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幕間2〜朱令陣禰子の気持ち〜

ー/ー



 幼なじみのヨウイチと親しく話すようになったのは、いつの頃からだっただろう―――?

 自宅が近所ということもあり、同じ幼稚園に通っていたヨウイチは、気がつけば、いつも近くに居る存在だった。
 ただ、いまは寝ても覚めても幼なじみのことを考えてしまうワタシが、最初から彼に対して好意を抱いていたかと言うと、そんなことはない。

 いまと変わらず、男女の分け隔てなく優しくて、お菓子づくりが大好きなところは、幼い頃からまったく変わっていないが、その頃のヨウイチに対して、幼いワタシは、

(フンッ! 女子だけでなく、男子でさえも見た目が良いヤツは得だな!)

と、斜に構えて、冷めた態度で見ていた。

 女児と見間違えるような愛らしい風貌に、人懐っこい笑顔で誰とでも仲良くなれるヨウイチと比べて、女子でありながら、天然モノのモジャモジャ髪で容姿もパッとしない上に、昆虫などの生き物が大好きで引っ込み思案な性格だったワタシは、幼稚園に通っている頃から、女子からは気味悪がられ、男子からは可愛げがないと言われて、友人関係にも恵まれなかったからだ。

 そんな子どもは、必然的に人気者を意味もなく妬むようになる。

 幼い頃から、ひねくれた(という自覚は自分にもある)性格のワタシは、小学生になるまで、近所に住む幼なじみのことを、自分とは相容れない、「いけ好かない、さわやかイケメン」だと認識していた。

 そんな自分の認識が、コペルニクス的転回のように、価値観が180度反転してしまう出来事が、小学3年生のときに発生した。
 校外学習で、チョウが棲む温室があることで有名な近隣の市の昆虫館に社会科見学に行ったあと、昆虫の生態に関する「調べ学習」を行う授業が開催された。

 この頃から、早くも不登校気味で引きこもり体質だった上に、自他ともに認める『虫愛(むしめ)づる姫君』だったワタシは、自分自身の日頃の研究成果を世の中(といっても、小学校のクラスという小さな世界だが……)に広めるチャンスだとばかりに、腕をふるって、熱帯地方に生息するエメラルドゴキブリバチと日本でも生息が確認されたことがあるサトセナガアナバチについての調査報告を行った。

 害虫として忌み嫌われる昆虫を襲って幼虫の宿主(餌)にする捕食寄生者という存在は、多くのクラスメートの関心を引くに違いない、と判断したからだ。

「嫌われ者のゴキブリを駆逐する昆虫の存在を知れば、みんな驚いて、昆虫の生態に興味を持つに違いない」

 密かにほくそ笑んだワタシは、大いに張り切りながら、発表の準備を行った。

 だが――――――。

 発表本番で、エメラルド色の美しい捕食者が、害虫の身体に取り付き、毒を送り込む際の映像を見せた途端、教室は阿鼻叫喚の地獄絵図と化してしまった。

「うぎゃ~~~~! ゴキブリだ~~~~!」

「いや~~~~~! キモい~~~~~~!」

「やめろよ~~~! こんな動画見せるな!」

 クラスメートから一斉に上がった非難の声は、ワタシから貴重な発表の時間を奪った。

「せっかく、よく調べてくれたけど……虫の写真は苦手な子たちもいるから、発表は止めておこうか?」

 あきらかに自分自身も嫌悪感を覚えているであろう女性の担任教師は、苦笑しながら、やんわりとワタシに発表の中止を求めた。

(こんな無理解な態度が、小学校の学習帳から昆虫の写真をなくしてしまうんだ……)

 そんな風に自身の趣味を否定されたと同時に、自分が心血を注いで調査研究した結果が、あっさりと中止の憂き目に遭ってしまう……。
 後年、さまざまな分野の実験や研究成果を調べ始めたときに関心を持ったフィリップ・ジンバルドー教授の無念さは、このときの気持ちがなければ理解できなかっただろう。

 クラスメートの反応と、担任から告げられた発表中止の宣告の悔しさで泣きそうになるのをこらえながらうつむくしかなかったワタシは、このまま、この世から消え去りたいとすら感じていた。

 だが、そんなとき――――――。
 
「先生! あとで、ボクだけ禰子ちゃんの発表を聞いても良い?」

 スッと真っ直ぐに手を上げて、先生の目を見据えながら、問いかける一人の男子児童があらわれたのだ。

「えっ? まあ、それは構わないけど……」

「せっかく、たくさん調べたことを聞いてもらえないなんて悲しいと思うし、もったいないよ。そうだよね、禰子ちゃん?」

 そう言って、恐る恐る顔を上げたワタシに微笑みかけてくれたのが、誰あろう幼なじみの日辻羊一だった。

「ボクもムシは苦手だけど……良かったら、調べたことを聞かせてくれない?」

 優しい笑顔で語りかけるその姿を見た瞬間、ワタシの心に、あたたかいものが込み上げてくることがわかった。

(ワタシには、まだ語れる場所があるんだ……こんな嬉しいことはない)
 
 無言で、何度も何度も首を縦に振ったあと、ようやく言葉を発することができるようになったワタシは、

「しょ、しょうがないなぁ……そんなに気になるなら、ワタシの家で、じっくりと聞かせてあげよう」

と答える。素直にありがとう、と言えなかった言葉に苦笑しながら、「うん、楽しみにしてるね」と答える男子児童は、ワタシの中で、いけ好かないイケメンから恋い焦がれる対象へと、完全に反転してしまった。

 こうして、自らの心理状態が、一瞬にして劇的に変化することを経験したワタシは、これまでの昆虫や他の生き物の生態だけでなく、人の心の謎を解き明かす心理学の実験にも興味の範囲を広げることになった。

(いつか、あの時の自分のように、ヨウイチのワタシに対する想いも劇的に変化するときが来たら……)

 そんな想いを何年も抱きながら、ワタシは、今日も生物学と心理学の探究に明け暮れている。


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 自宅が近所ということもあり、同じ幼稚園に通っていたヨウイチは、気がつけば、いつも近くに居る存在だった。
 ただ、いまは寝ても覚めても幼なじみのことを考えてしまうワタシが、最初から彼に対して好意を抱いていたかと言うと、そんなことはない。
 いまと変わらず、男女の分け隔てなく優しくて、お菓子づくりが大好きなところは、幼い頃からまったく変わっていないが、その頃のヨウイチに対して、幼いワタシは、
(フンッ! 女子だけでなく、男子でさえも見た目が良いヤツは得だな!)
と、斜に構えて、冷めた態度で見ていた。
 女児と見間違えるような愛らしい風貌に、人懐っこい笑顔で誰とでも仲良くなれるヨウイチと比べて、女子でありながら、天然モノのモジャモジャ髪で容姿もパッとしない上に、昆虫などの生き物が大好きで引っ込み思案な性格だったワタシは、幼稚園に通っている頃から、女子からは気味悪がられ、男子からは可愛げがないと言われて、友人関係にも恵まれなかったからだ。
 そんな子どもは、必然的に人気者を意味もなく妬むようになる。
 幼い頃から、ひねくれた(という自覚は自分にもある)性格のワタシは、小学生になるまで、近所に住む幼なじみのことを、自分とは相容れない、「いけ好かない、さわやかイケメン」だと認識していた。
 そんな自分の認識が、コペルニクス的転回のように、価値観が180度反転してしまう出来事が、小学3年生のときに発生した。
 校外学習で、チョウが棲む温室があることで有名な近隣の市の昆虫館に社会科見学に行ったあと、昆虫の生態に関する「調べ学習」を行う授業が開催された。
 この頃から、早くも不登校気味で引きこもり体質だった上に、自他ともに認める『|虫愛《むしめ》づる姫君』だったワタシは、自分自身の日頃の研究成果を世の中(といっても、小学校のクラスという小さな世界だが……)に広めるチャンスだとばかりに、腕をふるって、熱帯地方に生息するエメラルドゴキブリバチと日本でも生息が確認されたことがあるサトセナガアナバチについての調査報告を行った。
 害虫として忌み嫌われる昆虫を襲って幼虫の宿主(餌)にする捕食寄生者という存在は、多くのクラスメートの関心を引くに違いない、と判断したからだ。
「嫌われ者のゴキブリを駆逐する昆虫の存在を知れば、みんな驚いて、昆虫の生態に興味を持つに違いない」
 密かにほくそ笑んだワタシは、大いに張り切りながら、発表の準備を行った。
 だが――――――。
 発表本番で、エメラルド色の美しい捕食者が、害虫の身体に取り付き、毒を送り込む際の映像を見せた途端、教室は阿鼻叫喚の地獄絵図と化してしまった。
「うぎゃ~~~~! ゴキブリだ~~~~!」
「いや~~~~~! キモい~~~~~~!」
「やめろよ~~~! こんな動画見せるな!」
 クラスメートから一斉に上がった非難の声は、ワタシから貴重な発表の時間を奪った。
「せっかく、よく調べてくれたけど……虫の写真は苦手な子たちもいるから、発表は止めておこうか?」
 あきらかに自分自身も嫌悪感を覚えているであろう女性の担任教師は、苦笑しながら、やんわりとワタシに発表の中止を求めた。
(こんな無理解な態度が、小学校の学習帳から昆虫の写真をなくしてしまうんだ……)
 そんな風に自身の趣味を否定されたと同時に、自分が心血を注いで調査研究した結果が、あっさりと中止の憂き目に遭ってしまう……。
 後年、さまざまな分野の実験や研究成果を調べ始めたときに関心を持ったフィリップ・ジンバルドー教授の無念さは、このときの気持ちがなければ理解できなかっただろう。
 クラスメートの反応と、担任から告げられた発表中止の宣告の悔しさで泣きそうになるのをこらえながらうつむくしかなかったワタシは、このまま、この世から消え去りたいとすら感じていた。
 だが、そんなとき――――――。
「先生! あとで、ボクだけ禰子ちゃんの発表を聞いても良い?」
 スッと真っ直ぐに手を上げて、先生の目を見据えながら、問いかける一人の男子児童があらわれたのだ。
「えっ? まあ、それは構わないけど……」
「せっかく、たくさん調べたことを聞いてもらえないなんて悲しいと思うし、もったいないよ。そうだよね、禰子ちゃん?」
 そう言って、恐る恐る顔を上げたワタシに微笑みかけてくれたのが、誰あろう幼なじみの日辻羊一だった。
「ボクもムシは苦手だけど……良かったら、調べたことを聞かせてくれない?」
 優しい笑顔で語りかけるその姿を見た瞬間、ワタシの心に、あたたかいものが込み上げてくることがわかった。
(ワタシには、まだ語れる場所があるんだ……こんな嬉しいことはない)
 無言で、何度も何度も首を縦に振ったあと、ようやく言葉を発することができるようになったワタシは、
「しょ、しょうがないなぁ……そんなに気になるなら、ワタシの家で、じっくりと聞かせてあげよう」
と答える。素直にありがとう、と言えなかった言葉に苦笑しながら、「うん、楽しみにしてるね」と答える男子児童は、ワタシの中で、いけ好かないイケメンから恋い焦がれる対象へと、完全に反転してしまった。
 こうして、自らの心理状態が、一瞬にして劇的に変化することを経験したワタシは、これまでの昆虫や他の生き物の生態だけでなく、人の心の謎を解き明かす心理学の実験にも興味の範囲を広げることになった。
(いつか、あの時の自分のように、ヨウイチのワタシに対する想いも劇的に変化するときが来たら……)
 そんな想いを何年も抱きながら、ワタシは、今日も生物学と心理学の探究に明け暮れている。