第10話 缶コーヒーで乾杯!【前編】
ー/ー
午後六時。
桜並木警察署に着いた頃には、三田村さんの電話を受けてから二時間近くが経っていた。
そろそろいい時間だろうと踏んで、正面入り口の自動ドアを開くと、気難しい顔を張り付けた七人ほどの一団とすれ違った。
それが三田村さんの言うお偉いさんの集団だと一目でわかったのは、みんな一様にシワひとつない上質なスリーピーススーツを着込んでいたからだ。
「あの人たちが勇者ご一行様なら、三田村さんはモブキャラだね」
真之助が歯に衣着せず、そんなことを言う。
ヨレヨレ、シワシワ、ボロボロの三田村さんとは見るからに天と地の差だ。
しかも、靴に至っては三田村さんが事件現場を歩き回って土と埃にまみれているのに対して、お偉いさんたちの靴は鏡のようにピカピカに磨かれており、覗き込めば顔が映り込んでしまいそうだ。
格差社会とはこういうものなのかとヒエラルキーに同情してしまう。
「真、あの人」
「ああ」
その勇者ご一行様の中に見覚えのある顔があった。
昨日、藤木さんの車で桜並木駅まで送ってもらったあと、遭遇した上野たちから逃げる道すがら、思いっきりぶつかってしまった通行人だ。
集団を率いるように先頭を歩いている。やはり、お偉いさんのひとりだったのだ。
「男性の胸に飛び込むなんて大胆ね」と安藤さんに恐らくは冗談で言われたことが頭を掠め、苦味が広がる。
お偉いさんたちを見送り、顔を戻すと、その安藤さんがいつの間にか目の前に立っていたものだから驚いた。
オレがなかなかやって来ないものだから、ロビーまで迎えに来てくれたようだった。
相も変わらずポーカーフェイスのような、能面のような、表情も温度も感じられない顔つきで、安藤さんは労をねぎらってくれた。
「いらっしゃい、崎山クン。ごめんなさい、迎えに行けなくて。時間を持て余していたでしょう」
「ちょうど寄らなきゃならないところがあったので、むしろ助かりました」
「だったら、いいけど。でも、こんなときはちゃんと文句を言った方がいいと思う。何もかもスケジュール管理ができない三田村サンのせいだから。もし、言いにくいんだったら、わたしからガツンと言ってあげるけど」
「……状況が悪化しそうなので、遠慮しておきます」
「そう」
安藤さんはわずかに肩を落とした。表情の変化が乏しい彼女なりに残念がっているようだった。もしかすると、仕事をさぼったのが原因で三田村さんに雷を落とされ、その仕返しを考えているのかもしれないなと邪推する。
取り調べは思ったより難なく進んだ。
イワシの小骨を取り除くくらい慎重に、通り魔事件の状況を説明しなければならなかったのは苦労したが、記憶が薄い部分は真之助がフォローしてくれたから助かった。
主に取り調べを担当したのは三田村さんと藤木さんの同僚である少年係の刑事だった。
オレとしては藤木さんに会えるものだと思っていたから、正直拍子抜けしまったが、会ったら会ったで、どんな顔をすればいいのか、莉帆のことを訊ねるべきか否か、迷いもあったため、ほっとしていたことも確かだ。
最後に出来上がった書類に署名をして、取り調べは無事終了した。
少年係の刑事が部屋を出ていくと、
「せっかくだから、ちょっと話していかないかい? 取り調べのあとの打ち上げさ」
三田村さんはオレの返事を訊く前に三人分の缶コーヒーを手際よくデスクに並べ始めた。
「安藤から聞いたんだけど、真君はストローを使うらしいね。はい、どうぞ」
そう言ってストローを手渡される。
「あれ? オレ、安藤さんにそんなこと話しましたっけ?」
「昨日、Cafe・cachetteで話していたわ。崎山クン、アナタ、健忘症? まだ若いのに気の毒ね」
「……すみません」
不本意だが、なぜか謝らざるを得ない雰囲気になる。
「本当はまだ口外しちゃいけないんだけどさ」
三人で乾杯の儀式を済ませると、早速三田村さんがプルタブを引き起こしながら言った。
「昨日、妹さんを襲った通り魔は模倣犯だったんだ」
「そうですか」
「驚かないの?」
「そのことで放課後に聖子先生と話したばかりでしたから。聖子先生を襲った犯人と、加奈を襲った犯人に違和感があるって。それに──」
本物の通り魔は藤木さんじゃないんですか?
しかし、言葉にならなかった。
「それに? どうしたの?」
「いえ、どうもしません。ところで、犯人の動機は何だったんですか?」
すると、今度は安藤さんが、三田村さんの隣で台本を読むように応えた。
「模倣犯のカレはニュースで世間を騒がせている通り魔事件のことを知って、自分も真似をしたいと思ったらしいの。若い女の子の困った顔に性的興奮を覚えるとも言っていたわ。困ったヒト」
「そうですね」
全細胞が一斉に藤木さんのことを考えているお陰で、ほとんど無意識に相槌を打ってしまった。
しっかりしなければと缶コーヒーを胃に流し込んでみたが、胸に溜まったモヤモヤはしぶとく居座り続け、結局、オレの方が根負けして訊ねなければならなくなった。もちろん、さりげなさを装って。
「そういえば、藤木さんはいないんですか?」
白々しい響きが含まれないよう細心の注意を払う。
「フジに何か用事でもあったのかい?」
「ちょっと聞きたいことがあっただけです」
「聞きたいこと?」
「大した話じゃないんです。せっかく警察署に来たので、藤木さんの顔を見ておきたいと思っただけで」
「俺の方からフジに用件を伝えておくから、話してもらえないかな?」
三田村さんがオレの真意を測るようにして瞳の奥をグングンと覗き込んできた。
その遠慮を知らない不躾さは土足でプライベートな領域に踏み込んでくるのとよく似ており、オレは思わず透明なシールドを張り巡らせる。
「教えてもらえるかい?」
「ふ、藤木さんに直接伝えたいので、三田村さんには言えません。帰りに少年係へ寄りますから、打ち上げはもうお開きにしてください。さようなら──」
なぜだかわからないがオレは地雷を踏んだと悟った。これ以上、取調室にいてはいけない。本能的で直感的な危機感だ。
腰を浮かせ、床に置いたカバンを引き寄せたとき、
「あのさ!」
三田村さんの鞭を打つような短い声がオレをその場に止まらせた。
「真君さ、フジを知らないか?」
「知りませんけど。藤木さんがどうかしたっていうんですか?」
訝しんで三田村さんを見返すと、オレの視線から逃れるように充血した瞳が右に左に小さく泳いだ。
「あいつ……今日無断欠勤したんだよ。スマホも繋がらないし、昨夜から官舎に戻っていないみたいなんだ」
「行方不明ってことですか?」
幼い子供が曖昧に肯定する動作のように三田村さんはぎこちなく頷いた。
「あいつが立ち寄りそうなところはいろいろ当たってみたんだけど、全て肩透かしさ。拝命以来こんなことは初めてで……正直困惑しているよ」
「藤木サンと最後に会ったのが崎山クンだとカレの記録に残っているんだけど」
そこでオレはこの打ち上げの会が最初から二人の刑事によって仕組まれたものだと気がついた。
三田村さんの表情の端々に散りばめられた緊張と不安。
そして、安藤さんらしからぬ多弁な様子にもっと早く違和感に気がつくべきだったのだ。
今、オレの目の前にいるのは頼りになる刑事でも、冴えない貧乏神でも、氷の軍曹でもなく、藤木さんを心底心配する友人と同僚としての二人だった。
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桜並木警察署に着いた頃には、三田村さんの電話を受けてから二時間近くが経っていた。
そろそろいい時間だろうと踏んで、正面入り口の自動ドアを開くと、気難しい顔を張り付けた七人ほどの一団とすれ違った。
それが三田村さんの言うお偉いさんの集団だと一目でわかったのは、みんな一様にシワひとつない上質なスリーピーススーツを着込んでいたからだ。
「あの人たちが勇者ご一行様なら、三田村さんはモブキャラだね」
真之助が歯に衣着せず、そんなことを言う。
ヨレヨレ、シワシワ、ボロボロの三田村さんとは見るからに天と地の差だ。
しかも、靴に至っては三田村さんが事件現場を歩き回って土と埃にまみれているのに対して、お偉いさんたちの靴は鏡のようにピカピカに磨かれており、覗き込めば顔が映り込んでしまいそうだ。
格差社会とはこういうものなのかとヒエラルキーに同情してしまう。
「|真《まこと》、あの人」
「ああ」
その勇者ご一行様の中に見覚えのある顔があった。
昨日、藤木さんの車で桜並木駅まで送ってもらったあと、遭遇した上野たちから逃げる道すがら、思いっきりぶつかってしまった通行人だ。
集団を率いるように先頭を歩いている。やはり、お偉いさんのひとりだったのだ。
「男性の胸に飛び込むなんて大胆ね」と安藤さんに恐らくは冗談で言われたことが頭を掠め、苦味が広がる。
お偉いさんたちを見送り、顔を戻すと、その安藤さんがいつの間にか目の前に立っていたものだから驚いた。
オレがなかなかやって来ないものだから、ロビーまで迎えに来てくれたようだった。
相も変わらずポーカーフェイスのような、能面のような、表情も温度も感じられない顔つきで、安藤さんは労をねぎらってくれた。
「いらっしゃい、崎山クン。ごめんなさい、迎えに行けなくて。時間を持て余していたでしょう」
「ちょうど寄らなきゃならないところがあったので、むしろ助かりました」
「だったら、いいけど。でも、こんなときはちゃんと文句を言った方がいいと思う。何もかもスケジュール管理ができない三田村サンのせいだから。もし、言いにくいんだったら、わたしからガツンと言ってあげるけど」
「……状況が悪化しそうなので、遠慮しておきます」
「そう」
安藤さんはわずかに肩を落とした。表情の変化が乏しい彼女なりに残念がっているようだった。もしかすると、仕事をさぼったのが原因で三田村さんに雷を落とされ、その仕返しを考えているのかもしれないなと邪推する。
取り調べは思ったより難なく進んだ。
イワシの小骨を取り除くくらい慎重に、通り魔事件の状況を説明しなければならなかったのは苦労したが、記憶が薄い部分は真之助がフォローしてくれたから助かった。
主に取り調べを担当したのは三田村さんと藤木さんの同僚である少年係の刑事だった。
オレとしては藤木さんに会えるものだと思っていたから、正直拍子抜けしまったが、会ったら会ったで、どんな顔をすればいいのか、莉帆のことを訊ねるべきか否か、迷いもあったため、ほっとしていたことも確かだ。
最後に出来上がった書類に署名をして、取り調べは無事終了した。
少年係の刑事が部屋を出ていくと、
「せっかくだから、ちょっと話していかないかい? 取り調べのあとの打ち上げさ」
三田村さんはオレの返事を訊く前に三人分の缶コーヒーを手際よくデスクに並べ始めた。
「安藤から聞いたんだけど、真君はストローを使うらしいね。はい、どうぞ」
そう言ってストローを手渡される。
「あれ? オレ、安藤さんにそんなこと話しましたっけ?」
「昨日、|Cafe・cachette《カフェ・カシェット》で話していたわ。崎山クン、アナタ、健忘症? まだ若いのに気の毒ね」
「……すみません」
不本意だが、なぜか謝らざるを得ない雰囲気になる。
「本当はまだ口外しちゃいけないんだけどさ」
三人で乾杯の儀式を済ませると、早速三田村さんがプルタブを引き起こしながら言った。
「昨日、妹さんを襲った通り魔は模倣犯だったんだ」
「そうですか」
「驚かないの?」
「そのことで放課後に聖子先生と話したばかりでしたから。聖子先生を襲った犯人と、加奈を襲った犯人に違和感があるって。それに──」
本物の通り魔は藤木さんじゃないんですか?
しかし、言葉にならなかった。
「それに? どうしたの?」
「いえ、どうもしません。ところで、犯人の動機は何だったんですか?」
すると、今度は安藤さんが、三田村さんの隣で台本を読むように応えた。
「模倣犯のカレはニュースで世間を騒がせている通り魔事件のことを知って、自分も真似をしたいと思ったらしいの。若い女の子の困った顔に性的興奮を覚えるとも言っていたわ。困ったヒト」
「そうですね」
全細胞が一斉に藤木さんのことを考えているお陰で、ほとんど無意識に相槌を打ってしまった。
しっかりしなければと缶コーヒーを胃に流し込んでみたが、胸に溜まったモヤモヤはしぶとく居座り続け、結局、オレの方が根負けして訊ねなければならなくなった。もちろん、さりげなさを装って。
「そういえば、藤木さんはいないんですか?」
白々しい響きが含まれないよう細心の注意を払う。
「フジに何か用事でもあったのかい?」
「ちょっと聞きたいことがあっただけです」
「聞きたいこと?」
「大した話じゃないんです。せっかく警察署に来たので、藤木さんの顔を見ておきたいと思っただけで」
「俺の方からフジに用件を伝えておくから、話してもらえないかな?」
三田村さんがオレの真意を測るようにして瞳の奥をグングンと覗き込んできた。
その遠慮を知らない|不躾《ぶしつけ》さは土足でプライベートな領域に踏み込んでくるのとよく似ており、オレは思わず透明なシールドを張り巡らせる。
「教えてもらえるかい?」
「ふ、藤木さんに直接伝えたいので、三田村さんには言えません。帰りに少年係へ寄りますから、打ち上げはもうお開きにしてください。さようなら──」
なぜだかわからないがオレは地雷を踏んだと悟った。これ以上、取調室にいてはいけない。本能的で直感的な危機感だ。
腰を浮かせ、床に置いたカバンを引き寄せたとき、
「あのさ!」
三田村さんの鞭を打つような短い声がオレをその場に止まらせた。
「真君さ、フジを知らないか?」
「知りませんけど。藤木さんがどうかしたっていうんですか?」
|訝《いぶか》しんで三田村さんを見返すと、オレの視線から逃れるように充血した瞳が右に左に小さく泳いだ。
「あいつ……今日無断欠勤したんだよ。スマホも繋がらないし、昨夜から官舎に戻っていないみたいなんだ」
「行方不明ってことですか?」
幼い子供が曖昧に肯定する動作のように三田村さんはぎこちなく頷いた。
「あいつが立ち寄りそうなところはいろいろ当たってみたんだけど、全て肩透かしさ。拝命以来こんなことは初めてで……正直困惑しているよ」
「藤木サンと最後に会ったのが崎山クンだとカレの記録に残っているんだけど」
そこでオレはこの打ち上げの会が最初から二人の刑事によって仕組まれたものだと気がついた。
三田村さんの表情の端々に散りばめられた緊張と不安。
そして、安藤さんらしからぬ多弁な様子にもっと早く違和感に気がつくべきだったのだ。
今、オレの目の前にいるのは頼りになる刑事でも、冴えない貧乏神でも、氷の軍曹でもなく、藤木さんを心底心配する友人と同僚としての二人だった。