―セクション4―
大杜は顔をわずかに動かして、壁時計を見やった。十時を少し過ぎたところだ。
時計はアナログではあったが、窓から差し込む明かりが、朝の十時である事を告げている。
大杜は反対を向いた。アイビーが突っ立ているのが目に入った。
「おはよう。よく寝てたな」
「……おはよう。そりゃあ、無理やり寝かしつけられたわけだから」
大杜は苦い顔をしたが、アイビーが落ち着いて突っ立っているので、自分が薬で眠らされたあと、大ごとにはなっていないのだろうと推測した。
「君の予想を裏切って申し訳ないが」
「?」
「いや、大したことは起こっていないと思ったんじゃないかと。――違ったか?」
「合ってる。俺のことなんでもわかるよね」
「当然だ。――で、裏切って申し訳ないが」
「ああ、うん。なんかあったんだ。まぁそりゃそうか。……シラーと連絡取れた?」
「いや。取れなかった。――報告事項が複数あるが、何から聞きたい?」
「何があるかわからないのに選べないだろ。……じゃあ、悪い方から順番に」
「悪い方からか」
「だって、それ聞いておいたら、あとは少し気分が楽かなって」
大杜が憂鬱そうに言うと、アイビーが頷いた。
「そうだな。ではやはり、シラーの件から」
「う……やっぱりそうなんだ。あいつ何したの」
「君に鎮静剤を使って八階から追い出した理由――八階の防犯カメラの映像を見ると、何があったかわかりやすい」
アイビーは言うと、サイドテーブルに置いてあったタブレットを取り上げて、横になっている大杜が見やすいように角度を合わせた。
高性能の防犯カメラ映像は、鮮明だ。映し出された病院の廊下の風景はくっきりしていて、テレビドラマのワンシーンのようだ。
画面に、大杜と研矢が現れた。動きがコミカルなのは、倍速だからだ。
やがてシラーが登場し、大杜に接触を図る辺りで、標準速度に戻される。改めて注目すると、シラーが手にしている物が見えた。
大杜に使われたのは、鍼灸で利用する、小さな絆創膏に鍼が付いた置き鍼のような構造の鎮痛剤だった。
これは高犯対管理下の技術部門で開発されたアイテムで、針の部分に仕込む薬の種類、量によって、さまざまな用途に使用できるが、基本的には鎮痛剤を穏便に使用したい場面で使われる。
あの時、首元にそれが貼られたことに大杜はすぐに気が付いた。だが、シラーが研矢に気付かれないように貼ったことから、彼がことを荒立てずに二人を遠ざけようとしていることを察し、大杜は眠ってしまう前に、その場を去ることにしたのだ。
――彼がファクターと名乗ったことも気掛かりだった。
大杜たちが防犯カメラから消えると、また倍速になった。シラーは弓佳の病室に入る。解錠できたことから、最初から病室に用があったのかもしれない。
しばらくしてシラーが病室から出てくると、大杜は驚いてベットから跳ね起きた。
アイビーが気遣うように大杜を見やったが、身振りで大丈夫だと告げる。
アイビーはタブレットに視線を戻し、大杜もダブレットの画面を食い入るように覗き込んだ。
防犯カメラには、二人の姿が映っていた。
シラーと、シラーにうやうやしく手を引かれて歩いている小さなレディ。レディは廊下に出ると、防犯カメラのある方向に歩いてきて、そのままカメラの外に消えた。
「この映像の続きは⁉︎」
「エレベーター内部の防犯カメラは事前に細工されていたらしく、無人の静止画像に差し代わっていた。三階で降りた後、シラーは布の掛かった小さなワゴンを押している。本館に入ってからはまた映像がなく、その後の消息はわからない」
大杜は息を呑んだ。
「彼は、シラーだった」
大杜は触れたものが人工頭脳を持つ物質であれば、瞬時にシステムを分析できる。
シラーが自分の首元に触れた時に感じたものは、融合した時の彼のままであるということ――明確な自我を持つシラーが、ファクター医師を取り込む形で融合しており、その状態は未だ維持されていた。
「シラーならばおかしなことではないだろう。何を考えているのかわからない、いつも妙なことをするのがヤツだ」
「そんな言い方……」
大杜は不満そうに呟いたが、シラーが皆からそういった見方をされていることはわかっているし、彼も誤解を受けるようなことばかりするから、仕方ないことではある。
「ねぇ、あれ――誘拐になるのかな……」
「未成年だから、そうだろうな。まぁ彼女の意思で歩いていたようではあるが」
「歩いて――そうだよ、それ! 大問題だ」
「ああ」
「研矢は、彼女は生まれてから一度も目を開けてないって言ってた。ましてや、歩いて――だなんて」
大杜はただの廊下だけになっている防犯カメラの映像を見つめて、手を握り締めた。
「彼女が行方不明になった件は、副室長から松宮博士の元に報告を入れてある。ケンヤを含め他の家族にはまだ伝えられていない。この映像はショックが大きいだろう」
アイビーはタブレットの映像を切った。
「では、次、ブルースターの内偵が終了した件」
「事態が動いた?」
「ああ。リソナの機体をラボで待機させている。カスミの次に戻してやってくれ」
「わかった。けれど、急に何があったの?」
「リトルバードが――というか、オーナーが襲撃されたんだ。ブルースターと、ケンヤの護衛のために近くにいたケリア、呼び出しを受けて駆けつけたアキレアのお陰で、守ることができた。オーナーは任意同行に応じてくれたから、南波記念病院の盗難事件は、近いうちに明らかになるだろう」
「そうか、良かった。でも研矢の護衛でケリアが近くにいたって、どう言うこと?」
「昨夜ここからの帰り道、ケンヤがリトルバードに夕食を食べに寄ったらしい。その際に起きた出来事だった」
「そうなんだ! 良かった――みんな無事で……」
「ああ」
「で、他にもまだある?」
「悪い方から順番で――次が最後だな」
「内偵終了の件よりも良い知らせなんだ? なにかな、気になる」
「ブルースターからの報告に面白い内容がある」
大杜はアイビーが笑ったように感じた。