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第2回

ー/ー



●幻 聖 宮

 自分への好意に満ちあふれた暖かさに包まれて、セオドアは自然に目を覚ました。

 静かな充実感が、心にも体にも満ちているのが判る。目覚めと共に体中を埋める傷の痛みが起こったが、清潔なシーツの上で丁寧な治療を受けているおかげでか、あまり響かずにすんでいる。

 ここが幻聖宮にある自分の部屋だというのは、目を開いたときから分かっていた。

 横から差しこんでくる陽光を背にして、自分を見つめている藍色の瞳を見つけられたからだ。

「蒼駕……」

 ゆっくりと、その名を口にする。

「ようやく目を覚ましたね。こんなにも人を心配させて、困った子だ」

 穏やかなほほえみ。優しさにあふれた響き。

 本当に蒼駕だ。

 セオドアはあわてて身を起こし、もっとよく見ようと彼の方へにじり寄ろうとする。途端、シーツへついた腕や胸、腰に、鋭い痛みが走った。

「……っ……」
「ああほら、無茶をするんじゃない。いいから寝ていなさい。せっかくふさがった傷も、乱暴に扱ったらまた開いてしまうよ。
 ミスティアの医師は、命があるのは奇跡だとまで言ったんだからね」

 きりきりと全身をしめつけられる痛みに眉を寄せたセオドアの体を支えるようにして、寝かしつけようとする。
 しかし「今まで寝続けていたせいで背中が痛い」と拒んだセオドアのため、蒼駕は左右のクッションを重ねて背にあてがった。

 手元で揺れる蒼駕の袖端を、セオドアは恐る恐る引く。

 夢じゃない。ここにいるのはたしかに蒼駕だと実感した瞬間、ぐっと熱いものがこみあげてきて、目尻に涙がにじむ。

「蒼駕……」
「おやおや。きみのそんな顔を見るのはひさしぶりだ」

 どうもあれ以来涙線がゆるみっぱなしだと、あわてて目に力を入れて涙をとめようとするセオドアを、蒼駕はむしろ腕の中へ引き寄せて、促すように愛しげに頭をなでた。

 幼い子どもをあやすような手だったが、やっと彼の元へ帰ってこれたのだと、安堵の思いが胸中に広がる。
 あの、悪意ばかりがたちこめた場所から、ようやく蒼駕のいる、このやすらぎに満ちた場所へ。

「あとで皆に謝らないといけないよ。朱廻とともに戻されて以来、外傷以外は特に異常も見つからないのにずっと目を覚まさなくて、皆君を心配していたんだからね。
 ミスティア王都にいた分も含めて、7日も眠っていたんだよ、きみは」

 その言葉にはっとして、蒼駕の肩口から顔を上げる。

「7日ですって!?」

 あれから、もうそんなにたっている!?

「きみの身に起きた話もいろいろ聞きたいけれど、その前に、何か欲しい物はあるかい? おなかは? すいてない?」

 その問いかけに、口が答えるよりも早く腹の虫が情けない声を上げた。

 7日もの間点滴と注射だけでまともな食事をとらずにいたのだから当然とはいえ、思わず赤面したセオドアに、くすくす笑いながら廊下へ出た蒼駕は、歩いている者を呼びとめた。

「悪いけど厨房へ行って、シアの粥とクラをそれぞれ1つずつ持ってきてくれないか。ああそれと、リコリアの薬湯もだ。頼むよ」

 そして戻ってきて、セオドアの寝台の横に置かれた椅子に座る。
 セオドアは、蒼駕の何気なく示した日数に、いまだショックから立ち直れないでいた。

「……7日……」

 その間中、自分は昏睡していたんだろうか? 1度も目を覚まさずに、ずっと。

 そういえば体の傷。あれだけの大怪我を負っていたのに、今はほとんどの口がふさがっている。その間の記憶がまるでない自分には到底信じられない時間の経過だが、たしかに7日もあれば、この程度には回復しているかもしれない。

 だが、7日だって?

「あのぅ……感応式は? どうなったんですか? たしか、もう過ぎてます、よ……ね……?」

 最後はおそるおそる訊いてきた問いかけに、蒼駕は小首を傾げて彼女を見た。

「予定通り行って、マシュウが感応したよ。もうきみを待つ必要はないということでね。
 3日前に碧凌共々転移鏡をくぐったから、今ごろはフライアル国王と誓約を交わしているんじゃないかな」
「彼女が?」
「執務室で見せたあの自信も、あながちではなかったというわけだ」

 つい訊き返してしまったが、不思議と、驚きやくやしさは沸いてこなかった。
 むしろ、ああそうか、と。腑に落ちるというか、納得までしてしまっている。

 予定通り、ということは、宮母さまは待ってくださらなかったのか。

 それもしかたない。これだけの傷を受けて、しかも魅妖に関わったために負の気を帯びている自分では、到底感応式への参加は望めない。
 闇の干渉を受けないように傷を浄化するにはここまでひどいと最低半月はかかるし、そんなにフライアル国王は待ってはくれないだろうから。

 でも、良かった。

「これでよかったんですよね。あの魔導杖を感応させられて、幻聖宮の面目は立ったし、もしこのことが起きず、強引にわたしがあれと感応しようとしていたら、彼女の未来をつぶすことになったかも知れなかったわけで……。
 また感応できなくて、ちょっと残念ですけど、今度のことで自分の未熟さをつくづく思い知りました。もう一度学び直しながら、気長に探すことにします。そんなに急がなくたって、きつといつかは――。
 蒼駕? どうかしたんですか?」

 健気にも未来への希望と新たな心構えを口にする、セオドアがシーツへと落としていた目を上げたとき。そこにあった蒼駕の顔は、ますます眉を寄せた、奇妙なものになっていた。

 そうして驚いている自分を見て、どこか困ったような、どう言おうか迷っているような苦笑いを浮かべて言う。

「おかしなことを言うね。きみは、立派に感応したじゃないか」
「……え?」
「ほら、右手にずっと握りしめている、それはきみの魔導杖だと朱廻は言っていたよ。きみが感応した、きみの魔導杖だと」

 蒼駕の指し示した先、シーツの上に乗った自分の右手を見て、ようやくセオドアは自分が何かを握っていたことに気がついた。

 二の腕から先を固められているところを見ると、骨折――それも数箇所――しているらしい。鎮痛効果のあるリコリアの強作用のせいでかほとんど感覚が失われていてよく分からなかったが、確かにセオドア魔導杖らしき物を握りしめていた。

 セオドアはあまりの驚きに声すら出せずに、ただひたすらその竜心珠でできた魔導杖へと見入る。
「……これが、わたしの、ですか……?」
「そうだよ。きみにふさわしい、きみの魔導杖だ」

 一体どこからきているのか、セオドアには全く分からない確信でにこやかに断言する蒼駕の前、再びそれに目を向ける。

 ほかの魔導杖とはまるで違う、竜心珠でできた魔導杖。

 実際に存在するということは、あれはただの夢ではなかったのかもしれない。
 だが、ただの夢でなかったとして、どうして夢の中の物が現実に、しかも自分の手の中にあるんだ?

 おそろしいことに、夢の中以外、現実でそれを手にした記憶が、セオドアには全くなかった。

「記憶がない?」

 その返答に、今度は蒼駕が驚く番だった。

「きみはそれを使って魅妖を断ったそうだよ? それも覚えてないのかい?」

 ゆるゆると、首を縦に振る。
 あの魅妖を『自分が』断った、それすら初耳だ。

 驚きに丸くした目で手の中の魔導杖と自分とを交互に見るセオドアの姿に、それが隠し事などではなく、本当に覚えてないのだと悟った蒼駕は『やれやれしようのない子だ』とでも言うように苦笑し、それからため息をつくと、ゆっくりと話しはじめた。

 それによると、どうも自分があの漣を断ったのは間違いなさそうだった。

 魅妖の手で外部への『目』として作り変えられていた転移鏡は、魅妖の消滅によって元の姿をとり戻し、救援要請の交信を終えた朱廻がかけつけた、半壊した宝物庫の中で自分はこの魔導杖を手に1人仰向けに横たわっていたらしい。大気にはこの魔導杖と同じ波動が満ちていたそうだ。

 つまり、この魔導杖を使ったセオドア自身の気が、ということ。

「思い出せたかい?」

 俯いたまま、ずっと思い出そうとつとめていた自分に尋ねてくる蒼駕の言葉に、セオドアは申しわけなさそうに首を横に振った。


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 自分への好意に満ちあふれた暖かさに包まれて、セオドアは自然に目を覚ました。
 静かな充実感が、心にも体にも満ちているのが判る。目覚めと共に体中を埋める傷の痛みが起こったが、清潔なシーツの上で丁寧な治療を受けているおかげでか、あまり響かずにすんでいる。
 ここが幻聖宮にある自分の部屋だというのは、目を開いたときから分かっていた。
 横から差しこんでくる陽光を背にして、自分を見つめている藍色の瞳を見つけられたからだ。
「蒼駕……」
 ゆっくりと、その名を口にする。
「ようやく目を覚ましたね。こんなにも人を心配させて、困った子だ」
 穏やかなほほえみ。優しさにあふれた響き。
 本当に蒼駕だ。
 セオドアはあわてて身を起こし、もっとよく見ようと彼の方へにじり寄ろうとする。途端、シーツへついた腕や胸、腰に、鋭い痛みが走った。
「……っ……」
「ああほら、無茶をするんじゃない。いいから寝ていなさい。せっかくふさがった傷も、乱暴に扱ったらまた開いてしまうよ。
 ミスティアの医師は、命があるのは奇跡だとまで言ったんだからね」
 きりきりと全身をしめつけられる痛みに眉を寄せたセオドアの体を支えるようにして、寝かしつけようとする。
 しかし「今まで寝続けていたせいで背中が痛い」と拒んだセオドアのため、蒼駕は左右のクッションを重ねて背にあてがった。
 手元で揺れる蒼駕の袖端を、セオドアは恐る恐る引く。
 夢じゃない。ここにいるのはたしかに蒼駕だと実感した瞬間、ぐっと熱いものがこみあげてきて、目尻に涙がにじむ。
「蒼駕……」
「おやおや。きみのそんな顔を見るのはひさしぶりだ」
 どうもあれ以来涙線がゆるみっぱなしだと、あわてて目に力を入れて涙をとめようとするセオドアを、蒼駕はむしろ腕の中へ引き寄せて、促すように愛しげに頭をなでた。
 幼い子どもをあやすような手だったが、やっと彼の元へ帰ってこれたのだと、安堵の思いが胸中に広がる。
 あの、悪意ばかりがたちこめた場所から、ようやく蒼駕のいる、このやすらぎに満ちた場所へ。
「あとで皆に謝らないといけないよ。朱廻とともに戻されて以来、外傷以外は特に異常も見つからないのにずっと目を覚まさなくて、皆君を心配していたんだからね。
 ミスティア王都にいた分も含めて、7日も眠っていたんだよ、きみは」
 その言葉にはっとして、蒼駕の肩口から顔を上げる。
「7日ですって!?」
 あれから、もうそんなにたっている!?
「きみの身に起きた話もいろいろ聞きたいけれど、その前に、何か欲しい物はあるかい? おなかは? すいてない?」
 その問いかけに、口が答えるよりも早く腹の虫が情けない声を上げた。
 7日もの間点滴と注射だけでまともな食事をとらずにいたのだから当然とはいえ、思わず赤面したセオドアに、くすくす笑いながら廊下へ出た蒼駕は、歩いている者を呼びとめた。
「悪いけど厨房へ行って、シアの粥とクラをそれぞれ1つずつ持ってきてくれないか。ああそれと、リコリアの薬湯もだ。頼むよ」
 そして戻ってきて、セオドアの寝台の横に置かれた椅子に座る。
 セオドアは、蒼駕の何気なく示した日数に、いまだショックから立ち直れないでいた。
「……7日……」
 その間中、自分は昏睡していたんだろうか? 1度も目を覚まさずに、ずっと。
 そういえば体の傷。あれだけの大怪我を負っていたのに、今はほとんどの口がふさがっている。その間の記憶がまるでない自分には到底信じられない時間の経過だが、たしかに7日もあれば、この程度には回復しているかもしれない。
 だが、7日だって?
「あのぅ……感応式は? どうなったんですか? たしか、もう過ぎてます、よ……ね……?」
 最後はおそるおそる訊いてきた問いかけに、蒼駕は小首を傾げて彼女を見た。
「予定通り行って、マシュウが感応したよ。もうきみを待つ必要はないということでね。
 3日前に碧凌共々転移鏡をくぐったから、今ごろはフライアル国王と誓約を交わしているんじゃないかな」
「彼女が?」
「執務室で見せたあの自信も、あながちではなかったというわけだ」
 つい訊き返してしまったが、不思議と、驚きやくやしさは沸いてこなかった。
 むしろ、ああそうか、と。腑に落ちるというか、納得までしてしまっている。
 予定通り、ということは、宮母さまは待ってくださらなかったのか。
 それもしかたない。これだけの傷を受けて、しかも魅妖に関わったために負の気を帯びている自分では、到底感応式への参加は望めない。
 闇の干渉を受けないように傷を浄化するにはここまでひどいと最低半月はかかるし、そんなにフライアル国王は待ってはくれないだろうから。
 でも、良かった。
「これでよかったんですよね。あの魔導杖を感応させられて、幻聖宮の面目は立ったし、もしこのことが起きず、強引にわたしがあれと感応しようとしていたら、彼女の未来をつぶすことになったかも知れなかったわけで……。
 また感応できなくて、ちょっと残念ですけど、今度のことで自分の未熟さをつくづく思い知りました。もう一度学び直しながら、気長に探すことにします。そんなに急がなくたって、きつといつかは――。
 蒼駕? どうかしたんですか?」
 健気にも未来への希望と新たな心構えを口にする、セオドアがシーツへと落としていた目を上げたとき。そこにあった蒼駕の顔は、ますます眉を寄せた、奇妙なものになっていた。
 そうして驚いている自分を見て、どこか困ったような、どう言おうか迷っているような苦笑いを浮かべて言う。
「おかしなことを言うね。きみは、立派に感応したじゃないか」
「……え?」
「ほら、右手にずっと握りしめている、それはきみの魔導杖だと朱廻は言っていたよ。きみが感応した、きみの魔導杖だと」
 蒼駕の指し示した先、シーツの上に乗った自分の右手を見て、ようやくセオドアは自分が何かを握っていたことに気がついた。
 二の腕から先を固められているところを見ると、骨折――それも数箇所――しているらしい。鎮痛効果のあるリコリアの強作用のせいでかほとんど感覚が失われていてよく分からなかったが、確かにセオドア魔導杖らしき物を握りしめていた。
 セオドアはあまりの驚きに声すら出せずに、ただひたすらその竜心珠でできた魔導杖へと見入る。
「……これが、わたしの、ですか……?」
「そうだよ。きみにふさわしい、きみの魔導杖だ」
 一体どこからきているのか、セオドアには全く分からない確信でにこやかに断言する蒼駕の前、再びそれに目を向ける。
 ほかの魔導杖とはまるで違う、竜心珠でできた魔導杖。
 実際に存在するということは、あれはただの夢ではなかったのかもしれない。
 だが、ただの夢でなかったとして、どうして夢の中の物が現実に、しかも自分の手の中にあるんだ?
 おそろしいことに、夢の中以外、現実でそれを手にした記憶が、セオドアには全くなかった。
「記憶がない?」
 その返答に、今度は蒼駕が驚く番だった。
「きみはそれを使って魅妖を断ったそうだよ? それも覚えてないのかい?」
 ゆるゆると、首を縦に振る。
 あの魅妖を『自分が』断った、それすら初耳だ。
 驚きに丸くした目で手の中の魔導杖と自分とを交互に見るセオドアの姿に、それが隠し事などではなく、本当に覚えてないのだと悟った蒼駕は『やれやれしようのない子だ』とでも言うように苦笑し、それからため息をつくと、ゆっくりと話しはじめた。
 それによると、どうも自分があの漣を断ったのは間違いなさそうだった。
 魅妖の手で外部への『目』として作り変えられていた転移鏡は、魅妖の消滅によって元の姿をとり戻し、救援要請の交信を終えた朱廻がかけつけた、半壊した宝物庫の中で自分はこの魔導杖を手に1人仰向けに横たわっていたらしい。大気にはこの魔導杖と同じ波動が満ちていたそうだ。
 つまり、この魔導杖を使ったセオドア自身の気が、ということ。
「思い出せたかい?」
 俯いたまま、ずっと思い出そうとつとめていた自分に尋ねてくる蒼駕の言葉に、セオドアは申しわけなさそうに首を横に振った。