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第3回

ー/ー



 それは、変な夢だった。

 夢とは得てしてたわいのない、掴みどころのないもの。どんなに恐ろしくとも、稜線(りょうせん)を越えて差し込む朝日に散らされる夜の闇のように、やがて明ける朝に負け、薄れ、惨めに掻き消えてゆく、取るに足らないものだ。

 だがそういったものとは違う、それはなんとも奇妙な、そしてそれゆえにどこか意味有り気な夢だった。

 それにはまだ、全体的に見て少年のような幼さの残った男の姿があった。
 見知らぬ男。
 他に何も見えないほど白く輝く世界でうつ伏せに倒れ、流れ出た己の血に赤く染まった息も絶え絶えの男が必死に何かをつぶやき、そして横にある、光り輝くものに手を伸ばしている。
 男のつぶやいている言葉は一切聞こえないのに、不思議と、男の体から床にしたたり落ちる血の音だけは聞こえる。
 それがなぜか自分の胸の鼓動と重なり、本当に心臓が凍りつくのだという恐怖となって襲ってきて、思わず耳をふさごうとするのだが、手はおろか、彼女の『体』はこの世界のどこにも存在しない。ただ意識だけがこの空間いっぱいに広がっているのだ!

 そのことに愕然とし、必死に、気も狂わんばかりにその光景を拒もうともがく。

 いやだ、聞きたくない! 見たくない!
 わたしに見せるな! たのむ! 見せないでくれ!
 あれは、あれは――――――


◆◆◆


 セオドアは、閉じたまぶたを透過して差しこんでくる強い朝日ではなく、実に極限へと達した悪夢へのおびえによって、強引に深い眠りから意識を引き上げられた。

 あのままでいたなら自分の心は少なからず傷を受けていたに違いない。
 幸いにも拒絶が勝り、寸前で辛うじて逃れられたが、いまだ体中にまとわりつく恐怖が、名残りだというのに息もできないほど動悸を速めている。

 その痛みと、胸元をぎゅっとつかんだ自分の手に現実を感じて、セオドアは自分でも驚くくらい、ほうっと安堵の吐息をついていた。

 よかった。現実だ。こっちが、現実……。

「よお。起きたか?」
 寝る前に渡されていた毛布の上にもう1枚、いつの間にかマントがかけられていたことに気付いて不思議がる彼女の耳に、そんな明るい声が飛びこんでくる。

「ならついでにそっちにある竜心珠、持ってきてくれ」

 つい、男の元気いっぱいの無邪気な笑顔を直視してしまってったが、なぜか昨夜のような当惑は起きずに、セオドアは普通に竜心珠を手渡せた。
 男はそれと毛布を革袋にしまいこんで、かわりに干し肉と小さな塩の塊を出してくる。

「ほら。時間がもったいないから、食いながら行くそ」

 彼女がそれを受け取ると、男が先に立って歩き出す。

「あの……」

 横につこうとして踏み出し、はじめて男の名前を知らなかったことに気付いた。

「エセル。目や髪のことでリュビ(紅玉)とか呼ぶやつもいるな。
 どっちでも、好きなほうで呼べばいい」

 敏感にセオドアのためらいが何かを察知して、荷袋を背負った肩越しに振り返って男が言ってくる。

「セオドアだ。2つ名はない」

 そう返したあとでふと、『テディ』という名があったことを思い出したが、あまりに子供じみた愛称だし、蒼駕以外に呼ぶ者もない名前だったために、あえてつけ加えることはやめた。

「そうか。歳は?」
「18だ」
「にしても、でかいな。俺と同じくらいある女は初めてだ」

 エセルの言葉に、ばし、と軽く踵を叩いて見せる。

「このヒールのせいもあるが、もともと170を越えているからな。大柄なのは家系らしい。母も180近かったそうだ」
「ふーん。らしいって?」
「親というものの存在を知ったときには、もう2人ともいなかった」

 その返事に、エセルは眉を寄せる。

「悪いこと訊いたかな?」
「べつに。幻聖宮ではまず1人になることを叩きこまれるから、親のことなんか口にしないやつがほとんどで、特別気にしたことはない。
 大体、記憶がないんじゃ、寂しいなんて、思いようがない」

 肩をすくめ、素っ気なく返す。
 冷たいと言われることもあるが、名前しか知らない人間に対する思いなんて、そこで止めておくほうが無難だ。それ以上の思いを持つのは危険でさえある。二度と会えない人なのだから。

 それに、育ててくれた保護者への感謝だけでなく、自分の持つ愛情は全て、蒼駕のものだ。こんな自分でも見捨てず気にかけてくれる、蒼駕だけの。

 考えこむ、その横でエセルも同意するように頷いた。

「俺も似たようなものだな。親はいなくて、町でかっぱらいしてたとこを変なじいさんに拾われて、そのまま育てられた。そのじいさんもとっくに逝ったから、1人だ」
「ふうん」

 聞きながら片手間に髪をいつものように右横で編みそろえる。ふと、他の者たちのように返事や態度に愛想がないととがめられるかと思い、ちらりと盗み見たが、エセルはエセルで気にしたふうもなしに何か考えこんでいるようで、沈黙が続いても苦にはならなかった。

 なんとも奇妙な連帯感がそこにあった。
 直線的な話し方は生来のものか、それとも覚えていない過去にでも起因しているのか、どうも人見知りが激しく、とかく口数の少ないことで可愛げがないと、要らぬ敵まで作ってはよく自己嫌悪に陥ってきた。

 内心、昨日のことを引きずってしまわないかと気が気ではなかったのだが、この分だと今日1日を気まずいものにせずにすみそうだ。

「ああそうだ。これを返さないと」

 つい話しこんでしまって渡し忘れていたマントを差し出したが、しかしエセルは一度それを受け取りはしたものの肩にはおらず、むしろセオドアの肩へあらためてかぶせた。

「その薄着じゃ砂漠の太陽はきついからな。意地張って返そうとするな。全身火傷で死にたくないだろ?」

 その言葉にセオドアの目が丸くなる。

「そんなに強いのか?」
「ああ。今の時期は特にな。それからフードは深く被っておけよ」

 言いながら、左の肩口にあるマントの布留めが特殊な形をしているせいで止め方が分からずにいることに気付き、つけてやると、フードを目の下辺りまで引き降ろしてやった。

「おまえは?」
「俺のはちゃんとフードがついてる」

 ほら、と見せるようにエセルの手が持ち上げたのは両肩を渡った飾り布で、確かに被るのに適した幅広の布だった。
 笑って、ウインクを飛ばしてくる姿に、いいやつだと、そう確信する。
 きっと、いい友達になってくれると。

 しかしそれがこれまで限られた場所で育ち、かつ、他人とのつき合いもほとんどない、箱入り娘の持った単なる錯覚――とんでもない思い違いであると気付いたときにはもう、彼女は逃げ出せない袋小路へと追いこまれていたのだが……。


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 それは、変な夢だった。
 夢とは得てしてたわいのない、掴みどころのないもの。どんなに恐ろしくとも、|稜線《りょうせん》を越えて差し込む朝日に散らされる夜の闇のように、やがて明ける朝に負け、薄れ、惨めに掻き消えてゆく、取るに足らないものだ。
 だがそういったものとは違う、それはなんとも奇妙な、そしてそれゆえにどこか意味有り気な夢だった。
 それにはまだ、全体的に見て少年のような幼さの残った男の姿があった。
 見知らぬ男。
 他に何も見えないほど白く輝く世界でうつ伏せに倒れ、流れ出た己の血に赤く染まった息も絶え絶えの男が必死に何かをつぶやき、そして横にある、光り輝くものに手を伸ばしている。
 男のつぶやいている言葉は一切聞こえないのに、不思議と、男の体から床にしたたり落ちる血の音だけは聞こえる。
 それがなぜか自分の胸の鼓動と重なり、本当に心臓が凍りつくのだという恐怖となって襲ってきて、思わず耳をふさごうとするのだが、手はおろか、彼女の『体』はこの世界のどこにも存在しない。ただ意識だけがこの空間いっぱいに広がっているのだ!
 そのことに愕然とし、必死に、気も狂わんばかりにその光景を拒もうともがく。
 いやだ、聞きたくない! 見たくない!
 わたしに見せるな! たのむ! 見せないでくれ!
 あれは、あれは――――――
◆◆◆
 セオドアは、閉じたまぶたを透過して差しこんでくる強い朝日ではなく、実に極限へと達した悪夢へのおびえによって、強引に深い眠りから意識を引き上げられた。
 あのままでいたなら自分の心は少なからず傷を受けていたに違いない。
 幸いにも拒絶が勝り、寸前で辛うじて逃れられたが、いまだ体中にまとわりつく恐怖が、名残りだというのに息もできないほど動悸を速めている。
 その痛みと、胸元をぎゅっとつかんだ自分の手に現実を感じて、セオドアは自分でも驚くくらい、ほうっと安堵の吐息をついていた。
 よかった。現実だ。こっちが、現実……。
「よお。起きたか?」
 寝る前に渡されていた毛布の上にもう1枚、いつの間にかマントがかけられていたことに気付いて不思議がる彼女の耳に、そんな明るい声が飛びこんでくる。
「ならついでにそっちにある竜心珠、持ってきてくれ」
 つい、男の元気いっぱいの無邪気な笑顔を直視してしまってったが、なぜか昨夜のような当惑は起きずに、セオドアは普通に竜心珠を手渡せた。
 男はそれと毛布を革袋にしまいこんで、かわりに干し肉と小さな塩の塊を出してくる。
「ほら。時間がもったいないから、食いながら行くそ」
 彼女がそれを受け取ると、男が先に立って歩き出す。
「あの……」
 横につこうとして踏み出し、はじめて男の名前を知らなかったことに気付いた。
「エセル。目や髪のことで|リュビ《紅玉》とか呼ぶやつもいるな。
 どっちでも、好きなほうで呼べばいい」
 敏感にセオドアのためらいが何かを察知して、荷袋を背負った肩越しに振り返って男が言ってくる。
「セオドアだ。2つ名はない」
 そう返したあとでふと、『テディ』という名があったことを思い出したが、あまりに子供じみた愛称だし、蒼駕以外に呼ぶ者もない名前だったために、あえてつけ加えることはやめた。
「そうか。歳は?」
「18だ」
「にしても、でかいな。俺と同じくらいある女は初めてだ」
 エセルの言葉に、ばし、と軽く踵を叩いて見せる。
「このヒールのせいもあるが、もともと170を越えているからな。大柄なのは家系らしい。母も180近かったそうだ」
「ふーん。らしいって?」
「親というものの存在を知ったときには、もう2人ともいなかった」
 その返事に、エセルは眉を寄せる。
「悪いこと訊いたかな?」
「べつに。幻聖宮ではまず1人になることを叩きこまれるから、親のことなんか口にしないやつがほとんどで、特別気にしたことはない。
 大体、記憶がないんじゃ、寂しいなんて、思いようがない」
 肩をすくめ、素っ気なく返す。
 冷たいと言われることもあるが、名前しか知らない人間に対する思いなんて、そこで止めておくほうが無難だ。それ以上の思いを持つのは危険でさえある。二度と会えない人なのだから。
 それに、育ててくれた保護者への感謝だけでなく、自分の持つ愛情は全て、蒼駕のものだ。こんな自分でも見捨てず気にかけてくれる、蒼駕だけの。
 考えこむ、その横でエセルも同意するように頷いた。
「俺も似たようなものだな。親はいなくて、町でかっぱらいしてたとこを変なじいさんに拾われて、そのまま育てられた。そのじいさんもとっくに逝ったから、1人だ」
「ふうん」
 聞きながら片手間に髪をいつものように右横で編みそろえる。ふと、他の者たちのように返事や態度に愛想がないととがめられるかと思い、ちらりと盗み見たが、エセルはエセルで気にしたふうもなしに何か考えこんでいるようで、沈黙が続いても苦にはならなかった。
 なんとも奇妙な連帯感がそこにあった。
 直線的な話し方は生来のものか、それとも覚えていない過去にでも起因しているのか、どうも人見知りが激しく、とかく口数の少ないことで可愛げがないと、要らぬ敵まで作ってはよく自己嫌悪に陥ってきた。
 内心、昨日のことを引きずってしまわないかと気が気ではなかったのだが、この分だと今日1日を気まずいものにせずにすみそうだ。
「ああそうだ。これを返さないと」
 つい話しこんでしまって渡し忘れていたマントを差し出したが、しかしエセルは一度それを受け取りはしたものの肩にはおらず、むしろセオドアの肩へあらためてかぶせた。
「その薄着じゃ砂漠の太陽はきついからな。意地張って返そうとするな。全身火傷で死にたくないだろ?」
 その言葉にセオドアの目が丸くなる。
「そんなに強いのか?」
「ああ。今の時期は特にな。それからフードは深く被っておけよ」
 言いながら、左の肩口にあるマントの布留めが特殊な形をしているせいで止め方が分からずにいることに気付き、つけてやると、フードを目の下辺りまで引き降ろしてやった。
「おまえは?」
「俺のはちゃんとフードがついてる」
 ほら、と見せるようにエセルの手が持ち上げたのは両肩を渡った飾り布で、確かに被るのに適した幅広の布だった。
 笑って、ウインクを飛ばしてくる姿に、いいやつだと、そう確信する。
 きっと、いい友達になってくれると。
 しかしそれがこれまで限られた場所で育ち、かつ、他人とのつき合いもほとんどない、箱入り娘の持った単なる錯覚――とんでもない思い違いであると気付いたときにはもう、彼女は逃げ出せない袋小路へと追いこまれていたのだが……。