ウサギ
ー/ー
きっと春の花だ、とストゥルテは考えた。
春の短い間に、下の林に咲く春告草。その新芽をよくゆがいて叩いて、色を出せばこんな風になる、と。
ストゥルテは賢い男だったので、すぐに疑問に思った。
何故自分はこんなことを知っているのだろう。ずっと一人きりで暮らしていたのなら日々の暮らしに手一杯で勉強などできるはずがないのに、と。
「おい、何とか言ったらどうなんだ!」
考えに夢中になっていると、ゴスの一人がストゥルテの手を蹴り飛ばした。
それでも手ぬぐいを手放さないストゥルテに顔を見合わせて、ゴスたちはストゥルテから手ぬぐいを奪おうと動き出す。
もちろんストゥルテは抵抗したが、人数と体力の差は埋められない。
あっという間にストゥルテは手ぬぐいを奪われてしまった。
ゴスたちはしげしげと手ぬぐいを眺めてから、暴れるストゥルテを興味なさげに見やる。
「なんだぁ、これ」
「汚ぇ布だな」
「それにあんな必死になるか?」
「分かった!こいつのじぃさんの形見だ!」
ゴスたちは納得して頷きあってから残酷に笑った。
ゴスの一人が、手ぬぐいの端を持つ。一人がもう片端を掴む。
ストゥルテはそれどころではなかった。
自分にじぃさまがいるなど”初耳だった”のだ。
ひどく頭が痛んで気持ち悪かった。
それでも手ぬぐいだけは取り戻さなければならないと考えた。
嫌な予感に身をよじるストゥルテを三人がかりで押さえつけて、ゴスたちは「やっちまえ!」と下品な叫びを上げた。
両方のゴスが足を踏ん張って後ろに体重をかける。手ぬぐいの切れ端からメリと音がする。
ストゥルテはほとんど泣きそうになって、破られそうになっている手ぬぐいを見ていた。何かが思い出せそうなのに、思い出せそうなきっかけが壊されつつあった。
その時だ。
急な突風のように一羽のウサギが跳び出してゴスの手に噛みついた。 うさぎはまた、もう片方のゴスの手を蹴り飛ばした。
手を噛まれ、足で蹴られたゴスは「この野郎!」「畜生め!」と叫んで、ウサギを追いかける。
手ぬぐいが離される。
拘束が緩んだ。
ストゥルテはあざだらけになった手で手ぬぐいをひっつかむと、家に入って戸を内側から閉めてしまった。
外からはウサギを追うゴスたちの声と戸をたたき割ろうとする振動が伝わってくる。
ストゥルテは手ぬぐいを握りしめて、訳も分からず泣いた。
戸が今にも破られそうになる中で、体だけが動いた。もうここにはいられないことだけが分かっていた。
本を荷物に押し込みながらストゥルテは自問する。
(この本は誰が書いた?)
保存食を詰めながら、ストゥルテは自問する。
(俺はこの味を誰に教わった?)
干した薬草を懐に突っ込んだとき、戸が外から音を立てて飛んできた。
「そうか」
泡が弾けるようにストゥルテはすべてを思い出した。
じぃさまのこと、じぃさまとの生活のこと。
アルツのこと、アルツとの生活のこと。
目まぐるしく頭の中を巡る記憶を懐かしむ間もなく、向かってくるゴス達の股下をくぐる。
走り抜けて小屋から出る。
外でゴスたちに追いかけられているのは、ウサギではなくアルツだった。
「アルツ、行こう!」
アルツの手を取って、ストゥルテは今までにないほど速く走った。
枝に手足をぶつけて血が出ても、構わず御山を目指した。
追手はだんだんと数を減らして、ついには手ぬぐいを破ろうとした一人だけになった。
「逃げられるとは思うなよ!」
ゴスはストゥルテに向かって大きく怒鳴った。
「お前はどこへだって行けやしない! あの小屋で食われるまで暮らすんだ。おいニエっ子、ほかに行くアテがあるとでも思ってるのか! おい! 帰りたいなんて泣いたって無駄だぞ! あんな小屋、戻ってすぐにでも燃やしてやる!」
ストゥルテは黙って、アルテの手を強く握った。
実のところ、山の女を元に戻す方法は分かる。ただ、それをしたらアルテに見捨てられてしまうのではないかと、ストゥルテは心配だった。
ほかのことはどうでもよかった。
(寒いと頭が働かなくなるからなぁ。言っていることがめちゃくちゃでも仕方がない)
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きっと春の花だ、とストゥルテは考えた。
春の短い間に、下の林に咲く|春告《はるつげ》草。その新芽をよくゆがいて叩いて、色を出せばこんな風になる、と。
ストゥルテは賢い男だったので、すぐに疑問に思った。
何故自分はこんなことを知っているのだろう。ずっと一人きりで暮らしていたのなら日々の暮らしに手一杯で勉強などできるはずがないのに、と。
「おい、何とか言ったらどうなんだ!」
考えに夢中になっていると、ゴスの一人がストゥルテの手を蹴り飛ばした。
それでも手ぬぐいを手放さないストゥルテに顔を見合わせて、ゴスたちはストゥルテから手ぬぐいを奪おうと動き出す。
もちろんストゥルテは抵抗したが、人数と体力の差は埋められない。
あっという間にストゥルテは手ぬぐいを奪われてしまった。
ゴスたちはしげしげと手ぬぐいを眺めてから、暴れるストゥルテを興味なさげに見やる。
「なんだぁ、これ」
「汚ぇ布だな」
「それにあんな必死になるか?」
「分かった!こいつのじぃさんの形見だ!」
ゴスたちは納得して頷きあってから残酷に笑った。
ゴスの一人が、手ぬぐいの端を持つ。一人がもう片端を掴む。
ストゥルテはそれどころではなかった。
自分にじぃさまがいるなど”初耳だった”のだ。
ひどく頭が痛んで気持ち悪かった。
それでも手ぬぐいだけは取り戻さなければならないと考えた。
嫌な予感に身をよじるストゥルテを三人がかりで押さえつけて、ゴスたちは「やっちまえ!」と下品な叫びを上げた。
両方のゴスが足を踏ん張って後ろに体重をかける。手ぬぐいの切れ端からメリと音がする。
ストゥルテはほとんど泣きそうになって、破られそうになっている手ぬぐいを見ていた。何かが思い出せそうなのに、思い出せそうなきっかけが壊されつつあった。
その時だ。
急な突風のように一羽のウサギが跳び出してゴスの手に噛みついた。 うさぎはまた、もう片方のゴスの手を蹴り飛ばした。
手を噛まれ、足で蹴られたゴスは「この野郎!」「畜生め!」と叫んで、ウサギを追いかける。
手ぬぐいが離される。
拘束が緩んだ。
ストゥルテはあざだらけになった手で手ぬぐいをひっつかむと、家に入って戸を内側から閉めてしまった。
外からはウサギを追うゴスたちの声と戸をたたき割ろうとする振動が伝わってくる。
ストゥルテは手ぬぐいを握りしめて、訳も分からず泣いた。
戸が今にも破られそうになる中で、体だけが動いた。もうここにはいられないことだけが分かっていた。
本を荷物に押し込みながらストゥルテは自問する。
(この本は誰が書いた?)
保存食を詰めながら、ストゥルテは自問する。
(俺はこの味を誰に教わった?)
干した薬草を懐に突っ込んだとき、戸が外から音を立てて飛んできた。
「そうか」
泡が弾けるようにストゥルテはすべてを思い出した。
じぃさまのこと、じぃさまとの生活のこと。
アルツのこと、アルツとの生活のこと。
目まぐるしく頭の中を巡る記憶を懐かしむ間もなく、向かってくるゴス達の股下をくぐる。
走り抜けて小屋から出る。
外でゴスたちに追いかけられているのは、ウサギではなくアルツだった。
「アルツ、行こう!」
アルツの手を取って、ストゥルテは今までにないほど速く走った。
枝に手足をぶつけて血が出ても、構わず御山を目指した。
追手はだんだんと数を減らして、ついには手ぬぐいを破ろうとした一人だけになった。
「逃げられるとは思うなよ!」
ゴスはストゥルテに向かって大きく怒鳴った。
「お前はどこへだって行けやしない! あの小屋で食われるまで暮らすんだ。おいニエっ子、ほかに行くアテがあるとでも思ってるのか! おい! 帰りたいなんて泣いたって無駄だぞ! あんな小屋、戻ってすぐにでも燃やしてやる!」
ストゥルテは黙って、アルテの手を強く握った。
実のところ、山の女を元に戻す方法は分かる。ただ、それをしたらアルテに見捨てられてしまうのではないかと、ストゥルテは心配だった。
ほかのことはどうでもよかった。
(寒いと頭が働かなくなるからなぁ。言っていることがめちゃくちゃでも仕方がない)