの監獄実験て、危険な実験だけど、それだけ正しい結果を導き出したってことなんですかね?」

 佳衣子の質問に、ネコ先輩の目が、ふたたびキラリと妖しく光る。

「そうだね、それを実証してみるのは、面白いかも知れない。ちょうど、夏休みで十分に時間を取れるじゃないか?」

「ネコ先輩、まさか、禁断のその実験を再現するつもりじゃ……」

 私が問いかけると、クククッと妖しげな笑みを浮かべた上級生は、いつもの言葉を口にした。
 
 「もちろん、こんなに興味深い事案を見逃す手はない! さあ、実験の時間だよ!」


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 金野さんと加絵留先輩の交際がふたたび軌道に乗ったあと、同じように|生心研《せいしんけん》こと生物心理学研究会の活動も安定期に入った。 5月の後半に、金野さんが、
「どれだけ活動に参加できるかわからないけど、相談に乗って、悩みを解決してくれたお礼に……」
と、生心研に入部を表明してくれたことで、クラブ連盟が定める活動最低人員である合計5人の規定を満たすことが出来たのだ。
 正式に放課後の場所として認定された第二理科室に常駐しているのは、他のクラブと兼部をしていないネコ先輩一人だけなんだけど……。
 ともあれ、部活動の立ち上げ時に発生する部員数や顧問の確保の問題をクリアして、なんとか活動も安定し、ネコ先輩は週に何度かのお悩み相談を受けることで、その活動も校内で順調に認知され始めているようだ。
 このまま、生心研にはときどき顔を出すくらいでいいか――――――。
 そう考えて安心していたんだけど……。
 夏休みに入る直前、私と親友の佳衣子は、急にネコ先輩から第二理科室に呼び出された。
 私たちが入室すると、先輩はすぐに声をかけてきた。
「やあ、キミたち。お久しぶり。実は、少々困ったことになっていてねぇ」
「お久しぶりです。どうしたんですか、ネコ先輩。困ったことって、なにかあったんですか?」
「あぁ、さっきクラブ連盟の幹部がやってきてね。『生物心理学研究会は、兼部のメンバーも多く、活動実績が少ないから、夏休み中に、なにか実績をあげて報告するように』と言って帰って行ったんだ」
「はあ……それは大変ですねぇ。ちなみに、その報告を行わないと、どうなるんですか?」
 私がたずねると、ネコ先輩は表情を変えずに淡々と答える。
「最悪の場合は、そのまま廃部ということも十分にあるだろうね……」
「えぇ~! そんな~~! せっかく、先輩はがんばってるのに……」
 佳衣子が声を上げると、ネコ先輩はうなずきながら返答する。
「うむ……無論、ワタシもこのまま何もせずに、クラブ連盟の決定を待つつもりはない」
「じゃあ、なにか予定があるんですか? 新しい実験の計画とか!」
 ワタシがたずねると、先輩は我が意を得たりという感じで軽く微笑んで、
「あぁ、それをキミたちに相談したい、と考えているんだ」
と応じた。
「う~ん……でも、そう言われても、私たちはまだネコ先輩ほど生物学や心理学について、詳しいわけじゃないですし……報告に値する実験なんて、そう簡単に思いつかないですよ?」
「あ~、だね~」
 私のつぶやきに、佳衣子も苦笑しながら同意する。ただ、そんな私たちの不安をよそに、ネコ先輩は穏やかな表情で答えた。
「いや、そんなに難しく考える必要もないんだが……キミたちの普段の生活や最近のニュースなどで気になったことを生物学や心理学の知見からアプローチしてみようと思うんだ。さて、そこでだ……最近、身の回りや世間を騒がせている出来事で気になるトピックは無いかい?」
「う~ん、身の回りや世間で気になるニュースですか~」
 頭をひねって考える私の一方、佳衣子が、「あっ! そう言えば」と声を上げる。
「今朝、ティックタックで話題になってたんだけど……甲子園に出場が決まった野球部の寮で上級生から体罰を受けて転校してしまった生徒がいるんだって。その生徒の親と思われる人が詳細をティックタックに投稿して、炎上の始まりだ~って、注目されてるよ」
「ふむ……体育会系クラブでの体罰か……事実なら、全国大会の出場自体も免れないねぇ」
「あ~、そうですね。でも、どうして、運動部ではそういう『いじめ』が無くならないんですかね~? ケンタが野球部だから、たまに話を聞いてたんですけど……たしか、高校野球の超名門校も、寮内の体罰とかが無くならなくて、廃部になっちゃったんですよね?」
「あっ、それアタシも聞いたことある! なんか、プロ野球選手もたくさん出てる野球部だったんだよね?」
「うむ……閉鎖的な空間での人権侵害にもあたる行為か。確かに、これは興味深い」
 そうつぶやいたネコ先輩の目が、妖しく光ったような気がした。
「あの~、詳しくはわからないんですけど、アメリカの大学で、そんな実験が実施されたって話がありませんでしたっけ? たしか、ナントカの監獄実験って……」
「ふむ……スタンフォードの監獄実験だな。これは、有名な実験だから、心理学に興味のない人間にも広く内容が知られているだろう」
「あ~、たしかにアタシでも聞いたことありますからね~。なんだっけ? 危険すぎて、途中で実験中止になった、みたいな?」
「あぁ、おおむねそのとおりだ。そして、部活動の寮で、こうした体罰問題が起こるのも、監獄実験が主張しようとしていることと、おおよそ一致する」
「えっ、なんですか? 部活動の寮と監獄実験の共通点って?」
「それは、主に3つある。第一に閉鎖性だ。部活動は練習時間が長く、休日も遠征や合宿があるため、外部との接触が少なくなる。内部で起きた問題は外に漏れにくく、『内輪のこと』として処理されがちだからね。第二に序列文化。先輩後輩の上下関係は、技術指導の効率化や規律維持に役立つ一方で、権力の濫用を招く温床にもなる。『先輩の言うことは絶対』という暗黙のルールが、時に不当な命令や行動を正当化してしまう。第三に同調圧力。部の方針や雰囲気に従わない者は『協調性がない』と見なされ、孤立や標的化のリスクが高まる。これはチームワークの美名の下に行われる排除であり、部内の|空《・》|気《・》がそれを助長するんだ」
「うわ~、それを聞くと、部活の寮生活って監獄そのものじゃないですか? じゃあ、そのスタンフォードの監獄実験て、危険な実験だけど、それだけ正しい結果を導き出したってことなんですかね?」
 佳衣子の質問に、ネコ先輩の目が、ふたたびキラリと妖しく光る。
「そうだね、それを実証してみるのは、面白いかも知れない。ちょうど、夏休みで十分に時間を取れるじゃないか?」
「ネコ先輩、まさか、禁断のその実験を再現するつもりじゃ……」
 私が問いかけると、クククッと妖しげな笑みを浮かべた上級生は、いつもの言葉を口にした。
 「もちろん、こんなに興味深い事案を見逃す手はない! さあ、実験の時間だよ!」