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@ 26話 自己肯定

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 今の惨めな自分……学生時代、同級生たちよりも自分の方が華やかだったはずが、現在の自分は地味で貧乏くさい人生を必死にしがみ付くのが精一杯。何物でもないちっぽけな自分。摩己も、自分ではなく、元カレの野球部エースの慶介と結婚していればもっと幸せな生活を送っていたかもしれない。その発想こそが惨めにさせていることは分かっているのに。


 


 人生の偏差値とは学生と社会とではこうもガラリと変わるものなのか……そして一度社会に出た後からでは中々に動かせない現実。


 そう考えると情けない。しかしその一方で、ささやかな幸せや安定を維持することも容易なことではないと知る。そんな葛藤をひっくり返すための一発逆転の何か……それはお金? それとも有名になること? ハッキリしてることは承認欲求だということ。手段は見えないが、なりたい自分がある、いやあった。ただ所帯を持って子供が生まれ家庭ができて、『なりたい自分』より優先すべき責任ができた。それは重く圧し掛かり、求める幸せは社会に打ちのめされるたびに『ささやかもの』へと形を変えてきた。


 アインシュタインの言う、『挫折や失敗を知るべくはずの挑戦する者』とは恐らく『意思のないただの失敗者』を指すはずもない。社会とは失敗者に厳しい……年齢とともに反比例していく挑戦の決断。家族の幸せと穏やかな生活を一番に描くことは『現状維持』ではだめだという厳しい現実に思い知らされた……。 月下明


 


◆◇◆◇


 


 人生とはなんだ、自分がいる意味……若い時は誰でも考えたことはあるのではないだろうか? 将来への不安と恐れ……それに対する答えなんてもちろん持ち合させてなどいないし、それどころか今度は『死』という問題まで出てくる始末。死んだらどうだっていいとも思うけれど、親の死を見送るにあたって、考えさせられたことも多かった。生きるも死ぬも家族のことを考えたのなら、自分もこと以上にシンドイ。私は何物なのだろうか?


 


 一度母になると、母以外の者にはなれないのであろうか? 母になった女性は『個』のアイデンティティを持たないのであろうか? それは遠く16万年ほど前のミトコンドリア・イヴがそうさせているのであろうか? そして母であることに揺らいでしまったのなら……その存在の価値は……?


 


 そうそう若者に向けた言葉に書かれていた一文にこんなのがあった。


 


『子供が生まれて家庭を持つ。そのとき君は君自身が主人公であった物語から、子供が主役の連続ドラマの親役へ転向する。そしてそれは若いころ悩んだ人生の意味の答えの一つを感じることだろう』


 


(言いたいことは解る……でも少し合意できない……。子供が生まれたら親役へ転向? 違う、私の物語に子役が増えたのよ。『輝季くんのお母さん』役じゃないのよ……)


 向けられた人への言葉のニュアンスなのであろう、とは思う。勿論その覚悟をもって子を産んだ、しかしながら逆に元在った自分の物語を少しでも先に進めようとするのが、あたかも悪かのように固められる世の中。それにうんざりする。 月下灯


 


* * *


 


『何者かにないりたい』『存在する意義を実感したい』ことを描いて人生を歩んできたけれど、振り返ってみた足跡は『何も残っていない』なんて大多数の人生だ。その否定と区別をしたいからこその承認欲求。


『平穏普通』が『特別』に劣っていると考えるのは幻想と切望だ。波乱万丈の人生者は順風の人生を欲していたのではなかろうか? 将来の担保に怯えなくてはならない現代社会。


 


 明も灯も迷い生きている。将来の不安ってやつは何歳になっても拭い去れないようだ。


 


 一万円持ってて帰りの電車賃が五千円かかるとする。パチンコで使えるのは五千円まで。その五千円以内で利益を出せればその『挑戦』は成功したことになる。使える五千円の内、始めの千円は期待感で緊張感はない。最後の千円をパチンコに突っ込む時、これこそが『プレッシャー』だ。


 明たちは今、恐らくパチンコに使える五千円の内の『期待感』を過ぎた辺りの人生を歩んでいるのであろう。明たちにとって『挑戦』は『プレッシャー』なのだ。




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 今の惨めな自分……学生時代、同級生たちよりも自分の方が華やかだったはずが、現在の自分は地味で貧乏くさい人生を必死にしがみ付くのが精一杯。何物でもないちっぽけな自分。摩己も、自分ではなく、元カレの野球部エースの慶介と結婚していればもっと幸せな生活を送っていたかもしれない。その発想こそが惨めにさせていることは分かっているのに。
 人生の偏差値とは学生と社会とではこうもガラリと変わるものなのか……そして一度社会に出た後からでは中々に動かせない現実。
 そう考えると情けない。しかしその一方で、ささやかな幸せや安定を維持することも容易なことではないと知る。そんな葛藤をひっくり返すための一発逆転の何か……それはお金? それとも有名になること? ハッキリしてることは承認欲求だということ。手段は見えないが、なりたい自分がある、いやあった。ただ所帯を持って子供が生まれ家庭ができて、『なりたい自分』より優先すべき責任ができた。それは重く圧し掛かり、求める幸せは社会に打ちのめされるたびに『ささやかもの』へと形を変えてきた。
 アインシュタインの言う、『挫折や失敗を知るべくはずの挑戦する者』とは恐らく『意思のないただの失敗者』を指すはずもない。社会とは失敗者に厳しい……年齢とともに反比例していく挑戦の決断。家族の幸せと穏やかな生活を一番に描くことは『現状維持』ではだめだという厳しい現実に思い知らされた……。 月下明
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 人生とはなんだ、自分がいる意味……若い時は誰でも考えたことはあるのではないだろうか? 将来への不安と恐れ……それに対する答えなんてもちろん持ち合させてなどいないし、それどころか今度は『死』という問題まで出てくる始末。死んだらどうだっていいとも思うけれど、親の死を見送るにあたって、考えさせられたことも多かった。生きるも死ぬも家族のことを考えたのなら、自分もこと以上にシンドイ。私は何物なのだろうか?
 一度母になると、母以外の者にはなれないのであろうか? 母になった女性は『個』のアイデンティティを持たないのであろうか? それは遠く16万年ほど前のミトコンドリア・イヴがそうさせているのであろうか? そして母であることに揺らいでしまったのなら……その存在の価値は……?
 そうそう若者に向けた言葉に書かれていた一文にこんなのがあった。
『子供が生まれて家庭を持つ。そのとき君は君自身が主人公であった物語から、子供が主役の連続ドラマの親役へ転向する。そしてそれは若いころ悩んだ人生の意味の答えの一つを感じることだろう』
(言いたいことは解る……でも少し合意できない……。子供が生まれたら親役へ転向? 違う、私の物語に子役が増えたのよ。『輝季くんのお母さん』役じゃないのよ……)
 向けられた人への言葉のニュアンスなのであろう、とは思う。勿論その覚悟をもって子を産んだ、しかしながら逆に元在った自分の物語を少しでも先に進めようとするのが、あたかも悪かのように固められる世の中。それにうんざりする。 月下灯
* * *
『何者かにないりたい』『存在する意義を実感したい』ことを描いて人生を歩んできたけれど、振り返ってみた足跡は『何も残っていない』なんて大多数の人生だ。その否定と区別をしたいからこその承認欲求。
『平穏普通』が『特別』に劣っていると考えるのは幻想と切望だ。波乱万丈の人生者は順風の人生を欲していたのではなかろうか? 将来の担保に怯えなくてはならない現代社会。
 明も灯も迷い生きている。将来の不安ってやつは何歳になっても拭い去れないようだ。
 一万円持ってて帰りの電車賃が五千円かかるとする。パチンコで使えるのは五千円まで。その五千円以内で利益を出せればその『挑戦』は成功したことになる。使える五千円の内、始めの千円は期待感で緊張感はない。最後の千円をパチンコに突っ込む時、これこそが『プレッシャー』だ。
 明たちは今、恐らくパチンコに使える五千円の内の『期待感』を過ぎた辺りの人生を歩んでいるのであろう。明たちにとって『挑戦』は『プレッシャー』なのだ。