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御世

ー/ー



『汝が見る我はなんぞ?』

 来た。
 ストゥルテは、自分の知識や経験が一斉に走り出すのを感じた。

(答えることはできる。どう答えれば、山神さまを正気に戻せるのかも、おそらくは)

 だがそれは。

(アルツに、背負わせるのか? 山神殺しを、背負わせて、いいものなのか……!?)

 答えに詰まったと勘違いしたのだろう。
 山神が呵々大笑しながら「さあ」とストゥルテを急かす。

 汗を流しながら『どうする』が頭をめぐり、しかし覚悟だけが定まらない。
 唇を噛んで、ストゥルテはうめく。

 そっと、背を撫でる手が移動した。
 ストゥルテの毛皮に隠れたこめかみから喉へ、白い手が滑る。
 つ、と喉を一文字に引いた指の動きを感じた。

「それは」

 ストゥルテは、目頭が熱くなるのをこらえながらかすかな吐息にも似た声を出した。

「あなたは山の女。カルムの山に全き錦を敷いた精霊なり」

 ストゥルテが答えた瞬間、洞窟の入口から風が吹き込んだ。

 風に乗って、雪片が洞窟に降り積もる。
 凍り付いた床に落ちて、溶けて、にごっていた地面がだんだんと鏡のようになる。

 ストゥルテとアルツの周りを春のような風が包んだ。

 花が咲き、広がり、清涼な陽気が洞窟を満たす。
 (ぬか)ずく地面は水に変わったが、不思議と冷たくはなかった。

 水ごしに、世界が見える。

 色とりどりの木々が山肌を覆い、こずえの間をやわらかな風が吹き抜ける。
 清い湖に獣たちが集まり、肉食のものも草食のものも、争わずに水を飲んでいる。
 岩に生えた苔は緑も深く、水をたっぷりと蓄えていた。
 木々の合間にはきのこや薬草が生え、獣もカルムの一族も、それらの頂点付近だけを少量取って暮らしている。

 そんな山の頂で、一人の女が満足そうに笑っていた。
 顔は、光が重なって見えない。

 錦の着物を身に着けた女だ。
 雪の色の髪をして、松の葉を髪にさしている。
 女は背筋を伸ばして、山々を見渡す。

 女からそう遠くない丘の下では、カルムの一族や獣が祈りを捧げて踊り、歌い、幸を体全身で表している。
 女は優しくそれらを見つめ、手を差し伸べ、祝福している。

 山は女であった。
 山は幸いであった。
 山は、楽園を形にしていた。
 山のすべては女に生かされ、山のすべてが女を慕い、山のすべては愛に応えていた。

(これが、本当のカルムの御山)

 大きなため息のような、末期の呼吸音。
 アルツがとっさにストゥルテの頭を押さえなければ、ストゥルテは顔を上げるか背けていただろう。

 翼をもつ鴉の一族(フラクロウ)が山に降り立つ。
 武器を持ち、木を伐り、獣を殺し、祈りを引き裂く。

 交渉を試みたカルムの一族が食われた。
 闘争を選んだカルムの一族が食われた。
 逃走を選んだカルムの一族が食われた。
 獣も、木々も、小さな生き物たちも、すべてが食われた。

 女は嘆いた。
 山は叫んだ。
 女は泣いた。
 山は狂った。

 ストゥルテの上に、雨が降った。


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『汝が見る我はなんぞ?』
 来た。
 ストゥルテは、自分の知識や経験が一斉に走り出すのを感じた。
(答えることはできる。どう答えれば、山神さまを正気に戻せるのかも、おそらくは)
 だがそれは。
(アルツに、背負わせるのか? 山神殺しを、背負わせて、いいものなのか……!?)
 答えに詰まったと勘違いしたのだろう。
 山神が呵々大笑しながら「さあ」とストゥルテを急かす。
 汗を流しながら『どうする』が頭をめぐり、しかし覚悟だけが定まらない。
 唇を噛んで、ストゥルテはうめく。
 そっと、背を撫でる手が移動した。
 ストゥルテの毛皮に隠れたこめかみから喉へ、白い手が滑る。
 つ、と喉を一文字に引いた指の動きを感じた。
「それは」
 ストゥルテは、目頭が熱くなるのをこらえながらかすかな吐息にも似た声を出した。
「あなたは山の女。カルムの山に全き錦を敷いた精霊なり」
 ストゥルテが答えた瞬間、洞窟の入口から風が吹き込んだ。
 風に乗って、雪片が洞窟に降り積もる。
 凍り付いた床に落ちて、溶けて、にごっていた地面がだんだんと鏡のようになる。
 ストゥルテとアルツの周りを春のような風が包んだ。
 花が咲き、広がり、清涼な陽気が洞窟を満たす。
 |額《ぬか》ずく地面は水に変わったが、不思議と冷たくはなかった。
 水ごしに、世界が見える。
 色とりどりの木々が山肌を覆い、こずえの間をやわらかな風が吹き抜ける。
 清い湖に獣たちが集まり、肉食のものも草食のものも、争わずに水を飲んでいる。
 岩に生えた苔は緑も深く、水をたっぷりと蓄えていた。
 木々の合間にはきのこや薬草が生え、獣もカルムの一族も、それらの頂点付近だけを少量取って暮らしている。
 そんな山の頂で、一人の女が満足そうに笑っていた。
 顔は、光が重なって見えない。
 錦の着物を身に着けた女だ。
 雪の色の髪をして、松の葉を髪にさしている。
 女は背筋を伸ばして、山々を見渡す。
 女からそう遠くない丘の下では、カルムの一族や獣が祈りを捧げて踊り、歌い、幸を体全身で表している。
 女は優しくそれらを見つめ、手を差し伸べ、祝福している。
 山は女であった。
 山は幸いであった。
 山は、楽園を形にしていた。
 山のすべては女に生かされ、山のすべてが女を慕い、山のすべては愛に応えていた。
(これが、本当のカルムの御山)
 大きなため息のような、末期の呼吸音。
 アルツがとっさにストゥルテの頭を押さえなければ、ストゥルテは顔を上げるか背けていただろう。
 |翼をもつ鴉の一族《フラクロウ》が山に降り立つ。
 武器を持ち、木を伐り、獣を殺し、祈りを引き裂く。
 交渉を試みたカルムの一族が食われた。
 闘争を選んだカルムの一族が食われた。
 逃走を選んだカルムの一族が食われた。
 獣も、木々も、小さな生き物たちも、すべてが食われた。
 女は嘆いた。
 山は叫んだ。
 女は泣いた。
 山は狂った。
 ストゥルテの上に、雨が降った。