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第9話 大ちゃん

ー/ー



 西の空に傾いた太陽は茜色の衣装を羽織り、滞りなく夜を呼び込む準備を始めている。

 オレと真之助は浅間坂のバス停を目指して歩いていた。

 莉帆(りほ)の母親が軽トラックで警察署まで送っていこうかと買って出てくれたが断った。

 混乱した頭の中を整理したかったのだ。

 恐らく、真之助も同じだろう。いつもの余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)の表情はなりを潜め、じっと前方を見据える瞳には緊張の影が見え隠れしているようだった。

「なあ」

 オレの方から沈黙の殻を破る。

「莉帆と連絡を取る方法はないか?」

「ないよ」

 真之助はにべもない。

「じゃあ、おいねとは?」

「ないよ」

「ケチ」

「あのさ、どっちもムリなの。あの世へ逝った幽霊たちとは、こっちから勝手に連絡が取れないものなんだよ。なぜなら」

「『守護霊界の掟で決まっているから』だろ。まーた、お得意の常套句(じょうとうく)な」

 たっぷりの皮肉を振りかけてやると、真之助は鼻息ひとつでいとも簡単に吹き飛ばしてしまった。

(まこと)でも学習するものなんだね。小さいのは体と器だけで、頭脳は立派な大人用だ」

「チッ」

 悔しいが、真之助の皮肉の方が切れがいい。

 会話はそれ以上、続かなかった。

 オレたちが互いの腹の内を探り合っているうちに、また音もなく沈黙が降りてきて、オレは莉帆の母親とのやり取りを思い出す。

「お母さんの方から、莉帆さんから託された大ちゃんへのメッセージを伝えてもらえませんか?」

 莉帆の母親に、娘の遺言となるメッセージを伝えたあと、大ちゃんへ代理メッセンジャーを頼もうとしたときだった。

「真君が莉帆から頼まれたんだから、直接大ちゃんに伝えてあげてくれない? おばさんが大ちゃんへのメッセージを聞いてしまうのは、莉帆の日記を盗み見るみたいで後ろめたいわ」

 莉帆の母親はそう言って聞こうとはしなかった。代わりに名刺と、収穫したばかりの野菜をいくつか持たせてくれた。野菜はご苦労賃だと言った。

 莉帆の母親はビニール袋に野菜を詰めながら、

「きっと、莉帆は大ちゃんのことが好きだったと思うの。一度、『好きなんでしょ?』とからかったことがあってね。そしたら、あの子、『んなわけないでしょー』と言って、パチパチと(まばた)きをしたのよ」

 莉帆の母親は目じりにしわを作って笑うと、瞬きをしてみせた。

 その仕草が莉帆のものと重なった。

 クルリとカールした上向きのまつ毛が瞬きを重ねる仕草だ。

「パチパチって拍手みたいだから、まつ毛拍手って呼んでいたっけ。莉帆が嘘をつくときの癖ね」

「嘘をつくときの癖……」

 ふと莉帆との会話が甦った。

 オレが莉帆に通り魔を見なかったかと訊ねたときだった。莉帆はパチパチと瞬きをして、強い口調で言った。

『そう言えば……五、六十代のおじさんを見たわ。白髪混じりの少し長めの髪で、目鼻立ちがはっきりとした、右眉の下にホクロがあるおじさん──』

「ついに見つけたよ!」

 興奮を帯びた真之助の声で現実に引き戻される。

 いつの間に道路を横断したのか、真之助は反対車線から忙しく手招きしていた。

 莉帆が命を落とした事故現場ということもあり、しっかり左右を確認してから慎重に横断する。真之助に近づくと、立て看板を凝視しているのがわかった。

 立て看板といっても、通り魔事件の情報を募るためのものではない。

 事故現場の反対側に立っていたのは、政治の宣伝用看板だった。地元出身の滝尾なんとかという国会議員が力強い笑みを向けている。よく言えば寛容な、悪く言えば挑発的な、来るもの拒まずといった顔つきだ。

 真之助は政治家に視線を向けたまま、早口で捲し立てた。

「莉帆ちゃんが見たと言ったおじさんだよ。特徴がそっくりだ。髪形も顔立ちも年齢も一致する」

「確かに似てるかもしれないけどさ。普通は他人の空似(そらに)を疑った方がいいんじゃねえの?」

「煮え切らない言い方だなぁ。そもそも右眉下のホクロの位置まで同じ人なんてそうそういないよ? きっと、莉帆ちゃんは絶命するときにこの看板を見て、はっきり記憶していたから、咄嗟に嘘をついたんだ」

「どうして、莉帆がそんな嘘をつく必要があったんだよ?」

 ついカッとなり、真之助に詰め寄った。莉帆が無実の罪を着せられているようで腹が立ったのだ。

「本当は真だってわかっているんでしょ?」

「はあ? お前の言いたいことなんかわかるはずねえだろ。オレ、超能力者じゃねえし!」

 鋭い右ストレートを食らわせるつもりで言葉を放ってみたが、一瞬早く真之助に急所を突かれていた。

 真之助の言う通りだった。本当は真之助が言わんとすることくらいわかっていた。

 浮上したひとつの答えが、言葉という形で外へ飛び出したいと羽をばたつかせるが、オレはそれを許さなかった。ロープでグルグル巻きにし、重りをつけて、もう一度、心の深い場所へ沈ませようと試みる。

「質問に質問で返すのは失礼だって、子供の頃に教わらなかったのか?」

「そんな大昔のことはもう忘れちゃったよ。真だって質問に質問で返しているじゃないか。私の当て推量だけど、莉帆ちゃんは誰かをかばっている気がするんだ」

「ありえない」

「ありえるったら」

「ゼッタイありえないったら、ありえない!」

 いくら否定の言葉を並べようとも、ひとつの答えは解放という自由を求め、大空へ向かって飛び立った。

 車道に目を向ければ、三年前の事故の光景がコマ送りのようにゆっくりと展開する。

 逢魔が時(おうまがとき)だ。通り魔に追われ、逃げ場を失った莉帆は車道に飛び出し、走行してきた車に撥ね飛ばされた。

 莉帆の華奢な体は枯れ葉のように軽々と宙を舞ったあと、路上に叩きつけられる。

 これが幻だとわかったのは、目を閉じてもシーンが再生されるからであり、莉帆の姿があまりにも生々しいのは成仏前の姿を知っているからだ。

 莉帆の幻影は冷たいコンクリートに頬をつけ、広がってゆく血だまりからおもむろに沿道へと視線を動かした。

 焦点はオレを通り抜け、政治家のポスターへと結ばれる。

 命の灯火が消える寸前、莉帆が最期に見たのが、このポスターだったのなら、彼女がかばいたかったのは一体誰なのだろう。

 答えは簡単。

 莉帆を死に追いやった通り魔だ。

『全部許すよ、大ちゃん』

 莉帆の声が穏やかな風になって髪を撫でてゆく。

 オレは莉帆の母親から預かった名刺に視線を落とした。胸を刃物で突かれたような痛みが走る。

 桜並木警察署生活安全科少年係 巡査部長 藤木大輔──。

「莉帆がかばっていたのは藤木さんだったなんて…」

 もう一度、きつく目を閉じると、昨日の光景が瞼の裏側に浮かび上がる。

 藤木さんの車の中、間抜け顔をしたクマのマスコットがルームミラーから吊るされていた。


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 西の空に傾いた太陽は茜色の衣装を羽織り、滞りなく夜を呼び込む準備を始めている。
 オレと真之助は浅間坂のバス停を目指して歩いていた。
 |莉帆《りほ》の母親が軽トラックで警察署まで送っていこうかと買って出てくれたが断った。
 混乱した頭の中を整理したかったのだ。
 恐らく、真之助も同じだろう。いつもの|余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》の表情はなりを潜め、じっと前方を見据える瞳には緊張の影が見え隠れしているようだった。
「なあ」
 オレの方から沈黙の殻を破る。
「莉帆と連絡を取る方法はないか?」
「ないよ」
 真之助はにべもない。
「じゃあ、おいねとは?」
「ないよ」
「ケチ」
「あのさ、どっちもムリなの。あの世へ逝った幽霊たちとは、こっちから勝手に連絡が取れないものなんだよ。なぜなら」
「『守護霊界の掟で決まっているから』だろ。まーた、お得意の|常套句《じょうとうく》な」
 たっぷりの皮肉を振りかけてやると、真之助は鼻息ひとつでいとも簡単に吹き飛ばしてしまった。
「|真《まこと》でも学習するものなんだね。小さいのは体と器だけで、頭脳は立派な大人用だ」
「チッ」
 悔しいが、真之助の皮肉の方が切れがいい。
 会話はそれ以上、続かなかった。
 オレたちが互いの腹の内を探り合っているうちに、また音もなく沈黙が降りてきて、オレは莉帆の母親とのやり取りを思い出す。
「お母さんの方から、莉帆さんから託された大ちゃんへのメッセージを伝えてもらえませんか?」
 莉帆の母親に、娘の遺言となるメッセージを伝えたあと、大ちゃんへ代理メッセンジャーを頼もうとしたときだった。
「真君が莉帆から頼まれたんだから、直接大ちゃんに伝えてあげてくれない? おばさんが大ちゃんへのメッセージを聞いてしまうのは、莉帆の日記を盗み見るみたいで後ろめたいわ」
 莉帆の母親はそう言って聞こうとはしなかった。代わりに名刺と、収穫したばかりの野菜をいくつか持たせてくれた。野菜はご苦労賃だと言った。
 莉帆の母親はビニール袋に野菜を詰めながら、
「きっと、莉帆は大ちゃんのことが好きだったと思うの。一度、『好きなんでしょ?』とからかったことがあってね。そしたら、あの子、『んなわけないでしょー』と言って、パチパチと|瞬《まばた》きをしたのよ」
 莉帆の母親は目じりにしわを作って笑うと、瞬きをしてみせた。
 その仕草が莉帆のものと重なった。
 クルリとカールした上向きのまつ毛が瞬きを重ねる仕草だ。
「パチパチって拍手みたいだから、まつ毛拍手って呼んでいたっけ。莉帆が嘘をつくときの癖ね」
「嘘をつくときの癖……」
 ふと莉帆との会話が甦った。
 オレが莉帆に通り魔を見なかったかと訊ねたときだった。莉帆はパチパチと瞬きをして、強い口調で言った。
『そう言えば……五、六十代のおじさんを見たわ。白髪混じりの少し長めの髪で、目鼻立ちがはっきりとした、右眉の下にホクロがあるおじさん──』
「ついに見つけたよ!」
 興奮を帯びた真之助の声で現実に引き戻される。
 いつの間に道路を横断したのか、真之助は反対車線から忙しく手招きしていた。
 莉帆が命を落とした事故現場ということもあり、しっかり左右を確認してから慎重に横断する。真之助に近づくと、立て看板を凝視しているのがわかった。
 立て看板といっても、通り魔事件の情報を募るためのものではない。
 事故現場の反対側に立っていたのは、政治の宣伝用看板だった。地元出身の滝尾なんとかという国会議員が力強い笑みを向けている。よく言えば寛容な、悪く言えば挑発的な、来るもの拒まずといった顔つきだ。
 真之助は政治家に視線を向けたまま、早口で捲し立てた。
「莉帆ちゃんが見たと言ったおじさんだよ。特徴がそっくりだ。髪形も顔立ちも年齢も一致する」
「確かに似てるかもしれないけどさ。普通は他人の|空似《そらに》を疑った方がいいんじゃねえの?」
「煮え切らない言い方だなぁ。そもそも右眉下のホクロの位置まで同じ人なんてそうそういないよ? きっと、莉帆ちゃんは絶命するときにこの看板を見て、はっきり記憶していたから、咄嗟に嘘をついたんだ」
「どうして、莉帆がそんな嘘をつく必要があったんだよ?」
 ついカッとなり、真之助に詰め寄った。莉帆が無実の罪を着せられているようで腹が立ったのだ。
「本当は真だってわかっているんでしょ?」
「はあ? お前の言いたいことなんかわかるはずねえだろ。オレ、超能力者じゃねえし!」
 鋭い右ストレートを食らわせるつもりで言葉を放ってみたが、一瞬早く真之助に急所を突かれていた。
 真之助の言う通りだった。本当は真之助が言わんとすることくらいわかっていた。
 浮上したひとつの答えが、言葉という形で外へ飛び出したいと羽をばたつかせるが、オレはそれを許さなかった。ロープでグルグル巻きにし、重りをつけて、もう一度、心の深い場所へ沈ませようと試みる。
「質問に質問で返すのは失礼だって、子供の頃に教わらなかったのか?」
「そんな大昔のことはもう忘れちゃったよ。真だって質問に質問で返しているじゃないか。私の当て推量だけど、莉帆ちゃんは誰かをかばっている気がするんだ」
「ありえない」
「ありえるったら」
「ゼッタイありえないったら、ありえない!」
 いくら否定の言葉を並べようとも、ひとつの答えは解放という自由を求め、大空へ向かって飛び立った。
 車道に目を向ければ、三年前の事故の光景がコマ送りのようにゆっくりと展開する。
 |逢魔が時《おうまがとき》だ。通り魔に追われ、逃げ場を失った莉帆は車道に飛び出し、走行してきた車に撥ね飛ばされた。
 莉帆の華奢な体は枯れ葉のように軽々と宙を舞ったあと、路上に叩きつけられる。
 これが幻だとわかったのは、目を閉じてもシーンが再生されるからであり、莉帆の姿があまりにも生々しいのは成仏前の姿を知っているからだ。
 莉帆の幻影は冷たいコンクリートに頬をつけ、広がってゆく血だまりからおもむろに沿道へと視線を動かした。
 焦点はオレを通り抜け、政治家のポスターへと結ばれる。
 命の灯火が消える寸前、莉帆が最期に見たのが、このポスターだったのなら、彼女がかばいたかったのは一体誰なのだろう。
 答えは簡単。
 莉帆を死に追いやった通り魔だ。
『全部許すよ、大ちゃん』
 莉帆の声が穏やかな風になって髪を撫でてゆく。
 オレは莉帆の母親から預かった名刺に視線を落とした。胸を刃物で突かれたような痛みが走る。
 桜並木警察署生活安全科少年係 巡査部長 藤木大輔──。
「莉帆がかばっていたのは藤木さんだったなんて…」
 もう一度、きつく目を閉じると、昨日の光景が瞼の裏側に浮かび上がる。
 藤木さんの車の中、間抜け顔をしたクマのマスコットがルームミラーから吊るされていた。