―セクション2―
大杜は昼過ぎまで病院で過ごしてから、高犯対の検査室と呼ばれる部屋に来ていた。
目の前には、昨夜リトルバードを襲った犬達が横たわっている。
犬はアキレア達が捕獲したときは生きていたが、調査機関に到着すると、一斉に息絶えという。一匹を解剖してみると、犬ではなくロボットであることが判明したため、彼らの遺体は高犯対の検査室に送られてきたのだ。
大杜は動揺することなく、犬たちの死体に順に触れていく。
「人工頭脳――すべてハイブリッドだ」
やがて落ち着いた口調で断言した。
ハイブリッド――それは、人、または動物などの生体そっくりに作られたロボットの総称だ。
過去に起きた大きな事件をきっかけとして、人はもちろん、どんな生き物であっても、見た目を完全に模してはいけないというルールができた。だが、これは製造会社各社が倫理的に守っているルールであって、法では禁じられていない。
そのため、犯罪組織などが、見た目を模したロボットを作ることはたびたびあった。
しかしそういった組織が作るハイブリッドは、表面部分しか模されず、傷でも負わせれば、内部のパーツがすぐに剥き出しになるような代物でしかない。
だがこの犬たちは、調査機関で解剖するまでわからないほど精巧なハイブリッド――いやむしろ、生き物の頭に人工頭脳を嵌め込んだのではないかと言うレベルでの模倣っぷりだった。
「ここまで生体に寄せられると、命そのものなのか電気信号の塊なのかわからないよ――この子達に痛みがなかったのが、せめてもの救いだ」
「人の脳も電気信号の塊とも言うからな。そう言う意味では同じかもしれないぞ」
アイビーの言葉に頷きながら、大杜は自分の手を見つめた。
「どうした?」
「彼らは死体そのものなんだなと思って。そうしたら、なんか怖くなってきた……。むしろ昔は死体に接しても怖くなかったのに」
「恐怖を感じる心は正常だ。感じない方がどうかしている。昔君が怖く感じなかったのは、心が麻痺していたんだ」
「そうかな」
「ああ。怖いと感じる心は必要だ。そう言う気持ちが、無茶をやるときのストッパーにもなるだろうからな」
「――無茶するときには、そういう恐怖はなくなるものなんだよ」
大杜は困ったように言うと、犬の頭をそっと撫でた。
「あと――彼らの人工頭脳に、構造的に意味をなさない不思議なチップがある。ごく小さな物だ。壊れた後だから働きはわからないけど、気になるから、チップを取り出しておいて欲しい」
「わかった。専門家を依頼しておこう」
「それにしても」と、アイビーが続ける。
「鈴栄が設置してくれたセンサーも、ハイブリッド犬が襲撃犯では、意味がなかったな」
リトルバード向かいの交番の壁に、防犯センサーを取り付けてあった。これは犯罪を犯しそうな人間の行動の微細な違和感を感知し、危険人物の侵入、接近を知らせる物だ。
通常は人が多く出入りする施設に設置されるが、リトルバードが公園の入り口に位置するということもあり、鈴栄が周囲を警戒するために念のために設置したものだった。
かなりの精度で犯罪者をあぶり出せるこの装置も、敵が犬では意味をなさない。
「動物のハイブリッドが兵になりうる未来なんて、考えたくもないよ……」
大杜は頭痛がしてきて、こめかみを揉んだ。難題に頭が痛いのか、体調が良くなくて頭が痛いのか、自分でもわからなくなってきている。
アイビーが心配するように、
「カスミとブルースターの核転置を終わらせて、今日はもう帰って休んだらどうだ。いつハードワークになるかわからないのだから、休める時に休んでおかないとな」
「そうだね。この件の続きは、鷹田オーナーの調書がまとまり次第ってところかな……」
そこまで言った時、紀伊国が室内に飛び込んで来て、二人は驚いた。
「紀伊国さん、所轄署で、鷹田オーナーの取り調べに同席していたんじゃないんですか?」
「そうなんですが――ひと段落つきまして、その、先に伝えておこうかと……。電話ではなんと言っていいかわからないので帰ってきました……」
「?」
彼の言い淀んだり狼狽した姿を見たのは、大杜は初めてだ。
――嫌な予感がする。
「何かあったんですか?」
「ええ。鷹田佳幸の供述内容に研矢君のことが……」
「研矢の?」
叔父と甥っ子は仲が良かったようだから、話に出てきてもおかしくはないように思える。だが彼の様子では、そんな呑気な話ではなさそうだ。
「紀伊国さん?」
「あ、いえ、その――」
紀伊国は両手を握ったり開いたりしながら、大杜の顔を見やる。
「室長、心して聞いてください」
「……はい……」
大杜は不穏な空気に押し潰されそうになりながらも、なんとか頷いた。
「あなたの友人の研矢君は、『松宮研矢』ではありませんでした」
研矢は、日彩の言葉の意味を理解できなかった。
「えっと……どういう意味だ?」
「言葉の通りよ」
日彩はもう俯いたり、言い淀んだりしなかった。ずっと言えなかった、聞けなかったことを言葉に出して、心が解放された気分になっていた。
「本当はもっと前に聞きたかった。でも、機会がなかった。ううん。勇気がなくて聞けなかった、と言うべきね。高校に入ってから、あなたはずっと、私の知ってる松宮君じゃなかったのに」
「秦の知っている俺? そりゃ高校で初めて知ったわけだし。――お前が誰のこと言ってるのかは知らねぇけど……」
「啓明光学園」
「え?」
「私は啓明光学園中等部から来たの。あなたと同じ学校よ」
「……はっ? 俺はお前のこと、知らないぞ?」
啓明光は幼稚園部からある一貫校で、途中で顔振りが変わることはほとんどない。そのため皆顔見知りだし、編入してきたのであればなおのこと、目について覚えられる――そんな環境だ。
(知らない奴がいるわけがない……)
日彩が冗談を言っているのか? しかしそんな素振りは見えない。
研矢は自分の鼓動が速くなっていくのを感じた。座っているのに頭だけがふわふわと浮いているような、奇妙な居心地の悪さがある。
「ねぇ、覚えてる? ――ううん、覚えてるわけがないよね。だってあなたは私の松宮君じゃなもの……」
日彩はうっとりとしたような目を夕日に向けた。ただしその目は夕日ではなく、過去に向けられている。
「初等部の校舎の裏で、猫に襲われたインコを見たときのこと……。――あなたは何をしたと思う?」
研矢はそのときのことを思い出してみる。だがおぼろげな記憶はその結末を教えてはくれない。
「……インコを助けたんじゃないのか?」
研矢は、自分ならきっとそうするだろうと思ったことを答えた。
「いいえ」
日彩は軽蔑するような目で断言した。
「じゃあ、いったい――」
「あなたは、どちらも撲殺したのよ」
「ぼ、撲殺⁉︎ 俺が⁉︎」
「あなたではないわ、きっと」
日彩はふっと笑う。
「そのとき、たまたまそばにいた私は聞いたの。『どうしてインコを助けてあげなかったの?』って。松宮君は言ったわ。『飼われてたインコを助けたところで、どうせ野生で生き延びることはできない。猫にやっても、猫は一時的に飢えをしのげるだけで、生きる苦しみは変わらない。なら両方とも楽にしてやるのが優しさだ』って。私ハッとしたの。強さと優しさを持ち合わせるって、本当はこう言うことなんじゃないかって。助け合ったり譲り合うような優しさは、偽善なんだわ――って」
研矢は込み上げてくる恐怖を押さえ込むように、唾を飲み込んだ。
「他にも彼らしい話があるわ。いじめグループのリーダーを、柔道の授業中に半殺しにしたの。その子、柔道の全国大会のトップ3だったらしいけど――。元々学園の評判を落としている子だったから、学園は、授業中の事故として処理したみたい。他の生徒も、大半が迷惑を被ってたから、あなたの勇気を称えてたわ。ちなみに彼は転校した先でイジメに遭って自殺したんだって」
研矢は手の先が震えるのを感じた。
自分がそんなことをするとは考えられなかった。しかし思い返してみると、記憶としては存在している。
(俺は――俺が、そんなことを?)
「助ける方法って、きれいごとばかりじゃないんだなって、あなたを見ていて思ったの。口先だけじゃない、信念に基づいた行動ができるあなたを、私心から尊敬してたのよ」
日彩の頬は紅潮していた。それが夕焼けのためなのか、彼女が興奮しているからなのか、研矢にはわからなかった。
不意に日彩の目が細められた。
「でも、あなたはただ優しいだけ。たとえば、花鈴のことが好きなのに、友人の彼女だからと一歩引いて見ている」
「それは――当たり前だろ……」
「いいえ。私の松宮君なら、きっと欲しい物は手に入れてたわ」
日彩の口調は、研矢を弾劾するかのようだった。
「ねぇもう一度聞くわ。――どうしてあなたは松宮君を名乗ってるの?」
「お、俺は――」
「あなたは誰なの?」
「俺は松宮……」
研矢は戸惑う。日彩の話す内容は、嘘ではない。けれども、それらの出来事は、まるでテレビの内容を記憶したかのように、現実感に欠けている。
「ねぇ、なぜ私がカフェラテを不思議そうに思ったと思う? ――松宮君、あなたは牛乳が嫌いだったからよ」
日彩は研矢のカップに視線を落とした。
研矢も思わずカップを見つめる。
(オレは牛乳がスキだ――いや、キライだった?)
そのときだった。
誰かに強く命じられた記憶が心を掠める。
――シネ
研矢ははっとして姿勢を正した。
――ニュウガクシキヲオエレバヨウズミダ
「……用済み……」
――デンシャニトビコメ
「……飛び込め……」
研矢は椅子を弾き飛ばすようにして立ち上がった。
ガラスのフェンスの向こうは燃えるような夕焼けだ。まるで血のような。
(そうだ、俺は死ぬんだった。そのためだけに生まれたんだから)
研矢はテーブルに乗り、フェンスを超えて、屋上の隅に駆け寄ると、両手を広げて飛び込んだ。
――夕焼けに向かって。